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来 神 ’  作者: N.river
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赤い川 の巻  56

「こやつはもう話したのか?」

「今、すべてを耳にしたところ」

「そうか。こやつ、確かに村の者じゃった」

 言い切るミサクに雲太こそ、ぐっと奥歯を噛んでいた。

「その者の仕業と疑い、恐れてわしらは確かめず。そもそも、こたびのいさかいを大きくしたのはこやつのせいでもなんでもない。ほんにわしらが臆病風を吹かせたせいじゃ。真を確かめにこの者らが現れたからこそ、もうこれ以上はならんと心が定まった。まこと、ふがいない親方であった。そのうえこれほど遅くなろうとは」

 伸ばす背筋が潔い。

「マソホの親方として、こたびのことを心より詫びたい。そのため今日は急ぎ参った」

 ミサクはただ、深々と頭を下げてゆく。ならうと村の者らも背で次々頭を垂れていった。

 様子をモトバはぐっと引いたアゴで、いきり立っていた里の者らも身じろぎすることなく見つめ続ける。

 だが誰も何も言おうとしない。望んだ通りマソホは罪を認め、こうして頭を下げているというのにだ。それは実におかしな成り行きだった。そうして誰もが願い叶ったその後を、そもそも願いは叶うのだということを、考えていなかったことに気づかされる。気づかされてまったくもって、闇雲と憎むことばかりに心奪われていたことを思い知らされていた。

 顛末が、握るつぶてに棒切れを投げることを忘れさせる。

 ただ空で星がキラリ、光を放った。それは尾を引き流れて、空を彼方へと走り去る。

「……だが」

 などと止まったような時を動かしたのはモトバだ。

「そのほうらが相手にしておったものこそ祟りというもの」

 唇がつむぎ出す。

「臆病にもなろうものよ」

 顔へ雲太は振り返っていた。

「まこと祟りとは恐ろしいもの。毒を食らった者のみならず、我らの心へも弱さを流し疑わせ、真を見誤らせた」

 モトバはむしろ、そこで己を憐れんでいる。

「こうしていがみ合うまでに蝕むと、恨みばかりを募らせた。祟りを手伝い毒を放っておったのは憎しみ、怯え、まことを見誤った、里の我らも同じこと」

 聞えて里の者らがざわめき立った。だがモトバが気に留めることはない。おずおずお顔を上げたミサクへ穏やかな眼差しさえ向ける。

「だが我らこそ、祟られるがままつぶてを投げ、気を晴らすための的を探しおったのではないのだ。無念のうちに去った者らのため(マコト)を探しておっただけ。鎮まられた魂も今しがたこの目でしかと見届けた。親方」

 呼びかける声は熱い。

「すべてはまこと、あわれな行き違いであったことよ」

 ミサクの老いた目が見開かれる。

「……そう、言うてくださるか」

「戦などと。祟りに惑わされ、おろかなことをしでかしたもの。知った我らがなすべきは、今ここで和を結び、この野から祟りを消し去ること。二度と繰り返さぬよう手厚く魂を祀ること。これらが永劫、共になすべきこととわたしは今、見極めた。さて親方はどう思われる」

 炭で一本、キリリと引いたような眉がミサクをとらえていた。

 答えるまでもない。顔へミサクもうなずき返す。

「ただし」

 モトバにはまだ続きがあったようだ。

「それはまだ我ら二人の話。村と里の者らの気持ちはまだこれからのこととなろう」

 ミサクへと兎を差し出す。

 手を重ねたミサクの眼差しこそ力強いものだった。

「まとめるのもまた我らのつとめじゃ」

「それこそ魂のお力をお借りし、上も下も和をもって共に末永くあらん」

 唱えて互いはひとつ、うなずき合う。

 聞いたヤマツがまた、おいおいと泣き出していた。

 だとしてなだめてヤマツを立ち上がらせるより先、すませておくべきことはあるだろう。

「さあ、何をしておる。誰か、わらしべの縄を解いてやる者はおらぬのかっ」

 モトバが人垣へ声を放った。

 しこうして二日ぶりだ。和二の縄は解かれる。自由の身となった和二はたちまち京三へしがみつくと、わぁ、わぁ、声を上げて泣きに泣いた。やがてその目が雲太をとらえたなら、雲太もこい、とぱんぱん、ヒザを叩く。めがけて駆け出した和二は頭から突っ込んでゆくようなあんばいで、逃さず雲太はその体を、そうら、ですくいあげた。たかい、たかい。唱えてくるくる、回りに回る。

 瞬く星の中、濡れたままの頬で和二が笑った。

 声に、雲太も腹の底から笑い声を上げる。

 やがて目が回り、足が取られて二人は野原へと身を投げた。それでも二人は笑い続け、その様子を村に里の者らは素っ頓狂と眺め続ける。だがそれも最初のことだけだった。やがてつられたように誰もの頬は緩んでゆく。気づけば里も村もありはしなかった。みなして同じものを眺めて笑う。初めて、一つ所で高らか声をあげて笑い合ったのだった。


 のちに焚かれた火の元で、マソホの品は里へ丁重に献上されている。

 モトバはそれをまこと川へ毒を放った者を連れ帰った褒美として、雲太らへ与えた。だが雲太らにこそそんなに多くは必要ない。山を越える間に食うて失くした分だけを頂戴すると、手柄を横取りされたとつまらなさげな顔をしている武士らに譲ってやった。

 よほど褒美が欲しかったのだろう。武士らの機嫌のなおりようは豪快だ。川ではひどいことをしたと謝り、雲太らが出雲へ向かっていることを知ったなら次に越える山の向こうには市があるからして、役にたつだろうと銅の銭を数枚、持たせてくれた。次の山のふもとまで馬でひとっ走り、送り届けてやろうとも、もちかけてくれる。

 あいだミサクとモトバはこれからのことをいくらか話し合った様子で、ヤマツもまた帰ったなら染めに精を出すことをしきりに約束していた。だが彫り物の出来は驚くほどだ。目にしたミサクも考えを変えた様子である。これは新しい売り物になりそうだと、ヤマツへ無理強いすることはしなかった。別れ際、雲太らへひと巻の染め物を渡すと、村の者が心配しているからと、夜更けにもかかわらず馬を駆って村へ帰っている。


 みな、末永く健やかに。

 翌朝、手綱を握る武士らの後ろにまたがり雲太はモトバへ別れを告げた。そのさい上下、仲よく野原を豊かなものに、ともつけ足せば、気負うことなく、しかと承ったとモトバは返し、こたびは疑い申し訳ないことをした、と雲太へ詫びた。

 だがそれもこれも祟りのせいに違いなく、和二もつぶてを投げられずにすんだなら雲太に憤る理由などありはしない。ただ一刻も早く探す神を大国主と引き合わせ、三輪の山へ静まってもらわねばと思う。

 しからば、と武士の挟んだ合いの手は、間合いもちょうどと小気味よかった。そうして走り出した馬が後ろを振り返ることはない。

 行く手に川は、今や村と里をつないで横たわり、その向こうに今日の日に照らし出されて山は連なる。

 見定め雲太は、京三は、そして和二は、天照より分け与えられた命が少し熱くなったような気持ちになっていた。だからして結んだ唇へぎゅっ、と力を込める。必ずや成し遂げてみせる。心の声を重ねて風となり、野を駆け抜けてゆくのだった。

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