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来 神 ’  作者: N.river
90/90

さらば三兄弟 の巻  90

 えらい目にあった。泥から逃れた天津神らが、ほとほと疲れて辺りを見回していた。地に突き立てられた矛に気づいたなら、みなしてアゴを持ち上げてゆく。引き戻してそれぞれ深く、うなずきあった。これはぼやぼやしておれん。言わんばかりに野へ散ってゆく。見て取った国津神らも同様だ。このありさまを放っておけるはずもない。国造らんと天津神を手伝うべく、野を方々へ散っていった。

 さあ、力と力はついに合わさる時が来た。だからして、そこからの仕事こそ早さを極める。固まったばかりの地に緑は芽は吹いてすくすく育ち、傍らに清らかと川は流れた。流れ着いたところに穏やかな波は打ち寄せて、海は凪ぎ広がると、見下ろす山も青々とこずえに小鳥を呼び戻す。響くのどかなさえずりの中にはかつてのように田畑のうねが、住まいの屋根が、持ち上がって連なると、撫で渡って風は吹いた。雲を呼ぶと雨をしとしと降らせ、止んだところで空は雲を、次の場所へと誘ってゆく。

 泥からすくい上げられた野の者らは前に後ろに、上に下に、目を丸くして光景を眺めていた。

 紛れてつくしも助かったのか、と清々しい気配に身を起こしてゆく。

 そのときだ。

 それは手の中でうごめいた。

 抱きしめ続けた三本の木切れだ。

 驚くあまりに放り出し、つくしはしばし後じさった。

 するとわさわさ、小枝から音は聞こえだす。あおがれふわふわ、風が頬をなでていった。土くれを裂いて走る何かは傍らを横切り、一体何がと身を強張らせたところで何事もなかったかのようにしずまった頭の上、ちいちい、さえずる小鳥の声を聞く。

 穏やかな響きにむしろつくしはごくり、息を飲んでいた。確かめて、おっかなびっくり手を伸ばす。触れたものに眉を跳ね上げていた。

 手繰るほどに間違いない。木切れもまた芽吹くと根を張り、青葉、茂らせて、立派な木立となっている。

「雲太さっ!」

 泥にまみれた袂をひるがえす。つくしは木立へ抱きついていた。いや、抱きつかずにはおれなかった。

 そんな木立が指し示す空へ矛は、残る塩を滴らせながら引き上げられてゆく。

 これでよかろう、と一息ついた天津神らもまた、残る兵士を引き連れ一柱、また一柱と高天原へ還っていった。

 そうして積み上げられた塩の柱が新たな国中之柱となったところで、なに不思議のない数だ。頭を垂れて見送って、国津神らもまた己が地へ和魂と鎮まっていったのっだた。

 そのいずかたに流れ着いた命が、己に瓜二つな男とまた顔を突き合わせたところで、今度こそそのようにお祀りいたします、と答えて伏したことはいうまでもない。身を起こしてここはどこか、と辺りへ目をやり、ぽかんと空を見上げる者らを見つけたなら、おういおうい、と手を振り駆け寄っていったのだった。

 こうして眺めるしか手立てのない者らのためにこそ国造りを進めねば。

 思いも新たに祀りの支度は始められる。

 今度こそ、優しく豊かな日々のために。


「なかなかの出来」

「そりゃ、あたしたちだからさ」

 引き上げた矛のつなぎ目を抜き去り、伊邪那岐神と伊邪那美神は高みでわずかと微笑み合う。それぞれの矛を大事と再び懐へ戻したなら、髪をちりちりに焦がした天照へ目をやっていた。

「そら、天照よ」

 伊邪那岐神は呼びかける。

「この野は、伊邪那岐神があんたに任せた野なんだよ」

 しっかりおしよ、と言えばしゅん、と縮こまる天照に見る影はなかった。それは同じく頭を垂れた烏が心配するほどの気の落としようで、だからして今度は伊邪那岐神が、まあすんだことだ、ととりなしてもいる。

「そら、そのような顔をするから、野はまだ陰ったまま。見よ、また下で民が心配しておるぞ」

 促して野を示した。

 従い目を向けてゆく天照は、まったくもっておずおずと、がちょうどだ。雲をかき分けよく見えるようにと、烏ももっぱら気を遣う。横顔へ、天照、と囁きかけ、微笑むようにと己が嘴を広げて誘った。

 応えてうなずき、涙を拭い、天照も雲の切れ目から顔をのぞかせる。そうして目にしたものといえば、誰もが奮闘したおかげで広がる穢れなく穏やかな野であった。とはいえ元通りとまでは行かず、まだまだあちこちに気がかりは残されている。果たして優しく豊かな野にしてゆくのは、これからか。何とかしてやらねば。見つめるほど思いは強くこみ上げて、かつての笑みは天照の頬につるり、宿るのだった。


 だからその時、矛を見送り空を仰いでいた者らの前で雲は割れ、野に神々しくも光は射す。それだけで、どうしてこうも力が湧いてくるものなのか。みなして吸い込み、見上げていた。

 国造りに走り始めた命は己が幸魂、奇魂と。

 モトバとミサクは村に里の者らと一塊になり。

 タカはシソウと手に手を取って。

 兄弟たちを抱きしめミノオは探しに現れたスマらと共に。

 そしてつくしは身を寄せた木立の傍らで。

 虹色にさえ見える光へ額をさらした。

 やがてしみじみ手を合わせる者が現れたなら、無事でおればこそと抱き合い、人々はそこここで踊り始める。

「……暖かい」

 その中で一人、つくしも呟いた。

 ほかにつくしへ触れるものはなかったのだから、なおさら日差しは暖かく感じられてならない。そうして、そう感じるからこそ助かってしまったことを噛みしめた。またひとりぼっちになった。つくしはただ肩を落とす。

 生きておっても仕方がないのに。

 と、そんなつくしへ語りかける声はある。

 わしはわしの成すことを成す。つくしはつくしのことを成せ、と。

 それはこの暖かい日差しの中からか。つくしははっ、と顔を上げていた。急ぎ探して辺りへ手を伸ばす。だが雲太こそおるはずもない。泳いでいた手を引き戻してゆく。握りしめ、そうか、と胸へ押し当てていた。

 間違いない。

 声は、ここから聞こえくる。

 つくしをつくしと繋ぎ止めんと、胸の奥から雲太の声は響いていた。

 だとして自分に何が成せるのか、つくしにはわからない。成そうとしたところでめしいておるから、と嫌われるやも知れなかった。けれどその時、生きてみようとつくしは思う。なぜならここに留まり息する限り、胸の内より声は聞こえて、雲太とだけは結ばれ続ける。もう、ひとりぼっちではなくなっていた。

 確かめつくしは今一度、大きく息を吸い込んだ。合わせて声はつくしへと語りかけ、より野に強くつくしを結びつけた。

 それも木偶の身に宿った「結び」の力の働きか。

 つくしにそう、させていた。


 それからというもの大国主命は、そら盛大な祭りを経て天照の遣わした神を三輪の山に鎮めている。鎮まった神の力も絶大だったなら、野の後ろ盾と行く先を示し、性根を入れなおした大国主命の奮起ともども国造りは滞っていたことが嘘のように進んでいった。

 野の者らも数多、神に見守られて、たくましく日々、田畑を耕している。

 あれからつくしは木立の根元で幾日かを過ごしたが、三輪の山から帰る途中の命にその身を拾われていた。

 さて命も雲太らにはいたく世話になっているのだから、巫女となり屋敷で国造りを手伝ってはもらえぬだろうか、とそのときつくしへ話を持ちかけている。木立から離れるのはいたたまれなかったが、つくしはそれが成すべきことやもしれぬと考え、命について出雲へ戻ることを決めていた。

 だがおかげで年に数度、命と共に三輪の山へ赴かなければならぬことにもなっている。そのたびに通るのは、あの木立の傍らだ。


「これ、つくし」

 声につくしは目を瞬かせる。

「ぼうっとするとは、道行に疲れたか」

 命の声はごく近い。

「そら、飲んでおかんと干からびるぞ」

 差し出された竹筒の中で水がちゃぽん、と音を立てていた。車を引いていた牛も確かに水を舐めて一休みの最中だ。つくしは有難く受け取って、傾け一口、こくんと飲んだ。

「何か、考えごとか」

 隣へ命は腰かける。

 竹筒から口を離したつくしはしばし黙りこんだ。

 その背には固く幹が寄り添い、高くこずえを風に揺らしている。そのたびにちらちら差す日は今日も、つくしの額を撫で暖めていた。

「さて、わたしの元へ知らせに参った雲太らとは、いったい何者であったのだろうな。礼をいわねばならずとも、消えてしもうてはどうにもならん。見かねて名のある神がわたしへ遣わした者であったのか」

 まいったまいった、と笑う命はどこまでも朗らかだ。

 聞きながらつくしは日差しを仰ぐ。きっとそうだ、と胸へ大きく息を吸い込んだ。なら見えぬつくしが何を見ておるのか気になったらしい、笑いおさめて命もつくしの眺める先へと目を添わせる。

「いやあ、今日もほんに、よい日よりであることよ。考えごとにはうってつけ」

 ううん、とうなって背伸びを放った。

 つくしが振り返ったのは、その時だ。

 頬にはあの日と変わらぬ笑みが浮かんでいる。

「それはつくしの内緒ごとにございますっ!」


                   おしまい

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