赤い川 の巻 44
それは昼を過ぎた頃、三人はついに野原へ出る。見渡す限りが真っ平らで、下草に覆われ青々と地はどこまでも三人の前に広がった。おかげで見定めるものを失った目は泳ぐと、キラリ光って横たわるものに行き当たっていた。
川だ。
「おおッ。これはよきところにッ」
いの一番に雲太が駆け出してゆく。
「これ、雲太っ」
京三が呼び止めようと辿り着いた川べりで、ざぶん、と流れへ頭を浸した。
「一休みしたなら、すぐにも川を越えますからね」
追いつき京三が言えば、続かなくなった息にぶはっ、と中から顔を引き抜き、息を吸いなおして再びどぶん、と川へ浸す。水はほてっていた雲太の顔にちょうどよく、わかった、わかった、で尻を振って答えて返した。
様子に京三は、む、と口を曲げるが、もう半ば呆れている。それよりも傍らで竹筒を川へ浸そうとする和二を見つけ、雲太より川上で汲みなさい、と叱りつけ、はぁ、と吐き出した息で疲れを紛らせた。
そんな京三が自分の腰からも竹筒をほどくことにしたのは、いくらか前に全て飲み干してしまったせいである。和二と並んで竹筒を浸せばするすると飲み口へ吸い込まれてゆく水はただただ穏やかで、眺めてしばし心を癒した。気づいてはっ、と引き上げる。赤黒いそれは血か。はたまたよからぬ色水か。禍々しい色はいつしか水に混じると飲み口へ、細く糸を引き紛れ込んでいるではないか。
遅れて、ひゃあ、と和二も声を上げていた。向かってすぐさま捨てなさい、と声を張ったのは京三で、その目を川上へと投げる。光景に息をのんでいた。川は今や真っ赤な流れと様子を変えて、青々とした草原を裂き横たわっている。
「これはいったい……」
呟けば、くぐもり耳へ鈍く地響きは聞こえていた。弾かれ京三が振り返れば野原の彼方に、もうもうと砂埃は舞い上がっている。引きずり馬の群れは一直線と、三人を目指し走っていた。
目の前で手綱を引かれ蹴上がった馬が嘶く。
「なるほどきさまが川へ毒を放った者か!」
その背から雷のような声は降っていた。鎧帷子を胸に当て、腰に二本の太刀を差した武士だ。申し訳程度に結った髪もざんばら同然と、立ちすくむ京三らを見下ろす。
「違いますっ、わたくしどもは川より水を汲んでおっただけですっ」
見上げて和二は川へ落ちかけ、抱きとめ京三は咄嗟と口を開いた。
「嘘を申すな! この川を穢す者を狩るが、我らの役目。その色が変わったと聞いて駆けつけてみればこのざまであった。汲んでいたなど嘘八百! わしはきさまが筒を川へ浸しておるのをこの目で見たぞ。きさまが放ったのは毒だ。その身、即刻、里へ連れ帰り、モトバ様へ引き渡す。里で大人しく処罰を受けい!」
気づけば同じく駆けつけた武士らがぐるり、周りを取り囲んでいる。
「なにを、ご覧ください。赤い水は遥か川上より流れてきておりますっ」
その一人一人へ知らしめ京三は皮を指さすが、武士が川を確かめることこそない。ぬらり、太刀を引き抜くと、この者らをとらえよ、と雄叫びを上げた。ぶはっ、と川から雲太が頭を引き抜いたはこの時で、川の色が変わったことを知らせようと振り返り、ことと次第に気づかされる。
「な、何事だッ」
ならその顔を見た武士らこそ、おおっ、とどよめいていた。
「こ、これにおるは鬼か!」
仕方ない。今日の雲太はそんな顔だ。
「むむ、鬼までおるとは。毒の出どこは、なおさらこやつらで間違いなし!」
「ど、毒だとッ」
言いように雲太こそ目を丸くし、なおのこと武士らも勢いづく。
「いざ、鬼とてたかが一匹! わしらの手にかかれば赤子の手をひねるようなもの! 鬼は首でもかまいはせん。もろともただちにひっ捕えろ!」
野太い声が今一度、おおう、と上がる。
「まっ、待たれいッ。鬼も何もわしは人だッ。くわえて毒などとッ」
雲太は言うがもう間に合わない。方々で馬は蹴上がり大きな腹を見せ、見上げて退いた雲太はざぶん、川へ転げ落ちた。見て取り、雲太、と京三も叫ぶが、たちまちその周りに馬の足は押し迫る。それどころか落ちた雲太を追い立てて、次から次へ川の中へ飛び込んでいった。
その深さは雲太のヒザほどまでか。逃れて雲太も川を走る。ぬめる川底の石に足を取られたなら、またもやざぶんと沈みこんだ。あがけばそんな雲太の傍らを馬の細い足は軽々、跳ねて追い抜き、再びがば、と起き上がった雲太をいともたやすく取り囲んでみせる。
雲太は武士らを、馬を、前に後ろに睨んで低く身構えた。
そんな雲太の視界を埋めて武士らは次から次へ馬から飛び降り、しっかと流れに突き立てた足の先を雲太へ向けなおす。早いか、高く太刀を振り上げた。
「待たれいッ。誤解であると言っておろうがッ。斬るな。話せば分か」
押しとどめて雲太は手を突き出すが罠であった。
どん、とその背を蹴りつけられる。
息は詰まると雲太は、むう、と唸り声をあげていた。それきりだ。投げ出した身は赤いしぶきを吹き上げる。ゆらり川底へ沈んでいった。