〜異世界に迷い込んだが、正直何をしていいのか?〜
『夜空に輝く満天の星』
それは、人々の生活を暗示しているようだった。
「綺麗だなぁ……」
そうやって、僕は毎日夜空を見上げる。
そうすると、悩みや心配事が小さいことのように思える。
『星から届く光って、すごく昔から宇宙を旅してきた光なんだって』
こんなことを誰かが言っていた。
星だって、生きているんだ。そして、死ぬ。
それは、人間も同じ。
儚く、美しい命―。
たった一つの星が―。たった一人の人間が―。
『生きている』
その世界で僕が生きた証を残そう。
これは、僕が主人公の僕の物語だ。
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今日は嵐みたいな天気だ。外では、暴風が吹き荒れ、雷鳴が轟いている。学校も休みになった。
窓に雨粒が矢のように叩きつけていて、窓の縁ががたがた言っている。
陽光がこれっぽっちも差さない暗い日。
僕は窓のカーテンを開けて外を見てみるが、天から落ちてくる水の矢と、灰色というか黒色というかの雲が空を所狭しと覆っていた。光が全く無いなぁと思い、気分も少し暗くなる。こんな黒い空をかつて見たことがあっただろうか。記憶も無いので思い出せない。
そういえば、昨日は変な夢を見たなぁと思いながら、夢の中での出来事を頭の中で反芻する。
僕は謎の奴と夢の中で会話をしていた。僕は暗くて静かな空間に立って、なぜか分からないけれど、涙をぽろぽろと流していたのだった。
なんで君はいつもそんな自分の心に穴が空いてしまったっていう顔をしてるんだい?
その謎の奴が僕に聞いた。
―そんなこと聞くなよ。
僕は拗ねたように言った。少し泣き顔になっているせいか声が途切れ途切れになっていたかもしれない。
君はいつも輝きを失ってしまった星のような顔をしているね。
―いいや、僕はそんなはずはない。というかどういう例えだよ、それ。
君はブラックホールに吸い込まれる直前の状態みたい。
―なんだよ、その言い方。意味が分からないな。
生きているのに死んでいる。そんな表現をよくみんなは使う。だけど、君は生きたいと思うことを上手くできていないようだよ。
―僕だって、そのくらい…。簡単にできるさ。それになんだよ君は。僕のことを全て知っているみたいに話すなよ。
まったく君は…。不思議な子だね。
―いつもと同じだよ。それに僕は至って普通だ。
本当にそう思っているかい?君は本当は―。
―もう僕に関わるな!お願いだからほっておいてくれよ!どいつもこいつも…。うるさいんだよ。周りは良いよな。僕とは違って僕みたいな惨めな奴を笑ってるんだから。僕はお前みたいな奴が一番嫌いなんだよ!
僕はその謎の奴の言葉を遮り、そう叫ぶと、その謎の奴は黙り込んで、どこか悲しいような顔をした。そしてその後は声を発さず、少し歩いて、その後どこかに消えてしまった。
不思議な子…。どういうことかさっぱり分からない。僕が?なんで?僕は僕のことをどう思っているかと聞かれると答えられないけど、不思議なのは明らかに違うんだ。
不思議な子ってなんだよ!?
僕は普通だ!普通なんだ!!
普通、なんだ…。
普通、だと思いたい……。
というか、普通って何だ?
―まったく僕は…。―だな。はぁぁ…。
深くため息をついて、今日もまた同じことを繰り返しているだけの作業をする。
「なんだよ?僕にまだ話してほしいのかい?
そんなこと言っても、もうないよ。
もうこれ以上、君たちに話すことはないよ。だって、同じことの繰り返しで、日々を無為に過ごしている僕の話なんて、誰が聞く?誰も聞かないだろう?
さぁ、さっさと出ていってよ。僕はもう、君たちとは話したくないんだ」
僕は誰に言っているのかも分からないが、とりあえず世界の全ての人に向けて(でも僕みたいな奴が世界に向けてなんて馬鹿らしいか)言った。
―はぁぁ。僕はなんて―なんだろうか……。
「君たちに興味はないからね、僕は」
僕が何度そう言っても、周りの人は僕に色々なことを言い寄ってくる。本当に鬱陶しい。
「なんでなんだい?そんなに僕に執着するのは。僕はただ鬱陶しいだけなんだけど。離れてくれよ。一人にさせてくれよ…」
うるさいなぁ…。
黙れよ。僕は君たちみたいな奴が一番許せないんだ。
僕の前から去れ!
「あぁ……!もうやめてくれ!僕は…もう…」
僕はもう声を発する気力もなくして、体から力が抜け、膝から崩れ落ちた。
そんな記憶が、僕の頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
(自分の感情ももう分からないや…。
僕はもう狂ってしまったんだな。もう戻ることは出来ない。これからどうすれば良いんだよ。でも、もうそんなことを考える気力もない…。諦める、それが最善策なんだろうな……。僕みたいな人間は…)
僕が僕じゃないみたいだな……。
僕は僕をなくしてしまったみたいだ……。
僕はいつの間にか、ベッドの上の枕に顔をうずめて、声を押し殺して泣いていた。目からとめどなく涙が溢れてくる。枕とシーツが濡れてしまった。
「うっ……あぁぁ……!」
嗚咽が漏れる。辛い。何もかも辛い。嫌だ。
逃げたい。でも逃げられない。どうすれば良いんだ……。
誰も答えてくれない。誰にも届いてくれない。誰にも教えて貰えない。誰も認めてくれない。誰にも必要とされない。こんなことなら僕なんて要らないんだろうな…。
この涙もただの冷たい水となって、無駄になるんだろうな。そんなことを考えると絶望する。というか、そんなことももう思えない。
それからもう何時間泣いていたんだろう。分からない。気づいたらもう夜中の三時だった。夜の静かな空間は、この絶望感をより拡大させる。静かだと、思考がよく働くから。でも何でなんだろう?こういう時って、マイナスな事しか思いつかないよな。いつもそうだけれども、今日に限っては一段と。
(あぁ……。もう分からない。何もかも…)
僕の―足元の氷がバキッと割れて、その氷の下にある深い深い海に、僕はゆっくりと沈んで行った。もう何も聞こえない。ただ、自分の口から息が漏れて、泡が立っているだけだった。何も感じず、ゆっくりと。意識がふわふわとした感じで、ただ落ちていく。永遠に。
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僕はずっと疑問に思っている事が一つだけある。いつからだろう?物語を書きたいと思うようになったのは。そんなことを聞いても分かるわけがないけれど。
君たちがどうしても聞きたいらしいから、でも、直接は言わない。ここに書いておくよ。
僕の物語を。全ての物語ををここに。
不思議な子としての物語を書き殴ってやる。
書いてやるんだから絶対に読めよ?と言っても別に読んでくれなくても恨みはしないんだけど。そして君たちのことは今でも羨んでいる。だから書くんだよ。
これから何が僕の身に降りかかるかなんて知らない。まぁ、そんなことはどうでもいいけどね。
君たちには関係の無い事だ。僕は君たちをどれだけ恨み羨んでも、もう無駄なんだろうから。
僕がやりたいのはたった一つなんだ。僕の中の唯一の大切な事のためにね。その話も全部ここに書く。
もう僕は、自分の感情もコントロール出来なくなっている。完全に狂ってしまったんだな。完全に逸脱してしまった。そして、完全にレールから外れてしまった。もしかしたら、もうそのレールも見失ってしまったのかもしれない。
結局自分の感情をぶちまけてしまった。すぐにこうしてしまう所も僕の悪い癖だ。申し訳ない。
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起きる。顔を洗う。朝ごはんを食べる。準備をする。登校する。
授業をうける。弁当を食べる。そして、下校する。
夜ごはんを食べる。勉強をする。お風呂に入る。読書をする。
そして、寝る―。
夢の世界へと誘われる。そしてつい妄想してしまう。
もし、自分がある国の王子だったら。もし、自分が何か目立つ才能を持っていたら。もし、自分が違う星で生まれていたら。もし、自分が―。
そんなこと、あるわけないよな。特に自分が他の国の王子になっていたらなんて。僕は、毎日ルーティンをただこなしているだけ。ただ生きているだけ。でも、心のどこかでは思っている。
『もし、自分が―』
でも、そんなことが現実であったとしたら。僕は迷わずその世界に入り込むんじゃないかな。
アニメでも小説でも、とにかく何でも良いから飛び込んでしまいたい。そこが現実より良いと信じているなら、その世界に迷わずに。そんなことをいつも考えてしまう自分に、大きな溜息を漏らす。
まぁ、でもその時の気分なのかな。分からないけれど。
というか、こんな風に妄想している時点で現実逃避しかしていないということを、嫌という程感じさせられる。
「現実を生きられていない奴だ」と周りからごちゃごちゃと言われるくらいだ。
まぁでも仕方ないよな。こういう性格なんだ。許してくれ。
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夢の中での出来事は凄く不思議だったな…。
というか、誰だよ。あの天使みたいな奴。
見たことがないし、急に話しかけてくるし。
僕に馴れ馴れしい態度で接してきて、正直怖い。
あいつは、僕に何かとてつもないことをさせようとしている気がする。
まぁでも、もしかしたら、僕の物語も夢の中でのことになるかもしれないな。ははっ!そうなら面白いのにな!
あ、ごめん、つい笑っちまったよ…。
まぁいい。僕のつまらない話なんか聞いてないで。僕の夢の中の話の方が少しは面白いかもしれないよ?
それじゃあ。僕の物語を―。
はじまり、はじまり。
こんな始め方はよくあり過ぎてつまらないな。
何か良い始め方は無いんだろうか。何も思いつかない。
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昔から羨ましいと思っていた。勉強もスポーツも何でも完璧にこなしてしまう人のことが。
クラスに一人はいる。そういう奴が。そういう奴を見ると、僕はなんてちっぽけなんだろうって思うんだ。そして妬ましいんだ。だって、僕は何も出来ないんだ。あまりにも差がありすぎる。同じ人間なのに、何でこんなにも大きな差があるんだろう。
でも、頑張っても出来なかったんだ。僕には才能が、無かったんだ。僕にはそれを習得する権利が、無かったんだ。
まぁ、仕方ないよね。こんなことを言っても、何も変わらない。そう、変わらない。意味が無い。
僕はそういう奴とは、居る世界が違ったんだ。
そんな所に僕が辿り着けるはずがなかったんだ。
だから、そういう奴に対して何を言っても、僕が近づこうとして努力しても、ただの時間の無駄なんだ。
努力は報われるだとか、才能じゃないだとか、そんな言葉はもう聞き飽きた。あれは嘘だ。努力しても報われない。それに、自分の出来ることは全て元々の才能だ。
だから、努力なんてしていても無駄だろう。才能がないのにさ。
努力をして結果を出す事を美徳とするのはなぜだろうか。また結果が出なくとも、努力をした経験が素晴らしいと言われるのはなぜだろうか。
僕に出来る事なんて何もないのに、何かを出来るようになりたいと思って頑張る、なんて誰から見ても馬鹿馬鹿しいだろう。
こんな滑稽な姿の僕を見て笑うといいさ。
お前らには僕の事なんて、何も興味が無いし何も分からないだろう?
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話を始める前に、僕のことを少し話しておこうか。特に面白い話はないけれど。
僕は至って平凡な高校一年生だ。
高校でも目立つわけでもないキャラだ。
僕の趣味は星空を眺めること。ただそれだけだ。
星が好きなら、宇宙飛行士になろうとか、天文学者になろうとか言うのかもしれないけれど、僕はそういうのは特にはない。
僕自身もそれは考えたけれど、やっぱり、なぜかただ眺めるだけなのが僕は良かった。
僕は学校に行っても、隅にぽつんといるタイプの人間。つまり、俗に言う、陰キャというやつなのかな。おまけに、俗にいうコミュ障というやつでもある。人と目を合わせて話すのが得意ではない。得意ではない、というより、出来ない。いつも緊張して言葉が出ないんだ。これはどうにかして治さないといけないと思っているんだけど、なかなか治らないものなんだ。
また、僕は勉強ができるわけでもなく、スポーツができるわけでもなく。成績はいつも平均レベルの高校生。特に習い事をやってきたわけでもなく、これといって得意なものがないように思える。もっと色んなことをやってくれば良かったかな、と思う時もある。だけど、これでいいんだと、そう今は感じるんだ。何故かって?僕には一つだけ大切なことがあるからだよ。たった一つだけ。
ただ、星を見るだけ。本当にそれだけなんだ。僕がしてきたこと。その影響もあってか―。
部活は天文部。この部活は僕がそう勝手に呼んでいるだけだ。学校から帰った放課後に自分の家で望遠鏡を覗いて星を見る。
昔から星はよく見るので、何となく。僕には合っているのか、活動を楽しめているのか。分からない。
活動は不定期。好きな時に、時間のある時に星を観測する。ただそれだけ。
そして部員は僕とあと一人。僕の唯一と言ってもいいかもしれない親友だ。毎日ではないけれど、僕と一緒に星を眺めた。その親友は何を感じていたんだろうか。
星を見る。それだけなのに、それはとても楽しい時間なんだ。それ以外のことは全く面白くないし、興味もないけれど、星を見るのだけは楽しいと唯一思える。
あと、これは自分で思っていることだけれど、僕は宇宙マニアなのかといつも思う。昔から、宇宙の本はよく読んでいる。周りからはどう思われているんだろうか。
そろそろ、物語の本章を語り始めようか。なんの変哲もない話だけれど、良かったら聞いてほしい。話す人がいないから、ここに書いておくことにするよ。
もっと友達が居ればなぁ…。それも、仕方ないか…。
学校では至って平凡な人間―僕。
全てにおいて平均、将来の夢も分からない僕。
絶賛人生迷走中。
そんな言葉が似合うかもしれない。
というか、諦めている。訂正する。
絶賛人生停滞中。
やりたいことが見つからない。そんな状態が何年も続いているんだ。まるで自分のことが分からないみたいだ。
自分の事は分かるはずなんだけれどなぁ……。
『ねぇ、君は何をしたいんだい…?』
ふと、どこからかそんな声が聞こえたような気がした。
誰の声なのかは分からなかった。でも、どこかで聞いたことのある声なのは確かだと思う。
思い出せない。分からない。というか、思い出す必要はないはずだ。分かりたくないんだ。
聞き覚えがあるようなないような、ただそれだけで後は全く。
『僕は今まで何をしてきたんだろうか?何をすれば良かったんだろうか?』
こんな問いを自分で作ってしまうのは僕だけだろうか?
この問いに対する僕の考えはまだない。そもそも、考える気があるのかどうかも怪しい。
家にあるのは宇宙の本だけ。その本に書いてある宇宙のことが頭の中に入っているだけ。それ以外はあまり自分のものがない。
僕は○○になりたいんだ。
それが埋まる日はいつになるんだろうか?今の僕では到底無理なことは分かっている。
でも、いつか、いつか―。でも、そんなことを考えている自分が馬鹿馬鹿しいようにも思える。周りは僕と違って、もう夢に向かって進んでいるというのに。
僕は自分で自分が分からないような人間なのかな。
でももう、良いかな…?考えたくないんだよ。
『僕は何をしたいんだろう……?何をするべきだったんだろう……?何をするのが、正解だったんだろう……?』
僕は呟いた。
しかし誰も答えてくれる人は居なかった。僕の声は薄暗い自分の部屋の壁へと吸い込まれていった
気づいて起きてみると、そこは誰もいなくて、見たこともない場所だった。空を見ると赤と黒が混ざったようなとても天気で表すことの出来ないような、そんな感じだった。
僕は膝をついて座っていた。僕以外に人は見当たらない。虚無感に襲われる。僕はよろよろと立ち上がり、のろのろと何もない空間を歩いていく。ボロボロになった人が住んでいるのかも分からない建物が何件かあるだけだった。建物は半壊していて、道はがたがたしていてほぼ無いに等しい。
「うぅ…。はぁっ…はぁっ……。ここは…。どこだ…?」
僕は息を荒くし、今にも倒れそうになりながら歩いていた。僕はどこに来てしまったんだ……?
問いかけに誰か返事を返してくれるわけもなく。
終わりの見えない空間をただ歩いていった。まるで絶望を象徴するかのような。そして、上を見ると星だけがかすかに光っていた。でもそれ以外に光はない。空は黒と赤を混ぜたような色になっていて、なにやら不穏な空気が漂っているようにも思えた。そしてその星を数えると、六つくらい、だった気がする。それは、希望の光なのか、絶望の魔なのか、どちらにも感じられた。
その光は僕だけを見下ろすかのように。
ただ、ぽつんと光っている。
その光に僕は手を伸ばす。手をいくら伸ばしてもあと少しの所で届かない。もう限界だ!と思ったところで、その光が段々と大きくなって僕を包んだ。その時点で僕の意識は途絶えた。
朝起きるとそこは、見慣れた僕の部屋だった。
―今のは…夢…だったのか……?
横を向いてみると、勉強机があった。僕の勉強机は普通の高校生のものとなんら変わりは無い。机の上には黒いペンケースと数学Aの教科書が出ていた。数学の授業ははっきり言って何を言っているのかが全く理解できない。だから、その時間はいつも自分が持っている天文学の本を読むことにしている。
また、机の横にはベッドがあって、壁には星座の早見表が貼ってある。春から冬までの星座が一枚ですぐに見られるように自分の部屋に常にある。普段はこれでよく星座や惑星を見ている。早見表があれば、すぐに星座を見つけられるし、こんなに便利なものはないと思いながら、僕は今日も遥か彼方の世界に思いを馳せていく。これが僕の唯一の現実逃避の方法だ。現実逃避くらいしか僕が出来ることはないんだ。いつか本当に別の世界に逃げられたらと、ずっと思っている。まぁ、心理学者のフロイトによると、この時期は逃避をしたくなる、という防衛機制がはたらくらしい。だから、僕は至って正常だろう。
そして、僕の部屋のドアから入った横側には、自分の望遠鏡がある。これでいつも星を見ている。いつかの誕生日に買ってもらってから、毎日使っている。僕の唯一の宝物と言ってもいいのかもしれない。
物に対する執着も、人に対する執着もない。ただそこに存在していれば良いのだ。もうどうだって良いんだ。周りで人が死のうと、物が他人に壊されようと、興味がない。
だから、僕の宝物はこの望遠鏡以外はないと思う。
この望遠鏡があれば僕はどこまでも行ける気がした。取り柄のない僕が少しでものめり込める時間だった。この望遠鏡と僕は一体だと思っているくらい、僕はこれが好きだった。
レンズを覗けばそこはもう、神秘の世界だった。星がたくさん入った入れ物から、星という砂を空にばらまいたみたいだ。星屑が空に光り輝く。現実とはかけ離れたような、手が届きそうで届かない世界。そこは光で出来ている世界。届かないと分かっていながら、そこにしか僕は行けないのだから、それしか出来ないのだから、どうしても手を伸ばして掴みたくなってしまうんだ。僕はその世界と毎日、レンズを通して繋がっている。実際には触れられないけれど、それほどまでに嬉しいことはなかった。
僕がこの世界に魅了されるようになったのは、いつからだろうか?もうそれは思い出そうとしても、分からない。僕は今いるこの世界で美しさに出会い、知ったのだ。でも、僕はまだ本当のことを分からないでいる。それを見つけようとする僕はさらにこの永遠ともいえるくらいに広がる宇宙にのめり込んだ。その中に答えが隠れているかもしれない。答えじゃないとしても、ヒントがあればいいと思っている。ヒントがあれば、探す気がない事でも多少なりともやる気がおきるのだろうと感じた。
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今日は月曜日、学校がある日だ。ベッドから起き上がって登校の準備をする。
(学校に行くのは憂鬱だが、毎日なんとなく学校に行って、なんとなく授業を受けて、なんとなく過ごしている。特に変化もない毎日だ。かといってつまらないかと言われると、そうでも無い。)
毎日、決まった作業をただこなすだけの生活がもう、何年続いているのだろう。数えてもいないので、もう分からなくなってしまった。
変化のない生活。それは良いのか悪いのか。僕には分からなかった。
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目を覚ますと、見知らぬ草原に寝ていた。
どこまでも、続いていく緑。向こうには…山も見える。
近くに家も建物もない。自然に溶け込める、そんな表現がふさわしい場所だった。
僕がどこにいるのかを知る術はない。周りに目印があるわけでもないし、この景色も見たことがないからだ。
―本当に異世界に来てしまったようだ。
「ここは…どこだ…?」
周りには何もないので、僕は困惑してしまった。
少し歩いてみる。風がとても気持ちいい。
こんなに自然の中に浸ったのは初めてかもしれない。元の世界の呪縛から解放されたような気分になり、辺りを彷徨う。
「これからはこの世界で暮らすのかな…」
そんなことを思っていると、どこからともなく、列車の音が聞こえてきた。
線路はないはずだけど。僕はそう思って周りを見渡すが、やはり線路はない。何故、列車が走っているんだ?こんな事を考えても分からないか。
ゴトン。ゴトン。徐々にその音は大きくなっていく。
こちらに向かって来ているのだろうか。その列車に僕は乗るのだろうか?
そして、これから僕は何をしていけばいいのだろう。何をする事になるのだろう。こんな所に迷い込んでしまったら、この先の予想もつかない。
僕は列車をよくよく見てみる。列車は四両編成。西洋風のオシャレなデザインのものだ。中には人は乗っていない。
(こんな草原にも列車が来るんだ…)
そして、列車は僕の前で停車した。ドアが開く。
これは僕が乗るためのものなのか?僕は乗っても良いのか?
おそらくそう思われるので、というかどちらかも分からないので、僕はとりあえず乗ってみることにした。
僕が乗ると、列車は動きだし、草原の中を走っていく。僕だけが乗っている。たった一人で。
僕は列車に揺られながら、ふとこんなことを思う。
(なんで、こんな所に来てしまったんだろう…)
「この列車は、まるで僕が乗るために走って来たみたいだな……」
しばらくすると、列車は湖のほとりに来た。湖の向こうには氷山が見える。湖の水面は陽光に照らされて輝き、その光を反射していた。綺麗だなぁと思いながら、列車の揺れに身を委ねていた。ガタン、ゴトン、と列車が揺れている。この揺れは心地良い。
しばらくすると、列車ではこんなアナウンスが流れた。
「こちらはセントラル天文台行きです」
この列車は天文台に行くのか。しかし、その天文台の名前は、当然のことながら聞いたことがなかった。
そして、湖を超えると氷山に差し掛かった。どこまでも凍てつく氷の塊。高くそびえ立つその姿は何かを連想させるようだ。
こんなにも壮大な自然の中に入り込むのは初めての体験で、とても新鮮な気持ちだった。
こんな世界で生活をしてみるのも良いのかもしれない。
僕は列車に身を任せ、異世界を走って行った。
ゴトン。ゴトン。ただその空間には列車の走る音だけが響いていた。
この不思議な旅は、どんなレールの上を走って行くんだろうか。
誰も乗っていない列車。不思議だ。それは、まるで僕だけを乗せようと言わんばかりに。
まぁ、この事は気にしないことにしておこう。全くの偶然だろうから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「こちらはセントラル天文台行きです」
一人で誰も乗っていない列車に乗って、天文台に向かっている。
しばらくすると、白い建物のような物が見えてきた。あれがどうやらセントラル天文台のようだ。草原の中にぽつんと浮かんでいる。そんな場所だった。こんな所に列車が留まるのか、と思ったけれど、それは気にしないことにした。
「ご乗車ありがとうございました」
またアナウンスが流れると、ドアが開いた。
僕は列車から降りることにした。天文台に向かって歩いていく。
セントラル天文台は白く塗られていて、大きさはそんなに大きくないと思われた。おそらく十五メートルくらい。
扉があったので、中に入ってみた。
すると一人の高校生くらいだろうか。男子が出てきた。
(どこかで見たことがあるような顔だな…)
その男子は僕の存在に驚いたらしく、ビクッとした。
なんとその男子は僕のクラスメイト且つ親友だった。
僕の唯一の親友―。
僕はすぐに名前が思い浮かんだ。
―だ。
彼もこの世界に迷い込んだのだろうか?なぜだ?不思議で仕方がない。
「君もここにいたのか…」
「ショウ。お前もこの世界に来たんだな…」
「君はここで何をしているの?」
「………」
親友は答えてくれなかった。おそらく、「分からない」という顔をしていた。
しかも、ここの天文台にいるなんて、どうして…。
僕と親友は互いを初めて見るかのように、見つめあった。
(僕はまさかこの世界に親友がいるなど、予想もしていなかった。僕が今いるのが本当に異世界なのか、気になってしまう。うーん、確か…。
僕とその親友はこれから、共に行動をしていくことになるだろう。これからどんなことが待っているかは分からない。不安が大きいが、少し楽しみにしている自分もいる。)
「ここから僕の本当の旅が始まるのかもしれないな」
僕は呟いた。
しかしその声はすぐに虚空に吸い込まれていった。
(自分がなんでここに来てしまったのか、それは分からない。知ろうとしても知ることはできないかもしれない。)
余分なことは考えずに、今はこの壮大な自然を身に染みて感じているのが良いのかもしれないと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「お前もここに来たのか…」
「なんか迷い込んだみたいで…。なんでこんな所に来たのかは分からない」
「そうか…」
「僕は…列車に乗せられて、ここまで来たんだ。そしたら、君がいた…」
僕は親友にここの天文台まで来た経緯を説明した。
「俺もまさかお前とこんな所で会うとは思わなかったよ…」
「君はここで何をしているの?」もう一度僕は尋ねた。
「………分からない……」
「そうか…」
「僕はこれから何をすればいいのかな…?」
「やる事もないし……俺と、冒険をしないか?この世界を…」
「え…?」僕は正直驚いた。
「この世界を旅するんだよ。色々な所に行って、色々な体験をするんだ」
「僕と一緒にしたいの?」
旅をするのは想像もつかない。しかも、何も見当たらないこの世界で。僕は少し戸惑った。
「うん」
それでも、親友が言うなら付き合ってあげてもいい。何をするのかは決まっていないが、二人で行けば何とかなるかもしれないと心の中で少し思っていた。そして僕は、親友と共に冒険することを決心した。
「それで、君はまず、どこに行きたいの?」
僕は尋ねた。
「まずはこの天文台から離れて、都市に行きたい」
都市、と聞いて頭の中に一瞬クエスチョンマークが浮かんだが、すぐにそれを取り消して親友の願いに賛同した。
「分かった。じゃあ、明日出発でいい?」
「了解!」
親友が呑気にそう言うのを聞いて、少し嬉しくなった。
そして、何も無いこの場所から都市までどれくらいかかるのだろうという問いが頭にふっと浮かんだ。しかしその答えは、実際に向かわなければ分からないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次の日。
僕達は荷物をそろえて、冒険に出ることにした。周りはやはり何もない草原だ。道が一本だけ敷かれていて、(道というようなものではないが、線が伸びているような感じだ)僕達はそこをずっと歩いていく。僕達の間を気持ちいい風が吹き抜ける。
僕達の前の世界での思い出話をした。どこまでも続く自然の中を二人きりで歩いていく。親友と向き合って話す時間。それはとても僕にとって貴重で、且つ楽しい時間であった。こんなことをしたのはいつぶりだろうか。
高校一年生でこちらの異世界にどうやら迷い込んでしまった僕達。これから僕達にはどんな旅が待っているのだろうか。期待で満ち溢れる心の中で、僕はとても楽しいと感じているのかもしれなかった。
「僕は、前の世界では天文部と自分で言っていた部活をやっていたよね。僕はあの部活で何が楽しいのか、何が面白いのか、自分の中に見いだせなかったよ」
「俺は、みんなと演奏できたことが楽しかったなぁ…」
「そうなんだね」
「俺は、自分のやりたいことを常にやれているかって、ずっと思ってるかもな」
そう言って、二人でくすっと笑いあった。
「吹奏楽部のみんなは優しかったし、俺はそれで良かったとも思ってる。人と何かをやるって楽しいのかもしれないな」親友は嬉しそうに言った。
また二人でくすっと笑いあった。先が全く分からないこの世界で旅や冒険をするのは、楽しいのかもしれない。
「本当に何もないな」
目の前に広がるのはずっと、自然の地形のみ。ただ広大な草原が広がり、風の音が僕たちに囁いている。建物はひとつもない。セントラル天文台ももう見えなくなっている。前の世界だったらこんな風景はあるだろうか。あるとしても、僕たちはまだ見たことがない。前がこんなにも開けていて、やることもなく、その中を歩いてみる。こんな体験は本当に初めてで、だんだんとこの異世界に対して、冒険心が芽生えてきたかもしれない。
「このまま歩いて行って、本当に街があるのかな?」
「分からないな」親友が怪訝そうに言った。
それから僕達はしばらく無言になった。ただ何も無い場所を歩いていく。本当にこの先に街があるのか。心配になってくるくらい何もないが。先に進むしかない。
もう何時間歩いただろうか。時計もないので、時間も分からないが、かなりの距離を歩いてきたと思う。こんなに歩いたことは今までにない。しかし、未だに街は見当たらない。
「街、見つからないな」
親友もさすがに疲れが溜まってきたのか、顔の笑顔が少し辛そうだった。
「うん」
「このまま進むしかないね」
「明日くらいには見つかりそうかな」
「きっと見つかるよ」
「そうだな!俺たちの新しい世界!」
僕は親友の言った『新しい世界』という表現がとても良いと思った。
「うん。きっと…」
僕たち二人は互いを見合わせて笑顔になった。そして、親友は僕の肩をぽんと叩いて歩き出した。僕は少し驚いた顔になってしまったので、親友が「何だよ」と少し頬を赤らめて言った。
僕も「ううん。何でもない。行こう!」と言って、足を踏み出した。
そろそろ日が暮れてきた。異世界の夕焼けもとても綺麗だ。夕焼けが綺麗なのは、どこの世界でも一緒なんだろうか。山の隙間から差し込む夕日。空が赤々と染まっている。歩くだけで一日が終わってしまったという、虚無感もあるが、それよりも、異世界を旅するということを初めてしたので、気持ちはとても高揚していた。高ぶる気持ちを少し抑えながら、自然に身を任せる。
「日が暮れてきたな。夕焼けが綺麗だ」
「そうだね。本当に綺麗だ」
「こんなにも自然を感じるのは初めてかもな」
「うん」
「さて、今夜はどこに泊まろうか」親友が首を傾げて考え込む。
「うーん、テントとかもないしなぁ…」
「どうしようか、草の上にそのまま寝転がるしかないか!」
そう親友が言って、二人で笑いあった。
「それしかないね」
「俺とショウが二人で寝るなんて、初めてだな」
「そうだね、でもこれも異世界冒険ならではの楽しみの一つかもしれないな」
「じゃあ、そろそろ日も暮れたから寝ようか」
「そうだね。ねぇ、見てよ、星が綺麗だ」
前の世界で僕たちが住んでいた所は割と都会だったので、夜は星なんて、少ししか見えなかった。なのに、今は周りに何もないせいで、星がよく見える。あぁ、本当に綺麗だ…。
「そうだな…。俺は星を見たことがあんまりなかったけど、満点の星空はやっぱり綺麗だよな…」
「そうだね、僕は星を観察するのが好きだけど、こんなに綺麗な空は見たことがないよ」
あまりの美しさに二人で感嘆してしまう。
やはり自然の中に溶け込むというのは落ち着くものだ。
今は夏だが、本当に夏の満点の星空はいつ見ても感動する。天の川銀河がはっきりと見える。あの川の流れのように、僕もゆっくり流れるような感覚に落ちていく。
「あれが夏の大三角。ベガとアルタイルとデネブだよ…。有名な星たちだけど、僕らとすごく離れてる。決して、その星に直接行くことは出来ない」
届きそうで届かない存在。それが星。いつかもっと文明が発達して、もっと早い宇宙船ができたら、行けるようになるのかな…」
「なるほど。やっぱりショウは詳しいな…」
「えへへ。本当に綺麗だろ。こうやって、夜は毎晩遠くの星に想いを馳せるんだ。そうすると、なんだか心が落ち着く。僕はこの時間が好きなんだと思う。僕が輝いているように思えるからね」
「そうか…。夏の大三角……」
「うん…」
「俺も今の時間は幸せだよ。こんなにも美しい星に見つめられながら、何も考えずに過ごす時間。星たちに、別の世界に連れていかれそうだ」
「そうだね。星たちは僕らのことを見ている。そう思うと何だか面白いね。こうして僕たちと星は繋がっているんだ」
二人で星について色々話しながら、しばらくの時間を過ごした。
そうやって、僕たちは長い時間星空を眺めていた。こんなに心が落ち着く時間が今までにあっただろうか。
まぁ、その、生物学的に言うと、副交感神経がよく働いているというか。こういう難しい話をしていると頭がこんがらがってしまうからやめておこう。
僕たちは二人きりで、ただ星空を眺める。
どこまでも。いつまでも。こんな時間が続けばいいと、そう思った。こういう時間のことを幸せと呼ぶのだろうか。
そもそも幸せというのはどういうことなのか。僕は考えたこともないので、全く分からない。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
随分長い間、星空を眺めたので、そろそろ眠くなってきた。
「そうだな。明日はまた、街を探す旅になりそうだ」
「うん、明日はきっと見つかるよ。おやすみ」
「おやすみ、ショウ…」
それから、僕たちは眠りに落ちた。何時間か経った後、また僕たちの冒険は始まる。明日はどんなことが待っているんだろうか。考えるととてもワクワクする。こんなにも冒険心に満ち溢れた時間を過ごすとは思っても見なかったので、僕にとっては、全てが新鮮だった。
明日が楽しみだ。ただそれだけの気持ち。それでいい。楽しみな気持ちがあった方が今日が楽しくなるのだから。
僕はこの異世界に迷い込んでしまった。だけど、そこで新たな体験ができることを知った。新たな体験。それは僕たちの原動力となり得るものなのかもしれない。
そう考えると異世界に迷い込んだのもいいのかもしれない。そう思った。元の世界とは、全然違う。こっちの方が断然良い。
元の世界の自分とは違う自分になってみせよう。
僕はこれからこの世界で生きていこう。
次の日。
僕たちはまた旅に出た。
「おはよう。今日も街を目指すことになりそうだな」
周りには何も無いのに、そこから街を探し出そうなんて無謀なことにも思えるかもしれないが、僕たちは足を進ませる。早く街に行って泊まる宿を見つけて、冒険の拠点を作りたいからだ。早く街に着きたい。その一心でただただ歩き続ける。今日も自然が美しい。この世界はどんな地理なのかは知らないが、前の世界と似ているのだろうか。
「本当に街はあるのかな…?」
「きっと、あるさ」
「そうだね」
僕が少し弱気なことを言うと、親友は励ましてくれる。それがとても嬉しい。でも、なぜか心がちくっと痛むような気もする。弱気なことは言わない。そう決めた僕だが、こういう時につい出てしまうものなのだ。
そういえば、食料はどうするんだ?全く考えていなかった。どうしよう。
「何か食べるもの、ある?」
「持ってないよ」
「だよね…。どうしよう?」
「自分たちで取るしかないでしょ」
親友は呑気にそう言うと、あははと笑った。
僕とは全く対照的な人間なのか、と思ってしまう。
僕は物事を悲観的に捉えてしまう。これは直したいと思っているが、中々難しい。対して親友はかなり楽観的だ。僕もあれくらいになりたいと思う。でも、親友と一緒なら―。
食料問題について考えていると、運がいいことに、近くに川があった。魚だ。魚が取れて食べられる。
「あ!川がある!釣りで魚をとって食おうぜ!」
「そうだね!運がいいなぁ、僕たちは」
「よし、モリを作ろう!」
「じゃあ、まずは材料集めだね」
「うん、木の枝とかがあればいいんだよね?」
「そうだな、これは探すしかないな」
そう言って、木の枝を集めて来ることにした。周りが自然に囲まれているので、割と簡単に見つかるかもしれない。そして、予想通り、枝は沢山集まった。
「木の枝、たくさん集まったよ!」
「おぉ!じゃあ、次は組み立てればいいな」
「うん、そうだね」
木の枝を綺麗にして、モリの形にしていく。なんだかサバイバルゲームみたいで、とても楽しい。今までは、アウトドアに全く興味のなかった僕だが、こうして異世界に迷い込んでみることで、面白いことに出会えた。
形作りもそんなには難しくはなかった。モリが出来た。
大体、一時間もかからずに出来てしまったと思う。これで、魚をゲットする。
「やったぁ!釣れたよ!」
「おぉ!二人分しっかりあるな」
「うん。じゃあ、焼いて食べようか」
魚を焼いて食べる。自分たちで生活を営むのかなり楽しいのかもしれない。魚を焼くと、いい匂いが漂ってくる。それを楽しむのもいい。数分待つと魚が焼けた。味はとても美味しい。自分で作ったというか、今回は取ったものはやはり美味しいのだろうか?こんなにサバイバルな体験をしたのは初めてだ。僕はとても満たされた気持ちになった。こんなにも、生活が楽しいなんて今まで思ったこともなかった。魚、こんなにも美味しいと思ったのも初めてだ。生活の中には、今まで自分たちが気づいていないものがたくさんあるのだと、異世界に来て初めて知ったのかもしれない。
『あぁ、この世界は満たされているんだ…』
さて、食べ終わったところで、また街に向かって親友と歩き出すことにした。今は前に進むしかない。
「自分たちで取った魚、美味しかったね」
「うん、こんなに美味しいって思ったの、初めてかもしれない…」
「そうだな、俺たちは、異世界に迷い込んだけれど、それでも何か理由があるんだと思う。俺は今の自分の生活は満たされているんじゃないかって思った。前の世界でもこの世界でも、ショウと旅をするってのは、実は何か理由があるんじゃないかって。そう思えるようになった。きっと、その答えはいつか見つかるよ―」
「うん、そうだね。僕たちが出会えた、それはとても凄いことなのかもね。でも、何で出会ったか、なんてよく分からない。だとしたら、僕たち、本当に奇跡なんじゃないかって」
「そうだな。今の旅を続ければ、きっとどこかに辿り着くんじゃないか」
「うん。そうだね。僕も信じてみるよ」
それからも、歩き、歩き、歩き続けた。
いつまでも、いつまでも、歩き、歩き続けた。
なんだか、自分が輝いているように思えた。まるで星のように光っているような感覚だ。
そして、遂に、街が見えてきた。
どこかも知らない街。名前も知らない街。何も分からない。
僕たちはここで何をすることになるのだろうか。
「あ!街が、建物が見えたよ!」
「本当だ!遂に見つけたんだ!」
「やったぁ!歩き続けて良かったなぁ…」
僕はほっとしたり、喜んで叫んだりした。が、その喜びを感じたのも束の間―。
「あれ……?何か…おかしくないか………?」
僕たちは無事に街を見つけることができた。が、その街は―。
後ろを振り返ると、永遠に自然が広がっている。あそこを二人きりで歩いてきたかと思うと、少し切なくなった気がした。この街は広大な自然の中に、ぽつんとひとつあるのだろうか。それとも、その奥にもたくさんの街や集落があるんだろうか。それは探検してみないと分かることではない。
この不思議な旅を少しでも面白くできたら僕はもしかしたら満足するのかもしれない。でも、分からない。
自分が結局なんのために歩くのか。この頭で考えても結局のところ、分からないんだ―。
でも今は純粋に楽しいのだから、この感覚に浸っていることとしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕たちは無事に街を見つけることができた。しかし、その街は何かがおかしいのだ。それは、荒廃しているということ。建物はぼろぼろで、道はがたがたしている。
向こうには、何か大きな城みたいなものがそびえ立っている。ここが僕たちの求めていた街であるわけがない。一体ここはどこなんだ!?早く脱出しなければ。
―夢で見た気がするな…。もしかして、あの夢って―。夢の記憶が蘇る。いや、でも。違うな。
「え…?なんだこれは……?」ついそんな言葉が僕の口から漏れた。
「なんでこんなにこの街は、ぼろぼろなんだ……?」
「分からない。人の気配もないしね…」
「誰かいたら聞いてみよう…」
「そうだね…。大丈夫かな…?この街」
「そうじゃなかった時は、何とかするさ」
「そう……だね……。」
楽しみにして、歩いてきたのに…。僕の予想とは正反対の有様だった。とてもひどい。これから僕はここで暮らして行くことになるんだろうか?だとすれば、まっぴらごめんだ。
そんなことを思ってがっかりしていると、向こうから人影が現れた。
「あ!誰か人が来たぞ?」
「本当だ!その人に聞いてみようかな?」
「そうだね」
「おい、お前たち、ここで何をしている!?」
その人は赤い馬を連れていて、髪は、赤かった。兵服のようなものも全て赤が中心となっている。まるで、悪魔のような…。
今はこんな事を考えている場合ではない。僕は戸惑いながら、言葉につっかえながら答えた。
「えっ、と、旅をしてきた者ですが…」
「あぁ!?旅……だと!?そんなことはこの世界ではできないはずだろ!?」
「いや……。そんなことはないと思いますが……」
「まぁいい。そっちの背の高い方!お前……。なぜここにいる!?」
その視線が、親友の方へと向けられる。
「いえっ、俺はショウ…この人と一緒に行動しているだけですけど……」
「そんなはずがないだろう!?」
「いえ……。というかあなた、誰なんですか!?」
「私はこの世界の取締役だ」
世界の…取締役……!?ここの世界にはそんな役職があるのか?
「なんですか…?それ……」
「それは関係ないだろう。まぁいい。お前を今から尋問する!」
「なぜですか…!?理由を教えてください!?」僕は叫んだ。
「お前には関係の無いことだ。これはこちらの問題だ。おい!いいから早く来い!!」
親友は世界の取締役に鞭を打たれるように叩かれた。バチン!と大きな音がなる。彼を…!僕が助けないと……!
「うっ、うぅぅぅ………!」親友が強引にその世界の取締役に身を拘束され、呻き声を漏らした。
その時―。
「やめてください!!その人が何をしたって言うんですか!?僕はただ…、ただこの人と旅をしてきただけなんです!!その人に何も罪はないはずです!!だから、離してください!!!」
ショウが再度叫んだ。
「なんだお前……?お前には関係はないと言っただろ?」視線が僕の方へと注がれる。僕はその瞬間、戦慄した。その視線は僕の脳を針で突き刺したような感覚を与えた。何だ?この感覚は…!?でも、言い返さなければ!と思いながら、がちがちに固まっている口を精一杯開く。
「関係あるんです!彼を離してください!それが無理だと言うのなら……。僕を連行してください!!」
「ショウ……。それはだめだ……。俺は、この人のいうことを……大人しく聞くことにする……」
「…………ッ!」
「心配するな……。必ず戻るさ」
「違うんだ!僕……僕たちは!一緒に冒険するって……。旅をするって……。決めたじゃないか!!」僕の目から涙が零れた。
「ごめんな……。ショウ……」親友も泣きそうな声で僕の名前を呼ぶ。
「なんでだよ!?なんで……なんで……!?なんで…僕ばっかりに不幸が降りかかるんだよ!?僕は君と冒険するって…約束したのに……。これじゃあ……何も……守れないじゃないか……」
「大丈夫だ……。ショウ……。俺を信じてくれ……」
「おい、行くぞ?」
「…………ッ!あぁぁぁぁぁぁ!!」僕は絶叫した。でもどれだけ叫んでもそれはただ意味の無いものとなるだけだった。
世界の取締役が親友を連れ去っていく。
「ごめんな…………。ショウ……………」
「何なんだよ!?」
「信じて…なんて……でき…ないよ……」
僕の悲痛な叫びに応えてくれるものは何も無かった。
「これから……!僕は……どうすれば…いいんだよ……………」
誰も教えてくれない。ただ僕の声は虚無の空間に消えて行くばかりだった。
この世界は元の世界と違って満たされているんだと思ったけれど全然そんなことはなかった。世界なんてどこでもクソみたいなんだな。
やっぱり僕は……。はぁぁ……。
膝から崩れ落ちた。周りにあるのはただ壊れた建物だけ。
僕は絶望した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あれから僕は町を彷徨い歩いた。せっかく異世界に来たというのに、何もやる気が起きないので、ただ徘徊するだけになっていた。周りの建物も僕の心みたいにもう壊れかけている。建物はなぜこんなに壊れているんだろうと思いながら僕は永遠に彷徨う。
「うッ……痛い……」突然少しの痛みが僕の中を迸った。
体も疲弊しきっているし、手を見ると木の破片が突き刺さっていた。
「ッ!はぁ、はぁ、ぁぁ」
途方も無い疲労が僕を襲い、嗚咽のような声が喉から漏れた。なんとかそのトゲを抜くと、血が垂れてきた。自分の血を見るのは久しぶりだ。それに、未だに僕は、自分が異世界にいることを信じられないでいた。
「ッ!動かないと…!」
なんとか手足を動かしている状態だ。こんなことだけやっていると、段々と自分で自分が惨めに見えてくる。
そんなとき、どこかから声が聞こえたような気がした。
『君は、囚われた親友を救うんだ。そして君は―』
途中で途切れてしまった。とても優しく語りかけるような声だった。なんだったんだ?今のは。というか、この声は誰なんだろう?聞いたことがない声なのは確かだ。
それに、親友を救う?そんなことが出来たらいいけれど、今の僕では到底無理だ。助けたい…でも出来ない…。自分の無力さに失望してしまうんだ……。
まぁでも知る必要もないし、分かりたくもない。面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。そして、とにかく疲れていた僕は、そんなことを考えているうちに、夢の世界へと意識が落ちていった。
疲れきってしまって、倒れたのだ。
もう、いいかな……。
起きると、そこは川が流れていた。川幅五メートルくらいの小さな川だった。川のせせらぎの音なんて、何年ぶりに聞いただろうか。
「………」しばらくの間、川の滞りなく流れていく音を聞いていた。久しぶりに聞いたその音はとても気持ちが良かった。風がひと吹きして僕の髪をさらりと攫っていく。
そんなとき、川の対岸に人影が見えた。あの子のことを僕は知っている気がした。でも思い出せない。絶対に―。この世界に来る前にずっと一緒に居た―。一緒に居たいと、心から願った―。分かるはずなのに、分からない。思い出せない。
「……!君は……!」
「……」その子は何も言わない。
「教えてくれよ。なんで僕はこう惨めなんだ……!?」
自然と喉から声が漏れた。
「………」何も答えてくれない。そして、僕に会いに来たと思われるのにも関わらず、踵を返して、去って行ってしまった。
「あ……。おい…!待ってくれよ……!教えてくれよ…!……なんで…なんだよ……。なんで……誰も僕に教えて…くれないんだよ……!!」
その瞬間、その子は振り返ってやっと口を開いた。
『それは、君自身が答えを出さなければ、意味が無いんだ。それが、旅というものなんだ』
ただ、そう言い残して行ってしまった。
その子は僕を諭すような口調で、ゆっくりと言った。
―またあの声だ。なんなんだ!一体!
「なんだよ!?答えを出す??自分で!?…馬鹿馬鹿しい!そんな簡単に思えることが出来ないから、言ってるんだよ!!あぁぁぁ……!」
どんなに叫んでも、答えてくれる人は誰もいない。
ただ、川のせせらぎが僕を哀れんでいるように聞こえるだけ。
もう、僕は僕のことすらも何がどうなっているのか、分からないんだ……。
僕はこの荒廃した街の通路で倒れていた。
それをどこからともなくやってきた、人影が僕を抱き上げて連れ去って行く。頭にはフードのようなものをかぶっていて、顔はよく見えない。
でもこの人物は―。僕をどうしたいんだろう?
起きると、眼前には見たことがない世界が広がっていた。天井には中世風の絵画が描いてあって、周りを見渡すと、なにやら豪華な装飾が施してあった。そう、俗に言う宮殿、みたいな感じ。
「どこだ……?ここは……。そして、さっきのは、なんだったんだ?夢……なのか……」
そう、さっきのどこかも分からない、ただ僕の前に川が流れている光景は一体なんだったんだろうか?今いる場所は、あそことは全く違う場所だから、より一層頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいく。
再度、辺りをよく見回してみると、僕はベッドの上に横たわっていることに気がついた。そして、ベッドの横にある窓にはカーテンがかかっていて、間からかすかに光が漏れている。起きた時には外は夕方というか、もう夜になりかけていた。
部屋の入口の方には……誰かがいる。やっぱり知らない人だ。ドアの前に立っている。そして何か、タキシードっぽいものを着ている。とても異世界を感じさせるような。しかし高貴な服装であることはほぼ間違いないだろう。顔立ちと体がすらっとしていて、僕よりいくつか歳が上だと思われる、青年だった。髪は紺色と黒色が混ざったような色だ。僕は真っ黒だが、それよりは青がかっているような。
あれは確か…執事?とかお手伝いさん?とか言われる人だろうか?そんなことを考えていると、その人は僕が起きたことに気づいたようだった。
「目を覚ましたようですね」
「あぁ、はい…。それよりも、どうして僕はここに……?」
「やはり覚えていないようですね。あなたは、あの荒
廃した町の道で、意識を失っていたのを、俺が見つけて、ここまで連れてきたんですよ」
とても礼儀正しい話し方で、一人称が『俺』というのは少し面白かった。
「!?な、なるほど…。ありがとう…ございます…」
僕はその青年が言ったことにとても驚いた。まさか自分が意識を失っていたとは思わなかったから。そして、この青年が僕を見つけてくれたのだ。もし助けられていなかったのならば、僕はどうなっていたんだろう。
―あの荒廃した街で倒れていた僕を連れ去って行ったのは、この青年だったのだ。
「ここは…どこなんですか…?」
「ここはこのテランタ王国の宮殿ですよ」
テランタ王国?初めて聞く名前だ。それもそうか。そしてどうやらこの国は王国らしい。
地理でも習った記憶がない。まぁ、違う世界に来たんだから仕方がないのか、って今宮殿って言った!?
「!?!?宮殿…!?」
「はい」
こんな所に来てしまったのか僕は!ここは、僕が居ていい場所ではない。早く、早く!ここを出て行かないと!と思いながらも自分を冷静な状態に戻してから聞いた。
「こんな所に僕が居て良いのでしょうか……?」
「もちろん。君のことの責任は俺が負うので、安心してください」
「そんな…。申し訳ないです……」
「良いんですよ」
「………それで、あなたは一体……?」
「!申し遅れました。俺は、ロアネスト・アリレウストス。一応、この国の、第2王子です。ロアと呼んでください」
予想はしていたが、まさか本当にそうだとは!
「!?!?」
この人は王子なのか。やはり、僕が関わっていいような立場の人ではない。異国の王子…。ファンタジーの世界でしか見たことが無いような。まぁ、でもせっかくだから、自己紹介くらいはしておいた方がいいのかもしれない。僕は思い切って口を開いた。
「あ、あの、……僕は、ショウと言います…」
「ショウ…さん…?聞き慣れない名前ですね。でも、素敵な名前ですね。よろしくお願いします、ショウさん」
「あ、はい…こちらこそ…。あと、その敬語、やめて貰えませんか…?僕の名前は呼び捨てでも大丈夫です」
「すいません…。ショウ、これで良い……??」
ロアが照れたように僕の名前を呼ぶ。
「大丈夫ですよ、敬語は嫌いです。辞めても良いですか?」
「もちろん」
やはり、タメ口で話すのには慣れていないようだった。
もしかしたら、この人は僕と少し似ているのかもしれない。なにか、僕の魂がそう訴えかけているような気がしたのだ。
この青年と、僕はこれから暮らすことになるのだろうか。立場が違いすぎるので、迷惑をかけないように、頑張ろう。
「じゃあ、改めて…よろしく、ロア」
「よろしく、ショウ」
僕たちは互いに挨拶を交わしあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三日後。
僕とロアは話をしていた。僕が意識を失って倒れていたときにいた国と、僕がもともといた国についての話だ。三日も経つと、会話には慣れてきた。
「僕はね、もともとここの世界じゃない世界に居たんだ。そこは、どう言ったらいいかな。うーん、分からないや。気が向いたらまた話すよ」
「なるほどな。少し分かった。俺もショウがもともとどんな所に居たのか気になるしな」
「あと、僕が倒れていたらしい、あの場所は……?どこなの…?」
「あそこは……。説明が難しいな。この世界の成り立ちから説明する必要がある」
「分かった。教えて欲しい…」
「ちょっと待ってて、地図を取ってくるよ」
そう言って、ロアは地図を取りに行った。地図とはなんの地図だろう。分からないが、僕は少し待つことにした。
この宮殿も本当に綺麗だ。食事や寝る場所も僕に用意してくれている。本当にいいんだろうかというくらい。そんなこの場所の美しさに見とれていると、手に地図を持ったロアが帰ってきた。見る感じ、かなり大きそうだ。
「お待たせ」
「あぁ、ありがとう…」
「じゃあ、教えてあげるね」
そう言って、ロアは床に地図を広げた。なにやら、色々な情報が書かれていて、僕には理解出来ない。これはロアに教えて貰うしかなさそうだ。
「今俺たちがいるこの場所は『テランタ国』という国だ。このテランタ国は、カンテノース大陸の東側にあるんだ。カンテノース大陸はこの世界で唯一の大陸だ。この大陸の端は、誰も行ったことがない。テランタ国は『光の国』とも呼ばれている。このカンテノス大陸には3つの世界がある。ひとつはこのテランタ国、2つ目は西側にある『トーレント国』、『闇の国』とも呼ばれている。最後は地下にある国、これは死者の国だ。レンツァイア国、冥界と呼ばれている。そして、テランタ国とトーレント国の間には大きな崖がある。そこに落ちると地下のレンツァイア国まで落ちていって、死者となってしまうんだ。残念ながら、そこを渡る手段はないんだ。そして君は、このテランタ国の中の荒廃した町で見つかった」
「なるほど……」
カンテノース大陸……。昔、どこかで、大陸移動説を聞いたことがある。ずっと昔には、僕が居たユーラシア大陸、アフリカ大陸などはかつて、一つの大きな大陸だったらしい。パンゲア大陸という名前で、そこからゴンドワナ大陸とローラシア大陸に分裂し、そこからさらに分裂しそして、今の状態になったという話らしい。プレートテクトニクスが何某という話に基づいているので、少々壮大な話だとつくづく思うが、少し興味深い。カンテノース大陸はそれに少し似ているような気がした、というただの僕の感想だ。
「俺も地理には詳しくないから、ここの図書室を使って本で勉強してみるといい」
「分かった。でも、僕、本なんてまともに読んだことがないんだ」
活字は昔から苦手なんだ、と心の中で答える。本は読まなければいけない、読んだ方が良いと周りからよく言われた。自分でも、読みたいと思って何回か挑戦してみたのだが、読み始めてすぐに、飽きたとか眠くなったとかで、諦めてしまった。二行か三行読むと、何か不思議な感覚がはたらいて、僕を本の世界から追い出すんだ。
そして結局、現在まで活字は苦手なままだ。
「え!?そうなのか……。俺は本が大好きだから、色々教えてやるよ」
「じゃあ、読んでみるよ。よろしく」
本が好きな人は本当に羨ましいと思う。僕と、つまり本を読まない人と本を読む人では、知識量に天地ほどの差があるんだと、常に思い知らされてきた。僕は本当に何も知らない。知識が豊富な人は羨ましいと思うが、そこに自分が辿り着けるのか、全く実感が湧かなかった。
「そうとなったら、君に図書室を案内してあげよう」
そうロアは言って、僕を図書室まで案内してくれることになった。「この宮殿には図書室もあるのか!」と内心では非常に驚いていたが、それは声には出さないでおいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドアを開けると、そこには長い廊下がある。本当に豪華
な作りになっているんだなとつくづく思う。その長い廊下を突き当たりまで歩いていくと、少し大きめの扉があって、その先が図書室になっている。ドアを開けて図書室に入ってみると、そこはもうファンタジーの世界で見るようなお洒落な作りをしていて、且つとても広かった。壁一面に本が並んでいて、どんな本でもありそうな気さえした。窓はステンドグラスで、なにやら宗教画らしきものが描かれている。それに、この図書室はこの宮殿の住人しか使わないので、開放感がある。どこまでも静かで、自由な世界を僕は初めて見たかもしれない。
「この図書室は、この宮殿では俺くらいしか使っていない。司書もいない。だから、ショウも良かったら使ってくれ。一人しか使わない図書室なんて、寂しいと思わないかい?それに、ここにはどんな分野の本も揃っている。俺も長い間、一人で寂しかった。でもそんな時に君が来てくれたんだ。俺はとても嬉しかったよ。君が良いなら、俺の語り相手になってくれないかい?」
そうロアは言って、僕に向かって微笑んだ。人に微笑まれたことがあまりない僕は、少し動揺してしまった。
「うん。僕もここに来る前はずっと一人で寂しかった。だから僕もこれからここを使わせて貰うよ。案内ありがとう」
「喜んで貰えて嬉しいさ」
今日のところは暫くここに居て、本を読んでみよう。自分がちゃんと本を読めるのか心配だが、とりあえず開いてみることにした。
「なんだ……これ…?」
中を開くと、よく分からない文字が連ねられていた。見たことがない。暗号が本の中に無数に書いてある。こういう表現はおかしいか。でも、本当に謎だった。
「ねぇ、ロア。この文字は何だい?」
「あぁ、それは、『テランタ文字』だよ。この図書館にある全ての本はテランタ語で書かれているんだ」
「テランタ…文字…?」
「ショウはテランタ語が分からないのかい?それなら、まずは家庭教師を付けなくちゃいけないな」
そう言ってロアは声を上げて笑った。
「うん、まずはその勉強からしてみるよ。そうしないと、この本も読めないしね。それで、その家庭教師は誰を付けるつもりなんだい?」
「俺さ!」
ロアが得意そうに言う。
「え…えぇぇぇ!?」
「なんだい?嫌なのかい?」
「いや、そういう訳じゃないけど……。ただ、驚いただけだよ…」
「じゃあ、そういうことで、明日から俺が勉強を教えてやるよ!」
「う、うん、よろしく!」
そんなこんなで、ロアにまずはテランタ文字を教えて貰うことになった。
今日のところは図書室で読める本もないので、部屋で大人しく過ごそう。僕が宮殿で目覚めたあの部屋は、ロアの寝室兼部屋だそうだ。そこを借りて、僕は今生活している。こんな僕に対して、あんなに優しく向き合ってくれるのは、とても嬉しいことだった。もしかしたら、僕はあんな風に、人に接して欲しかったのかもしれない。もしかしたら、僕はあんな風に、なりたかったのかもしれない。あぁ、僕は、なんて―。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日。昨日ロアが言っていた通り、ロアの部屋でテランタ文字を教えて貰うことになった。机の上に、図書室から持ってきたであろう本がずらりと並べられる。かなりの量があるが、それは今は気にしないことにしておこう。とりあえずの目標は、本が自分で読めるようになることだ。そして、ロアに勉強を教えて貰うことに対して、少し楽しみに思っている自分に驚いた。
「さて、勉強を始めようか。改めて、君の教師になるロアだ。よろしくな。ショウ、君!」
挨拶が、思ってたのと違う!僕は動揺した。君付けで呼ばれると少し照れるんだけど。まぁ、いいか。
「う、うん、よろしく、お願いします?」
語尾がおかしくなってしまった。
「固いよ〜?」
ロアはそう言って、僕の顔を覗き込んで来る。
「あ、うん、ごめん」
「まぁ、いいか!それじゃあ、始めるぞ」
切り替えたようにはっきりと言い、本を手に持った。
「了解」
僕は頷いて、ロアと本を見た。
ロアは本を開いた。その本の中には、びっしりと文字が詰まっている。これを自力で読むことが目標なのだ。
ロアの教え方はとても分かりやすかった。もし、僕が居た世界にロアがいたなら、きっと将来は教師になっていたんだろう。僕は勉強は、あまり得意ではないが、ロアに教えて貰えば、すらすらできるような気がした。そして、何よりも、自分に対して、ちゃんと向き合ってくれていたことが嬉しかった。
それからも、僕は毎日、ロアと一緒にテランタ文字を学んでいった。
半月後、僕はほとんどのテランタ文字よ読み書きが出来るようになった。まさか、こんなにも早く習得出来るとは思ってもいなかった。ここまでしっかり覚えられたのは、ロアのおかげだ。
「よし、これで全部だな!」
「ありがとう、なんとか終わったね」
「どういたしまして。お疲れ様」
そう言って、僕たちは顔を見合わせて微笑んだ。
「これで、図書室の本も読めるようになったな!」
「そうだね、今度自分で読んでみるよ」
「それから、提案があるんだけど、いいか?」
「うん」
「ショウ、俺と剣術と芸術をやってみないか?」
あまりにも唐突な提案だった。
「え!?まぁ、いいけど。僕なんかに出来るかな……?」
僕は戸惑って声が喉から出なくなってしまったように、小さい声で答えた。
「出来るさ。とりあえずやってみよう」
ロアは自信に満ち溢れた顔でそう言った。
「分かった」
ロアがそう言うのなら、と僕は承諾した。
僕なんかに出来るのかと正直思っているが、ロアに誘われたし、とりあえずやってみようと思う。
でも―。
何か―。何かを忘れている。僕にとって大切な何かを―。
何だろう……。
僕がこのテランタ国に来る前、僕がまだ普通の高校一年生だったとき―。なんだかんだで、ここに来てから約一か月が経過していた。
そうか僕は―。
ふとその答えが頭の中の海にふんわりと浮かんだ。
―星が好きだったんだっけ。
思い出した。僕の大切なこと、それは、星だ―。
テランタ文字を習得し終わった日の夜、僕はロアの横でベッドに横たわりながら、考え事をした。横では、もう既にロアは眠りに落ちている。ロア寝顔は案外可愛い、みたいなことを少し思ってしまった。普段はかなりの好青年だが、寝顔だけは、どこか小さい子供のような面影が感じられる。
「んんぅ、……あぁ…うぁ…」
何か寝言を言っているなぁ…。何て言ってるんだろ。僕は面白くなって、くすっと笑う。
実は、彼はよく寝言を言うのだ。僕はロアよりも遅く寝ることがほとんどなので、遅くまで起きているとロアの声が聞ける。何か、ロアの中の夢の世界を垣間見ているような気分に、勝手にひとりでなっている。
まぁ、そういうことは置いておいて。僕だけがロアの寝言を面白がってるだけなんだから。
窓の方向を見やると、カーテンから微かに月や星の光が差し込んでいた。そしてその光を眺めながら僕はいつものように思考を巡らせていた。
(僕がこの世界に来る前の話……)
(僕は平凡な高校一年生だった。特に、自慢できるような特技があるわけでもなく。ただ日々を消化している、そんな生活だった。要するに、変化のない、と言うのが良いんだろうか。僕は何らかの理由でこの世界に迷い込んでしまった。その理由は自分でも全く分からない。ここでの生活も現実感はあるが、前の世界と何か違和感を感じる。この世界と前の世界は繋がっているんだろうか。全く分からない。何のために、何が目的で、僕はここに来たんだろう?僕は、結局のところ、何も分かっていないんだ。
僕がまだ幼かったころ、色々なことに挑戦してみようと思った。勉強に音楽にスポーツに。本当に色んなことに。でも、結局のところは、中途半端に終わってしまった。
僕がまだ幼かったころ、僕はとある人に憧れた。その人は、僕と違って、努力できる才能がある。勉強もできる。スポーツもオールマイティにやりこなしてしまう。そして、芸術の観点でも、とてもよく出来た人だった。要するに、完璧な人。パーフェクトヒューマン。僕とは違って。僕は周りよりも劣っている。みんなに出来るようなことが僕は出来ない。みんなが考えているようなこととは正反対のことを考えている。みんなは僕とは違って、色々なことができる。そう、僕とは違って。)
気づくともう、眠りに落ちていた―。
沈んでいく―。永遠に―。
朝起きると、僕の前には目覚まし時計が置いてあった。朝七時を指していた。僕はパジャマ姿のまま起き上がり、自分の部屋がある二階からおりて、リビングのある一階へと行く。そこは誰もいない静かな空間、だった。朝ごはんは自分で作ることになっている。朝ごはんを食べて、学校に行く。それが僕の朝のルーティンだ。僕のルーティンなんて紹介しても何も意味が無いが。
(今日は、一時間目は、理科かぁ……、星の話をしてくれるわけでもないから、憂鬱だ………)
そんなことを思いながら、学校に行く準備をする。特に面白いこともない朝だ。俗に言う、丁寧な暮らしとは程遠い。まぁ、毎日こんな感じだけれど。
(僕は、家でも、一人、なんだな………)
そんなことを思っても仕方がない。何も変わらないんだから。
さぁ、早く家を出よう。
(一人ということは、こんなにも寂しいことなのか……?)
『ボクが君を待ってる、これから絶対に君にも―』
途中で途切れてしまった。
「誰!?」僕の脳内に知らない声が響いた。
『誰って。君はもう知っているはずだ』
しばらく経ってから、また同じ声が響いた。
「いいや、知らない。誰だか分からないけど、君のことなんて、知らない。……まぁいい。教えてくれよ、僕に。どうやったら周りに合わせられるのか?」
しばらく沈黙が続いた。
『それは自分で考えなければいけない』
その声の主は答えた。単純明快な答えだった。
「自分で考えるのは無理だ」
単純とは分かっていながら、それが無理なんだ。
『それでも、君がやらなければいけないんだ』
「無理なんだよ!!いくら考えても無理なんだ……。僕には……そもそも無理なんだよ………。……返事しろよ……。………」
(僕には到底無理だ。あぁ、僕はなんて―。)
次の日は悪夢にうなされたように飛び起きた。
「はぁ…はぁ…はぁ……。今のは何だったんだ……!?」
息が荒い。横を見ると、ロアはまだ寝ている。
「………」
少しは落ち着いた。まぁ、さっきの夢のことは気にしないことにしよう…。
今日は何をしようか迷っているとロアが起きた。
「おはよう…。ショウ……?」
ロアがゆっくりと起き上がる。目が閉じているのではないかというくらい、彼の目は細かった。
「随分と寝ぼけてるね」
「あはは、そうだなぁ…。今少し話したから目が冴えてきたけど……」
こんなロアもたまには良いかもしれない。
ベッドから起き上がり、机に向かう。机には図書室から取って来た本が数冊積んである。テランタ文字について解説してある本だ。僕はテランタ文字が読めるようになってから、時々図書室に行って本を読んでいる。僕はずっと今まで、本のことをつまらないと思っていたが、ロアが勧めてくれた本を読み始めてみると、案外すらすらと読めるようなものが多かった。自分でも不思議なくらいに。
それから僕は机の上を整頓して、カーテンを開けて、陽の光を浴びる。そして、部屋の外に出て、玄関を出て、庭にあるベンチに座ってゆっくりと過ごす。
庭は、とても広い。王子二人が、花が好きらしい。ここの庭の管理は基本的に第一王子である、ルアートス・アリレウストスがしている。愛称はルア。ロアとは歳が、二歳違う。僕とロアは同い年だ。ルアもロアと同じく好青年で、僕には似合わないような男子ではあったが、とても優しく接してくれるので、僕は抵抗なく話すことが出来ている。最初は、ルアとの会話は(ロアともそうだったのだが)僕の方が緊張しすぎて会話が成立しないくらいだったが、ロアのサポートもあってか、段々とルアとも打ち解けていった。「そんなに強ばらなくても良いよ」と初めて会った時には言われた。それで少しは楽になったものの、やはり初対面から普通に話すというのは難しいものだ。僕のコミュ障や人見知りの影響も大きいだろう。
庭でロアと他愛ない話をしていると、ルアがこちらに気づいたようで、近づいてきた。
「おぉー!ロアとショウじゃないか!」
ルアが笑顔で呼びかける。ルアは相変わらずいつでも元気だなぁと内心思いながら、彼の方向を見た。
僕とロアはここのベンチによく居るので、よくルアに話しかけられる。この二人はとても仲の良い兄弟なので、僕も話しやすい。
「あぁ、兄さん、今日も庭にいるのかい?」
「もちろんさ、俺は今日も花たちに水をやってやるんだ!」
「兄さんは本当に花が好きなんだな」
「あぁ!」
ロアの話によると、ルアは毎日ずっとここの庭にいるらしい。僕もここが好きではあるが、一日中ずっと居るとなると、少し退屈になるかもしれない。ここの庭は多様な植物が咲いている。そして、この宮殿の前にでかでかとあるので、より迫力が出ている。
このベンチに座るたびに、感嘆の声をつい漏らしてしまう。特に、朝と夕方の景色は最高だ。澄んだ空気と、植物に当たる陽光によって、絶景が広がる大地のようになっていく。テランタ国は、別名『光の国』と呼ばれているが、それをこの景色が象徴するような、そんな風景だった。
そうこう二人と話しているうちに、気づいたらもう夕方になっていた。
「もう、夕方か。夕日が綺麗だなあ」
「そうだね。僕も昔、誰かとこうやって並んで夕日を見たことがある気がする」
「さて、二人とも。中に戻って、晩ご飯にしよう!」
「よし!戻ろう!今日の晩ご飯は何だい?」
ロアがそうルアに問う。
「今日は、二人が好きなステーキだ!」
「あははっ、やったぁ!」
ロアが無邪気に喜ぶ姿を見て、僕も顔が綻ぶ。
ルアはそう言って、中に入って行った。
実はルアは、料理も得意で、毎日晩ご飯はルアが作っている。ルアの料理はとても美味しい。朝と昼はここのお手伝いさんが作ってくれるのだが、夜はルアが三人分を作る。僕もロアもルアが作る料理が大好きで、今日はステーキ。気分が高揚する。二人で笑い合いながら、ルアの後について行った。
三時間後。
晩ご飯を食べ終わった僕たちは、それぞれの部屋へ戻った。ロアと僕は一緒の部屋に居るが、ルアは僕たちの部屋の隣りに居る。たまには、ルアと一緒に夜の時間を過ごすのも良いかもしれない。今日は、ルアと夜を過ごそう。明日からはロアと一緒に芸術を始めるつもりだ。剣術はまた時間が余ったらやることにした。芸術は、僕は竪琴をやってみることにした。竪琴なんて初めて触るけれど、音を聞いた時、僕の心が惹かれていったので、やってみようと思ったのだ。
ルアの部屋のドアをノックする。
「ルア…?入っても良い…?」
「あぁ、ショウか。開けていいぞ」
「ありがとう」
「どうしたんだ?俺の部屋に入ってくるとは、珍しいじゃないか」
ルアの部屋は僕たちの部屋に比べてひと回り大きい。ロアの部屋もルアの部屋も常に整っていて、とても居心地が良い。僕も見習いたい部分が多くある。
「あぁ、ルアと夜の時間を一緒に過ごそうと思ってね」
「なるほど。俺は大歓迎だ」
ルアは自分の机に座って、何か書いていた様子だった。椅子をくるっと回して、こちらを向いた。
「ありがとう」
「いい機会だ。こちらこそありがとう。じゃあ、ショウにこんな話をしてあげよう」
「話?」
そう言ってルアはなにやら分厚い本を片手に持って、僕に近寄ってくる。
「そうだ。この話はこの『伝説の書』に記されている。この世界には三冊の、神から授けられた本があってな、ひとつはこの『伝説の書』だ。残りの二つは『記憶の書』、『魔法の書』と言うらしい。どれも、テランタ語で書いてある。俺の所にたまたま一冊あるんだが、これは本当に運が良いことなんだよ。そして残りの二冊は残念ながら、どこにあるのかが分かっていないんだ」
「なるほど。まずは僕に『伝説の書』の話を聞かせてくれないかい?」
そういえば、僕とルアが夜に、二人きりで真面目に話をするのは、初めてかもしれない。ルアからの話がどんなものなのかは全く予想が出来ないが、とても興味をそそられるので、聞いてみることにする。
そもそもルアが僕に話をすることはあまりない。ルアが話すことが苦手というか嫌いということではなく、ただ単純に僕がロアと話しすぎて、時間があまりないというのが理由だ。だから、とても不思議で新鮮な感触がする。
「あぁ。良いよ。ここに書かれている話は、簡単に言うと―」
『二人の少年が伝説を残した話』だ。
~伝説の書〜
これは、英雄の時代の物語。
『ある時、少年は、変わりたいと願った』
(この書物はそんな一文で始められる。)
草原の中を風が颯爽と駆け抜けていく。その草原の真ん中には、高さがおそらく十五メートルくらいあると思われる巨木がそびえ立っている。その木の近くには、ボロボロな家が一軒建っているだけで、他は周りに川くらいしか流れていない。周りには本当に何もないような状態だ。そして、その木の下には、本を開いている一人の少年が座っていた。少年はおそらく、十歳くらいだと思われる。この子は普段もこのように本を読んでいるのではないか。そんな雰囲気を醸し出しながら、ただ、少年は本をページを一ページずつめくっていく。周りは小鳥の鳴く声、小川の流れる音などで世界のバランスが保たれていた。
夕方になり、太陽が西に傾くと、少年は本を閉じ、どこかへ向かって歩き出した。一体どこへ行くのか?その答えは少しした後に明らかになる。それは少年の家だ。
少年の家はほぼ壊れかけている。そしてこの少年は兄と共に暮らしているのだが、とても貧しい暮らしを強いられている。
そしてある時少年はその兄に言った。
「兄さん、何で僕たちの周りには誰も居ないの?」
少年は、その目で何かを訴えるように問いかける。
「………」
少年の兄は黙り込んでしまう。
「兄さん、僕は辛いよ。僕たちのことを誰も見てくれない。兄さんもそう思わないかい?」
「……ッ!あぁ…そう思うよ……。一人は辛い…」
「兄さん……」
少年は気の毒そうな、悲しそうな顔をして、兄の胸の内に倒れ込んだ。
「誰にも見てもらえない運命なんだ。それはもう生まれた時から決まっている。社会に馴染めない人間は、そこの空間から掃き出されるのが摂理なんだよ。もう、どうしようもない……」
「兄さん……。僕は、もう、いや、それでも変わりたい……」
「あぁ…。君なら出来ると思う……」
「ありがとう……兄さん……」
「あぁ……。こんな時はな、『夢』を見るんだ。自分が英雄になる夢を。そんなことは無理だと分かっていても、思い浮かべてしまうんだ。こういう性格だから、仕方ないんだろうな」
「兄さん……。僕は、実際にそうなってみたいんだ…。僕は、いくら社会から掃き出された異端者だとしても、認められなくても、自分だけは満足出来るように生きようって、そう思うんだ……」
「そうか………。君は凄いな……。何でなんだろうな。自分みたいな失敗作がこの世界に産み落とされたのは……」
「失敗作……。僕は失敗作だよ……。とても苦しい。正直、もう消えてしまいたい。でも、何かが僕をここに留めているんだ……。それが何なのかは、分からないけれど……」
「君が変わりたいと願うなら、自分も変わらないとな……。兄として、情けないじゃないか………」
何て自分は―。
失敗作は失敗作のままだ、と周りから何度も思い知らされた。変われない、全てはもう決まっている。それは自分に絶望を突き付けた。もう正直どうして良いか分からなかった。考える気力もなかった。
でも、今、目の前で弟が、『変わりたい』と願っている。それなのに、自分は。
一緒に闘い、弟に寄り添うのが、兄の役割じゃないのか。それだったらもう、自分が先に変わってやるしかないんだ。
「兄さん……。僕、やってみる。失敗作でも、不適合者でも、足掻いてやる……」
「あぁ……。自分も君の話を聞いて、少し何か変わった気がする。君を応援する…。そして何よりも、兄として、弟を導くのが役割だろう……」
そう言って、兄弟は互いに抱き合い、涙を流しながら、いつまでも、いつまでも、二人で居ようと約束した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話が一通り終わると、ルアは『伝説の書』を閉じて言った。
「今話した話は、この書の一部に過ぎない。続きはまた今度話してあげるから、今日はここまでだ」
「ありがとう。続きが気になるよ。その兄弟は、昔の僕ととても似ているような気がした」
「そうか…。続きは明日でも良いぞ」
「本当かい?」
「あぁ!まぁ、今日のところはもう寝よう」
「そうだね、おやすみ、ルア」
「おやすみ、ショウ」
そうして僕たちは互いに微笑み合って、僕はルアの部屋から出た。そして僕はロアの部屋へと戻る。
戻ると、ロアはまだ起きていた。普段ならば、もう既にロアは寝ている時間だ。今日は、なぜか分からないが遅くまで起きていた。僕がロアの方を見ると、彼は窓の外を眺めていた。僕と同じことをしている。確かに、窓の前でああするのはとても落ち着くので、気持ちは非常に分かる。あの光を見て、ロアは何を思っているのだろう。
僕はロアに声をかけた。
「ロア、今日は珍しく遅くまで起きているんだね」
そして、ロアが僕に気付く。
「あぁ、ショウ…」
「ルアの部屋に行っていたよ」
「そうか、兄さんと話すのも楽しいだろう?」
「あぁ!楽しいよ!二人とも、話していてとても楽しい。いつも僕の話を聞いてくれる」
「ありがとう…。」
そしてロアは少し照れたように、微笑んだ。
「そろそろ寝ようか」
ロアが言った。
「そうだね。でも僕は今日も早く寝付けないかもしれない」
「ということは、ちゃんと眠れていないのかい?」
ロアが心配そうに首を傾げる。
「いや、大丈夫だよ」
「なら良かった。じゃあ、俺はもう寝るよ。おやすみ、ショウ」
「おやすみ、ロア」
そう言って、彼はベッドの上に横になり、眠りに落ちていった。
ロアが寝た後、僕は窓の近くにある椅子に座り込んで、一人で何も考えず、ただ夜の静かな空間に身を置いていた。
そういえば、この世界に僕が来てから、もう半年になることに気が付いた。時が過ぎるのは早いものだ。僕が元の世界に居た時のことはもう、記憶の彼方に行ってしまったような、そんな感覚が残っている。もう、こんなに経つんだな。
毎日、二人と話したり、図書館で本を読んだり、勉強をしたりして、とても充実した時間を過ごすことが出来た。元の世界に居た時とは、全く違う振る舞いをしているので、性格が別人のように変わってしまったのかもしれない。やはり、ロアの影響だろうか。ロアと話していく中で、自分と似通っているように感じられたり、自分にとって憧れる存在だと感じたり。そして何よりも、僕の大切な親友だ。そんな彼と毎日楽しく過ごせていることはとても喜ばしいことである。
しかし、半年経とうとしている今でも、僕の心の中にぽっかりと空いた穴は未だに埋まっていなかった。何かを僕は見失ってしまっている。これだけではなくて、他に絶対にやらなければならない、すなわち僕の使命とも言えようことが、どうしても思い出せないのだ。ロアに聞けば分かるだろうか。いや、これは自分で考えないといけない。この話が関係しているのかどうかは分からないが、夢の中で、あの謎の少年が言っていたように。
『君自身が答えを出さなきゃ意味がないんだ』
それがどうと言う訳ではないと思うが、なぜかこの言葉が僕の頭から離れないんだ。何か僕に大切なことを教えてくれようとしてくれているのか。今の僕には、その答えは出せない。だから、これからそれを僕が見つけなければいけない。足を踏み出す必要がある。
その答えを探す旅に―。
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僕たちは普段は、基本的にこの宮殿内に居て、僕はロアと一緒に図書館に行って本を読んでいる場合が多い。しかし、一週間に一回くらいの頻度で、ロアは一人で外へ出かけていく。僕は、何をに行くのかが気になり、ロアに聞いてみたのだが、「俺のやるべきことをこなすだけさ。ショウは知る必要はないさ」と言って、詳しくは教えてくれなかった。普段は何を聞いても、ちゃんと答えてくれるのに、この質問に対してのみ答えたくないような、そんな様子だった。僕に、何かを隠しているのだろうか。いや、ロアが僕に隠していることなどあるものか。彼を疑う僕が愚かだ。人には皆やるべきことがあるはずだ。それは他人が干渉してはいけない。僕はその疑問をそっと置いておくことに決めた。
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外の景色は秋になりつつある。しかしまだ夏の雰囲気が多く残っている。僕がこの世界に来たのは春の始めらしい。そしてそこから約半年が現在経過している。
今日は元の世界でいうところの九月のある日だ。
寝る前に毎日外を眺めるのだが、今日は眠いので、早く寝ることにしよう。僕はロアにおやすみの挨拶をしてから、ベッドに入った。
すぐに僕の意識は不思議な世界に移っていった。
ここは、不思議な世界だ。そして僕はこの世界に迷い込んだ。元の世界とは僕の立場も、性格も大きく違う気がする。別に変えようと思った訳ではない。しかし、なぜか変わっている。本当は僕が心の底からそう思っていたのだろうか。その気持ちに自分が気づかなかっただけなのか。
―僕は、変わってしまったんだ。
そんなことを窓の外の月光を眺めながら思う。
僕は今日もロアの部屋で、ロアの隣で寝ている。安定のごとく、もうロアは寝ているが、僕はまだ起きていた。今日みたいになかなか寝付けない日もあるのだ。寝付けない日は、こんな風に、窓から入り込む風と光に黄昏ている。すると、自分の中の感情が落ち着き、時間を忘れられる。そして僕は、この時間が少し好きだった。
ロアはどんな夢を見ているのだろう?ふと、そんなことが脳内に浮かんだ。でも、こう言っている僕は、夢を見るのかというと、ほとんど見ていない。というか、覚えていない。記憶力が悪いのは昔からだが、それが夢にも影響を及ぼしているのか。まぁ、でも、夢は起きてすぐに忘れるのが普通ということらしいから、僕は正常だ。
今思い出したのだが、そういえば僕はロアのことをあまり知らないような気がする。そして僕のこともロアにあまり話していない気がする。またそういう話がゆっくり出来ると良いが。明日はどうだろう。聞いてみよう。
夜のこの時間は、色々なことが頭に浮かんでは消えていく。この空間はとても静かで、考え事をするには最適なのかもしれない。こういう場所が元の世界にもあったら良いのに。そんなことを思っても、今は元の世界に戻ることが出来ないし、この世界が好きだから戻りたいともあまり思っては居ない。ここには親友も居ることだし。
でも、この『テランタ国』に来てからというもの、何か一つ僕にとって、とても大切なことを忘れてしまっているような気がしてならないんだ。それが何なのかというのを、毎日考えているけれども、一向に思い浮かばないんだ。それを思い出すためにはどんなことをすれば良いのだろう。自分の中で色々試してみたけれども、駄目だった。
僕にとって、とても大切なこと―それは『星』だ。
それも確かにそうだ。僕は『星』に救われた。だけど、何かが心残りとして、胸の内に渦巻くものがある。『星』と同じくらい大切なもの。それがあるということは分かっているのに、なぜか思い出すことは出来ない。それを思い出すことが出来るのはいつになるのだろうか。
この不思議な世界は、僕にとって居心地が良い。不思議な所は多いけれども、それが面白い部分もある。
『不思議』ということ。それはとても『神秘的』ということと同じだと僕は思う。
窓についているカーテンが風にたなびくのと同時に、僕の喉から感嘆の声が漏れた。そして、気づけば僕の意識は奥深くへと落ちていた。
海の深くへと沈んでいく感覚、というのが合っているだろうか?もしそうだとしたら、海の底には何があるのだろう?
『夢』
それはとても不思議な存在だ。元の世界での脳科学の研究者たちは約六十年前から、夢について研究しているらしい。夢というのはレム睡眠の時に見るものらしく、単純計算で一日に四から五の夢を見ることになる。でも、たくさん見た夢も、朝起きたら全て忘れてしまっていることが多い。何とかして全て覚えていられる方法は無いんだろうか。これに関してはもう、科学が発達することを願うしかない。
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とある日の午後、僕はロアと話をしていた。
「前にショウに、剣術と芸術をやってみることを勧めただろう?そろそろ始めてみるのはどうだ?」
ロアは僕に尋ねてきた。
しかし、どちらも僕には疎い存在であることには変わりはない。芸術というのは僕は元の世界では、少しピアノを習っていたくらいで、よく分からない。剣術の方も、全く運動をしてこなかった僕には、とてもきつい作業、というか苦行だと思う。でも、ロアが僕に勧めてくれている。一緒にやろう、と。僕も色々なことをやりたいし、ロアのすすめを断ってしまうのも勿体ないし、申し訳ない。だから、僕は大変でやった事のない、剣術の方を選んだ。
「どちらもやるのは大変だから、剣術、の方だけで良いかな?」
僕は言った。言ってから、本当はどちらでも良いのかもしれないということを、自分が思っていたことに気が付いた。
「良いさ。ショウが出来るやり方で。俺はそれに合わせる」
ロアの言葉を聞いて、この人はなんて優しいんだろうと思った。彼がそう言ってくれているなら、この僕でも出来そうな気が少しだけする。何のためにやるのかは僕の中ではまだはっきりと決まっていないけれども、とりあえずやってみるしかないんだろう。いつか、何に対しても、それをやる目的というものがはっきりと決められるようになりたいと思う。ロアと一緒なら出来るようになるだろう。そう信じたい。
「ありがとう。じゃあ、よろしく」
僕は言った。
そしてロアは僕に向かってにっこりと微笑んだ。ロアは
僕と同い年だが、僕とは違ってかなり好青年なので、その微笑みの美しさに、つい羨ましくなってしまう。あぁ、やはりこの人は僕と合う。感覚で分かる。
―僕は君と一緒ならどこまでも行ける気がする。
そうして、僕は翌日から剣術をやることとなった。
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翌日。
僕が起きると、まだロアは横で眠っていた。そしてこれは僕が先に起きた時のルーティンなのだが、朝起きたら部屋のカーテンを全開にして、太陽光を浴びる。これがとても気持ちいいんだ。
そういえば、昨日の夢は不思議だったなぁ…。夢の中で僕とロアが会話をしていた。何を話したかは覚えていないが、その記憶がぼんやりとある。夢といえば、少し前に天使みたいな奴が出てきた時もあった。あれは本当に謎だ。まぁ、気にしないでおこう。深く考えても分からなくなるだけだから。
普段は夢を見ているのかもしれないが、何を見たかなんて、翌日起きてしまえば、もう覚えていない。僕の心の奥深くの引き出しへとしまわれてしまう。そしてその引き出しは何をしようと絶対に開かない。何か『鍵』があれば開くのだろうか。
そんなことを考えていると、ロアが起きたようだ。
「おはよう……」
ロアが寝ぼけた様子で僕に言う。目が開いていない。彼は大体朝に弱いから、この光景はとても面白くて、毎朝くすっと笑ってしまう。
「あぁ…おはよう、ロア」
僕も挨拶を返す。
しばらくすると、ロアは目が完全に覚めたようで、僕に対してこんなことを言った。
「今日は、朝食は俺が作るよ。お手伝いさんは今日はいない。そして、兄さんも一緒に、広間で食べることになってる」
「なるほど、じゃあ、よろしく」
「あぁ!そういえば、毎日夕食は毎日俺が作っているが、朝食を作ってショウに食べてもらうのは初めてだな」
「そうだね、とても楽しみだよ」
「まぁ、広間に行こう!」
そう言って、ロアは部屋を出ていった。そして僕も広間へと向かう。
〜広間〜
僕は広間に着くと、既にルアが座っていた。そして僕も間の真ん中にある、テーブルに腰掛けた。
「おはよう、ショウ」
「おはよう、ルア」
僕たちは互いに挨拶を交わすと、しばらくの間無言になった。そして、ルアの方から話しかけてきた。
既にロアは調理場で料理をしている。
「今日はロアの方からこういうことをして欲しいとお願いされたんだ。実は、こういうことをロアがするのは初めてなんだ。よくロアは俺に君が居ない時に言ってくるんだ。『ショウは俺とすごく似てる』って。どういうことかはあまり理解は出来ないが、ロアが君のことをとても大切に思っているのは確かだ」
「そうか……。嬉しいよ…」
「ロアにはこの話を俺がしたって、言うなよ」
そう言って、ルアはヒヒヒっと笑った。僕もつられて笑う。
そんな話をしている間に朝食が出来たらしい。
ロアが広間に入って来た。
「さぁ、出来たぞ!」
そう言って、皿がテーブルに並べられる。
「うわぁ…!美味しそうだ」
フランスパン、それからベーコン、スクランブルエッグ、そしてコーンポタージュスープが運ばれてきた。レタスサラダもある。
ロアの料理はいつでも美味しいのだ。
「「いただきます」」僕とルアは言った。
ベーコンにスクランブルエッグを乗せて口へと運んでいく。
「やっぱりロアの料理は美味しいなぁ…」
僕は感嘆の声を漏らした。そしてルアも美味しそうに口の端を上げて微笑んでいた。
朝食を食べ終わると、僕は部屋へと戻った。ルアは自分のことをやるので、広間に残ると言った。僕たち二人はルアに食器洗いを頼み、広間から出た。
「ロアの作る朝食もとても美味しかったよ。これからも晩ご飯をよろしく」
「任せたまえ!」
ロアは自信に満ち溢れた様子で言った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その日の午後。
部屋の椅子に座って、ぼけっとしていると、突然ロアが話しかけてきた。
「なあショウ、前に俺が君に剣術と芸術をやるかと勧めた気がするんだが、やってみないか?」
その瞬間、昨日の夢の記憶が蘇る。あれは、正夢だったのか?まぁ、たまにはこういうこともあるのかもしれない。僕は目を見開いて、ロアを見る。
「…!」
「そんなに驚いたかい?それとも嫌かい?」
「いやいやいやいや、大丈夫だよ…」
「そうか。なら良かった。どうだ?やってみないか?」
「じゃあ、どちらもは大変だから、剣術を頼むよ。よろしく、先生!」
ふざけてみた。僕が冗談を言うことはあまりないので、ロアは驚いた様子だった。
「なっ…!あ、あぁ…。ッ!任せたまえ!俺の優秀な生徒よ!では明日から始めることとしよう」
そのロアのぎこちない物言いが、面白くて声を上げて笑ってしまう。ロアはいつもはとても爽やかな青年なのだが、こういう時に天然が出る。そのギャップがまた良いのだ。
「はははっ!」
僕は声を上げて笑う。
「そ、そんなに、面白かったか?」
ロアは恥ずかしそうに言った。
「君は本当に面白いな!ロ・ア・ネ・ス・ト・君!!」
「なッ!ちょ、や、やめてくれぇ、君に本名で呼ばれると、て、照れるから……」
ロアは狼狽えた。ここまでになったのは初めてかもしれない。
「はははっ!いやぁ、面白いなぁ、君は!」
するとロアは頬を膨らませて、
「うーん、もう…」
と、小さい声で喘いだ。
(普段は爽やかな青年だけれども、可愛くて面白いところもあるじゃないか!)
「とりあえず、よろしく、ロア」
「そう普通に言えよ…」
拗ねている彼を見るのも中々ないので面白い。
ロアもこの国の王子であるが、何ら、『普通の高校生』と変わらないじゃないか。ふとそんなことを思った。しかし、『普通』という言葉に何か引っかかるものがある。『普通』、『普通』、ふつう……。って―。
(ここの世界に来てから、様々なことについて考えるようになった。頭の中にふと思い浮かんだことについて思考を巡らす。しかし、それらの疑問はどれだけ考えても答えなど出ないようなものばかりだ。
まぁ、こういうものでも良いか。それが少し面白いとすら感じているし。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〜回想・十歳の僕・夢の中〜
僕は何も無い空間に、ただ一人立っていた。その空間は光が一筋も差していない。そして、床には水深二センチメートルくらいの水が張り巡らされていた。その中を僕は当てもなく歩いていく。
ボロボロになった靴を履いて、水の動く音を聞きながら、どこに向かうのかも分からず、歩いていく。
「……ここは、どこ…?助けて……。ぼく、一人なの……?ねぇ。誰か、返事をしてよ……。みんな、ぼくのことを、嫌いになっちゃったの……?」
その闇に声は消えて行く。
「……はぁ。はぁ……。はぁ……。ぼく、一人なの……?ぼくの、ぼくの、お兄ちゃんは、どこ……?」
すると、どこからともなくラッパの音が聞こえてきた。それは僕には一筋の希望の光だったのかもしれない。
その後、白い髪をしていて白い服を着ている少年が姿を現した。そして、ぼくに向かって言った。
『あぁ、ここに居たのか。ボクは君を、探していたんだ。そして、君の兄さんは、今、ここには居ない。ボクが兄さんの所まで連れて行ってあげるから、ついておいで』
まるでぼくの事を知っているかのような言い方だった。
「うん……」
ぼくは、その白髪の少年について行った。
「ねぇ、お兄さんは何者なの……?」
ぼくは、その白髪の少年に問うた。
『それを今の君が、知る必要はないよ』
「そうなの……?」
『そうさ、そして今、君は神の招待を受けて、エデンへと向かっている』
「エデン……?って何…?」
『楽園のことさ』
「……」
それから、ぼくたちは無言でしばらくの間、闇の空間を歩いて行った。すると、段々と目の前が明るくなっていることに気が付いた。
『ほら、光が見えてきただろう?』
「そうだね……」
『あの光の中に飛び込めば、もうそこはエデンさ』
床に張り巡らされている水が光に照らされて、光っている。その様子は何かの絵画を見ているようで綺麗だった。靴の中はもうびしょびしょに濡れてしまっている。靴を上げると、そこから水がぽたりぽたりと滴っていた。
(今となっては分かるが、あれは、有名な印象派の画家、クロード・モネの『印象・日の出』のような景色だった。)
ぼくたちはもう少し歩いて行くと、そこにはとても大きいドアがあった。大きさで言うと、どうだろう。おそらく縦は十メートルくらいあったような気がする。そこの前で白髪の少年は立ち止まった。
『さぁ、この扉の向こうはエデンだ。今ボクがこの扉を開けるから、少し待っていて』
「うん…。分かった」
ぼくはこくんと頷く。このエデンこと楽園に行けば、楽になれるのだろうか。自由になれるのだろうか。
『さぁ、始めるか』
そう言って、白髪の少年は何やらよく分からないことを唱え始めた。
『永遠に光あれ。このお方とこのお方を受け入れてくださるお方に』
『レクイエム』
それが終わると、ガタガタと言いながらゆっくりとドアが開き、光でぼくの身体が照らされる。ドアの向こうは眩しすぎて全く見えない。
「うわぁ……!ここが…エデン……」
『さぁ、行って来たまえ』
「お兄さんは入らないの…?」
『そうさ、ボクとはここでお別れだ。ボクには別にやることがあるからね』
「……分かった…。ぼく、行ってくるよ」
見ると、もうそこに、白髪の少年の姿はなかった。
「あのお兄さんは、何だったんだろう……?」
そう呟いて、ぼくは足を踏み出した。一歩ずつ。
もうそこには誰も居ない。不思議な少年のことを思い返す。ドアの中に入ろうとしたその瞬間、何か暖かい感覚に包まれて、目の前の光がぱっと明るくなった気がした。
そして、ぼくは気が付くと、草原の上に立っていた。
颯爽と風が吹き抜けていく。風がとても気持ち良かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロアと剣術の話をした翌日。
僕はいつも通り、朝起きると僕の隣にロアの姿はなかった。僕がロアより遅く起きたのはおそらく初めてだと思う。どこに行ったのだろうと思いながら、でもすぐに戻って来るだろうと思ってしばらく待っていた。そういえば、昨日僕が剣術を始めるということになったので、その準備をしているのかもしれない。
そして、十分後。
部屋のドアが開き、ロアが入ってきた。案の定、その手には木剣を持っていた。驚いたのは、ロアはまだ寝巻き姿だったのだ。そこまでして僕と早くやりたいのだろうか。でも、僕の方もとても気持ちははやっているし、互いにそう思えているということはとても嬉しいことだ。そして、ロアが持ってきた剣は、刀身が一メートルくらいありそうだ。とても艶々していて、陽光が刀身に反射して、輝いていた。それはとても、神秘的だった。あれを僕は、今日から振り回すのだと思うと、色々な感情が胸の中に渦巻く。ロアの剣と僕の剣で二つ。
ロアの剣術の話を持ちかけて来たのは、ずっと前のことだが、色々とやることがあって、中々ロアもその事を言い出せないようだった。そして遂に昨日、その話を僕に持ち掛けたのだ。ずっと前にその事を誘われた時は正直驚いて、自分には難しいだろうと思っていたが、最近になって、自分も剣を振ってみたいと思う気持ちが少しずつ募っていくのが感じられた。
ロアは寝巻き姿のまま、僕の方を見て、微笑みながら立っていた。ロアの寝巻きは上下、紺色で統一されていて、シンプルでお洒落だ。彼の体にはほんの少しだけ大きくて、手が少し隠れている。
僕の方はというと、上下、白で統一されていて、所々に星の刺繍が入っている。それは僕が好きな模様で、とても気に入っている。僕が星好きであることをロアはもう知っている。いつかの夜に、彼に話したから。
元々これはただの白色で着心地の良いものだったのだが、星の話をしてから、ロアは誰かに頼んで、この星の刺繍を入れてもらったのだそうだ。この国には、様々な人がいる。僕はこの宮殿からは出たことがほとんどないけれど、一回だけ宮殿の敷地外に出て、ロアと出掛けたことがある。そこには様々な人や家や店が立ち並び、町は賑わっていた。
そんなパジャマの話は置いておいて。
今日から、ロアに剣術を教えてもらう。部屋に入ってきたロアは僕に剣を差し出した。
「はい、これがショウの剣だ。最初は木剣で練習して、慣れてきたら本当の金属の剣に変えて使っていく」
「うん、ありがとう…。うわぁ……素敵な剣だ…!」
「そうだろう?俺が町まで行ってとある店に頼んで作ってもらったんだ。しかも特注で。ほら、鞘を見てみろよ。名前が刻まれているはずだ」
「うわぁ……!この剣は僕の物だ…!かっこいい…!」
「喜んでくれて嬉しいよ。さぁ、早速使ってみようか」
ロアが僕に微笑み、僕の肩をぽんと叩いて、
「着替えをしたら、外で振ることにしよう」と言った。
「そうだね、ありがとう…」
僕たちはその後、着替えをして部屋の外へ出て、噴水庭園へと向かう。噴水庭園は、ルアが管理している花畑の近くにある。庭園の中心にある、高さ三メートルくらいの西洋式で大きい噴水の周りは、芝生が生えている。そしてそこからは、僕たちの部屋も見える。僕たちの部屋は宮殿の二階にあって、そこから部屋の近くにある階段を使って一階へと降りる。そして、玄関から出るとそこはもう噴水庭園だ。
噴水の水の音が心地良い。これからここで剣をやることになるだろう。本当にここは広い。この宮殿を建てた人はどんな人なのだろうか。会ってみたい。こんなに大きいものを立てられるのは相当だろう。
落ち着く空間というのは、つい思考を促進するのだが、今は早く剣を回したくてうずうずしている。剣を振り回すという表現は、子供っぽいなぁ。僕はそんな性格だったっけ。何かここに来てロアと出会ってから、本当に全て変わってしまったみたいだ。僕は正確には立場として確立されていないが、この国の王子と同等の立場になったのだ。自分でこんなことを思ってしまうのは、傲慢だろう。結局、僕は、―。元の世界での記憶が段々と薄れて行っていることに気が付いたのは、つい最近のことだった。
僕は剣を持って、ロアの近くに寄る。ロアは剣を持って、こちらを見ている。
「それじゃあ、よろしく、先生!」
僕は昨日のように、ふざけて呼んでみた。
「だ、だから、その呼び方は……。……もう、好きにしろよ……」
「あははっ!ごめんごめん!」
「もう、好きにしろ……」
ロアは諦めたように、ため息を漏らした。
「そうさせてもらうよ!じゃあ、早速、剣の基本を教えてくれ」
「あぁ」
僕は鞘から木剣を抜く。心地の良い音がして、刀身が姿を表す。いくら木剣と言えども、かっこいい。僕は刀身に見惚れながら、ロアの方を見て笑顔になった。
ロアは、剣の持ち方から、丁寧に教えてくれた。やはり彼の教え方はとても分かりやすいので、こちらもすぐに理解できる。元の世界に、こんな教師がいれば良かったなぁと思いながら、ロアの説明を聞く。
今日、教わったのは持ち方や振り方、構え方など、基本的なところを一つ一つ教えてもらった。大体、数時間やっていただろう。少し息が上がって疲れているように感じる。僕は、元の世界では運動神経は悪い方だった。それに体力もない。だから、こういうことをするとすぐに疲れてしまう。しかし、ロアと一緒にやれば、楽しめるので、それで良いと思っていた。
これから基本的に毎日ロアに剣を教えてもらう。まずは基本を習得するために、練習あるのみだ。ルアに聞いたところだが、ロアは相当剣が使えるらしい。ルアもロアと共に幼少の頃、剣術をやっていたらしい。二人とも凄い剣の使い手だ。僕もやるからにはロアの背中を追って行きたい。そして、ロアと剣をいつか対等に交えることが出来れば、とても楽しめることであろう。
ルアもロアも僕の憧れの存在になりつつある。あんな人になりたい。僕もなりたい。その願望が胸の内に芽生えたのは、つい最近だ。僕がロアに憧れていることは本人には言っていない。今日の夜、ルアの方にはこっそり言っておこう。ロアは僕と同い年だが、手本になる所が多くある。僕も、変わろう。元の世界の僕とはもう違うんだ。この世界で、僕は、『変わる』んだ。
その一つのきっかけが『剣』になると良いとも思っている。
ロアは教える時、自分が実際にやって見せるので、こちらとしても動きが想像しやすい。更には、一緒に剣を持って、体で教えてくれることもとても親近感を覚えるし、何よりも楽しい。
まるで、僕たちは相棒同士のような。そんな感覚を覚える。実際そうなのだが。親友であり相棒でもある。この二つの語は同義なのかどうかは分からないが、似ている気がする。相棒との時間は僕にとって、とても楽しい時間だ。これからもこんな幸せな時間が続いていくといいと思う。永遠に。
その日の夜。
僕はまたロアにおやすみを言ってから、ルアの部屋へと行った。ドアをノックしてから部屋に入っていく。
「ルア、今日も君と話そうと思ってね」
「あぁ。良いよ」
そう言ってルアは僕に微笑む。そして僕に問いかけた。
「今日はロアに剣を教えてもらったそうだな。俺も花の世話をしながら、少し覗いていたが、とても楽しそうだったじゃないか」
そうか、噴水庭園と花畑は近いから、見えるのか。
「あぁ。ロアの教え方はとても分かりやすくて、僕もやっていて楽しいよ」
「そうだろう。あいつは元は『剣の魔術師』と呼ばれていた。しかし最近は剣をあまり触らなくなって、そういうことにも疎くなっていった。あいつは俺の自慢の弟だよ。賢いし、優しい心を持ってる。誰よりも―」
ルアはしみじみと言った。確かにロアは賢いし、優しい。
「そうなのか…。『剣の魔術師』、凄い異名だね…。僕もロアみたいに剣を使えるようになるのかな?」
僕はロアがそんな風に呼ばれていたことに驚いた。彼はとても凄いが、それを自慢するようなことはしない。もう少し自信を持っても良いのにと思えるくらいに。その謙虚さも良いと思う。
そしてルアが僕の肩をぽんと叩いて、僕の目を見て微笑んだ。
「きっとなれるさ。ショウなら、きっと。頑張れ」
その瞬間、僕は嬉しくて、涙が出そうになった。なんて僕は涙脆いのか。昔から、本当にすぐ泣く。でも、ルアにそんなことを言われたら、嬉しいに決まっているじゃないか。
「あぁ…。頑張るよ、ありがとう、ルア」
あぁ…。僕は、幸せ者だ。
こんな素敵な人に囲まれて。
この時間が、一日一日が。かけがえのない宝物として、僕の記憶の箱に大切に詰められていく。お洒落な包装で、素敵なメッセージをつけて。
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それから、僕は毎日剣の練習をしていくことになる。
この剣は何のために振っているのか。その答えはいつ見つかるのか分からない。
僕は何のためにこの世界に来たのか。
僕は何のために道を進むのか。
その答えを探す中で、どんなことが待ち受けているかなんて誰も知らない。
そしてその答えが見つかる時があるならば、それは、僕にとって、この世界での僕が過ごした時間の果てにあるだろう。
その果てに辿り着く道はどこまでも続いている。
その道を僕は一歩ずつ歩いていく。
僕の親友と共に―。
ここまで読んで頂きありがとうございます!初めての投稿でよく分かっていませんが、定期的に投稿はするつもりではいます!趣味で書いている小説ですので、文書は拙いですが、僕が描く物語の世界観を楽しんでくれたら嬉しいです!また、ブックマーク、評価をして頂けると嬉しいです!




