役割と外見
「単に順応性の問題だと思うのよね」
芳香は、朋美のティーカップに二杯目のお茶を注ぎながら言う。
が、事実を知ってしまった朋美には、さすがにティーカップに口を付ける勇気が起きない。
「だからぁ、そんなに警戒しないでよ。そんなに重要なことなの?」
芳香の口調が少しだけ不機嫌気味に乱れる。
朋美は、険悪になりつつあるその場の雰囲気を取り繕うような笑顔を見せ、芳香の顔を見つめる。
そして、視線を芳香が手に持っているティーポットに移す。
更に視線を左にずらせば、テーブルの上に堂々と居座っている掃除機が否応にも視界に飛び込んでくる。
本体から伸びている蛇腹ホースは綺麗に巻かれ、T字型をした吸い込み口から僅かに湯気が立ちのぼっている。
「外見なんて問題じゃないよ。要は中身の問題。他の役を演じてると思えば気が楽になるでしょ。機能性に優れていれば、たとえ他の姿をしていようと、全ては丸く収まるのよ」
「でも、何で掃除機なの?」
朋美が訊ねてみたが、芳香にはまるで耳に届かなかったように、
「今夜、御飯食べてくんでしょ?」と、返してくる。
朋美は、ためらいがちに「うん」と頷く。
「ちょっと待っててね」
芳香は、立ち上がり、全自動洗濯機の前に行く。
カパッと蓋を開け、右腕を洗濯槽の中に突っ込んで何かを探っているのかと思えば、気が付けば右手に茶碗蒸しが二つ載ったお盆を持って、朋美の目の前まで運んでくる。
「なかなかいい感じにできたよ。めしあがれ」
「こ、これ……洗濯機で作ったの?」
朋美は、声とスプーンを持つ手を震わせながら訊ねる。
「そういえば!」
芳香は、ポンと手を叩くと、隅に置いてあるビデオデッキの前でしゃがみ込む。
次に芳香が振り向いたときには、両手に大きな皿一杯に飾り付けがされたピザが現れている。
「チーズがおいしそうでしょ」
芳香が得意げに言うが、朋美の顔はひきつるばかりである。
「ピンポーン!」
玄関のチャイムの音。
「ハーイ」と芳香は言って、床下収納庫の扉を開ける。
すると、そこから芳香の旦那の頭が、ひょっこりと現れる。
「こんにちは」と、旦那は丁寧に頭を下げる。
朋美も釣られるように会釈を返す。
「お風呂にしてくれ」
丹那は、言うが早いか、押入の戸を開けている。
芳香が、サッと部屋を分断するようにカーテンを閉めたが、その隙間から旦那が全裸になって押入の中に入っていったのがチラリと見える。
「いつも、ああなのよ」と、芳香は肩をすくめて言う。
「お手洗い、借りられるかしら?」
朋美は、ソワソワしながら訊ねる。
芳香は、洋服ダンスを指差し、「あそこよ」と言う。
「それがトイレ?」と、朋美は目を丸くする。
朋美は、恐る恐る洋服ダンスに近付き、一気に扉を前に開く。
タンスの中には重厚なコートやら、派手な刺しゅうが施されたジャケットやら、礼服やらが詰め込まれ、世間一般的に知られているごく普通のタンスと変わらない。
朋美は、洋服類をかき分け、タンスの中を探ってみたが、中には服以外にはジューサーミキサーが一台あっただけで、他には何も入っていない。
(このジューサーミキサーで、どうやって用を足せばいいのだろう?)
朋美は、この家に順応しようと一生懸命考えてみたが、どうにもジューサーミキサーで用を足せる手段が思い浮かばなかったので、トイレを諦めることにした。
隣の押入からは、ザバァーと湯船からお湯が溢れる音が聞こえてくる。
芳香の旦那は、確かに押入の中で入浴しているらしい。
ということは、おそらくタンスの中で用を足すこともできるに違いない。
朋美は、何だか仲間外れにされているような気分になる。
「先に食べてていいよ」
芳香は、茶碗としゃもじを持ちながら言うと、トイレと書かれたドアの向こうに入っていく。
そして、その部屋から出てくるときには、持っていた茶碗には白い御飯がてんこもりにされている。「今日も綺麗に炊けてるわ」
芳香は、つやつやの炊き立ての御飯を誇らしげにテーブルに並べていた。
(了)