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来 神 ’  作者: N.river
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さらば三兄弟 の巻  84

 ゆえに天照もいぶかる。

「これがどうして」

 ふん、ふん、気張り、いつもとおりに野を照らすが、いくら頑張ったところで蹴散らせない黒雲はそこにあった。

「いやだ、ばっちい。しかも……」

 呟いて、おや、と見開いた目を細めてゆく。眉間も詰めたなら今度は広げ、さらによく見んと眼下をのぞきこんだ。蹴散らせぬわけだと思う。黒雲は、べっとり野にのしかかるどころか見る間に大きくなろうとしていた。なって野に穴をうがつと中へ光を吸い込みさえしている。

 ぞぞぞ、と天照の肌にたちまち泡はふいていた。こめかみ吊り上げ、一体何が、と言葉をもらす。

「天照っ」

 呼び止め、転がり込んできたのは活津日子命(イクツヒコネノミコト)だ。

「我らの手には負えぬことありて、天照まで知らせに参った」

 隣へ海の神、大綿津見神(オホワタツミ)も滑りこんでくる。

「黒雲をご覧になられたか。あれは野のものにあらず。我らが手の内に従いませぬ」

「あーまてらす、天照っ。せっかく緑に耕しましたのに、そのうねを崩すやからがっ」

 かと思えば農業の神、和久産巣日神(ワクムスビ)も眉をへこませ手を振り上げていた。そうして最後、駆けつけたのは髪を逆立てた嵐の神、素戔嗚だ。

「このままでは高天原の手より野は離れますぞ。それもこれもまさか、あれが?」

 祓いに天下ったからこそ、過る予感のまま天照へ視線を投げる。

 見渡せばいつしか黒雲を持て余した天津神らは力添えを乞うて数多、天照の元へ押し寄せていた。向ける顔はどれも疲れ切ったうえに不安げで、思い当ればこそ天照のつるり照っていた頬もまた陰ってゆく。

「素戔嗚の言うとおり、おそらくあの黒雲こそ祀られず荒魂となった大国主命の幸魂、奇魂の仕業であろうかと」

 起きるどよめきが高天原を覆った。

「なにしろほかにこのようなことを成せる国津神が思いつきませぬ」

 言ってひとたび黒雲へ目をやった天照は、強く唇を結ぶ。戻してみなへ、開いてみせた。

「祓い、鎮めねば、野は元の泥に還る恐れありっ」

 ついに上がった悲鳴は天津神らの間からだ。手塩にかけて育んだ野だからこそ、そんな、と嘆き、造化三神がなんとお怒りになられるやら、と恐れおののく声を入り混じらせる。

「みなの者、落ち着けっ。野はこの高天原が守り切るのですっ」

 一喝する天照にためらいはない。示して次の瞬間にも袖は振られていた。

「即刻、野へ降りる準備をっ。戦と覚悟し、兵を整え、みな出陣を待てっ!」

 そら、高天原始まって以来の一大事だ。成り行きに高天原は揺れに揺れる。みなして険しい面持ちになると、一目散と散っていった。

 背に天照は再び野をのぞき込む。任せたはずの木偶らは、烏はどこか。いくらも黒雲に覆い尽くされた野へ目を這わせる。ならその背へ羽音は覆いかぶさっていた。

「大っ変で、ございますっ!」

 ばさばさ、はあはあ、烏はそこに舞い降りていた。



「これは一体、何ごとか」

 揺れる地を、目を丸くした命が見つめる。なら市で瓊瓊杵尊を察したつくしが、あああ、と声を震わせ、その手をひしと握り合わせた。

「雲太さのいっておられた祟りでございますっ。祟りが野を食ろうておるのでございますっ」

「なんとッ」

 正体を明かして野はめりめり、音を立て、眉を跳ね上げる雲太の足元で千切れてぱっくり口を開く。光景に京三の顔は青ざめて、広げた小鼻から和二は荒い息を吐き出した。あざ笑って裂け目は地を走ると野の果て目指し、一直線と伸びてゆく。

 その先にあるのは市だ。

 これはいかん、と天浮橋も速度を上げていた。裂け目を追い抜き、一足先に市の空をぴう、と横切る。

 そこで穀を刈っていた者らは手を止めると、聞こえてくる地鳴りへ顔を上げていた。みなへ雲太は、早く逃げろ、と叫ぶがもう見えない。早くも越えた山の向こう、入れ替わりと現れた野原で揺すられ水をあふれさせる川を目にした。その両岸には押し止めんと奔走する人だかりもある。

「親方様ぁっ。モトバ様ぁっ」

 向かって今度は京三が声を張った。だが誰も目の前のことで精一杯だ。天浮橋も三輪の山をめざすと瞬く間に野原の上を飛び去っていった。なら連なる山の合間に、つつましやかな村はのぞく。タカの村はしかしながら、ようやく得たあの朗らかさもどこへやら。伸びて来た裂け目にうねを千切られると、中へワラ屋根の住まいをがさり、がさり、と崩していた。手と手を取り合い女子供に年寄りと戻った働き手らは、合間をぬって逃げ惑っている。中に雲太はシソウとタカの姿もまた見つけていた。

「必ず鎮めるからして、頑張れぇッ」

 隣で命が、ついに目を背けていた。

「わたしが祀らず、国造りを怠ったせいで……」

 空が陰り始める。次第に濃さをましてゆく黒雲は現れると、雲太らは群れなし逃げる鳥たちと幾らもすれ違った。やがて風が吹き、降り出した雨が雲太らを強く叩きだす。野の揺れも大きさを増している様子だ。遠くでぱらぱら、山も震えて小石を振るい落としていた。

 と、地はそこで途切れる。放り出されたかのように懐かしき海は広がって、遠くかすみオノコロ島は浮かび上がった。だがその空もまた墨色だ。出立した頃の面影はすっかり失せると唯一、染まらぬ国中之柱だけを清しく立てている。

 つまり、と目をやったのは浜の村だった。そこでミノオは兄弟らを抱え、ぱくり、ぱくり、割れゆく野を前にうずくまっている。帰っていたか。雲太は息をのみ、和二が逃げろ、とありったけの声で知らせた。

「雲太さっ」

 そこへつくしの声は重なる。命もすかさず、あれはなんぞ、と指さした。なるほど目をやれば黒雲は天地をつないで壁となり、雲太らの行く先に立ちふさがっている。立ちふさがって今もなお、にじり、にじり、と押し迫っていた。

「いえ、ご覧くださいっ」

 まもなく叫んだのは京三だ。

「穴です、雲太。壁の下に大きな穴がっ」

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