さらば三兄弟 の巻 83
前にして雲太はただ立ち尽くす。京三らも天浮橋で眉をへこませていた。その面持がまた雲太を責めたなら、たまらず雲太は伸び上がる。
「よ、ようし、分かったッ。つくしを一人にはせん。こたびはここを離れるが、わしは必ず帰って来る。約束したならつくしはわしを見送れるかッ」
返事を待って息をのんだ。
前でつくしは、いっとき泣きやみ、閉じていたまぶたをうっすら開く。出来るだろうかと吟味したようだが、それこそ困り果てた雲太の嘘だと気づくにもう時間はかからなかった。またもやぎゅっ、と目を閉じて、いやだ、という代わりに抱えた荷へ深く顔を埋めてゆく。見ておれば、伸びあがった雲太の体も地に着いていた。
「つくし、わしを困らせんでくれ」
ため息と共に吐き出す。
「ゆかんと野がどうなるか、わからんのだ。豊かで穏やかな国があればこそ幸せにもなれるのだぞ。わしはお前も、みなが、そうあるよう願ってやまん」
だとしてつくしはより一層、ぎゅっ、と荷を抱きしめただけだ。
「……雲太さは」
やがてその奥から、かすかと雲太へ呼びかける。
「雲太さは……、なら送れるよう、つくしを抱きしめて下さいますか」
言い分に雲太は少し驚かされる。だがいっときだけのことで、それは造作もないことだと思えていた。向かって手を伸ばしてやる。
「うまいこと、いかんのう」
抱える荷ごと、つくしをそうっと抱きしめた。とたんほうっ、と力を抜いたつくしこそこの世のものではないようで、預ける重みもただただはかない。
「雲太さは、つくしの内緒ごとを覚えておられますか?」
胸元へ埋めた顔は見えやしない。
「うむ。小魚を食らいながら、そんな話をしたな」
ただ思い起こせば、つくしは話しだしていた。
「めしいたつくしは、みなと仕事が出来ません。役立たずで村の嫌われ者でした。だからお昼間、嫌われ者は、村のはずれへ向かいます。なぜならそこに大きな木は立っていて、いつもつくしに優しくしてくれるからです。木は一日中でも、つくしと一緒にいてくれるのです。根元でお日様に顔をさらしたなら、心もすうっと軽くなって、つくしはちっとも悪者でなくなるのです。だからつくしはその木が大好きでした。けれど木は大きすぎて、あの日、嵐に倒れました。嫌われ者のつくしのおれるところはなくなって、つくしは村を出ることを決めました。……そして雲太さに、出会ったのです」
またほうっ、と息をつく。
「助けられたから、嫁になると決めたのではないのですよ。雲太さは、その木と同じ匂いがいたします。つくしを心の底からほっとさせてくれる、気配がするのです。ずっと大好きで、つくしのなくしたものの、探しておった場所の、気配がするのです。でも木が生まれ変わってつくしの前に現れたなどと思うのは、雲太さだって笑うにちがいない、つくしだけの内緒ごと」
とたん雲太の身の内で何かはうずいた。
それは心か。ただの木切れか。
だがどちらだろうと雲太に知る術こそない。うむむ、と唸って雲太は返し、それきりつくしも黙り込んだ。代わりに預けていた身を離してゆく。見えぬ瞳で重たげと、雲太を間近と見上げていった。
「けれど大好きな匂いがたくさん吸い込めたから、もうかまいません」
言うつくしはもう泣いていない。
「お見送り、しないと。嫁が旦那様を困らせては、ならぬことです」
ただ微笑む。そこに罪はなく、見れば見るほど作らせた雲太の方がさいなまれていた。
須勢理姫が見送りに駆けつけたのはその時で、響く足音が忘れていた時を動かし始める。雲太は我に返り、なにとぞ、と須勢理姫へつくしを押しやった。顔を見てやれぬままきびすを返す。ただ天浮橋だけを睨みつけ、蹴り出す足で飛び乗った。早いか促し声を張り上げる。
「ようし天浮橋よ、山までひとっ飛び、頼んだぞッ」
応えてむわわ、と膨れ上がった天浮橋の尻はどうやらそちららしい。見守る須勢理姫とつくしへ向け、しゅううっ、と煙を、いやそれこそ雲か、吐き出し空へ滑りだした。
「雲太さぁっ!」
気配に、つくしが身を乗り出す。
足らず須勢理姫の手から抜け出した。ままに天浮橋へ、吐き出す音めがけて走り出す。様子に雲太が、天浮橋に乗っていたみなが振り返っていた。そこで目にしたつくしは今にも転んでしまいそうで、抱え切れなくなった荷をぼろぼろ、その手から落としている。
「つくしッ」
見ておれず雲太は声を上げていた。
と、その時だ。めがけてつくしは伸び上がる。残るすべての荷を振りまくと、えいや、で天浮橋の尻尾を掴んでみせた。光景に、あっ、と誰もの尻は浮きあがる。そして誰より驚いたのが天浮橋だったなら、尻尾を踏まれた猫がごとく一気に空へと駆け上がった。おかげでつくしの体はまたもや宙ぶらりんだ。
「ああっ、雲太さの大事なご褒美がっ」
放りだしたマソホの布を惜しんでつくしは叫ぶが、もうそれどころではない。
「布などかまわんッ」
命の屋敷は早くもつくしの足先で赤い点と姿を変えている。それきり掴め、離すな、雲太らは急ぎつくしの体を手繰り寄せた。力を合わせて引き上げる。
五人になった天浮橋は少々狭かった。だが、危なかった、危なかった、と繰り返す命はご機嫌そのもので、和二と京三も胸をなでおろして笑い合う。お前というやつは、と雲太だけがつくしを叱りつけ、落ちてはいかんから、とその手を導き袂を掴ませた。
「どうしてもついてくるつもりであるのなら、この先、怖いと怯えてはならんぞ」
言葉につくしは、こくり、とうなずき返す。落ちぬようにとその肩を抱き寄せ雲太は進む先へ目を持ち上げた。
風が冷たく吹きつける。
切る音もまた、ばばば、と激しく耳へ絡みついた。
そんな空をいくらも飛べば、混じって地鳴りは聞こえてくる。なにごとか、と誰もが四つん這いとなってのぞき込めば、地はそこで身震いするように揺れ動いていた。