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来 神 ’  作者: N.river
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さらば三兄弟 の巻  88

 しこうして失せた鳥居に光と風が、鳴り続けていた鈴の音さえもが、ぴたりと止んだ。

 静けさがつくしに息をのませる。飲んで起きた全てを体中で受け止めた。見えぬはずの瞳はそのとき大きく見開かれ、裂くような悲鳴は上がる。砂浜を、雲太のいた場所めがけて走った。

 その遥か沖で柱が、倒れつつあった国中之柱が、ついに水面を打ちつける。衝撃に水面は高く弾け上がり、巨体に沿うと飛沫を水平線の果てまで連ねた。水面のみならず、打ちつけ地もまた揺らす。

 足を取られたつくしは雲太らの作った窪みへ転がり落ちていた。

 のみならず国中之柱はこの一撃で、それまであった「もの」も野から弾き飛ばしたようだ。丸かった星はむわり、膨れて緩むと、受けた衝撃を星中にさざ波と広げてゆく。海も地も、広げて高く、低く、うねらせた。うねって窪みの底で起きあがったつくしを、何もかもを乗せて大きく上下する。動きで野を野たらしめていた「結び」の力をびちびち、引き千切っていった。

 だからしてつくしが砂浜へしがみついたところで、ほどけゆく野はもうその形を成していない。「結び」の力を失った地は元の姿に戻らんと、溶けてのっぺりした泥となっていた。陸に海に山に川さえもだ。ことごとく色にカタチを失うと、いまやただのぬかるみと化している。

 飲まれて体は沈んでいった。泥を叩いてたぷたぷと、何も掴めずつくしはもがく。これで何もかもが、誰もかれもがおしまいなのだ。胸を潰した。

 と、流されてきた布が手に触れる。気づくことができたのはそれがいつも大事と握ってきた雲太の衣だからで、沈まず布が浮いていたわけもまた手繰り寄せて知っていた。中に一本、木切れは残ると、泥をかぶろうとも大好きな匂いはそこから優しく漂っている。

 とたん、あああ、とつくしは身を震わせた。目は明かずともそのとき光は射して、つくしの前を明々照らす。やはり雲太は木の生まれ変わりだったのだ。思うままに木切れをぎゅう、と抱きしめた。なら一本では浮いておれまい。それは次々つくしを突っついた。手にすれば、よもやと思えど疑えはしない。大きい方は京三だと、きっと小さい方は和二に違いないと、つくしはそれもまた抱きしめる。

 みなが一緒ならこのまま果てても怖くはなかった。むしろつくしも木切れへ還れたらと願う。願い、つくしはうねる泥に身を任せた。

 乗せて星は泥と潰れゆく。

 同じく空もほどけだしたなら、剥げた青より大気は吸われて虚が冷え冷えと顔をのぞかせた。

 目にした者らの手も止まる。もうそこには荒魂も天津神もありはしなかった。みなして辺りを見回し始める。


 事と次第は音を立て崩れ行く高天原も同じだった。

 囲まれて天照は野を見下ろす。力なくその場に崩れ落ちていった。

「わたしの、わたしの野が……」

 だが涙ぐんだのもつかの間のことだ。耳元でごう、と音は鳴る。振り向けば熱はそこに渦を巻き、燃え盛る翼を広げて鳥は、ぐぐぐ、と喉を詰めていた。光景に、おのれ、と天照こそ鳥を睨む。

 刹那、鳥の嘴から火柱は、練り合わされた黒煙もろとも吐き出された。まともと食らって、それこそ全てを祟りにあけわたしてしまうのか。矢など間に合わないなら真っ向、受け止め、天照も両の(マナコ)をかっと見開いた。「喝」と吠えたその口から、鳥めがけて光を放つ。高天原で光と炎は真っ向、ぶつかり合った。

 砕けて光が、炎が、露か飛沫と飛び散る。衝撃に高天原は陽炎と揺らめき、ままに押し合い互いは圧力を高め合った。その煮えたぎった境界が赤く、白く、弾け、双方の背へ影をはり付ける。消し去り祓い、飲み込んで祟らんと、互いは互いへ力の限りに浴びせ続けた。

 戦いに優劣のつく気配はない。

 力は五分五分か。それきり拮抗する。

 破らんとして互いは隙を探り合った。探して右へ右へと回り始める。先んじようとすれば踏み出す足の早さは極まって、巡る勢いが国中之柱の割った雲の裂け目をなおばりばり、と広げていった。

 いかん、と天照は見て取るが手こそ抜けない。

 見透かしたように鳥もここぞとばかり、吐き出す炎の勢いを強めてゆく。

 迫る炎が戸惑う天照をじりり、焦がし始めた。

 このままでは埒があかないどころか押し切られてしまう。過る思いが天照に腹を決めさせる。

 背より一本、矢を引き抜いた。つがえたところで飛び散る火花や光に所作は鳥から見えないはずで、つまるところ天照にも烏の姿は見えていない。だがイチかバチかとはたいがいこういうものなのだ。

 キリリ、絞った弓に天照は高天原を、野の運命を預ける。「八咫」と声を張るや否や心眼開き、矢を放った。


 ほう。

 それは初めて見知った話に打つ相槌のような響きだろう。もらしたのは混戦、続く芦原の野の、その上で睨み合う高天原の、さらに上で事と次第をじっと眺めていた造化三神の一柱、|天之御中主神《アメミノナカヌシノカミ 》だ。同じくこの様子をのぞき込んで高御産巣日神(タカムスビノカミ) と、神産巣日神(カミムスヒノカミ)もそこにいる。

 しょうのないことじゃのう。眉をひそめて高御産巣日神は言い、ぽいと口へ水菓子を投げ入れた。もにょもにょ食めば、その隣で神産巣日神もまた、ほんにしょうのないことじゃ、と言ってうなずき、凝った肩をぽんぽん、と叩く。思い出して止め、美味そうに水菓子を食う高御産巣日神へと顔を向けた。

 しかしアレはまだおるんか?

 辺りは、そんなこんなの混乱とは無縁の世界だ。物事の始まり、その神秘を詰め込むとしん、と静まり返っている。

 おるおる、この間もそら、その辺を走り回っとったわ。気楽な男よ。

 高御産巣日神は言い放ち、

 もっぺん呼んどくか。

 再び足元をのぞき込んだ神産巣日神が、腕を組んで渋々、提案してみせる。ならその向かいで天之御中主神が涼しげと、掲げた手を耳の横でぱんぱん、打った。

 伊邪那岐神、伊邪那美神ただちにこれへ。

 開いた口から懐かしい名を紡ぎだす。


「覚悟ぉっ!」

 叫ぶ天照に、放つ光はいっときながら弱まっていた。見て取り今こそ、と鳥も炎の圧を高めに高める。だがそのとき光に火の粉を突き破り、それは鳥の前へ現れていた。切っ先に光まとわせ天照の矢は飛び来る。

 いつの間に、と鳥は身をひるがえした。

 はずが、尾羽だけがいうことをきかない。

 八咫を、なめてはっ、いけませんよぉっ!

 声は内より響き、なにを、と見返った尾羽の火だけが消えている。

 こしゃくな。

 舌打っていた。

 翼を矢は射抜く。

 ぎゃあ、と上がった声は溶けた矢の、まとう光が鳥の身へ染みたせいだ。

 吐き出す炎はゆえに途絶え、天照の放つ光が怒涛のごとく押し寄せる。

 その白さにもう、鳥は距離さえ測れなくなっていた。

 高天原がかっ、と瞬く。

 どこより明るい光の中で、影となって鳥は揺れた。

 ままに焼かれて縮みゆく。

 じう、と滅してきれいさっぱり、芦原の野から祓われていった。

 なら野で噴き出していた焼け土の柱もまた真白な光に包まれる。光は消えることなく膨れあがると、焼け土の柱もろとも眩いばかりに木端微塵と吹き飛んだ。

 光景に音はない。

 ただ闇を切り裂き日の光が、野を走ると覆ってゆく。

 影のすべてを蹴散らすと、丸く明々、星を覆っていった。

 戦の手を止めた天津神らは空で、野の者らは溺れながらも泥の中で、果てから差しこむその眩しさに振り返る。振り返って何事かと、眺めるその目を細めていった。

 と光を追いかけ朗々、声は誰もの空に響く。

「我はぁ、なんじの幸魂、奇魂なりぃ。三輪の山に鎮めて祀れば、国造りを助けてすすめんぅ」

 光に乗って柔らかく、共に星を包み込んでいった。包んで、しゅう、と縮んでゆけば、残った光の中に男は一人、取り残される。だが今や、ほ、ほ、ほ、と笑う男は荒ぶっていたとは思えぬほど穏やかだ。ついに残る光も消えてなくなったなら、ぼちょん、と泥へ落ちてじたばた、もがくと助けを求めた。

 束ねられていた国津神も、次から次へ鎮まってゆく。うがつ穴の泥の中、浮かんでかき分け、あっぷあっぷ、とただ漂った。

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