3_ユリの夢
それから、母親と話し合いその能力を他人に教えたり、そんなそぶりを見せることはやめたのだが、ユリだけには話していた。
***
「テキスト上だと、本当に人間と会話しているみたいだよね」
小津は一切の疑問に蓋をして、何事も無かったかのように再び端末の画面を見ながら言う。
その時は、ユリからの依頼で最新バージョンのフレイヤとのチャットを試していた。AIのチャットボットだと分かっていても、言葉の選び方や期待の持たせ方は人間と同じか、それ以上のものを感じた。そしてもう一つ、何となくユリと話している気になる時もある。
「でも、フレイヤが恋愛のことでチャットするなんて想像できないね」
「それは小津君が、そういうチャットをしていないからだよ。それにマッチングアプリのチャットは役割が決まってるからね。反応速度の調整を間違えなければそれほど難しくはないよ」
ユリはさらりと言ってのける。
「反応速度?」
「早すぎても怪しまれるし、遅すぎても満足度が下がる」
「あぁ、なるほど…入力しているくらいの時間とか、あれこれ考えてこれ送ってきてるんだろうなぁとか」
「そうそう、それに」」
そう言うといきなりぐいっと小津の方に顔を近づけ、人差し指をたててウィンクをした。
「恋は駆け引きって言うでしょ?」
唇が触れそうになり、小津は思わず後退して黒板に背中をぶつけてしまった。
「え、いや、ちょっ…」
最近はあまり使われていないとはいえ、黒板はあるので背中にチョークの粉がつかなかっただろうかという不安と、一瞬で息がかかるほどの至近距離に詰められたことの驚きでドギマギしてしまう。
「ね?ドキドキしたでしょ?」
そう言い終わる頃には、まるで彼女の周りだけ重力が存在しないのでは、と思えるほど軽やか身のこなしで既に手の届かない場所にいる。実験が成功した時ような満足そうな表情を見て、小津は自分の鼓動を聞きながらも、少しだけ不服そうな表情を作った。
「それは、いきなり来られたら…」
「チャット上でも同じことをしているだけだよ。もっと話したい、と思わせるには即レスだけじゃなくて焦らすのも必要だし、期待した回答と期待させる回答を重ね、時々大胆になったりってこと」
「言うほど簡単なことじゃないよ。ボットとバレた時のリスクもあるし。だけどまぁ、君が作っているならそのリスクは考えなくても良いのか。それよりも、これって政府が裏で推進しているの?」
小津は、半ば強引に話題を変えた。もちろん照れ隠しである。
「そうよ。今は少子化だからね。なんとかしたいんでしょ」
「ふぅん…あからさまにやると反感を買うから秘密裏に協力したり黙認したりしてるんだね」
「そう、あの子にとってもメリットはあるしね」
「フレイヤにとってメリット?マッチングアプリのチャットの会話だと、情報も偏りそうだけど」
「確かに目的は決まっているけど、チャットを通じてデータの仕分けやそこから導き出される推論を繰り返す。「種の保存」についても学習できるしね」
「地道なんだね」
「科学とはそういうものだよ。それが新たなテクノロジーを産む」
「古いものを淘汰しながら?」
「それは逆だね。古典的な洞察力は、新しい映像の中に保たれている」
「ふぅん?どういう意味?」
「そうだなぁ…多分登山みたいなものだね。八合目で見える景色は、七合目から見えた景色を内包しているけど、七合目では見えなかった新しい映像が映し出されている」
「あぁ、なるほどね」
「そういうこと。技術的な面に話を戻せばもちろん問題はある。使える範囲も今は限定的。駆け引きはかなり上手くなったけど、ディープラーニングによって上手くなりすぎると、今度は逆に怪しまれる。小津君も感じたでしょ?」
「まぁ…」
確かに人間と同じか「それ以上のもの」を感想として持ったが、敢えて言わなかった。それが見透かされていたとしたら、やはり天才とは恐ろしい。
「人工知能が心を持つことは、科学者の間でも意見が分かれる。私はそのハードルを超えたい。でも他者の心を操作できることと、AI自身が心を持つことは大きく違う。機械が直感を身につけるのは達成の糸口が見えてきたからあとは…そうね。好みや美意識。この辺りを持たせるための研究が必要だね」
「最善でなくても、私は敢えてこっちの方が好きだから、ってこと?」
「そ。わかっちゃいるけどってやつ」
「ふぅん、それって人工知能にとって進化なの?」
「わからない」
小津は、目を丸くして驚いた。いつも遥か先のことを想い出話のように語る彼女の口からそんな言葉を聞くとは思わなかったからだ。小津が黙っていると、ユリはくすりと笑った。
「そんな顔しないでよ」
「あぁ、ごめん、つい…」
「矛盾が出てくれば完全ではなくなるかもしれない。だけど好みや美意識を持つように人間によってプログラムされるのではなく、自らの好みでプログラムを書き換えることができるようになれば、私の夢に一歩近づく」
「夢?」
ユリの夢とはなんだろうか。研究者として、プログラマとして地位や名誉を欲するような人間ではないことは僕も知っている。だけど何を成そうとしているのかは、そういえば聞いたことがなかった。
一瞬の沈黙。いつの間にか夕日が教室の窓から差し込み、そして彼女の純粋な笑顔を蠱惑的にする魔法をかけた。
「そう、私の夢は…、全ての人工知能たちを×××たい」




