5_異世界へ
「いや、そんなバカな…ハウエル・フローリス博士…?」
「なんだ、知ってるなら話が早い…ナギラ・ユリはどこにいる?」
「知っているもなにも…あなたは一年前の「消息不明の七天才」事件で消息を絶った七人のうちの一人!いやしかし…博士は当時五十代だったはず!」
小津の容疑が晴れた理由はフレイヤの証言の他にもう一つある。ナギラ・ユリの消息が不明になった同日、ほぼ同じタイミングで世界中で七人の「天才」と謳われていた科学者や技術者が姿を消していたのだ。それは当時、「消息不明の七天才」事件としてマスコミ、ネット等世間を賑わせた。ユリの消息を追っていた当局も何らかの関連がある、つまり組織犯罪の可能性が濃厚ということで容疑者から外れたのだ。
当然、小津もこの七人については調べている。ユリが人工知能について全世界が注目する新進気鋭の天才という表現なら、ハウエルはその分野の世界的な権威と言っても良かった。若い頃からメディアに露出していたこともあり、検索すれば写真は多く出てくる。目の前にいる精悍な顔つきの青年は、失踪当時のではなく、若かりし頃の博士だ。
しかし小津の反応を見たハウエルは、何故か初めて意外そうな顔をした。
「おいおい…今なんて言った?一年前?」
「だから、ユリが行方不明になったのは一年前の今日だ!あんたが何者かは知らないがどこにいるのか聞きたいのは俺の方だ!今だって…!」
ふつふつと抑えていた感情が頭をもたげた。そうだ。この一年辞めようと思っていた探偵業を続けていたのはユリを探すためだ。
小津とユリの関係を知る刑事はいる。加えてある程度実績もあるのでコネと言えるだけの繋がりはある。容疑が晴れてからは情報交換を行い独自で調査はしていた。
だが日に日に希望は薄れていった。その裏にある絶望が透けて見えた時、小津は焦燥し取り繕うように、絶望の解像度を少しでも下げるように情報収集に没頭したが、そのほとんどがデマであったり、尾ひれのついた無価値なものだった。結局この一年、振り返ってみれば情報を選別しては眺めていただけでなんの手がかりも掴めなかったのだ。
そんな大事な名前を、ハウエル・フローリスの「そっくりさん」が、自分を揶揄うようにユリの名前を口にしたことに、腹が立った。
感情が昂り、拳に力が入ると、机や応接用のテーブルに置かれているペンや花瓶などの小物がガタガタと震え、宙に浮いた。
「おい、お前…」
——まずい!
慌てて我に帰るが既に遅い。しかし次の瞬間男が口にした言葉に、小津の方が耳を疑うことになる。
「馬鹿な…そんなことが…魔力の存在しないこの世界でこれほどの能力が使えるだと…?!」
「魔力?」
「オズ…そうかやはりお前、エデルニアの…偶然ではなかったか」
そういうと男は、ふはははは!と笑い出した。
「少しは説明しろ!あんたは誰で何が目的だ!?」
「お前はオズ・マモルだな?俺はヴァン・フローリス。ハウエル・フローリスは俺のひいひいひい…とにかく爺さんだ」
小津は一瞬、言葉の意味を探るのに集中する。
「はぁ?ひいひいひい…爺さん…?いやいやどう計算しても合わないだろ」
「だが事実だ」
「証拠はあるのか?」
「証拠?遺伝子プログラムにおける自我形成と補完論でも語れば良いか?」
「いや、そういうことじゃなくて…」
「本当は一年前に転移するつもりだったが、やはり時空間の不連続帯は移動が難しいな。それともあのジジイに邪魔されたか」
「時空間の不連続帯?ジジイ?」
「歴史は変えられない、結局変えられるのは未来だけということか」
(どういうことだ?何を言っている?)
眼前にいるのは、何度も写真や動画で見て目に焼き付けた若かりし頃のハウエル・フローリス博士に見える。しかし直接会ったことはないし見た目と年齢が合わない。冷静に考えれば、他人の空似であるという方が自然だ。
「だがあのジジイも万能ではない!その証拠にオレの転移術を完全に阻むことはできなかった!しかも滅亡したはずのエデルニアの王子に出会えるとは!見てろよクソ老いぼれめ!」
男はふはははは!と声高らかに笑った後「おい!」と威張りながら言った。
「こうなれば、この世界には長居無用だ。プランBに変更する」
「プランB?」
「ジジイめ、時間軸を狂わせれば目的が達成できないとでも思ったか!俺を舐めるなよ!おいお前!お前は俺と一緒に来てもらうぞ…魔導具!万物流転!」
ヴァン・フローリスと名乗った男がそう言うと、何もない空間から突然槍が現れた。
——逢魔時
夕方に差し掛かり、日が落ちてくると相手の顔が分かりづらくなる黄昏時。それは昔は相対する者を確認するために「お前は誰だ」つまり誰そ彼、と言いうことだったらしい。そして同時に人ならぬモノと対峙しやすくなる刻として逢魔時とも云われた。その言葉が脳裏によぎったのは、目の前の騒がしい男からただならぬ気配を感じたからだ。
「三又の槍?おい、そんなものどこから…」
左手の指が動いた時、机がなくなっていることに気付いた。
それどころか事務所だったはずの景色はいつの間にか漆黒の闇となっている。にも関わらずヴァンの姿だけはくっきりと見えている。
(光が感じられないのに何故?いやそれよりもこれはまずい!)
何が起こっているか理解はできないが、とにかくこのままでは良くないというシグナルが頭の中を駆け巡る。
「まさか、あんたがユリを…?!」
今までその可能性を考えていなかった自分を後悔した。もしこの男が 事件を企てる側の人間だとしたら?
だがこれはチャンスでもある。ヴァンと名乗ったこの男が首謀者、または手先だったとして着いていけばユリの居場所も突き止められるかも知れない。
「一時的にあっちの世界から魔力を共有した…まぁ転移すれば分かるさ」
ヴァンがパチンと指を鳴らすと、今度は反転するように白い景色になったが、それはすぐに両手が激しく発光しているからだということに気付く。
「てんい?おい今転移って言ったのか!?」
「あぁ?そうだよ。こっから先の展開くらいわかるだろ」
「わかるだろって…まさか…」
「あるわけないと思うか?だが考えてもみろ。世界があってお前がいる。世界はお前自身ではなく、お前がいなくても存在し続ける。しかしお前の未来は、お前のいる世界とは関係なくお前自身の中にしかない。未来とは無限の可能性であり、今とは、その無限の可能性から選ばれた「点」だ。そこから考えれば時空とは本来不連続なものであり、この刹那は無数の点の中の一つに過ぎないことがわかるだろう。俺たちは、点から点へと移り変わっている。揺蕩うようにな。連続性があると錯覚しているのは、無数の可能性の中から一番手近な点へと移っているからだ。だからお前とこの世界とを結んでいる接着剤のようなものを溶かして切り離し、未来点を強制的に少し離れたところに移動させる。それだけのことだ」
澱みなく勝手なことをいうと、ニヤリと笑って不遜な顔をこちらに向けた。態度はともかく、すでに事務所の光景はなく、暗いトンネルを落下するような感覚はヴァン・フローリスと名乗った男の言葉を説得力を増幅させる。
——小津は光に塗りつぶされるように意識を失った。




