赤い川 の巻 47
近づく村に下の里で見たような門番はいない。ただ村の中へ吸い込まれてゆく川べりに櫓はひとつ作りつけられると、番の者だろう、川沿いを駆け上がってくる雲太らを身を乗り出してまで見ていた。かと思えば木槌で半鐘を打ち鳴らす。コンコンコン、と乾いた音は雲太らの耳へもはっきり届いた。
走り詰めた馬の足を雲太は鈍らせる。浅瀬を探して川を渡れば、半鐘の音を聞いて村の者らはその下へ集まり始めていた。
なるほどモトバが雲太らの身なりを疑ったはずだと思える。村の者らはみな、赤い衣をまとっていた。だからして雲太らを、身なりからしても下の里から来た者だと言わんばかりの目で見ている。
ゆく手はその厳しい眼差しにも塞がれて、やがて雲太は馬を止めた。半日ぶりだ。背から地へと飛び降りる。
「こたびは急なことに驚かれたかと、心中お察し申し上げる。わしは雲太、こちらは弟の京三。旅の途中の者である。わけあって取り急ぎ、この赤い川のことで尋ねたく参った。長は、話の通る者はおられるか。お目通り願いたいッ」
だが村の者に返事はない。互いの間にはただ探るような沈黙が広がり、いくらも経ったところで声はひょうひょう、返されていた。
「はあ、わしでございますが」
組んだ両手を赤茶けた袂へ忍ばせた年寄りだ。集まった者の中頃に、声の主は背を丸めると立っていた。見つけて雲太はすぐさまそちらへつま先を向けなおす。
「明日、日が沈むまでに川へ毒を放った者を探して連れ帰ると、里の者と約束をした。でなければつぶての的となるべく、兄弟が里に残されておる。まだ幼子ゆえそのような目には合わせたくない。長には、ぜひとも力添えいただきたい」
頭を下げれば集まった者らの間から不穏な声は囁かれた。
「色が毒と下では騒ぎになっておりますが、上ではあらずとのこと。ですがこちらは村も水源も改めさせぬと聞いて参りました。そして赤い水は今もなおこうして村より流れ出ております。毒でないとおっしゃられるのなら、まずは色のゆえんを知りたく、わたしたちを村へお通し願いますっ」
京三もしずめて声を張る。
言い分に、下の里はまた面倒なことを、と年寄りが呟いた。集まった者らも不安げに、親方、と成り行きを問うて息をのむ。
「わらしべが捕まっておると言うのは、本当の話で?」
問いかける年寄りに、雲太はゆっくりアゴを引き返した。
「それまでは、わたしたちが毒を放った者と罵られ、つぶてを投げられておりました」
赤く腫らした額を晒して、京三も垂れた前の髪をかき分ける。目にした村の者らは気の毒気に、と嘆き、恐ろしい輩だ、とも言い合った。年寄りも見て取るなり考え込むようにうつむいてしまう。
「時が惜しい。身に覚えのない言いがかりであればこそ、今すぐ中を改めさせよッ」
迫る雲太の声は大きく、伏せていた年寄りの顔もそこで持ち上がっていた。
「そのとおり……、村は毒など流しておらん。立ち入らせなんだは、里の者が血相を変えて押しかけて来たからこそ」
口ぶりに何かを察した村の者らはやおら、まさか、と浮き足立っている。察して、大丈夫だ、と目配せした年寄りは、潜り込ませていた懐から手を抜き出した。
「里の者でもなければ、わけありの身とのこと。なに、わしらにやましいところはありはせん。言うとおり里の者へ語れるだけを見せてやろう。そら、ついてきなされ」
くるり、きびすを返し、招いてえっちらおっちら、村の中へと歩き出す。囲う村の者らは道を譲って退いてゆき、そのとき曲がった背へ乗せられた年寄りの手に雲太ははっ、と息をのんでいた。京三もじっ、と見つめたまま動かなくなる。目にした年寄りの両の手は、みごと赤い色に染まっていた。
果たしてその手で毒を流しているからか。すべては村の中で見定めるほかないだろう。二人は我を取り戻すと、閉じた口でひとつうなずきあう。馬を引いて年寄りの後につくと村へ入っていった。
さて、川をなぞって歩く年寄りと見て回った村は、下の里に比べると田畑も小さく住まいの数も少ない。様子は浜の村を思い起こさせる実につつましやかなもので、しかしながら暮らしぶりにこそ窮しておる様子はなかった。
行き交う者はみな肌艶もよければ、住まいはどれも手入れが行き届くと、そんな住まいの傍らには大甕が並び置かれて雲太らの目を引いている。ほかにも何かを燃した痕らしい、掘り下げられたところに灰は積まれ、川で捕ったのだろう、捨てられた貝のカラや魚の頭は投げ入れられていた。だが毒が流れる川だ。食ったのだとすればありえまい。雲太らはただただ首をひねって歩く。
そんな雲太らを見る目は里とは逆さで、半鐘の音に集まった者らの目つきは厳しかったが、こうして年寄りについて歩けばなんともない。みな朗らかで己が仕事に一生懸命、励んでいる。するとそれは川沿いをさかのぼって幾らも歩いた頃だった。
「みな、ご苦労、ご苦労」
呼びかける年寄りの親しげな声に、雲太らはあちこち見回していた目を正面へ戻す。川べりに台は作りつけられると、上で幾人もが屈み込むと川へ両手を浸していた。はて、この赤い川で洗い物かと思えば、そんな村の者らの手元から赤い色は湧き出している。どんどん辺りへ染み出していた。
「これはッ……」
「やはり何かよからぬものをっ」
雲太は目を剥き、京三もぐっ、と奥歯を噛みしめる。
と、近づく足音に気づいて娘御は一人、立ち上がっていた。髪を二つに結い分けた桃花のような娘御だ。振り返ると雲太らへ、弾けんばかりの笑みを浮かべる。
「親方様っ、こたびは川の神もご機嫌がよろしい様子。ほら、ご覧くださいませ。いつもより鮮やかに染まってございますっ」
見せて川へ浸していた両手をぱん、と広げた。
目にした雲太と京三は、あ、と言ったきり、その口を閉じることができなくなる。濡れて透けた織物は、実に鮮やかな紅色を娘御の前に揺らしていた。