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来 神 ’  作者: N.river
34/90

くしみたま の巻  34

 話を聞いていたタカは、いつしかその場へ屈み込んでしまっている。チラリ、クメが目をやれば、とたんすくっと立ち上がっていた。

「違うわ、おとうさん。こうして山の向こうから人が来たのよ。もうすぐよ、もうすぐみんなも帰ってくる。シソウだって帰ってくるわ。そうすればまた畑も田んぼも耕してくれるっ。だってみんなシソウのうねだものっ」

 両の拳を握りしめ声の限りに言い放った。その横顔にさきほどまでの朗らかさはなく、まっすぐ伸びる竹の勢いだけが際立つ。曲げればしなって跳ね返す激しさは、雲太らの目にさえ強く映った。

 だがそれきりと続かない。寄せた眉の下にたちまち不安を浮き上がらせる。

「……勝手によその人が触ったら、それこそ帰って来なくなっちゃうかもしれない」

 目が雲太らを盗み見た。まなざしは睨むようで、雲太はなおのこと言葉を失ってしまう。

「あの、そのシソウ、とは」

 そうっとクメへ確かめたのは京三だ。

「は、娘の旦那にございます」

「山を、山を越えていらしたというのは本当なのですね」

 と、問いただして、タカは雲太へ迫った。

「なら浜の村に龍は、龍はいましたか。またここへ戻って来ると言っておりましたか。山を越えて人が来たのは、もう龍が田畑を食う前のこと。こうやっておいでになれたのは、その龍がいなくなったからなのですよね。旅の方は良いことのしるしなのですよね。タカは間違っておりますか。間違ったことを言っておりますか」

 繰り返すと胸の前に握り合わせた手を震わせる。そんなタカを、これ、とクメはいさめるが、タカは引かなかった。見つめる眼差しへただただ力を込める。

 だとして雲太らにこそ答えてやらぬ理由などない。わけを知った今となっては、胸を張って明かしやれるだけの話というものがあった。雲太はタカへ一つうなずき返す。

「そうだ。わしらはオノコロ島から海を渡り、浜の村より山を越えて参った。龍も確かに浜の村を襲っておった」

 いっときタカの目から瞬きは消える。

「だがもう出ん」

 のぞきこんで雲太は続けた。

「二匹とも鎮まった。今ではこの山を護る和魂となっておられる」

 懐へと手を忍ばせる。

「龍の正体は虫とヒヨドリであった。鳩が荒魂のつかわしめとなり操っておったようだ。この通り、今では鳩もまこと美しい(ギョク)になっておられる。(マツ)れば山の道中を見守り、実りを豊かにしてくださるとご神託もたまわった」

 抜き出しタカへ紅玉を差し出した。

 向かってタカも身を乗り出してゆく。クメもまた、まさか、とつま先立って食い入るように雲太の手の中をのぞき込んだ。

「ほおお、これはなんと真っ赤な玉か」

「……す、てき」

「ついては下った山の入口に祠を立て、祀るつもりで山道も越えてきた。どうであろう」

 呼びかければ、紅玉へ貼り付いていた四つの目玉はそぞろに雲太へ持ち上げられる。

「この辺りに鎮まる神はない様子。わしらの手で祠を立ててもかまわんだろうか。さすれば龍が鎮まったという証になる。悪い噂も絶えることだろう。途絶えれば人足も、ついては働き手も帰って来はしまいか。そのうえわしらも役に立てるというなら……」

 ニ、と剥き出した歯は白い。

「八方丸くおさまり、ではないか?」

 笑った。

 だがタカはすぐにも飲み込めなかったようだ。答えるその前、雲太の隣で満足げにうなずく京三へ目を向け、自慢げと鼻を擦り上げる和二を見下ろしている。再び雲太へ跳ね上げたならようやくだ。元通りにぱあっ、と頬を赤くしていった。

「すてきっ。おとうさん、龍はいなくなったんだわっ」

 クメの手を取ると、やんや、やんやで飛び跳ねる。

「もう心配しなくていいのよっ。お祀りすればみんなだって帰って来るっ。また昔のようにやれるんだわっ」

 振り回されて最初はポカンとしていたクメだったが、次第に我を取り戻していったようだった。

「ほ、ほお、そうかっ。なるほどっ、それはよい。それはよいことじゃっ」

 タカといっしょに地を踏み踊る。

 眺めて雲太は紅玉を握りしめた。

「ようし決まったッ。受けた恩、これにてまるごとお返しいたそうッ」


 話がついた頃にはもう、日は真上を通り過ぎていた。

 これはタカの願掛けでもあるからして田畑には手を付けない。雲太らは祠を建てるべく、クメから譲り受けたワラでしめ縄を編む。くわえて道具も借り受けると、出来上がったしめ縄をたずさえ山へ入っていった。

 あれほど腹を空かせて下った山道は今や、まるで別の道と雲太らの足に馴染んでいる。そのいくらも行ったところで道を逸れ、木立の並ぶ山肌を登った。息が切れたなら立ち止まって空を見上げ、覆って重なる枝ぶりに目を這わせてゆく。

 言うまでもなく探すのは魂を納めて遜色ない木だ。その木は大きければよいと言うものでもなく、勢いが良く、ふんだんに葉が茂り、そして何より同じ木切れを収めた雲太らにこそ感じ取ることのできる(スガ)しさに包まれていなければならなかった。あきらめてこれにするかと言うことは許されず、求めて雲太らはまた山を歩き出す。

 果てにこれが良かろうと足を止めたのは、一本のヒノキの前だ。見初めたヒノキは根が力こぶのように節くれだつと山肌をしっかと掴み、嵐が来ようと倒れそうにない。幹もまた山を吸い上げる勢いで空へ伸びて、そこに柔らかな緑を茂らせていた。

 うん、とうなずき歩み寄って、雲太はぽんぽん幹を叩く。返された鈍い響きにしっかり中が詰まっていることを感じ取ったなら京三も、肩にしめ縄を巻きつけヒノキを見上げてみせた。

「これであれば魂もさぞお喜びになられることでしょう」

「よい木だ。申し分ない」

 とたんまわらない腕でぎゅう、とヒノキへ抱きついたのは和二だ。耳を押し当て、そうっとまぶたを閉じてゆく。

「どうだ」

 横顔へ雲太は問いかけた。

「うん……、おいらに話しかけてくるぞ。いかようにするつもりかと聞くので、おいらは倒して祠を建てるぞ……、と答えたぞ」

 話す和二の口ぶりはいつもとうって変わって、眠たげだ。

「なら、ヒノキはお前になんと言った」

 雲太がさらに問いかけたなら、閉じていたまぶたを開いて和二はクルリ、雲太へ目玉を回す。

「魂を納めるなら、それもよかろう」

 抱きついていた手を解き雲太の傍らについた。三人、並んでヒノキの前から一歩さがると、深々頭を垂れる。

「ありがたく頂戴する」

 決まれば山の空気も引き締まったようだった。感じながら面を上げた京三がヒノキへと歩み寄ってゆく。肩のしめ縄をヒノキの幹へ巻きつけた。終われば次は雲太の出番だ。たずさえてきた鋸を和二へ預け、衣の袖をまくり上げる。ぺっぺ、と手のひらへつばを吐きつけた。あらため鋸を受け取りなおし、しめ縄が神域と分け隔てるヒノキの元へ向かう。そうして立った場所は傾き、木の根も張って落ち着かなかった。だがおして踏ん張り、固めて雲太は腰を落とす。鋸の柄を握りなおすとここだ、と見定めた登り側の木肌へ刃をあてがった。

 両腕へ気を集中させる。

 息を整え終え、ひと思いに引いた。

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