尽きぬ富 の巻 75
すると派手な衣は手前の大屋根からだ。やにわに転がり出していた。
「雲太っ」
否や京三は押し流すような人をかき分け駆け出していた。もう雲太が起き上がるのを待ってなどいられない。
「ここにおられましたか、雲太っ。よくお聞き下さい。ダイボウ様は市へダイコク銭を放っておった貧乏神の操る鼠。正体を知られたがゆえダイボウ様も貧乏神も、すでに消え去りました。おかげでダイコク銭だけが貧乏神の祟りと残り、このような暴れ牛の姿にっ。雲太っ!」
呼びつける。
「和二の塩だけではたりません。一刻も早く祓いをっ!」
剣を前へ突きつけた。
そこへよたよたと、雲太を追いかけ現れたのはつくしだ。和二がその手を取ったなら、手繰りつくしは和二の耳へ何ごとか吹き込んだ。うなずく和二は心得た様子で、早いか二人は手に手を取るとあらぬ方へ駆け出してゆく。
「何を言う。わしのダイコク銭だぞぉ」
だが雲太は地面へはいつくばったままだ。
「わしの銭が、銭が、みんな吹き飛んでしもうたんだぞぉ。のう京三、わしは明日から一体どうすればよいのだぁ」
顔こそあまりに情けない。
「何を言っておられるのですか。目を覚ましなさいっ。よいですか、過ぎたるは及ばざるがごとしっ。これまでダイコク銭がなくとも、わたしたちはどうにかやって来れたではありませんか。そもそもどれだけダイコク銭があったところで、幸せになれぬ時はなれぬのです。御覧なさいっ!」
京三は通りを指さす。そこで大屋根はまた踏みつぶされると、あられもない姿となっていた。
「それが今ですっ。わたしたちは銭で得られぬその幸せのため、ここまで苦労してやってきたのです。食うために、ましてや楽しむためにやってきたのではありませんっ! そのわたしたちがこの場をおさめずして誰が一体、おさめるのですかっ。誰に明日が、訪れるというのですかぁっ!」
だが雲太は性懲りもなく、しかしわしの、とむずかり続けた。
前にしたならついに京三から言葉は失せる。震えんばかりに、ぐぐぐ、と拳を握りしめていった。
「いい加減に、しぃっかりぃっ……」
絞り出す言葉は地の底からか。高く振り上げた拳はそのとき日と重なった。
「なぁっ、さあぁあいっ!」
くわ、と両眼、見開き、京三は雲太めがけて拳を振り下ろす。
ごり、と頬へめり込む音はした。
相撲を取った時ぴくりとも動かなかった雲太の体は、みごと宙へ舞い上がる。どうっ、と通りへ投げ出された。
うーん、とうめく雲太が動く様子はない。聞きながら京三もまた、はあはあ、荒い息を繰り返す。
と、おっつけ、ざばん、と水は飛んだ。
「どうだ、うんにいっ、目が覚めたかっ」
立ち去ったのはそれを都合するためだったらしい。甕を手に、和二も吠える。
「どうか、しっかりっ」
つくしも、えい、と飛び跳ね振りまいた。
「わひゃ」
外れてことごとく京三がかぶったとして、つくしは見えていないのだから仕方ない。甕を投げ捨て雲太へ走る。
「雲太さっ」
はずが、これまた見えていないのだから、当の雲太につまずいて、ばたん、とその上へ倒れこんだ。だがつくしはへこたれない。拳を握ると這いずり雲太へすがりつき、辺りかまわず握った拳でぽんぽん、その体を叩きつけた。
「雲太さはっ、つくしの旦那様はっ、そのようなお人ではないのですっ。つくしを助けて嫁にもろうてくださった、国造りに励まれる、優しい、立派なお人なのでございますっ。早く元へお戻りくださいっ! 悪いものがついておるなら、大事な雲太さから早く出ていっておしまいなさいっ!」
えいえい。雲太の顔さえ叩きに叩く。おかげで雲太の体は頭の先までぐらぐら揺れて、もわん、それはつむじから吹き上がった。眺めて、お、と和二が頬をすぼめ、京三も、や、と目を見張る。なら雲太のつむじより吹きあがったそれは尾を引くと、昇った空でたがわず牛の一部となった。
だからして雲太は誰もの前で、うっすらまぶたを持ち上げてゆく。そうして見回した芦原の野は、いつもとおりと素朴なままに広がっていた。しかし拳は止まず次々と雲太をなぶり、醒めたからこそ雲太はしかとその拳を受け止めてみせる。
「雲太、さ?」
驚きつくしが顔を上げていた。
「ようわしを叩いてくれた」
もろとも雲太は身を起こしてゆく。
「つくしにも礼を言うぞ」
聞えてつくしは目を見開き、雲太は残して二本の足を地へ立てた。
「もう一杯だ、和二ッ。穢れを祓うぞ、わしへかけろッ」
玉虫色の衣を、その下の衣を、ひと思いに脱ぎ捨てる。張った声は大きく、驚くどころか喜び勇んで走り去る和二の足は風となった。あいだ京三はつくしを引き寄せ、戻った和二が、せいや、で雲太へ水をぶちまける。ぶるる、頭を振った雲太は、ぱしぱし、己が頬を叩きつけた。これでようよう正体が戻ったような心持ちだ。じんじん痺れる頬をすぼめ、暴れ牛へと顔を上げてゆく。
「待たせたな、京三ッ」
「遅すぎますっ」
返す京三の手元で剣は振られた。
絡めて雲太も両手を打てば、たちまちそこから風は吹き出す。逃げ惑う人もあらかた走り去ったわびしい通りを、砂埃となって駆け抜けた。追いかけぶちまけられた水は浮かび上がり、たちどころに、じう、と滅して雲太の手に光は灯る。
携えゆっくり開いていった。
鳥居の奥より塩は吹き出し、見えぬが目の当りとしたつくしが、あああ、と口を開く。