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来 神 ’  作者: N.river
39/90

くしみたま の巻  39

というのも一時の油断から危うい目にあったところである。たとえ相撲の間だろうと手放すことはできない、というわけだった。

 おかげで行司との間ですったもんだは起き、雲太が間を取り持つことでそのままでよい、ということになる。

 仕切り直して手を打ちつけた。

 シコを踏んで力水を含む。

 塩をまき、仕切り線の前で額と額を突き合わせることしばらく。近くで見れば見るほど浅黒いうえ手足も太く、腹もずんぐり大きいのが雲太であった。比べれば色白でアバラも浮くと、掴むとっかかりもない京三の見てくれはただただ貧相ときている。そんな雲太にどん、とぶつかられて吹き飛ばされずにおれるのか。恐怖を覚えて京三は怯み、心、技、体、を思い起して心を奮い立たせた。そうして雲太へ集中しなおせば周りから村の者らの声に姿は消えてゆく。うかがう雲太と己だけだ。二人だけが土俵の中に取り残されていった。

「手加減、無用」

 土俵に触れる拳の感触を確かめ言い放つ。

「請われたところで願い下げだ」

 低く返した雲太との間へ、そうっと軍配は差し込まれた。

 はっけよい、が空を裂く。

 のこった、の声で二人は上背を跳ね上げた。

 ばちん、と肉と肉のぶつかる激しい音はして、そこに骨の突きあう、ごん、という鈍い音を混じらせる。食らってそのとき京三は確かと浮き上がり、突っ張っていた後ろ足をずず、と土俵の上で滑らせた。ままに、つかみどころを探って伸ばされた雲太の手と己の手を交差させる。攻防に、吐く息をふんふん、もらした。うちにも雲太の脇をくぐって京三の右手は雲太の下帯を取る。おっつけ雲太もその上から、京三の下帯を左手で掴んだ。とたん体を吊り上げようとする雲太は豪快だ。堪えて京三は泳いでいたもう一方の手を雲太の下帯へ伸ばした。掴んでがっぷり四つに組めば、互いの力はそこで拮抗する。

 崩すべく京三は、突っ張っていた後ろ足をにじり、にじり、と身へ引きつけた。

 させまいと投げうつ雲太が身をよじったなら、危ない、とぶら下がるように沈み込んで遮ってやる。

 渾身のひと投げだったらしい。はあ、はあ、と間近で繰り返される雲太の息は荒い。

 京三もまた、ふう、ふう、と吐く息でどっ、と体中から汗を吹き出した。

 それでもあり余る力を見せつけ雲太は押したり引いたり、上手で投げようとしてみたり、小刻みに仕掛け続ける。そのたび京三は雲太の下帯を掴んでは踏ん張り、堪えるを繰り返した。取り組みは思いがけず長引いて、盛大だった声援もいつしかすっかり聞こえなくなってしまう。見守る誰もは息を殺してかたずを飲んだ。

 だがやはり先に力尽きたのは京三の方だった。堪えきれなくなった腰は勝手と浮き上がり、見て取った村の者が、京の山、と声で後押しする。借りて京三は四肢へ力を入れなおすが、そのとき動きに乱れは生じていた。

 見逃すことなく雲太の上手投げは、えいや、で繰り出される。

 しまった、と思う京三の体はひるがえり、させてなるものかと地から剥がれた足を雲太の足へ引っ掛けた。

 おかげでぽーん、と二人の体は宙を舞う。

 どうっ、と肩から土俵へ落ちた。

 弾んでのち、一呼吸あったやも知れない。

 軍配が指したのは東であった。

「雲の山、上手なげぇっ」

 間違いないだろう。それは組んでいた京三だからこそ、よく知れた。やはりかなわなかったか。思いながら打ち付けた身を起こしてゆく。周りからどっと歓声はわき起こり、丸めた体を揺すって立ち上がった雲太が応えて手を振り上げた。

 と、結び方が緩かったのか投げが凄まじかったのか、京三は剣が身から離れてしまっていることに気づかされる。やれやれ、と見おろし踏み出した足で拾い上げた。だが足はそのとき柄頭に詰められていた布の端くれを踏んでしまったようだ。たちまちするする布は抜けて、中でコロン、と鈴は落ちる。跳ねてジャン、ジャン、鳴った音は、きっかり三度。あろうことか傍らで、雲太もついた土を払うとぱんぱん、手を打ち鳴らす。

「あ……」

 という間もない。ぶお、と土俵の周りから湿り気は噴き出していた。

「どうした京三ッ」

 光景に、やんや、やんやと騒ぎ立てていた村の者らから、一転どよめきはわき起こる。

「鈴ですっ。落ちたうえに雲太が手を打ったせいでっ」

「なんとッ」

 言ううちにも立ち上った湿り気は消え、雲太の手に光は宿った。足へ重みはのしかかると、押し返せぬものの気配はのしかかる。支えて雲太は空へ急ぎ手をかざした。

「ええいッ、何とわけを話すかッ」

 風は手のひらを抜けて見入る村の者へ吹きつける。

 祠のワラ屋根が震えていた。

 巻かれた村の者らも頭を抱えて悲鳴を上げる。

 果たしていずるは建御雷か素戔嗚か。はたまた獅子か。それとも別の御柱か。

 だがしかし鳥居の奥からどの頭も出てくることはなかった。

 あふれて塩は玉となる。

 なって、ぷわん、雲太の手を離れると、ふわり、ゆらゆら、空へ舞い上がっていった。そんな泡はひとつではない。次から次に現れると風に吹かれてゆらゆら、大なり小なりたわみながら列を成すと、遠く山へと飛んでゆく。

「な、なんと……」

 見上げて雲太は口を開いていた。

 おさまった風に、村の者らも恐る恐る顔を上げてゆく。浮かぶ塩の玉をあんぐり眺めた。やがて恐れることはないと分かったところで、掴めやしないかと手を伸ばす子供らが追いかけはしゃぎ、辺りを駆けまわった。

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