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来 神 ’  作者: N.river
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赤い川 の巻  55

「待たれぇいッ」

 勢いに、おおっ、と逃げて里の者らが後じさっていった。いくらか開けたそこへ京三とマニワの馬も躍り込んだなら、辺りへもう、と砂げむりは舞い上がる。

「真を携え、ただ今戻りましたっ。どうぞ、兄の話をお聞きくださいっ!」

「う、うんにいっ。けいにいっ」

 手綱を操り声を張った京三の目が、後じさった里の者らを見回してゆく。ただ中でひとり身を乗り出した和二へ雲太は笑むと、汗に濡れた馬の背から飛び降りた。

「よう頑張ったぞ、和二ッ。兄らは戻ったからして、もう安心しろッ」

 かっ、と開いた両目で里の者らを見据え、ここぞ一番の声を張る。

「毒を放ったはマソホの者にあらずッ。川の神が荒ぶっての祟りであった。魂はすでに鎮まり毒はもう流れん。ここに証と魂をおさめて持ち帰った。しかとその目で、お確かめあれッ」

 懐へと手をもぐりこませた。

 背で馬を離れた京三は和二の元へ駆け寄り、ヤマツとマニワもそんな雲太の両脇に並ぶ。

 従え雲太は人垣へ、どんと晒して兎を地に据え置いた。

 目にした誰もが首を伸ばしてまでのぞき込んでゆく。

 あいた間は息をのむようで、どこからか吹いてきた風が野原をなで渡っていった。同じく最後の日の光もまた薄く野原を走ったなら、光はそのときすうっ、と兎の中へと差し込む。透明だった兎をぱあっと輝かせた。

 光景に人はが、おおっ、とどよめく。雲太らも何ごとかと目を見張った。

 うちにも兎の光はますます大きくなってゆくと、見ておれぬほどの黄金色をまとう。眩しさにかざした手の向こうで腹へ、影を一粒の滴と落した。落として兎の丸い腹をなぞると、「の」の字を書いて泳ぎ、ぱしゃり、跳ね上がってみせる。

 様子に、あっ、と声をもらしたのはみなが同じだった。

「ほんに、何かおさまっておられるっ」

「鯉じゃ、魂が鯉になって姿をお見せになられたんじゃっ」

 言う声を次々に上げた。

「こりゃ、言う話は本当か」

「本当じゃ、本当にきまっとる!」

「祟りじゃ。わしらはマソホじゃのうて、祟りにおうておったんじゃっ」

 さかいに、ひい、と人垣から悲鳴は上がっていた。

 彼方で日が沈み切ってしまったなら、ふつり、兎からも光は失せる。それきり鯉も姿を消すと、兎はたちまち冷たく縮んで野原に小さくうずくまるだけとなった。

 ああ、と名残惜しむ声は気が抜けたようで侘しい。

 置き去りにすると風はまた野原を走り抜けていった。

 なら光景はそんな風になびいてゆくかのようだ。そこ、ここで、里の者らは兎へ頭を垂れてゆく。もう二度と荒ぶることのないよう祈ると、そこかしこで、かしこまっていった。

 最後、兎の前へ進み出たモトバが兎へかしずく。その手で兎をすくい上げてみせた。

「しかと、まことをたまわった……」

 これにて真は伝わったか。安堵した雲太がいからせていた肩を下ろしたことは言うまでもない。

「しかしなぜマソホはこのことを話さずにいた?」

 モトバに問われていた。

「川の神となれば己が村の守り神。知らず、確かめず、戦にまで応じたなどと、おかしな話と思えるが」

「そ、それは……」

 聞きつけた里の者らも怪訝と顔を上げている。

「それはおいらのせいでございますっ!」

 代わり、誰もの前へ飛び出したのはヤマツだ。

「生き物、写したさに、おいらが魂へこの身を譲り、祟りの手伝いをしてしもうたせいでございますぅっ!」

 両手をばん、と地へ叩きつけて伏し、あらん限りの力で吐き出していった。そんなヤマツが身にまとっているのはすすけているとはいえマソホの赤い衣だ。里の者らの面持ちも、ひとたび険しくなってゆく。モトバも静かにヤマツへ足を踏み変えていった。

「気づいて村は、おいらがえらいことをしでかしたと怖くなったのでございます。けれどおいらはとっくに村の者ではございませんっ。おいらは染めをせぬ怠け者っ。村の嫌われ者なのでございますっ! そんなおいらを村がかばったりなんぞしはしませんっ。黙っておったのは怖かっただけのこと。村は責めんでやってくださいまし。どうぞ子も解いてやってくださいましっ。罰ならこのおいらが。おいらが受けますからぁっ!」

 面を上げれば向けられた視線に怯んでしまいそうでならない。伏せたきりでヤマツは縮こまった。

「ですが、それもまた祟られてのことっ。どうかこの者に憐みをっ!」

 かばう京三が申し出る。

 暮れた日に闇はますます濃さを増し、しばしヤマツの背を見つめてモトバは里の者らへ振り返っていった。

 果たしてなんといってこの場をおさめるのか。息を詰めたのは雲太だけではないだろう。

 だが遮ると、馬のヒヅメは聞えていた。

 ものものしさに、なんだ、どうした、と人垣は揺れ動き、やがて暗がりの向こうから馬で駆け来るマソホの者らを目にする。この哀れな男を取り戻しに攻めてきたか。たちまち誰もは身構えた。

「お……、親方ぁ」

 聞こえてヤマツも下草の貼りつく額を上げたなら、止まれ、と両手を広げた武士も立ちふさがる。だが左右にかわしたマソホの馬は、止まらずヤマツのところまで駆け込んでいった。その頭は九つか。すべてに荷は振り分けられると、引いた手綱で馬を止め、マソホの者らはやがて次々、地へ飛び降りてゆく。

 辺りは騒然となり、対峙して里の者らはつぶてに棒切れを握りなおしていた。とたん、わあっ、と上がった声はみなが一斉で、マソホの者らへ身を躍らせる。

「慌てるでないっ!」

 制してモトバが袂をひるがえした。

 また野を風は吹き抜けてゆき、誰もの動きはぴたり、止まる。

「押しかけるばかりであったが、初めて里までおりてこられたか……」

 ままに投げるモトバの口ぶりは、水を打ったかのように静かだった。

「最後におうてからひとつ、冬を越したの」

 ミサクも返す。

「話しておかねばならんことができた。不躾じゃったが、それもこれも見ての通り急ぎのことと分かってもらいたい」

 そんな双方の間には、もう雲太の入るすきなどなくなっていた。 

「そうまで急ぎ来ぬ者が来たとはよほどのこと。さっそく伺いたい」

 モトバは促し、ミサクはヤマツへその目を落とす。


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