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桜の帰り道、君の隣で

作者: 公康秋
掲載日:2026/05/12

新しいクラスの空気は、まだ少しだけ他人行儀だった。

窓の外では桜が揺れている。二年三組の教室には、担任の声と、机を動かす音と、初対面同士のぎこちない会話が混ざっていた。

朝倉悠真は、自分の席に座りながら小さくため息をついた。

「また知らない奴ばっかだ……」

人付き合いが苦手というわけじゃない。でも、積極的に輪の中心に入れるタイプでもない。適当に話して、適当に笑って、静かに過ごす。それが悠真の学校生活だった。

そんな中、教室の後ろ側で笑い声が聞こえた。

「白石さんって去年も学級委員やってたよね?」

「うん、でも向いてないよ。ほんと疲れるし」

「絶対ウソ!」

周りに自然と人が集まっている女子。

肩までの黒髪。柔らかい笑顔。よく通る声。

白石結衣。

去年から有名だった。明るくて、誰にでも優しくて、勉強もできる。男子からも女子からも人気があるタイプ。

悠真とは、正直住む世界が違うと思った。

だが、その日の放課後。

運命みたいなものは、案外くだらないことで始まる。

「……終わった」

教室に一人残り、数学の小テストを見つめながら悠真は机に突っ伏した。

赤点。

追試決定。

「朝倉くん?」

聞き覚えのある声に顔を上げると、結衣が教室のドアから覗いていた。

「まだいたんだ」

「……追試くらってた」

「あー、なるほど」

結衣は笑いながら近づいてくる。

「見せて」

「嫌だ恥ずい」

「いいから」

半ば強引に答案を取られた。

数秒後。

「これはひどい」

「そんな真顔で言う?」

結衣は吹き出した。

その笑い方が嫌じゃなくて、悠真は少しだけ安心した。

「ここ、公式間違えて覚えてる」

「マジか」

「教えてあげよっか」

そう言って、結衣は悠真の隣に座った。

近い。

シャンプーの甘い匂いがふわっとする。

悠真は急に落ち着かなくなった。

「……なんでそんな面倒見いいの」

「困ってる人放っとけないタイプなの」

「ヒーローかよ」

「ヒロインです」

その返しが妙に面白くて、悠真は初めて自然に笑った。

それから二人は、少しずつ話すようになった。

最初は放課後だけだった。

でも、気づけば朝の「おはよう」が当たり前になっていた。

「朝倉くん、課題やった?」

「やってない」

「また!?」

「白石見せて」

「ダメ」

そんなやり取りをするたび、周りの友達がニヤニヤし始めた。

「お前ら付き合ってんの?」

昼休み、男子にそう言われて、悠真は飲んでいた牛乳を吹きかけた。

「なっ……!」

「違う違う!」

結衣も慌てて否定する。

けれど、そのあと少しだけ気まずくなった。

放課後、帰り道。

二人並んで歩きながら、結衣がぽつりと言った。

「……なんか、否定しすぎたかも」

「え?」

「いや、別に深い意味じゃないけど」

夕焼けで赤くなっているのか、本当に照れているのか分からなかった。

悠真は急に心臓がうるさくなる。

その頃にはもう、気づいていた。

自分が結衣を好きになっていることに。

でも同時に、不安もあった。

結衣は人気者だ。

男子から告白されているところも何度か見た。

ある日、廊下で。

「白石さん、好きです。付き合ってください」

他クラスの男子が頭を下げていた。

悠真は思わず立ち止まる。

結衣は困ったように笑って、

「ごめんなさい」

と断った。

ホッとした自分に、悠真は少し嫌気が差した。

――夏。

文化祭の準備が始まった。

二年三組はお化け屋敷をやることになり、教室は毎日騒がしかった。

「朝倉くん、そこガムテープ!」

「はいはい」

「あとペンキ取って!」

「人使い荒くない?」

「頼りにしてます」

そう言って笑う結衣を見るだけで、疲れが少し軽くなった。

文化祭前日、準備は夜まで続いた。

窓の外は真っ暗で、教室には数人しか残っていない。

「ふぅ……終わったぁ」

結衣が椅子に座り込む。

悠真も隣に腰を下ろした。

「疲れたな」

「ね」

静かな教室。

いつも賑やかな結衣が、珍しくぼーっと窓の外を見ていた。

「……どうした?」

「んー?」

「元気なくね」

結衣は少し黙ってから笑った。

「朝倉くんって、意外とちゃんと見てるよね」

「意外は余計」

「ふふ」

そして、小さな声で言った。

「ちょっと怖いだけ」

「何が?」

「文化祭終わったらさ、今みたいに一緒にいられなくなる気がして」

その言葉に、悠真の胸が強く締めつけられた。

たぶん、自分だけじゃなかった。

同じ気持ちだった。

悠真は勇気を振り絞った。

「……終わっても、一緒にいればいいじゃん」

結衣が目を丸くする。

「え?」

「俺は、その……もっと一緒にいたいし」

沈黙。

心臓の音がうるさい。

逃げ出したくなる。

けれど次の瞬間。

結衣が、ふわっと笑った。

「私も」

その笑顔を見た瞬間、もう止まれなかった。

「白石、好きだ」

教室の時計の音だけが響く。

結衣はしばらく黙って、それから顔を赤くしながら言った。

「……やっと言った」

「え」

「遅いよ、ほんと」

涙が出そうなくらい嬉しそうに笑う。

「私も好き。ずっと前から」

その瞬間、世界が変わった気がした。

文化祭の日。

お化け屋敷は大成功だった。

でも悠真にとって一番印象に残ったのは、閉会後の帰り道だった。

人の少ない夜道。

結衣が小さく言う。

「……手、つなぐ?」

「お、おう」

ぎこちなく触れた指先。

でも繋いだ瞬間、結衣が嬉しそうに笑った。

「朝倉くん、手あったかい」

「白石は冷たいな」

「緊張してるから」

「実は俺も」

二人で笑った。

冬になっても、二人は変わらなかった。

放課後に寄り道して、コンビニで肉まんを分けたり。

テスト勉強しながら結局雑談ばかりしたり。

雪の日には、結衣が転びそうになって悠真の腕にしがみついてきたり。

小さな思い出が、少しずつ積み重なっていった。

そして卒業式。

桜が咲き始めた校門前。

「高校終わっちゃったね」

結衣が寂しそうに笑う。

「でも大学近いし、別に会えなくなるわけじゃないだろ」

「……うん」

悠真は制服の第二ボタンを外した。

「これ」

結衣が驚いた顔をする。

「いいの?」

「最初からお前にやるつもりだった」

結衣は大事そうにボタンを握りしめた。

そして涙目で笑う。

「ねえ悠真」

「ん?」

「これから先も、隣にいてくれる?」

悠真は迷わず答えた。

「当たり前」

春風が吹く。

舞い上がった桜の中で、結衣は高校生活で一番幸せそうに笑っていた。





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