三
ある休日、僕らは一ノ瀬姉妹と遊びに出掛けた。日時も、行き先も、まことと一ノ瀬姉妹が決めて、僕はそれに付き従う形だった。僕は行きたくない、とまことに六度伝え、それをまことに六度却下された。
「そんなに冷たくするなよ、な。俺とお前の仲じゃないか。それにみのるも絶対楽しめるから」
そう言って頑なに僕の必死の願いをあしらったのだった。
僕はまことと全然違う服を着て、そのことにまことは不服そうだった。約束の時間に間に合うぎりぎりまで着替えないようにして、まことが僕の服を見てから選べないようにしたからだった。
「どうせだったら、せめて色だけでも合わせたかったなあ。あ、みのる、ほら見ろよ、あんな風にしたかったんだって」
待ち合わせ場所の駅前の広場には既に一ノ瀬姉妹が立っていた。二人とも全く同じ服を着ていて、道行く人々を一々驚かせていた。
「こんにちは。ごめん、待ったかな」
「こんにちは。ううん、丁度良い時間。私たちもさっき着いたばかりだから。みのるくんも、こんにちは」
僕は軽く会釈だけした。今話し掛けたのは、恐らく妹のももこ。そのすぐ隣、腰の辺りで手を小さく振ったのが、恐らくは姉のさくらこだった。
「私水族館なんて何年ぶりだろう。ねえさくらこ、小学校の頃に行ったきりかなあ」
「確かそのはずよ。ももこったら、昨日は遅くまで起きていたのよ。楽しみで眠れないって言って」
「もう、そんなこと言わないでよ。いいでしょ楽しみだったんだから」
「それだけ楽しみにしてくれてたんなら良かったよ。じゃあ、行こう。もうすぐ電車の時間だから」
三人は談笑しながら改札を抜けた。僕は一人、周りの視線が気になって仕方なかった。売店の売り子も、駅員も、ホームで電車の到着を待つ客も、皆こっちを見てぎょっとしたような表情になった。それから、こそこそと話し始めるもの、慌てて目線を外すもの、四人の顔をまじまじと見比べるもの、反応はそれぞれだったけれど、僕らを奇怪な存在だと認識したのは確実だった。僕は恥ずかしくなって急に汗ばんだ。この場所にいたくない、この三人と違うところに行きたい、そう願っていたがそれを言い出せることはなくただ下を向いて三人についていった。
電車に乗っても、バスに乗っても、水族館で魚を鑑賞していても、その視線はずっと付いて回った。
「ほら、あそこ、見て。変なのが泳いでる」
「でも綺麗な色ね。あれは何ていう魚かなあ」
「ええとね、イラ、だって。変な名前ね」
「顔も変だし、名前も変だし、たまったもんじゃないな」
特に水族館では、まことと一ノ瀬姉妹がはしゃいで大きな声を出すから、僕らは余計に目立った。僕は水槽を見るふりをしながら、硝子に反射した後ろの客が僕らを指差すのをずっと観察していた。
魚は、こんな水槽に放り込まれて、見世物にされて、何も思わないのだろうか。もっと知能が発達したら、もしかしたら一斉に逃げ出すかもしれないな、と考えながら、同時に、早く出口が来ないものかと思っていた。
「みのるくん、楽しいね」
さくらこが話し掛けてきた。そこは海月ばかりが展示されている場所で、まことはももこと一緒に、その奇妙な生き物に夢中だった。
「ももこもとっても楽しそう。やっぱり水族館にして良かった」
僕も何となく頷いた。そう、こうやって好奇の目で見られるのは嫌だったけれど、まことは気にもしないで海の生き物を眺めていたから、最悪の状況ではなかった。
「でもね、私は本屋とか、図書館とかにも行きたかったなあ。ももこに反対されちゃったけれどね。そんなところじゃ、話が出来ないじゃないって。ふふ、ももこは静かにしなさいって言われても出来ないから」
さくらこは随分愉快そうに笑った。きっとももこのことが好きなんだろう。そしてそれは兄弟や姉妹という関係においてそれなりに普通の感情なんだろうと思えた。
水族館を出た僕らは、そのまま近くのハンバーガーショップに行き遅めの昼食をとった。
「ねえ、凄かったね。あんなにぶわあって、魚が泳いでるのよ、もう本当に凄かった」
「ももこちゃんはずっと口が開きっぱなしだったからなあ。まあ、俺も人のことは言えないけどさ。みのる、お前はどうだった」
僕は適当に、海月が綺麗だったと答えておいた。
「海月も、あんなふよふよしてて楽しいのかなあ。私にはちょっと理解できない生き方よね」
「楽しいとかあるのかなあ、海月も、魚も。ももこはいつだって楽しそうね。きっと魚になっても一匹だけ笑っているんじゃない」
「なんか怖いからやだ。それに、私が魚になったらさくらこだって魚になっちゃうのよ」
「ああ、それは嫌ね。手が無いと、本が捲れないから」
「さくらこちゃんは発想が変わってんなあ」
三人とも楽しそうに喋ってばかりで、僕は居心地が悪くなった。いや、ずっと居心地は悪いままだった。三人だけで十分楽しそうで、僕はまことと双子である、という以外にここにいる意味はなかったのだから、そう感じるのも当然だと思えた。
後はきっと、適当に街をぶらついて、日が暮れたら帰りの電車に乗って、この同じ顔をして同じ服を着た二人と別れることになるだろう。僕はそう思うだけで気が重くなった。それまで、後何時間あるというのだろう。せめて映画とかだったら、暗闇だから暫くは誰にも注目されないで済むのに、と思った。
「で、この後どうする?」
とまことが言った。僕はすかさず、映画はどうだろうか、と提案した。
「映画は、駄目。喋ったら怒られちゃうし、それに私、あの暗くなったところに座っていたら寝ちゃうの、ごめんね」
ももこの発言によって僕の提案はあっさりと却下された。
「だったら私、本屋に行きたいな」
「本なんていつでも買えるじゃん」
「ほら、こっちの本屋って大きいから、普段行くところじゃ売ってないのも置いてるの。ねえ、みのるくんは、どうかしら」
僕は一応肯定しておいた。映画館やプラネタリウムのように暗くて時間の潰せる場所が駄目なら、後はもうどこに行っても同じだった。
「本屋かあ、いいけど、だったら私も服、見たい」
「じゃあ、本屋を目指しつつ、適当に気になった店に入ろう。俺も行きたい店があったし、今日はショッピングだ」
まことが皆の意見をまとめて、そう宣言した。僕はただ彼らの意見に従うしかなかった。
本屋に着くまでに、こじんまりとした服屋、個人経営らしいCDショップ、海外の輸入雑貨店、扇子専門店を見て回った。服屋の店員はどこもそうなのか妙に馴れ馴れしく、
「まあまあ、そっくりさん大集合ね。へえ、皆双子なんだあ、高校生で、クラスも一緒かあ。じゃあ今日はダブル・デートってやつ?つまり、ダブルとダブルをかけたジョークね」
と失礼極まりない発言で僕の神経を逆撫でした。狭い店内でそんなことを大声で言って、一体どういうつもりなのだろう。僕らを客寄せにでもするつもりなのだろうか、と憤慨したが黙っていた。ここでそんなことを言ったとして、今更どうこうなるものでもなかったから、それに場の空気を乱したくはなかったから、僕はただ耐えた。
漸く書店に着いたとき、僕はもう疲労しきっていた。しかし、広い店内は僕にとってとても有り難いものだった。僕ら四人は自然にばらけて、だから一人でのんびりと過ごせた。誰も僕に注目はせず、誰も僕を双子だとは認識しなかった。まことは漫画雑誌を、一ノ瀬姉妹は新刊を見ていたから、僕はこっそりと文庫の並んだ本棚の前で、本を適当に手に取っていた。
「みのるくん、みのるくん」
背中を指でつつかれて、振り向くとさくらこがいた。いつの間にももこと別れてここに立っていたのか、本に集中していて気付かなかった。
「あのね、私、あれからミステリも少し読むの。みのるくんの貸してくれた本が面白かったから。でね、今日ここで、みのるくんに何か薦めてもらおうと思って。ね、良かったら、一緒に見て回りましょう」
僕は辺りを見回した。まことも、ももこも、近くにはいないようだった。他の客も、僕とさくらこに特別な視線を向けてはいなかった。僕はとりあえず安心し、さくらこと本を眺めて過ごしすことにした。
「ミステリも沢山あって、どれを読もうか迷っちゃう。みのるくんの貸してくれた人の、別の作品を今は読んでいるんだけど、他の人のも読みたいなって思ってね。ねえ、みのるくん、どれがお薦めかなあ」
さくらこは少し小声で、しかし楽しそうに話していた。僕は適当に読んだ作品を指差して、さくらこが裏表紙の粗筋を読んでいるのをぼんやりと見ていた。さくらこは僕よりずっと本に対して真摯だ、とその時感じた。僕はまことと双子であるこの世界から逃げるために本を読んでいたけれど、さくらこはもっと純粋に、文章が楽しくて読んでいるのだと思えた。何だか自分が惨めな気がして仕方なかった。
やがてさくらこは本を二冊持って、
「うん、これとこれにしようかな。みのるくん、有り難う。ふふ、家に帰って読むのが楽しみ。じゃあ次は私がお薦めを紹介しなきゃね」
と言って笑った。僕はさくらこに促されるままに男女が見つめあう表紙絵の本を一冊、購入することになった。
本屋を出た頃には、少し日が傾いていた。僕らはのろのろと歩きながら駅を目指した。その間、僕を除く三人は今日一日を振り返って楽しそうにしていた。僕といえば、彼らの後ろにつきながらただ周りの視線を無視しようと空を見ていた。雲が少なく、青に少しばかり赤みの落ちた空を、ずっと見ていた。
「みのるくん、きっとその本も気に入ってもらえるわ。何となく、私とみのるくんって好きな本が一緒だなって思えるの。だから、きっと気に入るわ。私が保証する」
知らぬ間に隣を歩いていたさくらこがそう言って、また楽しそうに微笑んだ。彼女は購入した二冊の本の入った袋を、大事そうに胸元で抱えていた。僕は右手の袋、さくらこの薦めた本がずしりと重たく感じるばかりだった。
電車に乗って、改札を出て、僕らは別れた。三人とも名残惜しそうに手を振りあっていたから、僕も合わせて手を振った。これで漸く今日が終わるという安堵が僕の体に広がっていった。
「いやあ、楽しかったな、みのる。ももこちゃんもさくらこちゃんも、楽しそうにしていてよかった。みのるも楽しかったろう?」
僕は曖昧に返事をした。肯定すればまことはこれからもこんな機会を設けようとより積極的になるだろうし、否定すればまことは悲しそうな顔をして落ち込んでしまうだろうから、僕はどんな感想も言えなかった。右手の袋が、またずしりと重くなった気がした。
そうして僕ら小野木兄弟と一ノ瀬姉妹とのデートは幕を閉じた。