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役立たずだと捨てたくせに今更すがられても困ります

作者: 忍者の佐藤
掲載日:2026/03/14

 


 オルレアが部屋に入った途端、腕を絡み合わせていた二人が慌てて距離を開けた。

 一人は子爵家令嬢のイザベラ。最近、この伯爵家に出入りするようになっていた。そしてもう一人は、オルレアの夫、セルゲイ・ドルゴルーコフ伯爵子息だった。


 イザベラは乱れたドレスを急いで整えると、気まずそうな愛想笑いを浮かべつつ部屋から出て行った。それを目で追った後、視線を夫に戻す。


「彼女と何をしていたのですか」

 自分で問かかけておいて辟易する。部屋に入る前、セルゲイたちの吐息交じりの甘い声を、しっかりその耳で聞いていたからだ。


「別に。ただ雑談していただけだ」


 誰が聞いても分かる嘘だった。オルレアはイザベラが来る度に注意してきた。しかしセルゲイは、まるで聞こえていないかのように無視し続けた。妻の居る屋敷でこれなのだ。外ではどうなっているか、想像も出来ない。


 昔のセルゲイはこんな人ではなかったのにと思う。元孤児のオルレアを受け入れてくれ、優しく接してくれた。

 しかし彼はある日を境に豹変した。



「私たちは婚姻関係にあります。こんなことを続けられたら困ります」

「僕に指図するな!」


 セルゲイは机を思いきり叩き、オルレアを睨みつける。

「誰のお陰で生活出来ていると思っているんだ!」


 セルゲイはまだ家督を継いでいるわけではない。ただ彼の父親が行う、領経営自体は上手くいっているようだ。ドルゴルーコフ伯爵領では凶作が続いていたが、昨年からは豊作で、税収も安定し始めていた。

 当の本人はギャンブルや夜遊びにのめり込んでいるようであるが。



「僕は君に何不自由なく生活させてきたつもりだ。元孤児の君には勿体ないくらい贅沢な生活を」

 オルレアは唇を噛んだ。その言葉を聞くのが何より辛かった。結婚する時彼は「元孤児であっても気にしない」と言っていたのに、やはり心の中では差別をしていたのだと分かってしまったからだ。


「全く、あれが出せなくなった君は本当にただの役立たずだな」

「セルゲイ様、その話はもう……」

「オルレア、君との生活はもう終わりだ。離婚しよう」



 セルゲイは大きな音を立てて扉を閉め、出て行った。後に残されたオルレアはいつまでも俯いていた。




 *****




 孤児だったオルレアが、ウィンザー男爵家の養子に迎えられたのは6歳の頃だった。ウィンザー家には既にエドモンドという9歳の子息が居た。しかし男爵夫人が「どうしても」と女児を欲しがったため、孤児院から引き取られたのだ。

 夫人が子供たちの中で彼女を選んだのは、一人だけ除け者にされており、可哀そうだと思ったからだった。



 最初は新しい環境を怖がっていたオルレアだったが、次第にウィンザー家の優しい人々に心を開くようになった。

 彼女が不思議な能力を見せるようになったのは、ちょうどその頃からだ。


「花」を咲かせるのだ。


 地上に存在する、どんな花とも異なっていた。純白の花弁豊かなその花は、まるで天国で育ったかのように幻想的だった。見る者の心を癒し、安らぎを与えてくれた。

 しかし魔力で固められただけのものであり、一週間もすればさっぱり無くなってしまう。


 ウィンザー家の人々はこの花を珍しがったが、それ以上どうしようともしなかった。強いて言えば、お祝い事やパーティーの際、オルレアの花を飾るようにしただけだ。


 オルレアはすくすくと成長し、18歳になっていた。本来なら輿入れの話が来る頃だが、彼女は輿入れどころか、社交界に出ることも出来なくなっていた。


 何処からか、彼女が元孤児であるという情報が洩れてしまっていたのだ。この国では血統が何より重視される。現在貴族令嬢だといっても、元が孤児であれば優先されるのは後者の情報だ。


 オルレアは社交界で白い目で見られ、常に陰口を囁かれた。そのため夜会や茶会に参加するのを嫌がるようになり、ただ庭で花を咲かせるだけの日々が続いた。

 そんなオルレアに家族は優しかった。


「お前が家に居たければ、ずっと居て良いんだ。俺が面倒を見てやる」


 エドモンドは胸を叩いて言った。

 義兄の優しさは嬉しい反面、気持ちは複雑だった。オルレアを理由にされ、エドモンドの縁談が何度も流れてしまったことを、彼女は知っていたからだ。


 自分のせいで義兄は結婚できない。幸せになれない。自分さえいなければ。

 その思いが彼女を締め付けた。


 オルレアに結婚の話が来たのは、そんな時だった。相手は伯爵子息のセルゲイ・ドルゴルーコフという人物。

 まさかあちらから縁談の申し込みがあるとはと、両親ともに驚いていた。


 オルレアは「私は元孤児です。よろしいのですか?」と最初の顔合わせの時に確認した。するとセルゲイは「構わないさ。僕はパーティーの時に偶然見かけた、花を咲かせる君に一目ぼれしてしまったんだ」と言ってくれた。初めて家族以外から肯定された気がして、オルレアはとても喜んだ。


 とんとん拍子で話は進んだ。結婚式ではエドモンドが泣いたように笑っていた。嬉し泣きとは少し違うように感じて、とても印象的だったのを覚えている。



 伯爵家に嫁ぎ、新たな生活を始めることとなったオルレア。このまま幸せが続くと、そう思っていた。

 しかしあるタイミングを境に、セルゲイが豹変し、離婚されることになったのは先述した通りだ。


 そして彼女は、全く予想外のタイミングでセルゲイと再会することとなった。





 *****





「ま、コーヒーでも飲みたまえ」

 久しぶりに再会したセルゲイは怖いくらいの笑顔を向けてきた。

 オルレアは首を振った。彼女はコーヒーがあまり好きではない。結局最後まで、彼は覚えてくれなかった。

「そうか、それは残念」

 セルゲイは、彼女に出したはずのコーヒーを自分で飲み干した。


「なあ、君は僕と結婚している時、急に花を出せなくなっただろう? あれはどうしてだい?」


 オルレアは質問に違和感を覚えた。少なくとも、この状況では非常に悠長だと思える。




 結婚当初、オルレアが花を咲かせることを、セルゲイは何より喜んでくれた。庭の花畑を掘り起こしてまで花を出させた程だ。

 一週間後には消えてしまうのだと説明しても、「それならまた出してくれ。ずっと君の花を見ていたいんだ」と言うのだった。

 当時、セルゲイの笑顔を見るのが何より好きだったオルレアは「彼が喜んでくれるなら」と張り切って花を出した。



 しかしオルレアはある日、ピタリと花を出せなくなってしまった。セルゲイの態度が一変したのは、このタイミングだった。




 当時、どうして出せなくなったのか、オルレアには理由が分からなかったが、今なら幾つか原因が思い当たる。

 しかしそれを今言うべきではない気がしていた。彼を刺激するべきではないと思ったからだ。


「分かりません」

 オルレアはゆっくり首を振った。

「そうか」

 セルゲイは自分の顎髭を撫でる。

「けれど君は、僕と離婚してからまた花を出せるようになったらしいじゃないか」

 声は穏やかだが、必死に怒りを押し殺したような響きがある。

 セルゲイが何を言いたいのか、そしてどうして元妻に尋問まがいのことをしているのか、段々と意図が分かって来た。


「さあ、花を出してくれないか? 僕をまた喜ばせてくれよ」

 セルゲイは何も植えられていない鉢をテーブルの上に置いた。

「出来ません」

 セルゲイの眉がぴくッと動いた。

「どうして」

 努めて優しい声で問ってくる。オルレアは繊細だ。緊迫した場面では精神が乱れ、花の形を想像することが難しい。



「そうかそうか……」

 セルゲイは明らかに苛ついていた。彼は自分を落ち着かせるかのように、一度深呼吸をする。

「もう帰らせてください。あの時あなたに言われた通り、私はただの役立たずです」

「そう自分を卑下するな」


 セルゲイはオルレアに突きつけた言葉など、とうに忘れているようだった。

「まあゆっくりしていってくれ。そうだ、コーヒーが嫌なら紅茶はどうだ?」

「飲めません」

「ほう、紅茶も嫌いだったか?」

「いいえ、あなたに手を縛られているからです」


 オルレアは震える声で言った。彼女の手首は縄で固く縛られている。


「おっと、これは失礼」

 わざとらしく両手を上げて見せる。笑っていてもセルゲイの目は血走っていた。着ているコートはよれ、靴には穴が開いている。


 彼女が連れ去られたのは、庭に出ていた一瞬だった。複数の男に拉致され、このボロボロの民家の一室……つまり今居る部屋に監禁された。

 まさか、セルゲイがならず者を雇ってまで、オルレアを奪いに来るとは誰も思っていなかったのだ。


 オルレアの肩に手が掛けられた。

「なあ、本当は花を出せるんだろう? あの時だって、僕の気を引くために『花が出せなくなった』と嘘を付いたのだろう」

「嘘ではありません。それに、嘘を付いていたのは、あなたの方ではありませんか」

 オルレアはキッとセルゲイを睨んだ。

「嘘とは?」

「あなたは私が作った花を売ってお金にしていた。あなたが私と結婚したのは……そして、こうして私を監禁しているのも、花を売ってお金にするためですよね」





 セルゲイはオルレアが出した花を貴族相手に売っていた。ありとあらゆる空想や絵画を超えてくる、美麗な白い花。世界の何処にもない、オルレアだけが作れる花。

 一週間しか持たないとう儚さも相まって、彼女の花を飾っておくことが、貴族たちの間で一種のステータスのようになっていた。

 かなりの高値で取引されていたようだ。


 勿論、花を出すには魔力を消費する。つまり花を作る程オルレアは消耗するし、無限に出せるわけではない。しかしセルゲイはオルレアの体調など全く考慮もせずに作らせ続けた。

 それどころか要求はどんどんエスカレートしていった。



 オルレアが花を出せなくなったのは、自分の花が売り物にされているという事実を知った直後だ。「自分のことを好きだと言ってくれたセルゲイが、実はお金のために結婚したのではないか」その思いが彼女の心に沈んだ時、花を作れなくなったのだ。


 花を出せなくなった彼女にセルゲイは

「花を出すしか能がないのに、花も出せなくなったらただの能無しだ」

 とまで言った。




「私を拘束しても無駄です。花は出せません。あなたの思い通りにはなりません」

「ここで出せないのなら……」

 セルゲイは強引にオルレアを立たせた。

「これから僕の家に行こう。さあ、まだ時間はたっぷりある……」




 けたたましい音が後ろから響いた。

 扉が蹴破られたのだ。

 立ち上がった熊のように大柄な男。ズカズカ入り込んでくる。


 彼を確認した瞬間、オルレアの視界が滲んだ。ずっと我慢していた涙が流れ出す。

「お義兄様!」


 義兄、エドモンドだった。

 セルゲイはあっという間に組み伏せられ、後ろから入ってきた兵士たちに拘束された。


「くっ、離せ! 男爵の分際で、伯爵子息の僕に暴力を振るって許されると思っているのか!」

 うつ伏せで手を縛られながらも、セルゲイは精いっぱいの虚勢を張る。


「そうかそうか、これは失礼した。平民殿」

「へ、平民だと!?」

「お前が放蕩を繰り返した挙句、実家を絶縁されたことくらい、とうに知っている。お前、社交界である意味有名人だぞ」


 エドモンドは顎を動かし、兵士たちにセルゲイを連れて行くよう合図を送った。


「お前らだって……ウィンザー男爵家だって花が目当てでオルレアを引き取ったのだろう! その女はそれしか能が無いのだからな!」


 連行されていくセルゲイが悔し紛れに叫んだ。オルレアの拘束を解いていたエドモンドが、鬼の形相で振り返る。

 猛突進し、セルゲイの髪を引っ掴んだ。

「それ以上俺の妹をバカにしたらこの場で花の養分にしてやる。我がウィンザー家が彼女の花を売り物にしたことなど一度も無い。花が出せなくなっても関係ない。オルレアという存在自体がは我々にとって大切で、かけがえのない家族だ」


 エドモンドの殺気の籠った声に押され、セルゲイは押し黙った。



「それに無能というのは、オルレアで稼いだ金で散々放蕩しておいて、彼女が居なくなった途端に実家から絶縁される奴のことではないのか?」

「な、何だと……?」

「お前こそオルレアが居なければ何も出来ないクズだ。それに、妻がありながら浮気をする見下げた外道に、人を批判する権利など無い」

 エドモンドは顔を突き合わせ、至近距離から睨みつけた。セルゲイの顔に脅えが宿る。

「オルレアの善意を利用して金儲けしていたお前は万死に値する。一生後悔することになるだろう」


 そこでようやくエドモンドは手を離した。

「連れて行け」



 セルゲイは何も言い返せないらしく、ずっと黙ったままだった。この後、彼は裁判にかけられることとなる。貴族令嬢を誘拐した罪は重い。








 ******






 エドモンドは、子供の頃からオルレアに好意を持っていた。今の屈強な彼の姿からはあまり想像出来ないが、昔は泣き虫で弱虫で、身体も小さい方だった。

 そんな彼が泣いていると、オルレアは決まって綺麗な白い花を出してくれた。それを見るとエドモンドの心は落ち着き、癒された。何よりオルレアの優しさが嬉しかった。


 自分より三つも年下の子が、こんなに自分のことを考えてくれている。自分も彼女を守れるほど強い男になりたいと思い、エドモンドは志願して騎士団に入団した。数年間鍛えられてきた。


 しかし義理とはいえ兄妹。自分ではオルレアを幸せに出来ないのではと思い、彼女に縁談が来た時身を引いたのだ。


 今は、全く状況が変わっている。

 オルレアは離婚して実家に戻って来た。また傷つけられるのが心配で、もう他の男に任せることなど出来ない。

 今度こそ自分の気持ちを素直に伝えようと思った。


 二人で春の庭園を歩きながら、エドモンドは一度大きく息を吸った。

「オルレア」

「レ」のところで声が裏返った。

 恥ずかしくて汗の量がだくだくと増えていく。


 振り向いた彼女は、首を傾げ、優しく微笑んでいた。彼にとって世界で一番大切で、一番可憐な花だ。

 エドモンドは心の中の気持ちを、全て吐き出すように言った。

「愛している」


 二人の周りには、得も言われぬほど幻想的な白い花が沢山咲き乱れ、そよ風に揺れていた。







 おわり

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