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来 神 ’  作者: N.river
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赤い川 の巻  49

「水源へ向かうとして、そこで目にしたものはいったんわしに預けると約束して下さるか」

 ならここは、その通りに、と言うしかないだろう。聞き遂げたミサクの手は再び袂から抜かれていた。その手でひざ頭を握りしめる。話はヤマツと言う男のことから始められていた。

 このヤマツという男、少し変わった者だったらしい。染めを手伝わず野原の虫をじいっと眺めていたかと思えば空をぼうっと眺めて過ごし、兎を追って跳ねたかと思えば馬の足元に座り込んで日がな一日を過ごすような男だった。

 見かねてある日、村の者らはヤマツを叱りつけた。するとヤマツはぷい、と村を飛び出し、それきり水源の社に一人、住まうようになってしまったらしい。しかしながら社とは神のおわす清められた場所だ。人が勝手と過ごしてよいような場所ではなかった。ゆえに村の者らはそんなヤマツを村へ連れ戻しに向かったが、そこでヤマツに襲われたのだという。怪我を負った者の話では、襲いかかってきたヤマツは鬼神がごときそら恐ろしいありさまであったということだった。

 それからというもの誰もヤマツのことを語らなくなった。ヤマツはもう村の者ではない。思うようにもなっていったのだという。出来事から間もなくして起きたのが、あの騒ぎだった。

「里の者が押し寄せて、初めて川に毒が流れておると知った時はとっさにヤマツの顔が浮かんで消えなんだ。わしらへのあてつけに川を穢したのかと、村の者もみな震え上がった。じゃがそれもこれも、まだこの目で確かめておらぬこと……。だがまさかと思えば、確かめるに恐ろしすぎる話……」

 見かねて、親方様、と村の者らが呼びかける。大丈夫だ、と振り返り、ミサクは雲太らへと先を続けた。

「わしらはなんもしておらん。ヤマツももう村の者ではない。襲われるやも知れぬ水源へ確かめに向かったとして、万が一、ヤマツのしでかしたことと分かってしまえば、わしらに何の得があろうか。だからしてこのまま里の者へ知らぬことと言い通し、すべて忘れようと心に決めた。……そんなわしらが臆病者じゃった」

 声に慰めていたはずの村の者らもすっかりうなだれてしまう。

 前において雲太は抜いた袂の中、懐で腕を絡めて唸るように大きく息を吐き出した。伏せていた眼を持ち上げギロリ、ミサクを睨みつける。

「いったん話を預かると言うが、本当にヤマツという男のせいであれば親方はどうするつもりでおるのだ?」

「それが(まこと)じゃ。これ以上、隠し通すなど、厄介ごとにはわしらも疲れた。ヤマツはそちらに引き渡そう。村の者らにありのままを伝えればよい」

「わしらはそれで助かるが、かばったと知れれば里の者はまたここへ押しかけるぞ」

 おそらくまた戦になる。雲太は危ぶみ、しかしながらミサクの返事はかたくなと揺らがなかった。

「だからこそ、いったん預かるというた」

 備えるつもりでおる、とでも言っているのか。背にした者らへミサクは、馬とみなをここへ集めるよう言いつけもする。

「お天道様はあざむけんものよ」

 向けなおされたその目は、落ち着き払うと強い光を放っていた。

「いつもわしらを見ておられる。そんなわしらへそろそろ真を見届けよ、とおっしゃっておられるのだろう。そのためにお二人を村へ連れて来られた。わしもこれで覚悟が決まったわい」


 もう日は暮れかけていたが、次に昇れば沈むまでに里へ戻る約束がある。眠っておれる時間などなく雲太と京三は疲れた馬を村へ残し、代わりに村から新しい馬を借り受けまたがった。

 あいだにミサクは集まった村の者らへことと次第を伝えると、その中からマニワという男を水源への案内につける。そうして確かめることをはばかってきた真を託す、と雲太らを村から送り出した。

 聞くところによれば目指す水源の社は、村を抜けてさらに続く川をさかのぼったところ。そびえる山のふもとに転がる二枚の大岩の隙間にあるという。そこから水は湧き出ると、社は隙間の中、水源を覆うように建てられているとのことだった。

 馬の足なら夜明け前には必ず着く。ミサクは言い、しかしながら日が地平へ隠れてしまうのは早く、空を覆って星は広がった。受けて真っ黒な川面に怪しげな光は宿り、そのおどろおどろしさにすっかり辺りも息をひそめてしまう。破り雲太らは声を張ると、先頭を入れ替わりながら野を駆け抜けた。眠りかけたマニワが一度、馬から落ちそうになったなら休みを取り、再び馬を走らせる。

 空に散らばる星がひとところ、陰っていることに気づいたのはそれから幾らも経ってからのことだろうか。見つけて知らせたのは京三で、促され見上げたそこに隠してそびえる山はあった。山は見る間に黒く大きな塊と雲太らへ押し迫り、たどり着いたふもとでついに走り続けた馬の足を鈍らせる。飛び降り、すぐにもふんふん、鼻を鳴らして見つけた川へ口を浸す馬を、手頃な木立へ結わつけえた。

 起こした火に馬の横顔が、川が、照らし出されてゆく。川はそこで、いつしかまたいで渡れるほどの細いせせらぎになっていた。果ては山の中に消え入ると、追いかけ足を踏み入れる前にだ。携えて来た水で三人は身を清める。この暗さだ。火のまわった薪を手に取ると、しばし川を離れ山へと足を繰り出していった。すぐのところで道を逸れたマニワにならい、濃い茂みの中へもぐり込んでゆく。

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