昔々 の巻 1
夜がふけるほど雨足は強くなり、雲太は困ったものだと考えた。渡しの村で屋根を借りることは出来たものの、今では風さえひどくなりつつある。この様子では明日も海は大いに荒れ、船は出ないだろうと嘆息した。
ただ土座に敷かれたワラはまだ新しく、晴れた野を思い起こさせる匂いが心地いい。ここを見つけることができなければ雨ざらしとなる旅の身だけに、有難く思うほかないようだった。
傍らの薪を一枝、掴みあげる。先で囲炉裏の火を突いた。小さくなったそこへとくべてやる。なら薪を探って炎は大きくなり、雲太の額を、土座の少し離れたところに並ぶ小さな足の裏をふたたび照らす。
そこでちょうどと小さな足はコリコリ、もう片方の土踏まずを掻いていた。持ち主は和二で、見て取り雲太は口元を緩ませる。隣に京三も休んでいるはずだったが、明かりは届いていない。ただつられたように雲太も髪をひとつに結った頭を掻く。伸びたもみあげをなでつけた。
さて、聞かれて返す時はどれほど首をひねられようが、雲太はいつも和二と京三のことを兄弟だと言っている。名が示すように一番兄は「太」のつく雲太であった。よく日に焼け、わき立つ雲がごとくずんぐり大きな雲太にはぴったりの名だろう。対して京三は色が白くて手足が長く、和二にはといえば先ほどの仕草が微笑ましいように、雲太らとは歳の離れた男子であった。つまるところ名に「二」がつきながらも和二が末っ子で、「三」がつきながらも京三が次男坊となる。少々風変わりな三人だったが兄弟であり、案内されたワラぶき屋根の副屋には、借りた屋根の礼とかわした長との約束に、業をなすべく今そんな兄弟だけが休んでいた。
だが気配はまだなく、新たにくべた薪も囲炉裏の中で燃え尽き始める。ごろりと雲太も身を横たえると、ついた片ヒジに頭を乗せてまぶたを閉じた。休む間もなく開いて背をうかがう。
人だ。
副屋の入り口に垂らされたムシロをくぐり、何者かは入って来ていた。ままに雲太の方へ歩み寄ると、囲炉裏の明かりにぼんやり姿を浮き上がらせる。それこそ驚き雲太は起き上がっていた。
「長からの心付けでございます。わずかですがここに酒を持って参りました」
座りなおす雲太の前へ、女は口が細長くすぼまり底がずんぐり丸い瓶子を差し出す。
「気遣いは無用と申し上げておいたはずだが」
「おやまあ、お連れの方はもうお休みで」
だが女に聞こえた様子はない。もう土座の端へ目を向けていた。
「いや、一人は子供だ。酒は飲まんし、もう一人は下戸ときている。こちらも飲まん」
「ならそちらは」
戻して雲太へ問いかける。
「わしか。なんだ、その、気分ではない」
さて、嘘がつけないわけではないが、上手い方ではないというのも困りものだろう。飲まん、と言わぬ雲太の嘘は、とにもかくにも歯切れが悪かった。
「なんの、飲まれるのでしたらようございました。お一人でならちょうど酔えるくらいが入っております。あいにくほかの女はおりませんゆえ、お相手はわたくしとなりますが」
見抜いて女は土座へ上がる。丸く平たいカワラケを並べ置くと瓶子を持ち上げ雲太を誘ってニコリ、微笑んだ。前にしたなら雲太は唸りに唸る。ついえたところでヒザを打ちつけていた。
「ようし、ここはひとついただいておこう」
「さあさあ、どうぞどうぞ」
持ち上げたカワラケへ酒を注ぐ女は嬉し気だ。眺めておれば雲太も待ちきれない気持ちになってくる。
「そちらは今、ほかに女はおらんと言ったが、聞けば村では妙な病のせいで女ばかりが伏せておるとか」
女へ投げかけた。
「はい、それはもう次から次へと」
「そちらは元気なにより。さてはどこぞの神がやきもちをやいて荒魂となり、祟っておるのかもしれんな」
一息に満たされた酒をあおる。顔へ女は眉をしかめるが、雲太はますます上機嫌と舌鼓を打ってみせた。
「これは美味い」
「それはよろしゅうございました」
返す女も笑みを取り戻し、また瓶子を傾け注ぐ。かたわら雲太へこう問いかけもした。
「うかがえば旅のお方は伏せった女どもを助けて下さるとか。薬師でいらっしゃるのですか」
「なに、このわしだ。どうみても薬師だけにはみえまい」
なるほど。知りたくここへ来たとして、薬師とはまったくだとしか思えない。雲太は笑い、揺れたカワラケから酒をこぼすと、おっとっと、で手を替え残りを迎えにいった。
「おやまあ、もう酔っておいでで」
見かねて女は抜き出した布を濡れた雲太の手へあてがう。ややもすれば気づいた様子だ。おや、とその目をしばたたかせた。そこには拭えど拭えど、取れないものがある。
「ああそれは生まれた時に授かったものだ。アザだな」
そのとおり、雲太の手のひらには青黒いイゲタのような印があった。