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来 神 ’  作者: N.river
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赤い川 の巻  42

「失くしたからといって、あれはまた与えていいような鈴にありません。八咫の奮闘があったからこそ剣は守られたようなもの。よう木偶らを助けてくれました。木偶らに代わってこの天照が礼を言いますよ」

 あいだ、そこ、ここで、ジャンジャン鳴らされてはうるそうてかなわん、と言う声も聞こえたような気はしたが、ともかく烏はかしこまって頭を下げる。

「その大役を中断してまで、こちらへ戻るよう申し付けたことはほかでもありません」

 見つめ、天照は話を進めた。

「されば木偶らでは間に合わぬやも知れぬ相手」

 新たな成り行きが伏せた面の中でピクリ、烏の眉間をうごめかせる。

「ゆえに八咫はこれより木偶らから離れ、同じく野に隠れた荒魂を一刻も早く見つけるよう尽くしてもらいたいと考えております」

 それが予想外の指示だったとしても、もちろん烏に異存はない。

「見つかれば報告を。ただちに木偶らを向かわせましょう。事と次第によっては……」

 そうして思い巡らせるまま、天照は言葉を切った。うかがい伏せていた顔を烏が持ち上げてゆけば、前で淀むことなくこう告げる。

「天照はじめ天津神らで野に降り立ち、荒魂を鎮めねばならぬことになるでしょう」

 これでも案外、高天原は縦社会なのだ。そこを御柱(ミハシラ)、自ら陣を率いて天下るなど、前代未聞の非情事態。空前絶後の緊急事態にほかならなかった。つまりそうまでせねばならぬ時、芦原の野はすでに野にあらず。泥へ還る一つ手前と烏は心得る。まだ見たこともない光景に、ついぞ足元へ目をやっていた。

 そこで野は、目の下にクマさえ作って奮闘する天津神らの魂によりまだ野と形を整えている。この姿が混沌とした泥へ還るやもしれぬと思えば、暮らす民の行く末は不憫でしかなかった。知らぬ村の者はいまだなお再会を喜び合うと、様子はただただ烏の胸を打ち、なんとしても押し止めねばなるまい。思うままに嘴へ力をこめる。

御意(ギョイ)。木偶らは野の者にも助けられておる様子。八咫はこれより離れて巡り、必ず荒魂の鎮まる場所を突き止めてごらんにいれます」

 両の翼を大きく広げた。打ち付ければ黒がミステリアスな体はぶわ、と宙へ舞い上がる。目で追った天照も、ここぞとばかり鼻をつまみ上げていた。

「だから、くしゃいというにっ!」

 背に、烏は真っ逆さまと青い星へ落ちてゆく。


 そんな天照も眠りにつく夜半。雲太はふんふん、鼻を鳴らして山道をたどる。左へ右へ目をやった。その頬へ影を落としてニヤリ、笑う。再びふんふん、鳴らす鼻で迷うことなく足を進めた。

 浜の村から越えて来た時に比べると、山はずいぶと緩やかで涼しい道が続いている。食うものがなかったあの時と違い、タカの村で穀に菜に少しばかりの干物さえ譲り受けてきた雲太らの足取りは軽く、祠づくりに留まった村での日々もまた取り戻すことができていた。

 ただこの山は奥が深い。登って下るにとどまらず、ひたすら平らな道が続くこともまれではなかった。それは時折、木立に登り、日や星の向きで行く先を見極めねばならぬほどで、この夕も雲太は日に星を探して木立へ登っている。

 しこうして見つけたものが何であったかと問えば、ウロになみなみとたまったサル酒であった。どれほどそこで味見してやろうか。雲太が思ったことは否めない。だが木立の下には京三がおり、しばらくも行けば誰もが寝入る夜は待っていた。雲太はだまって木立を降りている。辺りが闇に包まれたのち、こうして一人、あと戻ってきたのだった。

 そんな木立はすぐにも見つけることができている。月明かりの元、見上げて雲太はまたもやニンマリ頬を潰し、ままにぽいぽい、履物を脱ぎ捨てた。両手へ唾を吹きかけたならむしろそれが酒であるかのように、えい、と幹へしがみつく。目指すは雲太の背丈の倍ほどの場所だ。木立の幹が二股と別れたそこに、ぽっかり口を開いてウロはサル酒を溜めていた。

 思い浮かべて節へ手をかけ足をかけ、酒飲みたさに雲太は木立を登る。

「おおッ、これだこれだ」

 最後、持ち上げた体で、ウロで波打つサル酒を見下ろした。そこに月は映りこむと、雲太はそんな月ごと甘い香りを胸いっぱいに吸い込む。はたまたニンマリ、頬を潰すのだった。

 さてさて、映る月は避けるに越したことはないだろう。懐に忍ばせてきた椀を抜き出し上澄みをすくう。口へ運べば驚くほど甘く、果実がごとき味わいは広がって、雲太は眉を跳ね上げていた。

 これはもう木立にしがみついている場合ではない。椀を戻してもうひと踏ん張り、左右に分かれた枝の上へ尻を乗せる。またいでまさに酒と向かい合った。

 その頃にはもう笑いが止まらない。だからして無理矢理、顔を真顔へ戻す。戻した顔をぐぐっ、と酒へ寄せ、ようよう眺めて雲太は唸った。

「うむむむ。味見だけのつもりで来たが、これは思いがけず底が深い。竹筒のひとつも持って来るべきであったか」

 だが戻っているような時間こそないだろう。

「仕方あるまい」

 うなずき雲太は渋々、己へ言い聞かせる。

「全て腹に納めて帰るとするかッ」

 だからしてその後は呵呵大笑(カカタイショウ)。困った困ったと全く困らぬ顔で繰り返し、出した椀で意気揚々、月ごと酒をすくいあげたのだった。

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