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来 神 ’  作者: N.river
80/90

さらば三兄弟 の巻  80

「ああ、憎らしいっ。また嘘をつかれて女とお会いになられておりましたねっ」

 だがその手が触れる間もなく追いかけて、今度は女が駈け込んで来る。重ね衣が艶やかであった。似合わぬ面持ちだけが険しく、声には伏せていた男もさっ、と身をひるがえして起き上がる。

「ま、待て。何かの間違いである。わたしは勤めで出ておったのだからして、断じてそのようなことはないっ」

 聞かぬ女の声と拳が、きーっ、と上がっていた。

 つまるところケンカだ。それも大国主命の屋敷前ながら、畏れ多くも色恋のもつれで間違いなかった。そのみっともなさといえば哀れすら誘う有様で、ともかく雲太は互いの間に入る。

「あいやまたれい。しばらく、しばらく」

 そうして初めて正面からとらえたのは男の顔だろう。

 とたん、ああっ、と声を上げていた。

 男だ。何の因果かそこに、あの人のよさげな顔はある。

「おぬしッ、おぬしは市で、わしにくじを拾ってくれた者ではないかッ」

 言うものだから女も、京三らも、ぱちくり、目を瞬かせていた。

「雲太はこちらの方をご存じなのですか」

 問う京三へ、雲太はうなずく。

 市での出来事を話して聞かせた。終わる頃にはそんなことがあったのですか、と京三も腑に落ちた様子だ。変わらずすっ転んだままの男の胸倉を掴んで雲太も、立ち上がらせてやる。

「いや、このようなところでまた会うとは。それもこれも牛に踏まれずすんだからこそ。お互いなによりであった」

 ぽんぽん、男の衣の汚れをはたいた。

「ともかく、わしにさえそのようであったのだ。面倒見の良いところがこの男の良いところ。会いに向かったのも放っておけんと、こやつの世話好きがこうじてのことであろう。だが過ぎたるところがいかんときた。これでよく身に染みたはず。こたびはどうか言うわしに免じて許してやってもらいたい」

 頭を女へさげる。

 目にすれば女も少しは気が済んだようだ。振り上げていた拳を下ろしていった。

 様子に京三らは顔を見合わせ微笑み合う。

 男も、ほう、と雲太へ切り出していた。

「はて、などと言うそちらは、どなたか」

 空を睨んでこりこり、アゴをかく。

「そもそも市は兄神らに任せたきり。長らく行っておらんからなぁ。誰ぞと見間違えたのではなかろうかの」

 とたん、え、と息を飲んだのは京三で、向かって男はあの人もよさげな笑みを投げていた。

「いやはや恥ずかしいところを見られてしもうた。わたしは大国主命。ここにおるのは嫁の須勢理姫。さて、その方、名は何と申す」

 などと、それはもう何がどうで誰が誰だか分からぬ成り行きだ。雲太はたまげて伸びあがり、だが屋敷から出て来たのだから転がろうと四つん這いになっていようと、まずは大国主命と察するべきだったにちがいなく、さっぱり抜け落ちていたのは人のよさげな面持ちのせいで、次の瞬間にも潰れんばかりに命の足元へひれ伏し詫びる。

「こッ、これは申し遅れたッ。わしは雲太と申す者。大国主命でおはせられたなど、知らぬこととはいえ無礼の数々、まこと失礼いたしたぁッ」

 後ろで京三らもヒザを折ると、これ以上ないほどと身を縮めて雲太にならった。

 だが見回す命は気楽なものだ。よいよい、と笑い飛ばし、さらには堅苦しいのは好かんから、と面を上げるよう雲太らを促す。おかげで須勢理に打たれずすんだ、と雲太へ耳打ちさえしたなら、あっけにとられて雲太もおずおず顔を上げていた。

「し、しかし、瓜二つ」

 今だ信じられずにまじまじ見つめる。

「そうか、それほどまでに似ておったか」

 うなずく命は満足げだ。

「ならばその方が会ったのはおそらく、わたしの幸魂、奇魂であろうな。そら、わたしとそっくりであったからなぁ。あれほど似た者はほかにおるまいて。いや、まこと怪しうえに不躾であった。だからとっとと追い払ってやったわい」

 続く笑いは陽気も極みだ。

 あっはっはっはー、と響き渡る。

 だとして雲太らこそ笑えようものか。見る間に頬は青ざめてゆく。瞬きを忘れた目を鬼と吊り上がらせていった。

「あの、男が、命の幸魂、奇魂だ、と……。ならわしはすでに探す神とおうておった、ということかッ」

 いや間違いない。

 とたん頭は真っ白になっていた。そこへ男の動きはあてつけがましくも蘇って、くじを拾い上げる気配を、人もよさげに笑いかける眼差しを、雲太の手をのぞき込み、これは面白い絵柄がある、という声を、次々思い起こさせてゆく。さなか雲太は、あ、と息を詰めていた。そうしてよもや、と持ち上げたのは、くじを握っていた己が手だ。恐る恐るのぞき込めば言うとおり、そこに面白い絵柄はある。天照の刻んだ鳥居はくっきり描かれていた。

 やおら足元がぐらぐら揺れ出したのは、気のせいでも何でもないだろう。揺れて偶然と思えたすべては雲太の中でひとつ、つながってゆく。くじが当ったのはこの鳥居を見たからこそだ。市へ足止めさせんがための企みは、そこでついに知れていた。

「雲太っ!」

 呆然とする雲太を京三が呼び戻す。

 市へ戻らねば。

 雲太の頭へ血もまた音を立てて昇っていた。

「畏れ多くも大国主命に、申し上げるッ」

 その剣幕にも眼差しにも驚いて口をすぼめた命の面持ちは、何も知らぬからこそだ。それは人のよさげなこともあいまって、道を教えた女の言いようも今更ながら腑に落ちる。だからしてこれより命には性根を入れて奮ってもらわねばならなかった。雲太は乱れた野の有様を、そこに暮らす者らの声を、幸魂、奇魂が訪れたわけを、命が追い返したため今この野に大きな祟りが訪れようとしておることを、額に汗を浮かせ語ってゆく。


 だとしてもう手遅れか。金輪際、日の射さぬ地を烏は飛ぶ。黒雲へ近づけば近づくほど雨は矢と降り、風は嵐と吹き荒れた。嵐はやがて地と空をつなぐ黒雲の壁となり烏の前に立ちはだかる。だが避けておっては目指すところへ辿り着けまい。睨んで烏は稲妻、走るその中へ飛び込んだ。

 雨に風が上下関係なく烏の身を叩きつけ、あおられ烏の翼はもげそうに反り返った。そんな翼を狙って稲妻は空を走り、かわして烏は身をひるがえす。轟く雷鳴に身を震わせると、負けじと黒雲を裂き飛んだ。

 やがて黒雲は流れを変える。烏を追い越し先へ先へ吸い上げられると、怪しみ細めた烏の目の前でふいに切れた。ついに黒雲を抜け出したのだ。やそこにぽっかり空は広がると、見下ろすところに地もまた再び姿を現す。雨足もずいぶん弱まった様子だ。しとしと降らせる黒雲は、今や前方、さらなる高みでゆったり渦を巻いていた。

 その渦の真ん中目がけ、柱は一本、立っていた。

 近づくほど光景に、ここは野か、と己が目を烏は疑う。

 真っ赤と焼け土の柱だ。とんでもない大きさで山を焦がすと、その頂から噴き上がっていた。

「なんと!」

 もうそれ以上、言葉が出ない。つまりここが荒ぶる神らの集う場所か。ならばどこかにいるはずだった。烏は束ねるぬし様を、天照の遣わした大国主命の奇魂、幸魂を探す。だがどうにも見当たらない。これはいかん、と意を決し、ひとたび山へ向かい翼を切った。それ以上近寄れば燃えてしまうところで胸を反らせると焼け土の柱へ背を立てて、炙られながらぐるり、なぞって周りを飛ぶ。おかげで気づくことができたのは、その山がどこから見ても三角であるということだ。

 三輪の山か。

 同時に嘴は、あ、と開いていた。焼け土の柱の中だ。そこに浮かぶ人の姿はあった。

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