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来 神 ’  作者: N.river
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尽きぬ富 の巻  66

「いや、良い物を食った」

 京三もまだまだ知らぬものがたくさんあるのですね、と微笑む。どうしても欲しい、とせがんだ和二など、貝のカラを両手に先頭を切るとふんぞり返り歩いていた。

「つくしも、たいそうよい思いをさせていただきました」

 礼を述べたつくしに、京三も目を伏せる。

「このように素晴らしいものを譲って下さった武士には、心より感謝せねば」

「確かに。こうも便利であると分かれば、もらい受けた時もう少し厚く礼を言っておくべきだったな」

 ぬかったとばかり雲太も二人にならった。

 と、そんな一行の前に漂い始めたのは魚の焼ける香ばしい匂いだ。かしこまったのも束の間、おや、と雲太は眉を跳ね上げる。吸い込み小鼻をひくひく動かしたなら、辿ったところで京三に和二と目を合わせた。ままに三人して、うん、とうなずけば心は決まったも同然となる。なにしろダイコク銭はまだあるのだから心配には及ばない。つくしを引き連れ三人は、匂いを追うと通りをすたすた渡っていったのだった。

 それからというもの最初ここへ足を踏み入れた時の弱気はどこへやら。雲太らはムシロの上をのぞき込み、大屋根の下へ身をもぐり込ませ、八百万の神がもたらす恵みの品々を巡りに巡る。さなか、どうしても味わってみたいものがあればつくしを入れて相談し、ダイコク銭と交換した。ただそれだけで味わったことのないものを口にし、触れて、嗅いで、眺めて、雲太らは心から満たされる。

 そんな雲太らに市の者はみな愛想がよく、優しい。囲まれてあっという間に時は過ぎると、おかげで何時か、と我に返った時はもう、日は大屋根へ隠れるほども傾いたころとなっていた。

 まったくもって足が進んでいないこともさることながら、今夜の寝床さえ決めておらぬありさまに雲太が慌てふためいたことはいうまでもない。らしからずうつつを抜かした京三など、髪を逆立て悲鳴を上げる始末であった。だが通りの両脇は屋根に塞がれると休めそうなところは全て昼間、ムシロを広げておった者に陣取られ、雲太らの場所などもうありはしない。

 見限り、市を出ましょう、と促したのは京三だった。迷わず雲太もうなずき返すと、つくしを袖に通りを急ぐ。

 しかしながら大きな市の通りは果てが見えず、ここでもそんな雲太らを手助けしたのはほかでもない。これまた大いに役立つ銅銭だった。大屋根の前、油に灯した明かりのそばに、おやすみは(ヨロズ)こちらへ、と呼びかける前掛け姿の男は立っていたのである。話を聞けば品と引き換えに屋根を貸しておる、と言うのだからこれを逃す手はなかろう。そして明日にはここを出てしまうのだからかまいはしないと、雲太は残る銅銭をすべて渡して夜を過す段取りをつけた。

 決まれば案内された上がり口で、たいそうていねいに足を拭われている。土座どころか高く設えられた床板へ通されると、屋根を借りただけだというのに昼間、市で目にした肉に魚に菜に汁が次から次へ運び込まれてくるのを目の当たりとしていた。驚き何事かと問えば運び入れた女は笑みを浮かべ、みなもらい受けた銅銭のうちにございます、と教えて去るのだから驚くほかなくなる。

「屋根を借りておるうえに、このようなことまでしていただけるの、ですか」

 御馳走を前にした京三は腰を抜かしたようなあんばいだ。

「ダイコク銭とは、まったくもってすごいものだな……」

 雲太もどうにか返したなら、その傍らで和二がそろりそろり、と器へ手を伸ばしていった。盛られた中から飴色の大根をぱくり、頬張る。とたん両手で頬を押さえつけた。

「……ぅお、おいらのほっぺが、おちてしまいそうなんだぞ」

 様子には、雲太に京三につくしさえもが、ぷ、と吹き出す。

「まったく和二は食いしん坊ですからね」

「きっと大きくなられますこと」

「ようし、見ておっても仕方がない。わしらもありがたく食わせてもらうことにするか」

 促す雲太に、我に返った京三が投げ出していた足をおさめ、つくしもにっこり微笑んだ。雲太はそんなつくしへ箸を握らせると適当なものへ導いてやり、おっつけ自身も目についたものを口の中へと放り込む。

 驚かされていた。

 なんの、和二の言うとおりだ。これが飛び抜けて美味い。向かいで箸をくわえた京三も同じで、迷いながら口にしたつくしも、ぽ、と桜色に頬を染めていた。それもこれもが武士のおかげ、いや、もらい受けた銅銭のおかげか。もう手が止まらない。雲太らは目が覚めたように出された品々を食らいに食らう。その美味さにほとほと笑った。食うや食わぬの旅路を埋めると、続いた旅の疲れも癒して、体の隅まで心地よさで満たされていったのだった。

 やがて腹は膨れて、笑い過ぎた体も疲れる。夜も更けたなら見計らったように現れた女どもが、空いた器をさげていった。代わりに、お眠りになるさいにお使いください、と雲太らへ柔らかい布を預けてゆく。

 何だろうと広げて雲太らは、またうならされていた。よい香りのする衣だ。もう何も言うことはない。くるまり包まれ眠りにつく。

 その夢の中で銅銭は、しゃらりしゃらりと宙を舞った。

 あなめでたや、ダイコク銭。

 あっぱれ、おみごと、ダイコク銭。

 どこからともなく唄声は響くと賑わう市へ光は差して、雲太らを遠く夢の彼方へ導いてゆくのだった。

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