たまご の巻 20
「おおッ」
「わあっ」
見上げて二人は声を上げた。
ざばん。打ち付けられて、獅子ごとすっかり飲み込まれてしまう。
「雲太ぁっ! 和二ぃっ!」
イイイ、と京三もむしずを走らせた。だが黒く積み上がったイナゴの山に、もう誰も、何も見えない。
と、そのひと所が歪んで大きく膨らんだ。縮んで再び膨れたなら、パァンと弾けてごまんとイナゴは空に散る。食い破って「阿」「吽」の獅子は中から宙へ躍り出た。ままに空を蹴りつけ駆け上ってゆく。ひるがえした体で「阿」の獅子が龍へ食らいつき、破れた腹からごまんと散ったイナゴを「吽」の獅子がすかさず尾で叩き落としていった。まさにイナゴの土砂降りだ。バラバラ田畑へイナゴは降る。その中から再び飛び上がろうものならば、舞い降りた「吽」の獅子がひとつ残らず踏み潰していった。
そんな二頭を嫌って首群れは龍を操り空で暴れる。だが、そもそもイナゴなら臆する道理こそありはしない。やがて田畑に叩き落とされたイナゴの山はできあがり、龍も首群れにわずかなイナゴをつなげるばかりと縮んでいった。
見計らい「阿」の獅子が、これが最後と首群れへ牙を突き立てる。噛みつかれて獅子の口から首群れはほどけ、後ろのイナゴも空でばらばらに散ってゆく。「吽」の獅子はその最後の一匹までも、尾で叩き落としていった。
空が明るさを取り戻そうとしている。
降り続ける虫を避けて田畑を跳ねていた雲太らの足も、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。
「と、とんでもない数だな、これは」
もう見渡す限りがイナゴである。中でも薄い羽を広げてひっくり返る赤茶色の虫を見つけて雲太は、そうっと歩み寄っていった。
「な、なんと……」
それは驚くほどの大きさだ。まだ息があるようすで、感心する雲太の前、蛇腹についた足をひくひく動かしている。
「雲太っ。和二っ」
だからして雲太は、駆け寄って来る京三を背に思わずこぼしていた。
「……なんとデカい御器かぶりかッ」
そう、大きさは雲太の履物ほどだ。
「ごっ、ごきかぶりですとぉっ!」
聞こえた京三の逃げ足は駆け寄る以上に早い。
「来い来い、和二ッ。わしはこんなデカい御器かぶりを見たのは初めてだぞッ」
かまわず手招き雲太はおっかなびっくり御器かぶりへ指を伸ばしていった。
「おっ、おやめなさいってばっ。これ、雲太ぁっ!」
押し止めて京三の声は飛び、そのとき天から獅子の足は降る。雲太の目と鼻の先でものの見事と御器かぶりを踏み潰してみせた。中からぶちゅ、と何かは飛び出し、京三がそれこそつんざくような悲鳴を上げる。だが獅子の足からはみ出す虫に、もう動く様子こそなくなっていた。
「お、お見事」
伸ばしていた手で、ともかく雲太は獅子の足を叩きねぎらう。
だが「吽」の獅子はといえば、ふいと背後へ振り返っていた。黒く澄んだ瞳でじいっ、と遠くを見つめてみせる。
「どう、された?」
気付いて雲太に和二は獅子を見上げる。そこへ恐る恐ると京三が肩を並べていた。
「もしや、まだ何か残っているのでは」
などと京三が言ったとおりだ。頭上を「阿」の獅子は駆けてゆく。追いかけ「吽」の獅子も飛び上がっていた。勢いに踏み潰された御器かぶりは散って、京三が絶句し、雲太は肩を切り返す。
「あちらかッ」
追うとその勢いで、えい、とあぜへ飛び上がった。見れば獅子らはミノオの住まいに群がっている。くんずほぐれつ牙を剥くと、何かを相手に奮闘していた。だがおかしなことに相手の姿こそ雲太にはまるで見えない。
何がどうなっているのか。急ぎ雲太は住まいへ走った。やがて見えてきたのは二頭の獅子の間で翼をはためかせる一羽の鳩だ。獅子はその鳩を相手に牙を剥いていた。
「何やつッ」
足元に転がる石を拾い上げる。鳩めがけて雲太は投げた。だが鳩の身は軽く、そんな雲太の投げた石などひょい、とかわしてしまう。代わりに嘴からポ、と赤いものを吐き出した。それはワラ屋根に乗ると煙をくゆらせ、たちまち火を立ち上がらせる。見る間に炎と広がって、ごうごう住まいを包みこんでいった。
炙られた獅子が地へ飛びのいている。
雲太と和二も放たれる熱のすさまじさに後じさっていた。
スキを見計らう鳩は、龍の駆け降りてきた山を目指し飛んで行く。追いかけようと獅子は住まいを回り込むが、行く手を塞い炎の手が、でことごとく遮ってみせた。
成す術をなくした獅子はいまや住まいの前をウロウロと歩いて回るばかりだ。やがて鳩は山に紛れ込み、ついに獅子も地へ尻をつけてしまう。力なく鳴いてうなだれたのが最後だった。足からその身を塩へと戻し高天原へ帰っていった。
「くそッ、逃したかッ」
塩の柱を前に雲太はギリリと奥歯を噛む。
足音は、そんな雲太の背のから近づいていた。おとう、おとう、と呼ぶ声は間違いない。ミノオだ。振り返りかけた雲太を追い抜くと燃える住まいへ走ってゆく。
「いかんッ」
慌てて身を乗り出していた。雲太はミノオの衣を掴む。引き留めもろとも地へ倒れ込んだ。
「諦めろッ。近寄れば、お前も燃えてしまうぞッ」
だとしてもうミノオが暴れることはない。声の続く限り、おとう、おとう、とただ呼び続ける。
近づきすぎた二人の頬を炎が赤く染めていた。
こと切れたようにガサリ、崩れた住まいが火の粉を巻き上げる。