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来 神 ’  作者: N.river
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つかわしめ の巻  31

 だが京三に答える様子はない。和二の叩きつけた胸元からススだけをもう、と舞い上がらせる。

 払いのけて素戔嗚が大きな手であおいでみせた。また、ぶわ、と風は巻き起こって、おさまったところでのぞき込んだ雲太の目に、いつも通りと白い顔をした京三は現われる。だが、だからこそなおさら息をしていないようで、雲太の方こそ息が止まりそうになっていた。

「おい、京三」

 呼び掛ける。

「お前がおらんと、わしはまた好きなだけ酒を食らってしまうぞ」

 と声は、うーん、と聞こえていた。

「けいにいっ!」

 向かって和二も身を乗り出す。

 そのときパチリ、京三の目は開いていた。

「何をおっしゃいます。酒だけは許しませんよ」

 面持ちには痛みどころか疲れも見られない。唖然とする雲太と和二をよそに素戔嗚だけが、あっぱれ、あっぱれ、と笑い声を上げるのだった。


「うむ、そうか。鳩はそのようなことを言ったか」

 京三が無事だということは、もうそれ以上、確かめる必要がなかった。だからして言う素戔嗚の前で三人は等しく頭を垂れる。

 傍らに置いて剣を肩へもたせかけた素戔嗚の、雲太の話へ耳を傾けるその顔は先ほどから苦々しい。広げた小鼻から息を吐いてぴゅう、とつむじ風を巻き起こすと、アゴの先をコリコリ掻いていた。

「探す神が荒魂になっていようなどとは、思いにもよらぬ一大事。畏れ多くも、このことを天照へお伝え願いたく申し上げる」

 あおられ、時に吹き飛ばされそうになりながら、雲太は焼けただれた山道の真ん中でなおさら深く頭を下げた。すると素戔嗚は、肩でポンと剣を跳ね上げる。

「うむ。引き受けた。この素戔嗚に任せて間違いなしと心得よ。うむむ、あほうの大国主め。何をしておるか、我が息子よ」

 唸ってことのほか荒い息を吐き出した。睨んだその目をはた、と天へ持ち上げる。

「なんとっ、芦原の野の乱れは死人(シビト)も惑わすか。ええい、今、戻るわ。待っておれっ」

 どうやら黄泉の国からの伝令らしい。言うなり剣を持ち上げる。両手で握りなおせばそこから先は、あも、うも、なかった。ぶん、と振った切っ先で空を切る。

「いかん。伏せろッ」

「い、一体、何事なのですかっ」

 雲太が叫べば見て取った和二の動きも早い。いきさつを知らぬ京三だけが遅れて地へしがみついた。

 ならば切れた空から風は吹き出し、たちまち誰もの髪に衣をはためかせる。飛ばされそうな雲太らの前でまたもや一本、竜巻はすうっと立ち上がった。

「愚か者がっ。金輪際、大事な剣を手離すでないぞっ」

 カミナリが、まさに吹き荒れる風の中から落とされる。

 食らって京三が持ち上げた目は、まさに竜巻を身にまとわせた素戔嗚と合っていた。

「は、はいっ!」

 答えるだけで精いっぱいだ。

 そんな京三へ小さく素戔嗚は微笑み返す。隠して竜巻はその顔を覆っていった。

「いざ、素戔嗚が参るっ」

 もはや素戔嗚こそが竜巻だ。勇ましいかけ声と共に地を吸い上げて、ぶおんと空へ飛び上がった。吸い上げられて山はなびき、ごうっと唸って砂塵が飛ぶ。また天照が岩戸へお隠れになるようなことにならなければよいのだが。誰もが不安にかられたことは否めず、しかしながら竜巻は、覆われた素戔嗚は、高天原へ、いや黄泉の国へと帰っていった。

 見送った雲太が、和二が、京三が、山道に張り付けていた体を起こしていったのは、それからいくらか後のことになる。言えばバチが当たりそうだったが、ほとほと風になぶられた三人共がひどい目にあった、と思っていた。だが嵐がおさまれば辺りはまこと静かな野山だ。焦げてやつれた木々は無残だったが、透けた枝ぶりから燦燦と日は入って空の青さを際立たせる。

「変わらず、荒っぽい神であることだ」

 舞い戻った小鳥のさえずりを聞きながら、雲太は衣の汚れを払い落とした。前には素戔嗚の残した塩の柱もまた真白とそびえ立っている。見上げたなら、ため息はこぼれていた。

「ですが、谷から風を吹かせ続けてくださったのは、かの御柱のご様子。おかげでわたしは燃えずにすみました」

 隣へ京三は並ぶ。

「なあ、京三」

 横顔へ雲太は口を開いていた。 

「わしらは果報者であると思わんか。いかなる時もわしらには強い味方がついておる」

 最初、解せず首をかしげていた京三だったが、やがて、はい、とうなずき返す。

「それだけの命がわしらにはある、ということだな」

 さらりと言う雲太の言葉には、しかしながら重みがあった。

「どうやら大国主命へ引き合わせるにはまず、荒魂となられた大国主の奇魂、幸魂を鎮めねばならぬ様子。これは大仕事になりそうです」

 続く京三に、む、と雲太は表情を引き締める。

「祟りで野を治めるなどと、国造りが滞るどころにはおさまらん荒ぶり。早々にも鎮めんと、とんでもないことになるやもしれん」

 だからこそ緩めて京三へこう投げもした。

「そのためにももう、剣をなくしたりするな」

 言葉に京三はことさら剣を強く握りしめる。こくり、とひとつうなずき返した。ならあやまちは二度と起こさぬようつとめるだけでしかなく、見て取った雲太はここぞとばかり左右へ唇を伸ばす。懐へと手を差し入れた。

「ついては御柱から賜わったものがある」

 紅玉だ。取り出すと京三へも見せた。

「これはまた、なんとも艶やかな」

「鳩の魂もこの山に鎮まる和魂となられた。わしらで手厚く祀らねばならん」

 だが辺りは言わずもがなの焼け野原であり、ふさわしいとは思えない。

「でしたら下った先によきところを見定め、そこへ祠を建てるのはいかがでしょうか」

「うむ。それがいいとわしも思う」

 と話す二人の足元で、和二の頭は見え隠れする。二人だけで話すのはズルイぞ、と跳ねて紅玉をみせろ、とせがんだ。

「おお、そうかそうか。これはぬかった」

 さっそく腰を折ると雲太は和二の前へも紅玉を差し出す。

 はずが、和二はといえば放ってもう、うずくまってしまっていた。

「は、跳ねたら、もっと、もっと腹が、すいたぁぞぉぅ……」

「うむ、あれだけ走ったからな」

「まったく、後さき考えず走ってしまいましたからね」

 確かに、忘れ去るにかなわぬ腹具合は、雲太も京三ももうここいらが限界だった。雲太はひとまず紅玉を懐へしまいこむ。ようし、と気を入れなおした。

「ここらで残りの穀を炊いて食うてしまうことにするかッ」

 なら手繰り寄せるのは、浜から背負い続けてきたナベだ。京三もそうですね、と懐へ手を忍ばせる。

「ほら、和二、ごらんなさい。ここに猪から奪い返したイナゴがありますから、粥の用意が整うまでこれを分けてしのぎましょう」

 がそこで止まったのは、雲太と京三の手だ。雲太は背へ振り返って、京三が開いた懐へ頭をもぐりこませる。

「な、なんとッ、ナベがなくなっておるぞッ」

「ああっ、包が、イナゴの包がありませんっ」

 言うまでもない。ナベはあの風で吹き飛ばされ、包は山道から転げ落ちた時に振りまいてしまっていた。食う方法も、食い物もなくして三人は唖然とする。とどめと腹がまた、ぐううと鳴った。その何もかもへ、今にも泣き出しそうに和二が頬を潰してゆく。

「な、何を言う。そら見ろ、塩だ。塩ならここに山ほどあるではないかッ」

 雲太は慌てて指さすが、素戔嗚が残していったそれこそ食えたものではない。なおさらしょっぱく頬をすぼめた和二と京三が、そんな雲太へ振り返ってみせていた。

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