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拡散少女 ―Divergence Girl―


 もちろんこれは、私の勝手気ままな妄想に過ぎない。


 今日は午後から映画を見て、その後は私の部屋でお菓子を食べながらお互いの感想でも面白おかしく言い合う予定である。


 そうだ、映画の前にはパスタを食べに行くのもいいかも知れない。商店街の十字路通りの端に、つい最近オープンした話題のお店があったはず。


 明日は涼しい午前中のうちに勉強を済ませて昼から一緒に野球を見に行こう。勉強はリズの得意分野だし、野球は私の趣味だ。我ながら完璧な休日の予定を組んだと思う。


 リズはお上品に笑って頷く。それを見て私もにっかと笑って見せる。


 もちろんこれは、私の勝手気ままな妄想。



 鉄板のように熱した砂地に、ふたり仲良く並んで座る。

 スカートの端を叩くリズの横顔はあの時と変わらず可愛くて、ふわふわで、舐めたらとっても甘酸っぱそうで、抱きしめたらすぐにでも霧散してしまう残照のようだった。


 いや。もはやリズは既に確実に、残照となっていた。もしくは深海より浮上する泡沫。光は一抹となり泡は結晶と化す。確かに先ほどまでリズだったものは、今では塩の塊となって崩れ始めている。またしても、違かった。


 私は甘酸っぱい塩のリズの頬を指でなぞり、一想いに砕いた。きらきらと輝く彼女の欠片が宙を舞う。


 そしてまた、何千何億ものリズの砂に塗れた地面に立ち上がって私は彼女を求めるのだろう。ばらばらになったパズルの世界で、あっちの宇宙とこっちの宇宙が衝突してしまった宇宙で、糸のこんがらがった時間の果てで。


 リズを求めて、私は歩み続ける。

 まず第一に、リズは可愛い。

 幼馴染であったはずの私よりも、林檎換算で四つ分は背が低かった。対して私は小さく可愛らしいリズに比べ、メロン二つ分は背が高い。同い年の男の子と比べても私の方が大きいことだってざらにある。実に不公平だ。


「でも私は、ニィルのそういうところ、大好きだけどな」


 マシュマロのように可愛い容姿に加え、天使のような甘言を悪魔の如く囁くのだから堪ったものではない。いや、間違いなくリズは天使だった。


 学校の帰り道、私たちは商店街の十字路通りにある喫茶店で談笑するのが日課となっていた。開いた本のページを眺め紅茶を啜る彼女の姿は非常に絵になった。深窓の令嬢とはまさにリズのためにあるような言葉だ。クッキーを頬張る姿を見て愛おしく思わない人間など果たして存在するのだろうか、統計を取ってみたくなる。


 話す内容は特に決まってなどいないが、様式美の如く互いの情報共有や意味のなさない褒め合いや愚痴等、テンプレート化してしまうのは女子特有の現象だろうか。その日はどちらから始めたのかはわからないが、ふたりの昔話から始まった。


 小さい頃から、彼女はどこか捉えようのない儚さの詰まった宝石箱のような女の子だった。私と云えば、近所の男の子と決闘しては縄張りを拡げることが趣味のような人としても夢としても成立しそうにない、そんな女の子だった。自分を女の子だと云い切りたいのは半ば意地である。


 家は隣合っていたため、物心付くころには既に一緒に遊んでいた。そして時を同じくして、世の中にこれほどまで反則的に可愛いらしい生物が存在するのかとも、秘かに思っていた。あまりの不条理に両親を恨んだ時期も中にはあったが、まぁ子供の心理とは得てしてそういうものだろう。


 ある時、リズのようにお嬢様っぽくなりたかった私が短かった自分の髪を伸ばすと宣言すると、あの小悪魔マシュマロは翌日にはさっぱりショートカット姿で現れやがった挙句、あまつさえこうのたまりやがった。


「私もニィルみたいに大人っぽくてかっこいい女の子になりたいなって思って」


 カッとなって小一時間くらい抱き締めて転がしてやった。とても似合っていた。そんな事だから私はお気に入りだったモノトーンのヘアピンをリズにプレゼントした。繰り返すが、とても似合っていたのだ。御返しにと貰ったのはその時リズが身に着けていたこれまたラブリーなピンクの眼鏡。案の定、私には似合うはずも無かったが、これらをお互いの宝物にしようと幼き日のふたりで誓った。


 今では私の髪はかつてのリズよりも長くなったが、いまだに天使が御仲間認定してくれそうな気配は一向にない。代わりに成長していくにつれて視力が良くなっていった。十五歳になる頃には4.0もあったので、リズに貰った眼鏡をかけて半分ほどにまで抑制していないとごちゃごちゃした街中では不便でしょうがない。いったい私が前世で何をしでかしたというのか、認定天使様が現れた暁には尋問したくなるのも無理はないだろう。伸びた髪のおかげで、少しは眼鏡が似合う容姿になったことがせめてもの救いだ。


「おじいちゃんも、ニィルはぜったい将来美人になるって言ってたよ。お嫁さんにしたいくらいだって」


 不貞腐れる私に、読んでいた本を閉じてリズは能天気な口調で言い放った。その前髪には、今でも白と黒のヘアピンが可愛らしくちょこんと挟み込まれている。


「リズのじいさんって、いま幾つだっけ?」

「今年で七十三歳」


 まことに残念だが、あと五十年早く私の前に現れて欲しかった。




 リズが小さく可愛いまんまなのは、彼女が世界から取り残されてるからだ。

 黴の匂いのする書斎に引き籠り、無精に不精を重ねたジョスじいさんはそう語る。彼こそがリズの祖父であり、御年七十三歳であり、偉く私を気に入ってくれている変わり者の老人である。


「世界からも、時間すらもリズを無視しているのじゃ」


 リズの家に遊びに来ていた私たちを書斎に招き入れ、じいさんはぼそぼそとくぐもった声で言った。別に特別おかしなところはない、いつも通りエキセントリックな老人だ。

 人間は年を取るとこうなるのかなぁ、とか私は思ったりしていた。


「じゃから、ニィル。世界が孫を見失わないように、代わりにお主がしっかりと孫を見とってくれい」

「えへへ、だって。お願いね、ニィル」


 まっちらかした髭面の老紳士と、その孫であるふたりが揃って私を見ていた。

 思えばこの時、私の安請け合いが後々の起因となってしまったことは云うに及ぶまい。

 だがどうにも、私はリズのことが好きだったので、ふたりの言葉に照れながら黙って頷く以外の選択肢は存在しなかったのだ。



 異変の始まり。それは当初、世間で話題となっていたスカイ・インパクトである。

 波打つ雲が地球を覆い始めてから数ヶ月後、南極と北極の空で同時に、『ひび割れ』が観測された。誰かが悪戯に窓硝子へと石をぶつけたような、ちいさな『ひび』だったらしい。

 衛星からの調査でもひび割れは確認されたが、その数日後には電波障害と謎の重力波によって軌道上との連絡は絶たれてしまった。宇宙ステーションの崩壊をテレビ中継で見ていたリズが、震えながら私の手を握りしめていた。


 それからひび割れは急速に領域を広げていった。上空を覆う電磁波と重力場のせいで、航空機での移動やロケットの打ち上げなどにも規制がかかり、人々の生活に影響を及ぼすまでそう時間はかからなかった。


「戦争のようなものじゃよ、あれは。なあに、時機に落ち着く」


 パイプの先からぽっぽと紫煙を燻らすジョスじいさんは、家の庭先からひび割れる空を見上げて私たちにそう言った。


「重要なことは、決して手を放してはならんと云う事じゃ。よいな、ニィル」


 アドバイスのようにも、警告のようにもそれは聞こえた。不安がるリズの肩を抱き、彼女のちいさな掌を力いっぱい握りしめることしか私には出来なかった。


 それからと云うもの、リズの家にはスーツ姿の大人たちがジョスじいさんを訪ねてくるようになったが、じいさんは杖を振り回しては毎度彼らを追い返している。そんな光景を何度か見かけるようになった。


 政府によって、ひび割れが正式にスカイ・インパクトと命名され何らかの自然現象であると云った見解が発表されてからは、時折空から鉄の破片やら岩石やらが降ってくるようになっていた。テレビのニュース番組では気象学者や天文学者、物理学者たちがああだこうだ議論している様子を流していたが、さして興味もなかったので詳しくは覚えていない。

 私はいつものように、リズとの待ち合わせ場所へと赴き、いつものように学校へ行き、いつものように商店街へと繰り出し、リズはオレンジジュースを、私は炭酸の効いたどぎつい色の飲み物を買って喉を潤した。


 ふぅと愛らしい息をついて、リズは憂う表情で呟いた。


「空のあれね、おじいちゃんに訊いたんだけど」

「なら信憑性は皆無だから無視しとけ」


 間髪入れずに否定する私を、今にも泣きそうな目で見上げてくるもんだから、それにすこぶる弱い私は結局訊いてしまうはめになった。


「あの、スカイ・インパクトっていうのは、私たちの今居る世界と、他の次元の世界とがぶつかり合っている状態なんだって」


 私は呆れていた。当然だろう、冷静に考えて。


「このままだと、もしかしたら私たちの世界は粉々になっちゃって、もともと存在すらしなかったかもしれないっていう状態に書き換えられちゃうかもしれないんだって」

「大丈夫だよ、そんなことにはならないさ」


 リズは頭が良い。少なくとも、私たちの住んでいるこの街で、一番賢いのは間違いない。そして、ジョスじいさんはこの街で一番優秀な馬鹿なのも周知の事実だ。


「そうかな。もし本当ならニィルと離れ離れになっちゃうの、いやだな」

「なっても、探しに行くよ」

「本当?」


 嬉しそうに、リズは伏せていた顔を上げた。


「うん、何処までだって絶対に」




 結局それが、私たちの別れの言葉となってしまった。少なくとも、この世界においてはもう、リズは存在しない。




 目覚めると、空には半透明の巨大な卵の殻が浮かんでいた。


「カルデアの渾天じゃ」


 のっそりと背後から現れたジョスじいさんが私に云う。


「世界は拡散してしまったのじゃ、もはや時間はその意味を失い、数字と摂理に管理されていた宇宙は遥かイベントホライズンの彼方に吹き飛んでしまった」


 言ってる意味はこれっぽっちも理解出来なかったが、ひとつだけ解ったことはあった。

 私は、リズの手を放してしまったんだ。


「仕方のないことだったのじゃ、奴らは事を急ぎ過ぎた。あの後、リズと別れたお主と接触し、奴らはお主の協力のもとリズを説得しようと試みた。しかし、お主が予想以上に抵抗するもんじゃから、銃で撃たれたお主は一度死んだ。腹に空いた孔は綺麗に塞がったかのう?」


 はっと気づいて私はお腹のあたりを擦る。綺麗さっぱり風穴は塞がって……いや、消えて無くなっていた。もとから銃で撃たれてなど、無かったかのように。


「ほっほ、元から撃たれてなどないんじゃよ。この世界では、じゃがな」

「リズを狙ってた黒スーツの奴らって、じいさんの知り合い?」


 睨み付ける私をよそに、ジョスじいさんはパイプに火を灯し豪快に鼻から煙を噴き出す。


「奴らは世界を救いたかったのじゃろう、そのために世界に観測されないリズの存在を利用したかったんじゃろうなぁ。リズは摂理や物理法則には囚われないこの宇宙においてたったひとりの観測者としての役割を担う存在じゃ。言い換えれば、リズは自分で宇宙を生み出せる存在だと云えるじゃろう。スカイ・インパクト。わしの命名したこの別次元の地球との接触事故は、放っておけばどちらかの時空を呑み込むまで続いたことじゃろう。わしはこちらの次元が呑み込まれるのならそれはそれで良いと思っていたが、政府はそうは思わなかったのじゃよ。じゃから、リズは狙われ、お主は一度死んだのじゃ」


 見渡せば、そこはもう私とリズの育った街並みの面影はなく、虹色に光を反射する巨大なビル群に囲まれていた。と思えば、粉々になったコンクリートの下からは巨大な樹の根が文明を蹂躙している光景も広がっている。例えるならば、ステンレスとシルクをむりやり繋ぎ合わせたパッチワークのような。

 見上げるとそこにある、ひっくり返った半透明の卵の殻。なにもかもがおかしくって、私は噴き出しそうになった。


「ジョスじいさん、リズはあそこに行ったんだな」


 カルデアの渾天とじいさんが云う卵の殻を指差し、私は云う。

 目をしょぼしょぼとさせ、うぉっほんと白々しい咳でもって、じいさんは答える。


「孫は、リズは撃たれて息絶えたお主を見付け泣き崩れておった。夜になり、朝となってもお主の死体から離れようとはせなんだ。そして、あの子は奴らに手を貸すことに決めたのじゃ。おそらく、この間に合せのように組み上げられた世界はリズによって粉々にされたふたつの世界の名残。そして、無限に拡散し続ける可能性の世界じゃ。新しく構築された世界はその内側にいるリズを観測することは出来ずに、あの子は存在しなかったことになる。あの子が存在しなかったのじゃから、お主は死ぬこともない。砕けた次元はそうも云っておれんくなって、弾け飛んだ宇宙はてんでんばらばらに分散し、明後日と一昨日の方角に向かって一斉に走り出した時間の糸は毛玉のようにこんがらがってしまっておる。あの空に浮かぶ巨大な殻がそれじゃ。矛盾し広がり続ける世界を外側から観測するわしらには、あのように映るのじゃ」



「ふぅん、じゃあやっぱりあの中にリズが居るってことか」


 私はラジオ体操のように屈伸して身体を慣らした。先はどうにも長そうだが、なに、どうとでもなるだろう。


「行くのか、ニィル」

「元はと云えば、無鉄砲に私がリズの手を放しちゃったのが悪いんだ。それに」


 眼鏡を外して、渾天を見上げる。解放した私の視界は、居るはずのないリズの姿を捉えたような気がした。大きく深呼吸して、頬を叩く。




「約束したからさ、絶対に探しに行くって」




 以来、カルデアの渾天へと足を踏み入れた私を待ち受けたのは、途方もない世界と時間の行き来であった。そもそもカルデアの渾天に踏み込むまでにも膨大な時間と準備と実験を要したが、そんなものはリズを探し続ける私において関係など一切無い。たとえ、これまでに阿僧祇の世界と時間を壊そうとも、那由多の世界の私の可能性を犠牲にしようとも、そんなことは、私には関係無い。崩壊し拡散する世界において、世界も、私自身ですらも、幾らでも代わりはあるのだ。リズによって、無限に生み出され続けるこの世界においては。



 もしかして、もしかすれば。どこかの世界のどこかの次元の私は、すでにリズと出逢い、あの頃のように楽しく過ごせているのかもしれない。それどころか、そもそも離れ離れになどならずに、今でもふたり仲良く映画を観てパスタを食べているふたりが存在することだってあるだろう。この無限に散らばった点の中のどれかひとつかふたつくらいには、そんな点が存在したって良いはずである。

でも、私の探すリズはそのどれでもない。たったひとり、たかだか私ひとりのために世界をばらばらにしてしまうような、ふわふわした天使のようで悪魔染みたアイツだけなのだ。そして、見つけ出した時には胸を張って云ってやる。

 もう、私から離れるなよ、って。


 霧となって消えてしまいそうな意識を、存在を、私自身を奮い立たせ、今日も砂漠に落とした一粒の結晶を探すように、私は彼女を求め彷徨うんだ。



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