つかわしめ の巻 26
それはずいぶん筋の通った言い分で、得心入った京三も隣でうなずく。
「そういうことだったのですね、和二。さあ、今なら許してあげますよ。早くこちらへ戻しなさい」
などと雲太に並べば和二こそ身震いし、千切れんばかりと首を振り返してみせていた。
「おっ、おいらは違うやいっ。うんにいと、けいにいは、そうやっておいらを悪者にする気なんだぞっ。きっと二人だ、二人がおいらからイナゴを取り上げたんだぞぉっ」
「な、なにをおっしゃいますか。断じて違いますっ」
「そうだ、わしではないぞッ」
「おいらだって違うやいっ」
口々に言い放てばガチリ、視線は絡み合った。逸らすことなく睨み合えば、その時ぱん、と音はする。お前だ、いや、そちらです。ずるい。ずるくない。浜の村でもそうだったが食い物の恨みとはまこと恐ろしい。取っ組み合いのケンカとなった。
上になり下になり。くんずほぐれつ。山道に砂埃が立つ。なら押し止める者などいないその先で、立ち尽くしていた猪だけがふい、と雲太らへ振り返った。あろうことかその口には、イナゴの包がくわえられている。目にした三人のケンカはとたんにピタリ、止まっていた。
「ああっ!」
京三の髪を掴んで和二が指さし、掴まれて雲太に馬乗りとなっていた京三も目を丸くする。
「し、猪ではないですかっ」
「そやつの仕業であったかッ」
雲太も唸った。
だからと言って聞き遂げた猪にどういう様子はない。ただぷい、と前へ向きなおる。ヒヅメの音も軽やかに、それきりくねる山道の向こうへ駆けていった。
「こっ、これっ。どこへ行きますっ」
無論、三人の腹具合こそ、見過ごしていいようなものであろうはずがない。
「待たぬかッ、猪めッ」
「おっ、おいらのイナゴぉっ!」
弾かれたちまち飛び起きる。血眼となり追いかけた。
逃げる猪の足取りはとにかく軽い。突き出た石に、張る根をかわし、右へ左へ山道を走りゆく。果てに雲太らをあざ笑うかのように山道を逸れたなら、登りの山肌に茂る笹の茂みへぴょん、と飛び込んだ。追いかけ雲太もえいやと山肌へ食らいつく。落とした腰で京三も紛れ込み、肩をいからせ頭から、和二もざざ、と茂みへ突っ込んでいった。
背の高い笹に前を行く猪の体は、背中の毛がのぞくばかりとなっている。目指して三人は落ち葉に滑り、張り巡らされた根に躓いては立ち上がるを繰り返して追いかけた。イナゴの包どころか、あわよくば猪肉にありつけるのでは、と過らせ懸命に山肌を登る。
なら猪は、ついに笹の茂みから抜け出した。かぶった落ち葉を背から払い、細くすぼまった鼻をぶるる、と鳴らして高みより振り返る。その前足はまた駆け出す気配をうかがわせ、だが今度、走り出せばもう追いつくことはできないだろう。
だからして雲太は茂みの中で立ち止まる。足元の落ち葉をかき分け、のぞいた黒い土から石ころををほじくり出した。早いか猪めがけ、力いっぱい投げつける。びゅん、と飛んだ石の大きさは雲太の拳ほどか。石も大きければ猪も大きく、石は見事、走り出そうとしていた猪の後ろ足にぶち当たった。払われた足は面白いほどつるん、と滑り、ものの見事と猪はすっころぶ。よほど驚いたらしい。猪は釣り上げられた魚のごとく、丸々と太った腹をむき出しにして暴れた。拍子に口から包は投げ出され、雲太は、だぁっ、と叫んで飛びかかる。固く張った尻へ食らいつくと、逃してなるものかで胴へ腕を巻き付けた。嫌って猪は甲高い声で鳴き、跳ね上げた後ろ足で何度も雲太を蹴りつける。雲太が堪えたなら死にもの狂いで身をよじると、引きずってまで山を登り始めた。
その背へ和二も飛び乗ってみせる。首根っこへ食らいつくと耳を掴んで揺さぶった。これにはさすがの猪も仰天したらしい、ブヒヒ、と鳴いて身をのけぞらせる。とどめと京三が身を躍らせた。重みに猪は山はだから、まるで剥がれるようにして大きな体をひっくり返す。
山に鳴き声はこだまし、ぱあっと落ち葉が舞い上がっていた。
紛れて和二の体も宙を舞い、雲太もひっくり返った猪の下敷きになる。それから先は三人ともが、猪ともつれて斜面を滑り落ちた。どうにか止まった時にはもう、誰もが自分のことで精いっぱいとなる。
その中、早々にも起き上がったのはやはり獣だ、猪だった。雲太らを残すとさっさと斜面を上へ逃げてゆく。落ち葉にまみれた三人に、もうなす術などありはしなかった。
「いた、たたたたっ」
「クソ、逃したか」
「三人でかかったところで相手は猪。やはり素手でとらえるなど無理だったのですよ」
頭を振って雲太は吐き、京三も声を絞り出すと立ち上がる。見上げれば落ち葉には滑ってえぐれた痕がくっきり残っており、いくらか離れたその中から、京三は投げ出されていたものを拾って雲太らへとかざした。
「でもこのとおり、イナゴはちゃんと取り戻せましたから」
微笑むが見合う返事こそかえってこない。
「けど、よけい腹がすいたぞ……。こんなことなら建御雷にお願いして、取り返してもらった方がよかったぞ……」
猪の毛にまみれて和二がこぼす。そばからくうう、と腹は鳴ると、侘しい音はおっつけ雲太と京三からも聞こえていた。
「いえいえいえいえいえっ! そんなことはなりません。たかが猪からイナゴを取り戻すだけのこと。それごときに御柱をおよびたてするなどと、身の程知らずにもほどがありますっ。神はそのような身勝手こそ許しませんよ。だからして祈請も三人の意が揃わねば行えぬよう、このように社と鈴に分けられているではありませんか」
これでもかと首を振り、いさめて京三は腰の剣へ手を伸ばした。だが手はその時、抜き取るべく剣に触れず空を切る。おかしな、と視線を落としていた。たちまち、あ、と声をもらす。
剣がない。
咄嗟に辿るのは記憶で、景色に心を奪われ腰を下ろしたあの時、ほどいて置いたきりになっていたことを思い出していた。その顔はたちまち色をなくしてゆく。ままに京三は、踵を返していた。
「どうした?」
うがる雲太をかわす。矢となり山肌を駆け降りた。山道へ躍り出、危うくさらに下へ転がり落ちそうになったところで踏みとどまり、来たばかりの道をとにもかくにもなぞって戻る。