のほほん様は今日ものほほん
のほほん様は今日ものほほん。
にこにこ優しい笑顔の奥で
じっと『ホント』を見つめてる。
周囲を大国に囲まれた山間の小さな国に、国民から『のほほん様』と呼ばれる王様がおりました。のほほん様はいつものほほんとして、にこにこ笑って日々を過ごしておりました。のほほん様の治める国は小さな国です。国民と王様の距離は近く、のほほん様はしょっちゅうお城を抜け出しては、どろんこになって畑仕事を手伝ったり、忙しい店主の代わりに店番を買って出たり、子供たちと一緒にお昼ご飯を食べたりして、
「今日も、ほんに良い日であった」
と言ってのほほんと笑うのです。国民たちはそんな王様にちょっぴり呆れたりしながら、親しみを込めて『のほほん様』と呼ぶのでした。
のほほん様には、とってもお似合いのお妃さまと、優しくて賢いお子様がいらっしゃいます。お妃さまはのほほん様とは対照的な、てきぱきサバサバカラッとした性格で、国民からとても好かれておりました。お子様は父の優しさと母の聡明さを受け継ぎ、皆から慕われる王子さまでした。三人は互いに協力し合いながら、平和に国を治めておりました。
ある日、いつものように町の人たちに遊んでもらったのほほん様は、帰り道で一人の娘と出会いました。薄汚れた服を着て、裸足で道端に座り込み、ぼんやりと虚ろな瞳をしています。道行く人々は彼女のことがまるで見えていないかのように、足早に通り過ぎていきます。のほほん様は娘の傍に近付くと、しゃがんで目の高さを合わせました。
「ほいっ」
そう言ってのほほん様は娘に右の手のひらを差し出しました。しかしその手のひらの上にはなにもありません。娘は少し首を動かしてぼんやりとのほほん様の手のひらを見つめます。のほほん様は娘が何も乗っていない手のひらを見たことを確認すると、ぎゅっと握って、
「むむむむむっ!」
と気合を入れました。娘はぼうっとその様子を見て――いるのかどうかも分からない、すべてを諦めたような、疲れ切った目をしています。やがてのほほん様は「えぇいっ!」と気合の声を上げると、強く握っていた右手を開きました。するとどうでしょう。何もなかったはずの右手にいつの間にか、可愛らしい包装紙に包まれたチョコレートが乗っていました。娘は無反応にのほほん様の手のひらを見つめています。のほほん様はチョコレートの包装紙を解くと、にこにこ笑って言いました。
「はい、あーん」
娘はひどくゆっくりした動作で顔を上げ、のほほん様をぼんやりと見つめます。のほほん様はもう一度言いました。
「あーん」
どうやればいいのかを教えてあげるようにのほほん様は自分の口を開けました。釣られてしまったのでしょう、娘も小さく口を開きます。のほほん様は素早くチョコレートを親指で弾いて娘の口に放り込みました。少し驚いたように目を見開き、娘は口を閉じます。娘はもぐもぐと噛んで飲み込み――不意にうつむいて泣き始めました。声もなくあふれた涙は止まることなく流れ続け、娘は大きな声を上げて泣きました。ようやく心を思い出したように。
「ご両親は?」
泣き止んだ娘に、のほほん様は優しく尋ねました。娘は首を横に振ります。
「親戚や、頼る大人はおるかな?」
娘は再び首を横に振りました。どうやら娘は天涯孤独で、遠い場所から流れてきた異国人のようでした。そうか、とうなずき、のほほん様は真剣な顔を作りました。
「さっきあげたチョコレートな。あれは普通のチョコレートではない」
娘は不思議そうな表情を浮かべます。のほほん様はさも特別な秘密を明かそうとしているかのように言いました。
「幸せのチョコレートじゃ」
娘は不審げに眉を寄せます。のほほん様はにっこりと笑いました。
「すごいぞぅ。幸せのチョコレートを食べたからには、おぬしの未来はもう幸せしか起こらん。悲しいも苦しいも裸足で逃げ出すんじゃ!」
かかか、と笑っているのほほん様にちょっぴり呆れた様子で娘は目を伏せます。笑いを収め、のほほん様は聞きました。
「信じられんか?」
娘は小さくうなずきます。そうか、と笑って、のほほん様は娘に手を差し伸べました。
「ほいじゃ、一緒に行こう。ワシが嘘を吐いているかどうか、おぬし自身で確かめたらよい」
娘はぼんやりと差し出された手を見つめました。「ほれ」とのほほん様が娘を促します。ためらう、というよりは、どこか幻を見ているような表情で、娘はじっと動かずにいましたが、やがてゆっくりと手を持ち上げ、のほほん様の手を取りました。
こんなふうに、のほほん様は行くあてのない人を見かけるとすぐにお城へ連れて帰りました。お城に迎えられた人々はそこでしばらく暮らし、その後はお城を出る者もいればお城で働き始める者もいました。お城にいる執事もメイドも兵士も官僚たちも、その半分以上がのほほん様に拾われた者たちでした。娘もお城で働きながら、少しずつ元気を取り戻していきました。
しばらくの時がたち、王子様はすっかりお年頃になりました。娘もまた、その優秀さが認められ、大臣の下で官僚として働いていました。
ある日のこと、娘が財務関係書類を確認していると、書かれている内容がおかしいことに気が付きました。
「これは……計算間違い?」
とある地方のとある領主が提出した納税書類が、その年に収穫された穀物の収量の統計書類と一致しないのです。もっともその差は誤差と言っていい範囲に収まっていて、とりたてて騒ぐほどのこともありません。ただ、気になるのはその誤差の原因です。たとえば端数を四捨五入すべきところを切り捨てた、あるいは経費の算入を忘れた、など、どのようなことをしたらその誤差が出るのかが分かれば納得もできます。でもこの誤差はどういう間違いによって起こったのか、結果からまるで想像することができませんでした。胸がざわつくような、ひどく落ち着かない感じがします。娘は書類を手に取り、意を決したようにつぶやきました。
「調べてみよう。心配しすぎかもしれないけれど、そうだったらそれでいいわ」
娘は穀物収量の統計資料の基になった、個々の収量記録を調べ始めます。しかし彼女の仕事は他にもたくさんあり、調査だけにかまけているわけにはいきません。娘は朝から定時までは通常業務をこなし、夜に調査をすることにしました。連日深夜まで調査をするため、財務局の部屋は真夜中まで煌々と灯りがともされていました。
「まだ誰かいるのか?」
真夜中にまで灯りが見えることに気付いて、王子さまは財務局の部屋を訪れます。するとどうでしょう、自分とそれほど年の変わらない娘が、一生懸命大量の書類と格闘しているではありませんか。彼女以外に働いている者はほかにいません。王子様は心配になり、娘に声を掛けました。
「日が沈んでずいぶん経つ。もう帰ったほうがいいのではないか?」
娘は書類から目を離さずに答えます。
「いいえ、一刻も早く調べないと」
使命感に燃える彼女の様子に、王子様は「ふむ」と腕を組むと、娘の隣の椅子に座り、まだ手付かずの書類を手に取りました。
「手伝おう。何を見ればいい?」
娘はびっくりした顔で王子様のほうを見ると、一瞬固まり、
「きゃあ!」
と声を上げて慌てたように頭を下げました。
「申し訳ございません殿下! とんでもないご無礼を!」
必死に謝る娘に向かって「よいよい」と苦笑すると、王子様は再度「何を調べるのだ?」と聞きました。娘は言いよどみ、しばし考えた後、納税記録と統計資料に差があることを王子様に説明しました。もし納税が適切に行われていないとすれば、それは地方領主が税をごまかしているのかもしれません。王子様は「由々しきことだな」と顔をしかめると、手に取った書類を調べ始めます。娘は王子様に書類の調査ができるのかとはらはらしながら見ていましたが、その心配はどうやら杞憂でした。王子様の調査はとても的確で、娘と王子様は協力して調査を進めていきました。
膨大な資料を、娘と王子様は毎夜、協力して調べました。娘に通常業務があるように、王子様にもお昼には為すべき公務があり、王子様が娘を手伝えるのは日が落ちてからしかありませんでした。また、娘が自分の仕事を王子様に手伝わせている、という悪評が立つことを恐れていたのでしょう、王子様はやけにこそこそと財務局にやってきました。心強い味方を得て、娘はますます仕事に励みます。そして、一か月の時が経ち――
「……見つけた」
娘はついに、決定的な証拠を見つけました。統計の基になった穀物の地域別の収量記録に改ざんの形跡を見つけたのです。この地方領主は、実際の穀物の収量を低く申告して納税額を不当に低く見せかけ、実際の納税額との差分を自分の懐に入れていたのです。この証拠があれば、領主を告発して裁判にかけることができるはずです。
「よくやってくれた」
王子様は娘に微笑みかけます。
「あなたの力がなければ、不正が明らかになることはなかった。この国を代表して感謝します」
「いいえ、殿下のお力があればこそ、です。私一人ではあの山積みの資料を前に途方に暮れていたでしょう。それに……」
娘はわずかに言いよどむと、はにかむように笑いました。
「……殿下と共に働くことができて、楽しゅうございました」
王子様は驚いたように目を丸くし、その頬には少しだけ朱が差しました。
それから、王子様はしばしば何かと理由をつけて財務局を訪れては、彼女と話をするようになりました。税の在り方、その使い道、この国の未来――聡明な彼女と意見を交わすことを王子様は楽しみにしているようでした。彼女もまた、王子様の理知的な振る舞いを好ましく思っているようでした。幾つかの季節が廻り――いつしか二人は互いを想い合うようになっていました。そんなある日、お城に一つの告発状が届きます。
この国の王子は魔女にたぶらかされている
のほほん様はすぐさま主要な臣下を集め、そして王子様と娘を会議室に呼びました。
「さて」
会議室にはのほほん様とお妃さま、この国を守る三人の将軍、そして大臣たちが並んで座り、のほほん様の正面に王子様と娘がいます。娘は蒼白な顔をしてかすかに震えていました。進行役の宰相があまり感情のない声音で冷静に告げます。
「皆さんもすでにご存じのことと思いますが、先日、隣国より使者が参りまして、告発状なるものを置いていきました。その内容は、王子が魔女にたぶらかされている、というもの。魔女は人類の敵であるとして、我が国に魔女の引き渡しを要求してきました。もし魔女を引き渡さなければ我が国を神に背く悪魔の国と認定し、攻め滅ぼすと。今日はそのことについて対応を協議したいと存じます」
娘の身体がびくっと震えます。王子様は対照的に胸を張って堂々としていました。のほほん様は娘を見据え、口を開きました。
「まずは確認をさせておくれ。君は本当に、魔女なのかね?」
娘は固く目を閉じ、うつむいてスカートを握ります。のほほん様は答えを促しました。
「どうかね?」
娘の肩が震えました。泣いている――皆がそう思ったとき、奇妙な声が会議室に響き渡りました。
――ははは
娘は可笑しそうに、顔を上げて笑い始めました。さっきまで蒼い顔をしていたのが嘘のように、大きな声を上げて笑います。ひとしきり笑った後、娘は憎らしげにのほほん様をにらみつけました。
「もう少しでこの国を手に入れることができたというのに、こんなところで正体が発覚するとはな。まったく口惜しいことだ」
娘の顔が醜悪にゆがみます。
「確かに私は魔女だ。魅了の魔法で王子をたぶらかし、この国を乗っ取って思いのままに操ろうとしていた、魔女だ!」
王子に惹かれたふりをして、愛しているという演技をして、皆を騙してようやく王太子妃の地位に手が届くはずだったのに、と娘は悪びれもせず言い放ちました。のほほん様や他の皆は黙って彼女の言葉を聞いています。何も反応を返さない皆の様子に焦りを浮かべて、娘は殊更に大きな声を上げました。
「何も気付かず、私に優しく話しかけるお前たちを、ずっと心中で嗤っていた! この愚か者どもめが! やがて私に地位を追われることも知らずに、とな! ああ、何とも残念だ! この国の頂から見る景色を見ることが叶わなかったのだからな!」
挑発的に、憎しみを煽るように、娘は笑います。お妃さまは王子様に視線を向けると、静かに問いかけました。
「王子よ。お前は彼女に魔法を掛けられ、愛を錯覚しておったのか?」
王子様はわずかに怒りの色を浮かべてお妃さまに答えます。
「見くびらないでいただきたい。魔法ごときに我が心は変えられぬ。私が見て、私が信じた。私は私の意志によって彼女を愛したのだ」
「だから、それは、そう思い込むように魔法で」
娘は慌てたように王子様の言葉を否定します。しかし王子様はまるで動じることもありませんでした。他の誰も、娘を責めることも罵ることもしてはくれません。娘は唇を噛むと、素早く王子様の腰のベルトに吊られていた短剣を抜いてのほほん様にその切っ先を向けました。
「度し難い馬鹿者よ! お前たちは皆、国を率いるに足らぬ愚者ばかりよ! ならば私がこの短剣でお前たちの心臓を抉り、自らこの国の王となろうぞ!」
娘は机を乗り越え、のほほん様の目の前まで近づくと、短剣を突き出します。のほほん様は表情を動かすこともなく、のほほんと座ったままでした。お妃さまも、三将軍も、居並ぶ大臣たちも、衛兵ですら、ピクリとも動く様子はありません。娘の持つ短剣の切っ先がのほほん様の胸に触れるか触れないか、というところで止まりました。娘は目を見開き、浅く早い呼吸を繰り返していました。のほほん様に突きつけた短剣を持つ手が震えています。のほほん様は娘をじっと見つめました。
「ワシらはな」
穏やかな声でのほほん様は言います。
「君が誰かを傷つけるような娘でないことを知っておるよ」
娘の目から涙があふれ、その手に持っていた短剣がカランと音を立てて床に落ちました。
娘は泣きながら、ぽつりぽつりと、自らの過去を語りました。彼女の故郷は隣国の森の中にある小さな村で、そこには薬草にも毒草にも詳しい薬師が多く住んでいました。毒を知らねばそれを治療する薬を作ることはできません。毒を知ることは薬を知ること。彼女の村に住む薬師たちは、処方した薬がまるで魔法のように病を癒すことから『魔女』と呼ばれ、頼りにされながら怖れられてもいました。彼女も両親から薬と毒の知識を学び、平和に暮らしていたといいます。
ところがある日、彼女の村は突然にその国の王に滅ぼされてしまいました。『魔女』は神に背き悪魔を崇拝する背信者だというのです。弁明の機会すら与えられず、大勢の兵に囲まれて彼女の村は炎に包まれました。両親に密かに逃がされ、彼女は暗い夜の道を何日も必死で駆けて、国境を越えてのほほん様の国に来たのです。見知らぬ国に一人、あてもなくさまよい、もう力尽きて座り込んでいた彼女に、あの日、声を掛けたのがのほほん様でした。
「隣国の王は『魔女』の生き残りがいると知って探していたのでしょう。私がここにいれば、この国は隣国に攻め込まれてしまう。あの王は『魔女』の存在を決して許しはしない」
「だから、あんな心にもないことを言ったのね?」
お妃さまの問いに娘はうなずきました。私は魔女だと、皆を騙していたのだと言えば、彼女は捕まり、隣国に差し出されると考えたのです。それこそが、自分を受け入れてくれたこの国のために、大切な皆のためにできる、一番良い方法なのだと。
「……私は、夢を見たのです。『魔女』である私が、幸せになる夢を。皆さまと一緒に笑って生きていける、そんな不相応な夢を」
お妃さまは娘を抱きしめ、その背を撫でました。娘の目から再び涙があふれます。娘の健気さに三将軍の一人が滂沱の涙を流しました。
「ワシと最初に会った日を憶えておるかね?」
のほほん様は優しげに微笑みます。娘はうなずきを返しました。
「あの日、あの時の時点で、君は一生分の悲しみと苦しみを使い切っておるのじゃよ。言ったじゃろ? 未来はもう幸せなことしか起こらんとな」
お妃さまは娘を抱きしめる腕に力を籠めます。
「夢ではないのよ。幸せは、夢ではない。あなたはこれからもっともっと幸せになる」
その言葉を聞いて、娘はお妃さまの胸に縋り、大きな声を上げて子供のように泣いたのでした。
「隣国に返事をせねばなりませんな」
宰相が変わらず冷静な声で言いました。娘は涙を拭い、お妃さまが彼女に寄り添っています。のほほん様は三将軍に意見を求めました。
「我が娘を差し出さねばこの国を攻め滅ぼすと隣国は申しておるが、どう思うか」
「極めて不愉快ですな」
娘に同情してさっきまで泣いていた将軍が憤りを隠そうともせずに言いました。
「戦となれば敵は十万の兵をもって攻め寄せるであろう」
「何ほどのこともございますまい」
目を閉じたまま、腕を組んでもう一人の将軍が答えます。
「こちらの兵は千五百ほど」
「一人で百人を相手にすれば釣りが来ますな」
最後の一人が事も無げに返答します。三将軍の答えに、大臣も宰相も、誰も異議を唱える者はいませんでした。誰もが当然のようにうなずいています。娘は思わず声を上げました。
「お待ちください! 十万の兵に千五百の兵で立ち向かうなど無理でございます!」
娘は自分自身を諦めたように笑います。
「もう、充分です。皆さまに出会った。幸せになれると言ってくださった。それで充分。皆さまを危険に晒してまで生きることはできません。私は――」
「貴女は勘違いをしておられる」
娘の言葉を遮り、王子様が声を上げます。娘は王子様を見上げました。
「我らは貴女を守るため死を覚悟で戦に臨もうとしているわけではないのです」
王子様は娘の前に進み出ると、その手を取って娘の瞳をのぞき込みました。
「我らは、生きようとしています。貴女と共に」
娘は大きく目を見開きました。お妃さまは微笑んでうなずきます。
「大丈夫。大国に囲まれたこの国がずっと独立を保ってきたのは、決してただの偶然ではないのよ?」
娘は皆を見まわしました。誰もが微笑み、うなずきを返します。またもボロボロと泣いていた三将軍の一人が慌てて涙を拭い、胸を張って言いました。
「我らは、勝つつもりです。王太子妃殿下」
故郷を滅ぼされ、独りになりました。見知らぬ土地で、誰からも顧みられぬ道端で、このまま死んでしまうのだろうと思っていました。のほほん様と出会い、お城に迎えられてからもずっと、娘は不安でした。役に立たなければ、迷惑を掛けたら、この国の人間でもない自分はきっと見捨てられてしまう。でも違いました。違ったのです。いつの間にかここが、この人たちが、彼女の故郷になっていたのです。止まったはずの涙がまたあふれ出しました。お妃さまは娘の肩を抱き寄せます。将軍が彼女を『王太子妃殿下』と呼んだことに気付いて、王子様が照れたように顔をほころばせました。
のほほん様は満足そうにうなずくと、宰相に向かって言いました。
「では、隣国にはこう返事をすることにしよう。我が国にはそちらに差し出す魔女などおらぬ。攻め寄せるなら止めはせぬが、その時は――」
のほほん様の目にギラリと鋭い光がかすめます。
「――その首、獲られる覚悟で来い、とな」
隣国への返答の手紙は、のほほん様が言った内容を踏まえつつその百倍ほどの罵詈雑言を流麗で詩的な文章に整えた宰相の手によってしたためられ、正式な使者によって届けられました。それに激怒した隣国の王はすぐさま十万の兵を率いて自ら国境を越えます。ところが――
「か、勝てるはずがない」
隣国の王は陣幕の中で、真っ青な顔で呆然と座っていました。王の許には次々と前線からの報告が届けられています。報告はそのどれもが、部隊の潰走を告げるものでした。
――悪鬼のごとき大男が大剣を振るうと一度に百の兵が吹き散らされ
――槍の一突きが大岩を穿ち、その裏側に隠れた兵までことごとく
――矢が雨のように降り注ぎ、近付く暇もなく
十万の兵がいれば、このような小国などあっという間に滅ぼすことができると思っていました。しかしそれは誤りだったのです。十万対千五百、どころの話ではありません。戦場から届く報告はたった三人の敵の情報ばかりで埋め尽くされていました。十万の兵は小国のたった三人の将軍に為すすべなく敗れているのです。
「こんな化け物に、勝てるはずがない――」
間近で聞こえる剣戟の音に隣国の王はハッと我に返りました。陣幕が引き裂かれ、三人の男が堂々と王の前に進み出ます。一人の男が眠たそうな顔で言いました。
「お初にお目にかかる。ここは戦場ゆえ、無作法はご容赦願おう」
別の一人が不敵な笑みで言葉を続けます。
「我ら、国王陛下にご提案あって参った次第」
最後の、頬に涙の跡のある男が鋭い眼差しで王に大剣の切っ先を突き付けました。
「今、ここで選べ。兵を引くか、ここで人生の幕を下ろすのかを」
隣国の王はすぐに兵を引くことを確約し、一目散に自分の国へと帰っていきました。
――王太子殿下、万歳!
――王太子妃様、万歳!
お城の前の大通りを、儀礼用の装束姿の凛々しい王子様と、純白のドレスに身を包んだ娘が並んで歩いています。国民は沿道から歓喜の声を上げて手に持った国旗を振っています。籠に入れた花弁がまかれて宙を舞い、二人の未来を祝福していました。王子様と娘は嬉しそうに笑い、国民に手を振って応えています。今日は二人の結婚式です。
お城のバルコニーからのほほん様はお妃さまと一緒に、幸せそうな二人の様子を見ていました。二人は、そしてこの国の未来はきっと幸せだと、その確信を得て、お妃さまと顔を見合わせ、のほほん様はのほほんと笑います。
「今日も、ほんに良い日であった」
周囲を大国に囲まれた山間の小さな国に、国民から『のほほん様』と呼ばれる王様がおりました。のほほん様はいつものほほんとして、にこにこと笑っていて、国民からとても慕われておりました。のほほん様の治める国は、誰もが悲しみも苦しみも乗り越えてのほほんと生きていけるように、のほほん様が作り上げた国。今日ものほほん様はこっそりとお城を抜け出して自分の国をめぐり、悲しみや苦しみに押しつぶされそうな人たちに手を差し伸べます。
「ほれ、このチョコレートは実は、『幸せのチョコレート』と言ってな――」




