英雄だったもの
数日が経過した。
季節はもう夏。
日はのびた。たぶん。だが日がのぼっているうちは、だいたい会社のオフィスに閉じこもっている。太陽を拝める機会は少ない。
俺たちは給料を得る代わり、太陽を奪われている、などと言えば感傷に過ぎるか……。
バーのある通りは、ほぼシャッターがおりていた。いわゆるシャッター通りというやつだ。人もいない。いても通り過ぎるだけ。
今日は、そこで男に絡まれた。痩せこけて、目のギョロギョロした小柄な中年男性だ。
「よう、英雄。へへ。そんな怖い顔すんなよ。少し話をしたいだけだ」
声をかけてきたのは斜め後ろから。
怖い顔をしたつもりはない。緊張しただけだ。攻撃されるかもしれないと思った。小柄ではあるが、刃物を所持していないとは言い切れない。しかも英雄などと……。
俺は男に向き直り、こう尋ねた。
「ご用は?」
すると彼は俺の正面を避けて、斜め前に立った。警戒心が強い。
「だから、話すだけだって。な? そう怒んなよ」
「怒ってませんよ。話の内容は?」
「ああ、そうだな……内容……」
目を左右に泳がせて、内容を考えているふうだ。
もしかして、特に用もないのに俺を呼び止めたのか? しかしこちらを英雄と呼んだ。きっとバーの関係者だろう。
男は言った。
「そうだ、椿。椿は元気にしてるか? あいつ、頑張り屋だからよ。ムチャしてねぇか心配で。へへ」
椿――。タイガーリリーから聞いた名前と一致する。
冷気を操る妖精。
だがこれで確信した。彼は式典の参加者。かつての英雄だ。前回の英雄はタイガーリリーをかばって死んだから、もっと前の英雄だろう。
「その子にはまだ会ってない」
「そうか……。そうか。た、頼むから手は出さないでくれよな? あいつは俺の大事な……大事な子なんだ」
「バーには入らないんですか?」
俺はいちおうの礼儀を払い、そう尋ねた。
だが、男は顔をしかめてぶんぶん手を振るばかり。
「いやいやいや、入れねぇよ。入っちゃダメなんだ。約束だからな。入ったら怪物にされちまう。なんだっけな、あの、立派なやつ……尊厳? とられちゃマズいヤツ……」
「人間性?」
「ああ、それだ、それ。それがな、もう、ほとんど残ってねぇんだってさ。ひでぇよな。こっちは頼まれたから仕方なく協力しただけなのによ……」
人間性をだいぶ失っているようだ。
以前は、もっと違う人物だったのかもしれない。だが人間性を失い、こうなった。
人間性を失ったということは、複数の妖精に手を出した、ということでもある。
彼は下卑た笑みを浮かべ、こう言葉を続けた。
「あんた、初めてじゃないよな? 何回目だ? 誰に会った?」
「エーデルワイスと、タイガーリリーに」
「ああ、なるほど。いいよな。どっちも美人だ。あっちのほうもいい具合だぜ。試したか?」
「いや、まだ……」
「おいおい、なに遠慮してんだよ。もったいねぇな。タダだぜ? タダ! ま、ヤりすぎると俺みたいになっちまうけどな。へへへ」
クソ野郎が……。
だが、これは未来の自分の姿かもしれない。人間性を失えば俺もこうなる。
不快だが、滅多にない機会だ。聞けることは聞き出しておいたほうがいいかもしれない。
「つまり、あなたはあの式典を生き延びたと?」
「そう! そうなんだ。俺、昔から要領だけはよくてよ。へへ。無傷でクリアしたんだ。すげぇだろ? コツ、教えてやろうか?」
「それはぜひ」
こちらが下手に出ると、彼はこの上ない得意顔になった。
「そりゃあさ、躊躇しねぇことだよ。俺だって本意じゃなかったよ? けど椿がさ。撃てっていうもんだから。ま、ホレた女のためならってヤツ? 油断させといて、後ろからズドンだ。要らないヤツから順にな」
「ヒロインを?」
「ああ。まあ、気分のいいモンじゃねぇわな。せっかく仲良くなったのによ。いい思いもさしてもらったし。けど、時には冷徹な判断ってのも必要だぜ? ま、俺みたいに生き延びたかったらよ、いま言った通りにするんだな。へへ。椿も凄いって褒めてくれたっけ」
「参考になります」
「いいって、いいって。ま、美人を殺すのはもったいないけどよ。後悔しないよう、余裕あるうちにヤれるだけヤっといたほうがいい。兄ちゃんだって、さすがに死体とはヤりたくねぇだろ?」
「ええ、まあ」
思ったほど重要な情報はなかったな。
ところで、この話は長くなるのだろうか?
男はもじもじしていた。
「あー、でよ、ひとつ、頼まれてくんねーか?」
「内容によっては」
「いや、そんな難しい話じゃねぇんだ。椿によ、もし会ったら……俺が心配してたって伝えといて欲しいんだ。あ、いや、心配っていうか……まあ元気にしててくれりゃそれで……。へへ」
椿という妖精に未練があるようだ。
バーに入ることもできず、この辺りをふらふらして、過去に思いをはせていたのだろう。あまりにみじめすぎる。
「伝えておきますよ。お名前、うかがっても?」
「ああ、悪いな。俺の名前は……」
*
バーに入ると、フルメンバーが揃っていた。
ソファには丸まったマッポーちゃん、席には足をぶらぶらさせた神さま、カウンターにはタイガーリリー、そしてなぜかバニーガールの格好をしたエーデルワイス。
「いらっしゃいませ」
タイガーリリーは今日もバーテンダーだ。そこが定位置なのかもしれない。
俺はカウンター席につくや、まずは少年に話しかけた。
「外で坂本って男に会った」
「うん。知ってる。かつての英雄だね」
外で起きたことなのに、もう把握しているとは。
さすがは神。
この感じだと、俺たちが神の殺害を計画していることも、とっくに気づいているのだろう。
「ああいうのが、まだほかにもいるのか?」
「いると言えばいるね。けど、すぐにいなくなるよ」
「どういう意味だ?」
「あそこまで人間性を失うと、ルールを破るのも簡単だから。そしたらすぐ怪物になっちゃう」
この予想は当たりそうだ。
あの男は自分の都合しか考えていなかった。もとからそういう人物だったかのは分からないが。少なくとも尊敬に値する人物ではなかった。
「なあ、神さま。この式典に参加する英雄ってのは、男だけなのか? 女の場合はどうなる?」
俺は差し出された水を飲み、そう尋ねた。
少年は少し回答に迷ったのか、斜め上を見つめ、それから答えた。
「女性でも試したよ。けど、僕の用意した形式とは相性がよくなかった」
「というと?」
「まず、妖精はいろいろ奔放だけど、その一方で、働くことをしないんだ。食事もあまりとらないし、野宿だって平気。いわゆる人間的な生活力が備わってない。そういう妖精に、女性はあまり惹かれないみたい」
「辛辣だな」
「次に、銃を渡せば男性は勝手に戦ってくれるけど、女性はそうならない。たしょうの説得がいるんだ。あまり熱心に参加してくれない」
おいおい。
その言い方だと、銃を手にしただけで嬉々として乗り込んでいった俺がバカみたいじゃないか。いや、名誉のために言っておくが、男が全員そうとは限らない。俺がちょっと無邪気だっただけだ。たぶん。
「もし神ってのが実在するなら、男だけに試練を課すのは考え直して欲しいところだな」
「強制はしてないよ」
「その通りだ」
いちいちごもっとも。
俺は好きで参加してるんだ。神はなにも悪くない。クソが。
ふと、エーデルワイスが大股で近づいてきた。
「ちょっと! なんでこのセクシーな私を無視して、いきなり子供と話を始めてるワケ? なんなの? ショタ好きなの?」
そんな言葉で神を侮辱するな。
いや、俺を罵倒してるのか?
バニーガールだ。この手の寂れたバーに似つかわしいかどうかは分からないが、よく似合っている。というか、彼女の場合、なにを着ても似合う。大きく開かれた胸元、網タイツに包まれた脚。どこを見ても劣情を煽ってくる。だからあえて見ないようにしているのだが。
「大事な話があったんだ」
「聞こえてたわ。坂本なんとかでしょ? あいつ、最低だったわ。まっさきに私のこと撃って。椿のどこがいいんだか」
そこは個人の趣味だからなんとも言えない。
「落ち着いてくれ」
「あなたは私のこと撃たないでよね。撃ったら恨むから」
「なにも約束できないが、前向きに検討するよ」
「ハッキリしないわね。ほら、これ。あげるから」
カウンターに板チョコが置かれた。
ありふれた市販のミルクチョコレートだ。むかし親がパチンコに行くと、たまにとってきてくれた。コンビニでも売っている。
「ありがとう」
「知ってる? 人間界にはバレンタインデーというものがあって、愛する人にチョコを与えるの」
「知ってるが、バレンタインデーは半年先だ。それに、まだ愛する人でもないだろう」
「これから愛するかもしれないじゃない?」
ここにいる間はそうなるかもしれない。
だがその先は没交渉だ。そのころには俺も「あいつ、最低だったわ」と言われている可能性がある。
「みんなで食べよう。悪いけど、割らせてもらうよ」
俺は板チョコを割り、みんなに配った。
マッポーちゃんは「食えねぇマポ」と言ったので、彼女以外に。やはりネコなのだろうか?
もちろん神さまにも分けた。
「いいの? 僕にもくれるの?」
「同じ空間を共有してるんだ。このくらいは公平であるべきだろう」
「敵だと思われてるのに?」
「たとえ敵であっても、だ」
「わあ。嬉しい。分け合うのって、とってもいいね」
にこりと無垢な笑み。
こうして見ると、本当に愛らしい少年だ。頭をなでくり回したくなる。中身は外道そのものなのに。
タイガーリリーも肩をすくめた。
「私の英雄は、本当にお人好しだな」
「帰ってきたら、こいつでウイスキーをやろう」
「ならもうひとつ残しておかないとね。きっと一人増えるだろうから」
その通りだ。
式典に参加するとヒロインが増える。
俺が殺さない限りは。
さて、しかし悠長にしている場合でもない。
ヒロインが七名集まると、さしたる猶予もなく葬送が始まるという。こちらが自由に動けるのは、六名の時点まで。今回で三名になる。つまり半分まで来てしまった。
早く打開策を見つけなければ。
ゆさぶりをかけるなら、今回もマッポーちゃんを使うべきだろう。神のリアクションからヒントを引き出すのだ。
また血を吸わせてみるか?
あるいは俺の人間性を吸わせるべきか?
どちらもリスクだけは見えるのに、リターンが見えない。
かといって、なにもしないわけにはいかない。
過去の英雄がなしえなかったことを、俺はなさねばならないのだ。
(続く)




