つかわしめ の巻 23
さてこの、かあ、と鳴いた烏。実は雲太らが豊秋津洲へ辿り着いた時も、かあ、と鳴いている。しかも雲太らについて村まで飛ぶと、一部始終をつぶさに見届け、鳩まで追いかけ先に山へともぐりこんでいた。
そのひときわ高い木立の枝で、烏はまたもや、かあ、と鳴く。
鳴いて大きく翼を広げた。
枝を蹴りつけ舞い上がる。
その足は二本ではなく三本。
まとう黒を夜の黒に重ね合わせ、冷えた空気に残るわずかな上昇気流をとらえると、月の裏側を見据えなお高見を目指し翼をはためかせた。その羽へ次第に寒さはしみこんでくる。頃合いかと振り返った烏の目には、遠ざかる青い星が映り込んでいた。
正面へ向き直って散らばる星の位置を読む。別天津神の固めたもうた宇宙で烏は、こちらか、と胸を反らし旋回した。
目指すのは烏にだけ見える入口だ。
狙い定めて、えいや、で嘴を突き立てた。
瞬間、黒い体はぬらりと光り、ぐううと伸びて星の貼りつく景色をプスリ、突き破る。しこうして辿り着いた場所を問うことなかれ。いつ見ても鮮やかな高天原はそこに広がっていた。
しかしながらこたびばかりは芦原の野の不祥事に、不眠不休と大忙しだ。おかげで目の下の黒い神も一柱にあらず。見かけてはこれが天津神のお姿かと、烏は嘆いた。気を取りなおすと三本の足を伸ばす。辿り着いた天照の窓辺を掴んで翼をたたみ、声を張った。
「木偶らのことでご報告、申し上げます」
だが下界は夜だ。つまり天照こそ就寝の間際である。烏がどれほどうやうやしく頭を下げようと、その身支度に鏡をのぞき込んでいた天照は、うぇっ、と身を跳ね上がらせていた。なら振り返ったその顔に、今度はおののき烏が飛び上がる番となる。
「そっ、そのお顔は一体、どうなされましたかっ」
「なんの、これは八咫の烏ではありませんか」
確かに天照の顔は真っ白だ。気づき、天照は自らの顔を指さした。
「これですか。おやすみ前の美容パック、というやつです。つるつるになるのです」
「な、なんとむごい……」
「は。今なんと?」
「い、いえ。八咫のたわごとでございます」
そう、君子危うきに近寄らずは高天原でも必須である。
「とにもかくにもご就寝間際の訪問、八咫の無礼をお許しくださいませ」
今一度、烏は深く頭を垂れた。前に天照もいつも通りと胸を張る。
「なんの、手が回らぬせいで木偶らのことを任せたのはこの天照です。さて、その報告があると聞こえたように思いますが」
「は、木偶らは中国之御柱より浜まで歩き、無事、日本豊秋津洲へと渡り終えてございます。あいだ、渡しの村へ病をもたらしておった蛇を鎮め、洲の村で龍をいつわりし虫の群れを退治たところ」
「それは順調そうでなにより。荒魂の件は先だって、建御雷と獅子からもうかがいました。忙しいおり建御雷も獅子もよく尽くしてくれた様子です。いたく感謝しておりますよ」
「そこでひとつ、天照のお耳に入れておきたいお話が」
きらり、烏は嘴を光らせた。
「これはまた意味ありげな物言い。胸がドキドキしてきたではないですか」
天照もぴかり、パックの下の瞳を輝かせる。
「虫の一件にてございます。どうやら裏で何者かが操っている様子……」
「なんとっ」
「は、まあ、この虫を束ねておったのが巨大な御器かぶりの群れでして」
「御器かぶりっ!」
「これが全く驚くほどの大きさ。その、ま、このくらいの……」
示す烏は両の翼を広げてみせるが、すぐにも、よいよい、と嫌う天照に押し止められていた。
「さようでございますか。では端折りまして……。ともかく、たかが御器かぶりが龍をいつわるなどと魂にみあわぬ所作と怪しめば、なるほど、御器かぶりを操っておったのは一羽の鳩」
「そう言えば獅子がなにやら逃がした、と言うておりましたね。ということはその鳩、芦原の野を荒らすもののけであった、というわけなのですか」
「おっしゃる通り。それも火まで操る相当のもののけでありました」
烏はうなずき、天照はすっかり頭を抱え込んでしまう。
「ああ、また知らぬところで知らぬことが。鳩はポッポと豆を食うておればよいのに」
「ゆえにわたくし、因果をつきとめるため獅子の後を引き継ぎ、逃げた鳩を山まで追跡」
目にしたからこそ烏はまさに秘密エージェントと、黒い体を引き締めなおす。