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来 神 ’  作者: N.river
33/90

くしみたま の巻  33

「すっかりお元気になられたようで、よかった」

 聞きながら雲太はひときわ高く振り上げた足で、これが最後と地を踏みしめる。満ちた力を逃がさぬよう細く息を吐きながら、屈めていた腰を伸ばしていった。娘御(ムスメゴ)は、そうして振り返ったところにナベを抱え立っている。姿は抱えた荷の重みなど感じさせぬほどまっすぐで、節のない竹を雲太に思い起こさせた。傍らには一仕事終えた年寄りも腰を下ろしており、聞こえていた話からして娘御の父だろう。そんな二人の身なりは質素だ。どう見たところで雲太らへほどこしてやれるような身でないことは明らかだった。

「あれだけあった粥が、ほら、もうからっぽ。当然ですよね」

 言って娘御はナベの底を見せる。鈴を転がしたような声でまた笑った。

 さて、腹を満たすことに気を取られ、雲太らはまだ名乗っていない。同じように笑って返すその前に、雲太は娘御を前に身を正すと隣を指さし教えていた。

「これは和二」

 ついで京三を探し、そちらへも手を向ける。

「あちらが京三。どちらもわしの弟だ。そしてわしは雲太。さる(ミタマ)(モウ)で、とある御仁へおめにかかるべく旅をしておる途中。このたびは腹を空かせて倒れているところ、双方にはたいへん世話になった。心より礼を申す」

 聞えて和二が踏んでいたシコの足を止めて、膨れた腹に袴の帯を絞めなおすと京三も、駆け戻った。雲太に並ぶと三人はそろってしっかと頭を下げる。

「どうぞよして下さいな。召し上がられたのは旅の方の穀ですし、わたしがここを通ったのはお天道様のお導き。お礼ならば、お空へ手を合わせてくださればよいこと。わたしらはなにも致しておりませんから」

 首を振る娘御は大袈裟だといわんばかりだ。

「何を言う。このような頭、いくら下げたところでどうにもならんほどに世話になった。こうしておられるのも……」

 そなたのおかげ。

 言いかけたところで雲太は動きを止める。それはどうしたのかと、いぶかる和二に京三が振り返るほどだった。なら雲太は急に目を剥きぱん、と腹を打ちつける。

「その通りッ」

 言い放った。

「この頭を下げたところで、どうにもならんッ。ここはひとつ、この三人へ用事を申し付けてはくれんだろうか。旅の身ゆえ持ち合わせはないが、元気になったこの体がある。なんなりと働き勤めて、受けた恩をお返ししたい。いや、そうせねばわしの気がすまんときたッ」

 面持ちはまこと楽しげで、耳にした和二と京三もなるほど、と思ったらしい。たちまち両目を輝かせる。顔を見合わせうなずき合うと、雲太に続けと身を乗り出した。

「ええ、ええ、兄のいうとおりです。わたくし、見てくれはこのようですが、腹さえ膨れてしまえばご心配なく。力仕事だろうと何だろうと、やってのけてごらんに入れます」

「そうだぞ。子供だからってバカにするな。おいらだって何でもやれるぞ」

 だが娘御と年寄りはあっけにとられたきりだ。やがてクスクス、娘御だけが笑いだす。堪え切れぬといわんばかり破顔した。

「な、何がおかしい」

 むすっと雲太が頬を膨らませる。だが娘御の笑いこそ止まらなかった。

「だって、本当にお元気なんですもの」

 滲んだ目じりの涙を拭うとどうにか笑いおさめる。雲太へとその瞳をまっすぐ持ち上げた。

「そのご様子なら今すぐにでも次のお山を越えられそう。失くされたナベでしたら、うちにひとつ余っておるものがあります。それをお持ちください。ほら、日の高いうちに出られた方がいいです。もしお泊りになられるのでしたら屋根くらいはお貸しできます。どうぞその時は、わたしらへこそ何なりとおっしゃってください。何しろ久しぶりに村へいらしたお客様ですもの。なんだか、いいえ、きっといいことがありそう。そんな方へ下働きなどいいつけたらバチが当たってしまいますわ。お気持ちだけでもう十分」

 否や、風にしなる竹のように体をたわませるとまた笑った。隠してくるり、年寄りへ振り返る。

「ね、おとーさんっ」

 なら座り込んでいた年寄りは、やれやれ、といった具合だ。えっちらおっちら腰を上げる。

「そうでしたか。魂詣でとは、またご苦労なことです。わたしはこの村のクメという者。これは娘のタカと申しまして。なにぶんこのように生まれもってのお転婆で無礼の数々、どうぞこの年寄りに免じて許してやってくださいませ」

 これまたゆったり頭を下げていった。

「しかし娘の言うとおり。このところしばらく山を越えてやって来る人足も絶えておったものですから、山へタケをとりに向かった娘が登り口に人が倒れておると騒ぎおりました時は、ほんに驚かされました。ゆえに本当かと疑って足を運んだだけのこと。お助けしようなどと。なり行きは、まことお天道様の良い巡り合わせという次第にございます」

 御柱への思いを穏やかな面持ちににじませる。

「とはいえ……」

 ひっこめ、まばらに生えたアゴヒゲを持ち上げた手でジョリジョリすった。

「なんなと用をいいつけてくれ、と申されますか……」

「おとうさん」

 その体をタカが隠したヒジで突いている。様子は咎めているようで、返すクメの声も渋くなっていた。

「言うても村から働き手がおらんようになってから、ずいぶん経つじゃろう。そこへ見ての通りの若者じゃ。ここは甘えさせてもろうてはどうじゃ」

 タカの表情はそのとき初めてくもり、聞こえた言葉に雲太らは向かいで顔を見合わせる。

「村に働き手がおらん、と?」

 雲太は問いかけた。腑に落ちぬらしい、京三もそんな村があるのかと確かめる。

「それはつまり、男衆がおらんということなのですか?」

 答えぬタカはうつむいてしまい、大きなため息をついたクメが後を継いでいた。

「はぁ、この村にはわしのような年寄りか、女、子供しかおらんのです」

「なんと」

「そんなことがあるのですか」

「さては戦だな。おいらだって知ってるぞ」

 だがクメは横に首を振り返す。そうして明かされたわけは誰もを驚かせていた。

「龍ですな。龍が村を襲い、穀と菜を毟ったせいですなぁ。今では浜の村で暴れておると噂に聞きますが、龍は最初、この村にいついておりまして、おかげで穀も菜もとれんようになってしまいました。食うために働き手はあの山向う、大きな村にたつ市へ出ていってしまい、このような有様に」

 雲太らが向かうべき山を指さす。それきりクメもうなだれてしまった。

「そうであったのか……」

「それはそれは、むごいことになっておったのですね」

「おかげでわしらは食いつなぐことができましたが、龍が浜へ去り、ようやく田畑が興せるようになったとして、噂でしょうなぁ、ここは誰も寄りつかん村になってしまいました。いや、よその者だけではのうて、働き手さえ戻って来んようになってしまったのです」

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