たまご の巻 22
見据えたミノオの手が、衣の裾をギュッと握りしめる。目じりにとらえて雲太はなおさら眉を詰め、適当なことを言っておらぬな、と念を押した。
「盗賊になれば、こやつらをちゃんと食わせるな」
「なんだ、それとも荷をおいてゆくのか」
尋ね返すお頭が、いいか、と声を低くする。
「食わねば死ぬだろうが。死ねば働き手にならん。働き手が減ればわしらも食えなくなる。子供はええ。わしらの入れん場所にも潜り込めるし、大人も油断するからな。そら大事にするぞ」
そうしてまた虫の食った歯を剥き出すと、シシシ、と笑ってみせた。
そのいかがわしさは下の子供らにも伝わった様子だ。気づけばみなミノオへすり寄り小さくなっている。
と、そんなお頭をじっと見つめていたミノオがふい、と雲太へ顔を上げた。
「大丈夫だ」
言い切る声には芯がある。
「大きくなったら、ちゃんとおとうとおかあのおる畑へ戻る。ちゃんと戻るから、安心しろ」
凛と輝く瞳と額で、力をたくわえた丸い頬で、雲太へ小指を突き出した。
「約束、するぞ」
動けず雲太は差し出された指を見つめる。どうにか微笑み返したなら、ミノオの前へと腰を落とした。
「そうだ、約束しろ」
ミノオの指へ自分の指を絡める。
「お前にはおとうも、おかあもおる。そのうえよいか、わしには『結び』の力がある。だからしてわしと結んだ約束は絶対に破られんのだ。お前は必ず父と母のおる畑へ帰る。必ずだ」
ひとつ、ふたつ、みっつ。
そうして指を振った。
離せばミノオは深くうなずき、口を開いて言うべき言葉を見失った目をクルクル回す。気づいて雲太は大いに笑った。
「そうか、まだ言っておらんかったな。わしは雲太だ。あれが和二、あっちは京三だ」
それは知っていると、ミノオが二人へ手を振った。雲太へありがとう、と言って、その手で下の子らを誘う。競争するぞと声をかけ、わーっと騒いで駆け出していった。離されてはなるまいと下の子らは懸命だ。みなして満足そうなお頭をかすめると、後ろに立つ三人の元へ飛び込んでゆく。
見知らぬ大人たちに囲まれてもミノオが落ち着いていれば、下の子らもそれにならった。連れられ、山を谷側へ降りてゆく。後ろ姿はすぐにも茂みにかき消されてしまっていた。
「これでお前らは見逃してやる」
見送ったお頭の目が雲太らをとらえなおす。そのとき笑みは失せると、鋭い眼差しだけが雲太を刺した。
「命拾いしたと思え」
合図にお頭はきびすを返す。従い笹の葉影から見つめていた目もまた茂みの中へと紛れていった。だが聞き逃せはしないだろう。雲太はかっ、と両目を見開く。
「待てッ、ならばおぬしらは人の命も手にかけるということかッ」
「何を今さら。お前は荷を置いてゆけと言われて、それに従うのか」
いまさら返す言葉もない。
「子らもそのうち覚えることよ」
残して体はぽん、と跳ねた。笹に紛れて見えなくなるのに、そうも時間はかからなかった。
置き去りにされて雲太は唖然とする。目を覚まさせて足へ食らいつく何かを、おずおず見下ろしていた。
「いかんぞ、うんにいっ。人を殺してはいかんぞ。そんなことをさせてはいかんぞっ。それともミノオの母は、そう念じたのかっ。そう念じて、ミノオらを生んだのかっ」
和二だ。ありったけの声で叫び、掴んだ雲太の袴を揺さぶっていた。
ちがう。
返す代わりと雲太は和二の体を引き剥がす。ミノオらを追いかけ地を蹴りつけた。
「どこへ行くのです。待ちなさいっ」
京三の声に押し留まる。
「連れ戻したとして、わたしたちがどこまでしてやれるのですか。どうにかなるのは最初のうちだけ。そうしてどうにもならなくなった時、また子らは見捨てられるのですか。それともわたしたちが授かった命を諦めるのですか」
「だがわしは人殺しに子を預けたぞッ」
雲太は浴びせるが京三は身じろぎもしない。ただ静かに首を振り返してみせただけだった。
「いいえ、あの子はいたしません。あなたとの約束を守ります。そのためにも決していたしません。『結び』の力が、父と母の魂がそうはさせません」
ぐ、と雲太は唇を噛みしめる。
「あなたはおっしゃったではないですか、子が悪いのではないと。穀のとれぬことが悪いのだと。あのような虫の大群。全ては国造りが滞り芦原の野が乱れての天変地異。ならば魂を探し出し、大国主と引き合せてお山に鎮めることが先決です。でなければもし再び子らが田畑へ戻ったとして、穀がとれぬようでは一体どうなります。それこそ、どうするのですっ」
静けさに声は響いて、だからこそ京三は自らをなだめるようにひとつ息をついていた。
「わたしたちがあの子らにしてやれる、それが本当のことなのではありませんか」
もう人の気配はかけらもない。雲太はミノオらの消えた茂みへ振り返る。
「あのような子らをこれ以上増やさぬためにも、わたしたちは預けて先を急ぐべきです」
勧めて京三は雲太へ面を伏せていった。
堪えた怒りのままぼん、と傍らの木立を雲太は叩きつける。
揺れて木立ははらはらと木の葉を散らせた。それはまさにこぼれ落ちる涙のような舞い方でもあった。
それから三人は日が落ちてからも月明かりを頼りに黙々と山道を歩いている。これだけ木切れがあるというのに誰も粥を炊こうとは言いださず、その日は登った木の上に身を引っかけ何も言わず眠りについた。
闇にまぎれてまたどこかで、烏が、かあ、とだけ鳴いている。