不穏な影
覚悟を決めて線を踏み越えると、魔王が動き出した。
見かけ通り足は遅いが、拡散する水ブレスを放って素早い攻撃を仕掛けて来ている。
まずやるべきことは、殻の隙間に剣を刺して、貝柱を全て斬ることだ。
ただ、狙いが分かっているのか、大きなカニばさみを広げて左右に回り込むことを防ごうとしていた。
(左右がダメなら上からだ)
左の鋏の上を跳躍で飛び越えた途端、鋏の根元がゴムのように伸びて、こちらをつかもうとしてきた。
今回は間一髪背後に回ることができたが、次はそうはいかないかもしれない。
素早く隙間に剣を差し込み、左半分の貝柱を切ることができた。
その直後魔王は素早く逆周りに振り向くと、鋏でこちらを掴んで投げ飛ばしてきた。
(思ったより振り向くのが速いな。残り半分はもっと大変かもしれない。)
そう思った矢先、魔王が完全に殻に閉じこもった。
それに気づいてハンマーの準備をしようとした矢先、殻の隙間から細い触手が伸びてきた。
その触手には半透明の青い傘が握られていた。恐らく魔王の武器だろう。
傘が開かれた瞬間、事前の予想とは違いレーザーではなく普通の雨が降ってきた。
しかし、この認識が間違っていることがすぐに分かった。
雨を浴び始めた途端、急に体が痛みだし、呼吸も苦しくなっていった。毒の雨だ。
(これではハンマーどころじゃない! 一か八かやるしかない)
インベントリから素早く太陽の杖を取り出し、ありったけの魔力を込めた。
そうすると、太陽のような光の玉が宙に現れて、上空にあった雨雲を全て払っていった。
(かなり魔力が減ったけど、これで首の皮一枚つながった)
キュアポイズンで解毒しながら魔王のもとに駆け寄る。
腕力強化をかけながらハンマーをインベントリから出し、その勢いのまま殻を殴りつける。
鼓膜が破けそうな音を立てて殻とハンマーがぶつかり合う。
急に殻の中からずるりと本体が出てきた。
あまりの衝撃にぐったりしているようだったので、素早く剣に持ち替え残りの貝柱を切った。
(後は殻を取るだけだが、どうやって取ろうか……)
手に乗っかるような貝なら簡単だが、このサイズの殻は持ち上げるのが難しそうだ。
直後、気を取り直した魔王が鋏でこちらを薙ぎ払ってきた。
しかし、どうも動きが鈍くなっている。
どうやら先ほど呼び出した太陽の力で弱っているようだった。
(これだけ鈍ければ、ハンマーで殻をどかせるかもしれない)
一旦鋏の攻撃を誘い、片方の鋏を切り落とすことに成功した。
そして、そのままハンマーで殻をかちあげる。
再び派手な音を立てた後、殻は少し離れたところに転がっていった。
その隙を逃さず、素早く酢を魔王の体に振りかける。
(結構すごい匂いがするが、そんなこと言ってられない)
背中に飛び乗ると、剣が青く輝きだす。とどめをさせる合図だ。
残りの力を振り絞ってブレイブエッジを放つと目の前が真っ白になった。
気がつくと、また真っ白な空間にいて、いつの間にか椅子に座っていた。
向こうから青い白衣を着た人物が歩いてくる。
6号に似た雰囲気ではあるが、全体的に青で統一された格好をしている。
「お疲れ様~ 勇者くん。僕は4号。薬師を担当してるんだ。」
「お茶でも飲んでゆっくり待っててよ。処理が終わるまで少しかかるから。」
そう言うとこちらにティーカップを差し出してきた。
「ありがとうございます。」
茶を少し飲んでみる。
少し熱いがいい香りがする。これは単なる精神世界ではないのだろうか。
「一応聞くんだけど、まだ勇者続ける?」
「はい、できる限りやっていこうと思います。」
「OK、分かったよ。それにしても、知らない世界に来て一人で魔王と戦わないといけないのって結構大変だよね。カーバンクルを介して4人まで勇者の力を分配できるv2系は結構いいアイディアだと思ってたけど、カーバンクルが急にいなくなるなんてね…… こういうことがあるならもう少しv1系の改良もしておけば良かったと思うよ。」
以前の勇者が2種類いる話から考えると、俺はv1系という方なんだろう。
しかもv1になったのは、この世界から急にカーバンクルが消えてしまったせいらしい。
「あなた方が勇者を作ったんですか? そうなると、実は神様だったりします?」
先ほど話で一番気になったのはここだ。まるで勇者の仕組みそのものに介入できるような口ぶりだ。
「いや、そこまですごいものではないよ。我々はただの管理者に過ぎない。作ったものも勇者そのものというより、勇者を生成するシステムと勇者のスキルシステムぐらいだよ。」
十二分にすごい。恐らく神とは違う枠組みなのだろうが、普通の生き物に比べたら遥かに格上の存在だろう。
「いやいや、十分すごいですよ。それで……開発者的には勇者以外の人を魔王戦に参加させて、トドメだけ勇者がやるというのはやっぱりナシですかね?」
どうにかSSSランク冒険者を仲間にできれば魔王戦も楽勝だと思ったが、管理者の裁量次第では何らかのペナルティを与えられてしまいそうな気がした。
「ああ、確かにその通りで問題になったから、だいぶ前に魔王と勇者しか入れないように修正済みだよ。この世界のバージョンだと既に修正済みのはずだけど、もしかして君の世界ではまだできてた?」
その戦術ができないことはショックだが、それ以上に世界そのものに新旧の概念があることに驚いた。
「確か、勇者以外でも普通に出入りできてました。」
「事態は思ったより深刻かもしれないな。実は、君以外にも最近別世界から転生してきた人類がいるみたいなんだ。そして、転生直後から何やら怪しい動きをしていそうなんだ。このままだと、君は魔王より面倒な相手と戦うことになるだろう。」
「もしそうなったときのために、君のスキルに<リモレイド>を追加しておくよ。あと、傘と冠も持って行っていいよ。」
なんだかとんでもないことになってきた。それに聞きたかったことがあったのを思い出した。
「何故魔王が持っていた武器を渡すことができるんですか? 管理者と魔王はどういう関係何ですか?」
「あーごめん。もう時間みたいだ。それについては次のヤツに聞けば多分誰でも教えてくれると思うよ。とにかく、残りの討伐も頑張ってね! あと、邪竜教団って奴らがいたら多分僕の悪い予想が当たってるだろうから、そうなっちゃったら悪いけど超頑張ってね!」
そう言い残すと空間は消えて、俺はいつの間にか小島にいた。
久しぶりの雲一つない青空の下、町へ戻るとなんだか騒がしかった。
衛兵が何やら黒いローブに身を包んだ人物を捕縛していた。
どうやらこの前シーサーペントがこの町に現れたのはこの人物が原因だったらしい。
「今回は邪魔が入ったが次はそうはいかない! この腐りきった世界と愚かな人類は、もうじき古きこの世の支配者たる魔神によって滅ぼされるだろう! 邪竜教団の名を忘れるな!」
ローブを着た人物はそう叫びながら衛兵たちに引きずられていった。
ここからの旅はより過酷なものになりそうだ。