つかわしめ の巻 30
「きたっ!」
目にして和二が伸び上がっていた。
「でかしたぞ京三ッ」
雲太もおのが手へと目を細める。
とたん、わずかに残っていた湿り気が、地から湯気となって噴き上がった。滅するが早いかズン、と二人の足へ重みをのしかける。支えて二人は背を合わせ、高天原とを通して吹く風に腰を落とした。
周囲をぐるり、風は駆け抜ける。
かわし退いた山犬は、勢いをなくすとただの炎へ縮んでいった。
見はからってもさもさあふれた塩を結び、雲太の手から益荒男の頭は、和二の手から長い棒のようなものは現れ出でる。それらが四方へ髪を跳ね上げた嵐の神、素戔嗚と、抜き身の剣であると知れるに時間はかかっていない。炎の中で両者はむりむり、せり上がると、向かい鳩も火の粉を吐いた。肩までしか出ていない素戔嗚はそれをぷう、と吹きつけた息で、散らすどころか消し去ってしまう。
負けじと鳩が翼を打ちつけた。
雲太らの前に後ろに両脇に、ごうと炎を吹きあがらせる。反り立ち揺らめくその切っ先へ、またもや山犬の群れを呼び寄せた。囲まれ雲太も和二も素戔嗚でさえもが、見上げてあんぐり口を開く。めがけて山犬は一気呵成と襲いかかった。
これまでか。
雲太に和二は目を閉じる。
頭上を結ばった素戔嗚の腕は、かすめて剣へと伸びた。残すは切っ先ばかりといずる剣を掴むと引き抜くと、結び切れず残った塩を飛び散らせ、ぐるり大きく振り回す。その切れ味は格別だ。描かれた円のまま薄絹のごとく空は切れ、風はそこからびゅう、と吹き出した。吹き出してかまいたちとなり、襲い掛かる山犬の胴を前と後ろにすぱっ、と切り分ける。黒煙が、胴から血潮と噴き出した。噴きだし千々と山犬もほどけて空へ散り消える。
「なん、と……」
鮮やかさに雲太は目を見張り、薙ぎ払った剣をかついで素戔嗚は、ようよう結ばった足を雲太の手から引き抜いた。逆立つ髪の隙間からのぞく瞳で、浮かぶ鳩をとらえて見据える。
様子に鳩はこの場を見限ったらしい。くるり、尻尾を向けていた。
めがけて素戔嗚は肩へもたせ掛けていた剣を持ち上げる。切っ先でピタリ、鳩をとらた。
「よいか木偶ども、吹き飛ばされぬよう、しかと地面へ伏せておれッ」
降る声に、慌てて雲太が地へしがみついたことは言うまでもない。わあぁっ、と叫んで和二もならえば、ぶん、と剣は振られていた。空は切れ、風を吹き出す。勢いで、山の頂まで切れ目を走らせた。パックリ裂けた空から吹く風はまさに嵐だ。叩きつけられて木立がざんざん、音を立て、折れた小枝に青葉は舞い上がった。止まる小鳥も鳴きに鳴き、のみならず炎も千切れて縮む。ついにはすっかり消え去ると、スミと残った木立までもを砕いて空の彼方へさらっていった。
「うっ、うんにいっ!」
「離すでないぞッ」
ひたすら地にしがみつくと、雲太と和二も互いは互いをを引き寄せ合う。
そんな嵐はぐるり、山の頂で円を描いた。竜巻となり立ち上がる。素戔嗚が剣で示したとおり、鳩を目指すと動き出した。そこから先はまさに疾風怒濤の勢いだ。逃れて忙しく翼をはためかせる鳩を、ひょいと中へ吸い込んでしまう。
中でぐるぐる回る鳩は綿くずのようだった。苦し紛れと火の粉を吐くが、竜巻こそ燃え上がるようなことにはならない。そんな火の粉も消え失せると、やがて鳩さえどこにいるのか分からなくなっていた。
飲み込んでひと仕事終えた竜巻が、小さく力を失ってゆく。次第にほどけて吸い上げていた枝葉を、空からバラバラ辺りに降らせた。
向かって、こいこい、と手招きする素戔嗚は満足げだ。呼ばれて戻った竜巻を指先でつまんでくるり、結んでしまう。ならねじれた竜巻の中で風は滞ると、やがて結び目からふわり、ほどけて散り散りとなった。まさにそよ風と恥じらい、いそいそ山の隅へ逃げ帰ってゆく。
その風にくすぐられて山がさわさわ、笑ってみせた。燃え残った木々もざわわ、と木立を揺らす。そんな風は劫火の穢れも祓った様子だ。焼け跡もそのときひとつ、明るく色を変えていた。
すると吹きぬけていった風の中からぽとり、それは落ちてくる。雲太は、おっ、と叫んで伸ばした両手で受け止めた。その手の中には鳩の目のようであり、吹く火の粉にも似た紅い石がある。
「これは見事な……」
「かの鳩は、龍と共にこの山に鎮まりし和魂とならん。山行く者を導き、実りを豊かにするぞ。大事に扱え」
告げたのはいうまでもない、素戔嗚だ。なるほど。思い雲太は、寝そべっていたそこから身を起こすと、授かった紅玉をことのほか高く掲げて素戔嗚へ頭を垂れた。
「さっそく祠を用意し、おさめて祀り申す」
否や黒い影は、山の頂からばぁっと飛び立つ。焼けて木立の失せた周りはとりわけ見通しがよく、雲太に和二のみならず、素戔嗚までもが何事かと見上げていた。
龍だ。
ふもとの村で目にしたそれはまたもや空を泳いでいた。
「おおッ、これがもう一匹の龍かッ」
だがそこに操る鳩はもういない。龍はすぐにも薄く透け、千々に乱れて空から消える。そのさい聞こえてきたのは、ここへ登って来るまでに幾度となく耳にしてきあの鳴き声だった。
「もう一匹は、ヒヨドリだったんだぞ……」
和二が呟き、雲太も応えて正体に目を見張る。
「……穀を食らうとは、そういうことであったか」
ミノオの顔が浮かんでならない。
と、別の面持ちは、おっつけそんなミノオの上へ重なっていた。
「いや、京三だ。京三はどこへいったッ」
眉を跳ね上げ、紅玉を懐へ押し込む。雲太は谷めがけて駆け出した。思いがけず暗がりに飲まれて空を仰げば、頭上を追い越し伸びてゆく素戔嗚の腕を目にする。あんぐり開けた口で見送り、雲太の前で素戔嗚の腕はすすけた谷の茂みへともぐりこんでいった。しばらく探ったその後で、中からひょい、と京三をつまみ上げる。その姿はすすにまみれて見る影もない。ただ離すまいと握りしめた腕を、ぶらぶら宙に泳がせていた。
「けいにいっ!」
「……そのようなところまで落ちておったか」
つぶやいた雲太を和二が追い抜いてゆく。素戔嗚が京三を気遣いそうっとおろしたなら、たちまちすがりつくと揺さぶった。
「けいにい、けいにい、死んだのかっ。そんなの、だめだぞ。天照からいただいた魂なんだぞ。死んだりしたら、おいらが許さんぞっ」




