尽きぬ富 の巻 74
しがみついたダイボウの重さのせいだ。とたん布がばさばさ、落ちてくる。かぶって、ひゃぁっ、とダイボウは声を上げ、そこに壁はあらわとなった。隠して布の中から飛び出したダイボウの動きは素早く、壁のひと所へしがみつく。
「見ちゃだめなのよぉっ」
言うものだから、よけいそこへ目が寄るのは誰もが同じことだった。
扉だ。
隠すダイボウの向こうに見えたとたん、がたん、とはたまた音は鳴る。
どうやらここでもしがみついたダイボウが重すぎたらしい、抱えたダイボウごとポロリ、扉は剥がれていた。
そこに壁を刳り貫き小さなくぼみはある。中に、ボロをまとった小さな痩せ男は立っていった。
「いやん、このばか鼠が。戻らなくても、ばれちゃったのねぇ」
聞えたのだから、え、と誰もが目を丸くする。痩せ男もそれきりいそいそ、くぼみから抜け出すと、転がったきりのダイボウへ指を突きつけ、えい、と唱えた。とたんダイボウの体から黒いすすはもわん、と舞い上がり、あれよあれよのうちに手足は縮んで直垂の中へ消えてゆく。代りに、ちう、と一匹の鼠は這い出していた。
一部始終に、ひゃぁっ、と叫んで腰を抜かしたのは大国の者らだ。声に鼠も烏帽子を蹴飛ばし、ちうちう、恥ずかし気とどこぞへ逃げてゆく。見送った京三も、呆気に取られてひとつ、瞬きを繰り出していた。
「もしやそなたは」
ボロをまとった男へそんな両目を寄せなおしてゆく。
「貧乏神っ」
「当たりぃ」
唱えた痩せ男が、くわ、と目を見開いた。
「銅銭をこさえ、市を我がものと治めておったのも、もはやこれまでぇ」
陽炎のごとく、その身をゆらゆら揺らめかせ始める。
「そ、そんなっ、まさかっ」
などと声を上げたのは、京三が手を払った男だった。傍らから慌てふためき貧乏神へとすり寄ってゆく。
「ならばこのシソウへ力をお与えくださるというお話は、あのお約束は、どうなってしまのですかっ」
訴えた男へ、京三こそ驚いていた。
「あなたがタカの旦那の?」
だがシソウが答えて返すことはない。貧乏神も薄い体を揺らして笑う。
「ふ、は、は。愚かなりし野の者らよ。これからはかすみを食らって生きてゆくがよいぞぉ」
それきり、ぬし様ぁ、とうめいて夢まぼろしと消え去った。かと思えばどこからともなくだ。ぷしゅぅ、という気の抜けた音は聞えてくる。何事か、と誰もが辺りを見回した。京三の袂からすすが黒く立ち上っていたなら、それを和二は指はさし教える。
「けいにいっ」
目をやり咄嗟に京三は、己が袂へ手を差し入れた。だが燃えているのだとしてこれがまったく熱くない。ままに指に触れたものを掴みだす。顔を、あ、としかめていた。雲太の投げてよこした銅銭だ。今や砂がごとく崩れゆくと、崩れた端から真っ黒いすすへ変わって煙と空へ昇っている。
「けがらわしいっ」
投げ捨てたなら、最後のひとかけらまでもを煙と消し去った。
耳へ、悲鳴は飛び込んで来る。
「まさかっ……」
京三は表へ振り返っていた。なにしろ市に銅銭はこの一枚ではない。
「和二っ」
「がってんっ」
呼べば和二も跳ねるように立ち上がる。駆け出す二人の息はその時そろい、つい立の前で腰を抜かす大国の者らを飛び越えた。その足は巡って来たとおりを後戻りしかけるが、わずらわしくなって、えい、と渡り廊下を飛び降りる。懐から取り出した履物を指の又へはさみなおすが早いか、通りを目指すと二人は中庭を駆け抜けた。祠をやり過ごし、池をかすめ、再び大屋根の下へもぐり込んだその後、入って来たとき目にした台を傍らに、垂らされた赤い布を払いのけ大通りへ抜け出す。
相変わらずの人であった。だが京三が睨んだとおり今や大屋根のあちこちから、行き来する者の懐から、ムシロの番をする者の荷から、すすとなった銅銭はもくもく、むわむわ、煙となって立ち昇っている。惜しむ人々は悲鳴を上げてすすを追うと、今や狂ったように通りを走り回っていた。
「やはりっ」
見回し奥歯を噛む。舞い上がるすすをなぞってその目を空へ弾き上げた。そこですすは寄り集まると、市の空を暗く淀ませ嵐の前と黒雲を作り上げている。黒雲は見る間に大きく膨らんでゆき、何やら形を成さんとうごめいた。やがて胴らしき太い筒はかたどられ、そこから四本の手足をぬうう、と生やしてゆく。尻尾がついたのだからそちらが尻で、反対側からは首が伸びて頭を乗せ、最後、天辺に二本の角を突き出した。落とす影が市をのみこんでいる。今だあちこちから立ち昇る煙を吸い込み大牛は、黒山のごとく市に姿を現した。
あまりの大きさに見上げて京三は口を開き、周りから新たな悲鳴が吹き上がる。
「和二ぃっ、参りまぁすっ」
これはまずい、とかまえて柄頭から布を引き抜けば、振った鈴に合わせて和二も手を打った。風はすぐにも辺りを走り、やがて、にゅうう、とそれは現れ出でる。
阿の獅子だ。
頭を振ってたてがみを整えると、太い前足で空を蹴り、迷わず牛へと蹴上がっていった。だが近づけば近づくほど牛は大きく、獅子は子猫と縮んでしまう。それでも臆さず獅子は牛の鼻先へ飛びかかった。嫌って振った牛の頭に、弾かれ蚊トンボと飛ばされる。
どしん。
そのさい踏み変えられた牛の前足が、つられて動いた後ろ足が、大屋根を木端微塵と踏み潰した。京三らの前でぼう、と木切れに砂埃は吹き上がり、光景にさらなる悲鳴は沸き起こると京三の肩を弾いて次々人は逃げ出してゆく。それはもう、腰を抜かしていた者さえすくっ、と立ち上がって走り出すほどだった。
ただ中で獅子は再び挑みかかる。京三と和二もその行方を見守った。だが己の出した獅子だ。和二は早くもこの勝負を見極めたらしい。
「おいらじゃ、おいらじゃ、だめなんだぞぅっ。うんにいがいないと、だめなんだぞぅっ!」
あいだも、もおお、と鳴いて暴れる牛の足が、またどしん、と大屋根を踏み潰す。逃げ惑う人は通りへあふれだし、その顔から顔へ京三も目を走らせる。
「雲太、雲太はどこですっ。どこへ行かれましたかっ」