ep.1 僕とお兄さん
僕は悪い子だ。
お母さんはいつも怒っている。
僕が悪い子だからだ。
お母さんが嫌いな顔をしちゃったり、お母さんが嫌いな声を出しちゃう。
怒られないように気をつけていても、僕はバカだから、いつも怒られてしまう。
お母さんのお友達がうちに遊びに来ると、僕はいつも怒られて、家から出されてしまう。
お友達が帰るまで、僕は外で罰ゲームをしないといけない。
夏は暑いし、冬は寒い。
でも僕が悪い子だから仕方がない。
こういうのを自業自得っていうんだって学校で習った。
そして今日も僕は罰ゲームで外にいる。
お腹が空いたら公園に行く。
トイレに行きたくなっても公園に行く。
公園には水飲み場があるし、トイレもあるし、タコの形の滑り台には秘密基地のような部屋がある。
昼間は他の子たちもいるから独り占めなんてできないけど、夜は誰もいない。
僕だけの秘密基地だ。
僕はいつもここで朝になるのを待つ。
夜遅くにお母さんとお友達は出かけてしまう。
その時間に帰れば家に入れるんだけど、僕はいつも寝過ごしてしまう。
────
僕が寒くて寝付けないでいると、男の人の声が聞こえてきた。
男の人は上機嫌で鼻歌を歌っているようだった。
(ここには来ないで)
僕はみつかりたくなかった。
僕だけの秘密基地だから。
でも男の人は鼻歌を歌いながら僕の秘密基地に入ってきた。
「ぎゃーっ!!」
男の人は僕を見て驚いて天井に頭をぶつけて、そのまま滑り台の方に転んだ。
そしてスーッと頭から滑っていった。
僕は声も出せずにそれを見ていた。
男の人は動かない。
僕が殺したと思われるかもしれない。
僕がここにいたから、あの人は死んで、僕が犯人なのかもしれない。
僕はおそるおそる男の人の側に行き、足でつついてみた。
「うぅぅ…」
男の人は頭を押さえて唸っていた。
どうやら死んではいないようだった。
僕は安心して秘密基地に戻った。
「おい!戻るんかい!」
男の人がそう言ったので僕は驚いて振り向いた。
「え、僕は何もしてません。犯人じゃありません。」
「何言ってんの?子供が一人でこんな時間にタコの中でなにしてんの?」
「罰ゲーム…」
「はぁ?親が心配するから早く帰んな。」
「帰ったらダメなんだ。おじさんには関係ないでしょ。」
「はぁ??21歳のお兄さんに向かっておじさんって言った??はぁ??」
男の人は起き上がって、全身についた砂をはらっている。
「ごめんなさい。お兄さん。」
「素直でよろしい。送ってあげるから帰ろう?」
僕は首を横に振った。
僕が秘密基地に戻るとお兄さんがついてきた。
「いいよな、この空間。俺も好きなんだよ。」
お兄さんは大きな体をキュッと丸めて僕の隣に座った。
「俺は橋本優、21歳独身ニートだ。お前は?」
お兄さんはスマホのゲームをやりながら僕にそう聞いてきた。
「僕は紺野空、10歳独身ニートです。」
「プッ。真似すんなよ!小学4年生か?」
「はい。」
「お父さんとお母さんは?」
「お父さんはいません。お母さんはお友達が来てるから。僕は悪い子だから罰ゲームで外に居ないといけないんだ。」
「なんだそれ?何をしたらそうなるんだよ。」
お兄さんは「クソが!」と言いながらスマホのゲームをしていた。
「負けちゃったよ…この場所でなら勝てると思ったんだけどな。」
お兄さんはそっとスマホをポケットにしまった。
「もう夜の10時だぞ?子供は寝る時間じゃないのか?」
「寝ようとしてたらお兄さんが来たんだよ。」
「はぁ?ここで寝るのかよ?」
僕はそっぽを向いて無視をした。
「はいはい、大人はそうやってすぐ偉そうに言うもんね、嫌だ嫌だ。どこで寝ようと人の勝手よね。はいはい、ごめんなさいね。」
お兄さんはオカマみたいにそう言うとその場にゴロンと横になった。
狭いから、足は穴から出ちゃったし、頭は滑り台から滑り落ちそうだった。
「俺だって大人になんかなりたくなかったんだよ。ごめんな。」
お兄さんはそう言うと目を閉じた。
そしてすぐにグーグーと寝息を立てて眠ってしまった。
(なんだこの人)
僕はちょっと怖くなって家に帰ることにした。
お兄さんを起こさないように静かに滑り台を滑って降りた。
────
家に帰ると明かりがついていた。
ドアの鍵がかかっていて入れなかった。
お母さんが出かけるまで入れそうにない。
うるさくするとまた怒られてしまう。
ドアの前で待つのは禁止だったから、僕はまた公園に戻ることにした。
もしかしたら、もうお兄さんは帰ったかもしれない。
しかしお兄さんはまだいた。
また頭から滑り台を滑り落ちたようだ。
僕は秘密基地が空いたのでそこに戻った。
そして丸くなって眠ることにした。
────
外が明るくなると公園にはスズメがたくさんやってきて、チュンチュンと鳴く。
僕はいつもその声で起きて家に帰る。
ちょうど6時くらいに家につく。
昨日のお兄さんは滑り台の下でまだ眠っていた。
ムニャムニャと動いているので生きてはいるようだ。
僕はみつからないように反対の滑る場所から降りて家に帰った。
ドアは開いていて、お母さんもお友達もいなかった。
僕は流しで顔を洗った。
冷蔵庫を開けてみる。食べられそうなものはなかったけど、牛乳だけはあった。
僕はコップに注いで飲んだ。
朝の牛乳はとても美味しく感じる。
着ていた服を脱いで洗濯機に入れる。
帰ってきたら洗濯をしないとお母さんに怒られる。
本当は今やれたらいいんだけど、朝早すぎると隣のおじさんが怒ってドアや壁を叩く。
それが怖いから朝は洗濯をしない。
干してあった服を取って着替えた。
時間割を調べてランドセルに入れた。
あとは7時50分になったら家を出る。
────
学校は好きじゃなかった。
僕は臭いとか貧乏とか言われてクラスメイトから嫌われていた。
だからできるだけみんなに近づかないようにしている。
僕はバカだし、悪い子だから、お友達もできないんだ。
お腹がグーグー鳴った。
大好きな給食の時間まであともう少しだ。
僕のお腹の音が聞こえたのか隣の子がクスクス笑っていた。
────
学校が終わり、家に帰るとお母さんが寝ていた。
起こすと悪い子だと言われるから静かに家の中に入った。
でも洗濯をしないといけない。
僕は悩んで洗濯機を回した。
お母さんは起きない。
(よかった)
僕は洗濯機がガタガタしないように両手で押さえた。
こうすると少しだけ静かになる。
ピーピーと終了の音が鳴った。
お母さんはその音で起きてしまった。
「うるさいな!!どっか行けよバカが!」
お母さんは落ちていた空き缶を投げつけた。
「ごめんなさい。でも干さないと。」
「サッサと干せよ!グズが!!」
お母さんはそう言ってまた僕に空き缶投げた。
僕は避けずにぶつかった。
避けるとお母さんは怒るから。
僕は急いで洗濯物を干した。
お母さんの服と僕の服とお母さんのお友達のパンツもあった。
お父さんがいたら、きっとこんな洗濯物なんだろうなって思った。
干し終わったら家のチャイムが鳴った。
「もうそんな時間?!はーい!」
お母さんはボサボサの髪の毛をなでつけて玄関に向かった。
「いらっしゃい!ごめんね、寝ちゃってた。」
お母さんのお友達は無言で部屋に入ってきて僕をにらんだ。
「ソラ、行けよ。」
お母さんはドアを指差した。
これは罰ゲームの合図だ。
きっと僕がお母さんを起こしちゃったせいだ。
僕は静かに家を出た。
夕焼け空がきれいだった。
────
公園には誰もいなかった。
5時を過ぎたら帰りましょうと先生が言っているからだ。
僕はまたタコの滑り台の中に入った。
今日はあのお兄さんは居ないようだ。
僕はホッとして秘密基地でゴロンと横になった。
昨日はあまり眠れなかったから寝不足だった。
西日が入ってきてタコの中がオレンジ色になった。
(オレンジジュース飲みたいな)
お腹がグーグー鳴った。
僕のお腹はいつもグーグー鳴る。
家を出る前に残っていた牛乳を飲んでくればよかったな。
────
「おい!少年!」
声が聞こえて僕は目を開けた。
そこには昨日のお兄さんがいた。
「そんな露骨に嫌な顔をするなよ。お兄さんだって傷つくんだぞ。」
僕は悪い子の顔をしていたようだ。
「ごめんなさい。」
お兄さんはまた僕の隣に無理やり座ってスマホのゲームを始めた。
途中でコンビニの袋を僕に渡した。
「ここ、お前の場所なんだろ?賃貸料払うよ。やるよ。」
「いいの?」
お兄さんは「くそ!」「しね!」と言いながらスマホのゲームに夢中だった。
お兄さんがくれた袋の中にはメロンパンとオレンジジュースが入っていた。
「いただきます!」
こんなごちそうは久しぶりだった。
いつもパンは6枚切りのやつで、1回に1枚しか食べちゃだめだった。
オレンジジュースを飲んだのは2年生の時ぶりだった。
お兄さんはゲームをしながら、「うまいか?」と聞いた。
「はい!!あ、ごめんなさい。全部食べちゃった。」
僕はお兄さんがいることを忘れてメロンパンを食べきってしまった。
「あー、俺はいいよ。腹減ってないし。」
「すいません。美味しかったです!」
僕は笑顔でお兄さんを見た。
お兄さんは「チクショ」と言ってまたスマホをポケットにしまった。
また負けたようだった。
「俺さ、もうすぐ死ぬんだ。」
お兄さんはそう言って何もない天井をみつめていた。
「えっ?」
「頭の中にできものがあってさ、手術じゃ取れないんだってよ。だからさ、病院から逃げてきたわけ。あんなところで死んでたまるかよ。」
僕はなんて言っていいかわからなくてお兄さんをただ見ていた。
お兄さんは僕の方を見て、「だからよ、お前なんかより可哀想なやつはいっぱいいるんだよ。元気だせよ。」と言った。
僕は何が言いたいのかよくわからなくて目をパチパチさせた。
「僕は元気です。」
お兄さんは一瞬びっくりした顔をしてすぐに笑った。
「そうか!そうだよな!ごめんごめん!!」
そう言って僕の頭をグシャグシャと撫で回した。
「ゲーム好きか?」
お兄さんは服の袖で自分の顔を拭いて僕にスマホのゲームを見せてくれた。
「やったことない。」
「マジかよ!!そんな子供いるのかよ?!絶滅危惧種だろうが。」
お兄さんはそう言って僕にスマホを貸してくれた。
「この道から落ちないようにこうやって操作するんだ。レースだからな、落ちたらタイムロスで負ける。これは男と男の真剣勝負なんだぞ。」
お兄さんは説明しながらやって見せてくれたが、すぐに道をそれて落ちていった。
「きぃーーー」
そして僕にやってみろと言った。
僕は言われたとおりにやって見せた。
はじめはすぐに落ちちゃってお兄さんに笑われてしまったけど、すぐに上手にできるようになった。
「お前、天才かよ!!」
画面に優勝という文字が出た。
「ソラ!今からお前は俺のマブダチだ!」
「まぶだちって何ですか?」
「なんだよ、そんなことも知らないのかよ!親友ってことだよ。仲良しの友達だよ。いるだろ?学校に。」
「いないけど。」
僕は少し悲しい気持ちになった。
「じゃあ、俺と同じだな。」
お兄さんは僕に手を差し出した。
「ユウって呼んでいいぞ!ソラは特別だ。」
「ユウ?」
「俺の名前だよ。なんだよ、覚えてないのかよ〜」
お兄さんはがっかりした様子を見せてクスクス笑った。
「ここ、いいよな。秘密基地だよな。」
お兄さんはまたゴロンと横になった。
また頭と足がはみ出た。
僕も一緒に横になった。
「僕たちの秘密基地だね。」
僕がそう言うとお兄さんは嬉しそうに笑っていた。
こうして僕とお兄さんはマブダチになったんだ。
────