酒は飲む、されど進展なし
「泣くな、エーデルワイス。俺は今日、ここにタダ酒を飲みに来たわけじゃない」
いや、八割はタダ酒を飲みに来たのだが、残りの二割は違う。たぶん。
エーデルワイスも顔をあげた。
「じゃあなによ? 私をヒロインに選んでくれるの?」
「それも選択肢のひとつに入るが、そうじゃない」
「そうじゃない……」
いちいち傷つかないで欲しい。
俺はグラスを置き、立ち上がった。
「エーデルワイス、過去に召喚した魔物について教えてくれ」
「魔物? どれもだいたい、そいつと同じくらいの下級魔族よ」
そいつ、というのは、ソファでぐでーっとしているマッポーちゃんのことだ。俺たちの話など無視して丸まっている。
「召喚の基準は? すべて同じタイプだったのか?」
「タイプはバラバラ。記憶にあるのを片っ端から試してるだけ。けどまあ、マッポーちゃんは……たしかに特別かもね」
「特別、というと?」
「エネルギーをためておけるの。タンクみたいなものよ。結局、なんの役にも立たなかったけど」
「タンクか……」
現場では血をすすっていた。
その血もすべてぶちまけてしまったわけだが。
俺はソファに近づき、マッポーちゃんの体をゆすった。
「マッポーちゃん、起きてくれ」
「うるせぇマポ。ずっと起きてるマポ」
この毛玉は、どこが目でどこが口なのかも分からないくらい丸い。耳や角を見ればどちらが上かは分かるが。
「吸い込めるのは血だけなのか? ほかにもなにかためておけるとか?」
「いいところに気づいたマポね、衆生。マッポーちゃんは、いま話題の『人間性』も吸い込めるマポ。そこを見込まれて召喚されたと思ってたのに、このバカ妖精、ちっとも気づいてなかったマポ。ヘソでティーがボイルするマポ」
アタリだ。
こいつは神の欲しがっている人間性を横取りできる。
だから狙われた。
俺は妖精たちに振り返った。
「勝利に一歩近づいたな」
「え、どういうこと?」
エーデルワイスはきょとんとしている。
彼女の誇る頭脳とはいったい……。
「つまりマッポーちゃんは、人間性を吸い込めるんだ。もし俺が人間性を失うようなことをしても、神にぶんどられる前に、マッポーちゃんが確保できる」
だがエーデルワイスは眉をひそめた。
「なにそれ? つまりいろんな妖精とヤリまくっても怪物にならなくてラッキーってこと?」
「そんなこと言ってないだろ。戦術の幅が広がるって言ってるんだ。だいたい、まだどの妖精ともヤってないのに、その言いぐさはひどいだろ」
「はいはい。とても高潔でいらっしゃるわね、私の英雄サマは。ご自分を聖人君子とでも思ってらっしゃるのかしら?」
顔はいいが、性格はクソだな。
だが彼女はマッポーちゃんのマスターだ。敵に回すわけにはいかない。
俺は脱力しつつも席に戻った。
「少なくともプランを見直せる。勝てるかどうかはともかくな」
マッポーちゃんの能力は応用がききそうだ。しかし具体的に、どう使えば神に勝てるかは分からない。現状、エーデルワイスの指摘通り、複数の妖精と関係をもっても人間性を奪われない、ということでしかない。
いや、それでもマッポーちゃんには人間性を奪われるのだ。彼女が俺に返してくれないのなら、リスクはひとつも軽減していないことになる。
エーデルワイスが、ぐっと顔を近づけてきた。とてつもない得意顔だ。
「ねね、ならこういうこと? あなたが奪われるはずだった人間性が、マッポーちゃんに行くのよね? ということは、そのマスターである私が人間性を掌握することになる。そうでしょ? つまり、あなたが怪物になるかどうかは、私の判断にかかってるってことよ」
「その通りだ」
ようやく理解してくれたらしい。
だがまだ完全じゃない。
エーデルワイスは「ふふん」と鼻を鳴らし、勘違いしたまま調子に乗ってきた。
「ならば英雄、私をヒロインに選ぶべきね。さもなくばあなたを怪物にするわ」
そうだ。
肝心な部分を理解していないからこうなる。
俺は溜め息をつき、こう応じた。
「ちゃんと考えて発言してるか? 俺を怪物にする? どうやって」
「えっ? だから、人間性を掌握して……」
「その人間性を、どうやって俺から奪う? 俺が愚行を働かなければ、そもそもマッポーちゃんの出番もないんだぞ? そこは考えたか?」
「ええと……」
「俺は誰にも手を出さない。人間性も失わない。あんたの世話になる必要もない。あんたを選ぶこともない。こちらからは以上だ。反論は?」
「……」
目を丸くしている。
というか、そんなにショックを受けるようなことでもあるまい。
タイガーリリーがカクテルを出すと、エーデルワイスは一気に飲み干してしまった。まあジュースだし、酔うこともなかろう。
エーデルワイスはぷるぷると震え出した。
「なんなの? 高潔なつもりなの? 一人となら関係を持っても問題ないのに?」
「誰か一人に入れ込めば判断が鈍る。それに、こっちだって命がかかってるんだ。あんたも同じだろ? そのために戦うんだろ?」
自分にも言い聞かせている。
正直なところ、最後まで我慢できる自信はない。人間性などいつでも投げ出したいと思っている。一回くらいならいいだろう、と。だがそれでも、いまは踏みとどまっている。この状態を可能な限り維持するのだ。
彼女が返事をしなかったので、俺は勝手に話を進めた。
「なあ、その調子で神を誘惑してみたらどうだ? もしかしたらペースを崩せるかもしれない」
これにはタイガーリリーが首を振った。
「何度も試したよ。けどムリだった。向こうにしてみれば、妖精なんて、発情期のイヌにしか見えないんだと思う」
生物として、かなり下に見ているわけか。
イヌは下じゃない、という意見もあるかもしれないが。人間がイヌを飼うことはあっても、その逆はないのだ。事実は事実として動かしがたい。
さて、とはいえどうしたものか。
妖精たちの能力は把握した。マッポーちゃんの能力も面白い。それでも、神を倒す算段はついていない。もっと情報が必要だ。
「なあ、過去に参加した英雄たちはどうなった? 生存者は?」
「……」
我ながら、いまさらすぎる質問だ。
もし獣のように行動すれば、英雄は怪物になる。しかしヒロインを一人に絞って生き延びた英雄もいたはずだ。
なのに、タイガーリリーも、エーデルワイスも、返事をしてくれなかった。
言いたくないのか?
みんな死んだのか?
「タイガーリリー、水をくれないか」
「もちろん」
「ついでに質問にも答えてくれると嬉しいな」
「生き延びた英雄もいるよ、何人かはね」
彼女はこちらも見ずに応じた。
どういう心境かは分からない。
俺は水を受け取り、しかし飲まずに溜め息をついた。
「前回の英雄はどうだったんだ?」
「あなたみたいに、ヒロインを殺さない方向で進めていたよ。途中まではね。けど葬送が始まる直前、私を選んだ。そのとき私をかばって死んでしまった」
「そうか……」
分かってはいたが、ハッピーエンドではなかった。だが、過去の経緯を知ることは大切だ。故人の無念をムダにすべきではない。
「神とは戦わなかったのか?」
「選択肢のひとつではあった。けど、戦いが始まる前に、勝敗が見えてしまったんだ」
「詳しい状況を教えてくれ」
*
タイガーリリーの話では、ヒロインの登場する式典以外にも、怪物をハントするだけの式典があるらしい。必ず発生するわけではない。英雄の活躍が目覚ましい場合にのみ開催される。
その式典で、前回の英雄は、ヒロインたちとともに怪物を追い詰めた。
いや、追い詰められたフリをした怪物に、誘い込まれたのだ。
気づいたときには、様々な形状の血の魔物に囲まれていた。必死で戦ったが、二名のヒロインが死亡した。
あわや全滅かというところで、神が救済に入った。
血の魔物は一瞬で粉砕された。
怪物は逃げ出した。
かくして英雄は、戦意を喪失したのだという。
自分たちでは神には勝てないのだ、と。
*
まるで、自分の未来について聞かされている気分だった。
このまま策もなく時間だけが過ぎれば、俺たちも似たような結末を迎えるのだろう。
考えねば。
過去に起きたこと。
起きなかったこと。
それらを総合的に判断し、状況をひっくり返す。
あの少年はまだ完璧じゃない。
隙はある。
「ね」
エーデルワイスに声をかけられ、俺はハッとした。
見ると、彼女は両手を広げていた。迎え入れるようなポーズだ。
「どうした?」
「ぎゅってして」
「はい?」
懇願するような表情。体つきはスレンダーだが、それでも柔らかそうだ。
そこに飛び込めということか?
きっと心地いいのだろう。いや、それ以上だ。どこまでも堕落できる。
俺はコップの水を飲み干し、こう応じた。
「やめてくれ。戦いに負けるぞ」
「不安なの。ぎゅってするだけ。それもダメ?」
「ダメだ」
人を堕落させる妖精――。
俺は特に高潔な人間じゃない。許されるなら獣になったっていい。だが、可能な限り抵抗すると決めている。妥協は許されない。
エーデルワイスは泣き出しそうな顔をしていた。
一度も生き延びたことのない女。
そして今回も、これといった策を得ていない。
本当に不安なのだろう。
すると水仕事を終えたタイガーリリーがやってきて、エーデルワイスをそっと後ろから抱きしめた。
「あんまり英雄を困らせないで」
「タイガーリリー……」
「私がぎゅってしてあげるから」
「……」
涙目のエーデルワイスと、慈愛に満ちたタイガーリリー。
そのまま作品になりそうな絵面だ。
いや、絵画にしてはエーデルワイスの顔つきが邪悪すぎる。
「ねえ、タイガーリリー。私がいまどんな気分か知ってる?」
「なに?」
「我慢できない気分なの。そんな私に手を出してきたってことは……分かってるわよね?」
「君はホントに誰でもいいんだね……」
誰でもいいだと……!?
え、じゃあ英雄は?
エーデルワイスは熱い息を吐いた。
「ふふ。ならすぐ仲良くしましょう。あ、英雄はもう帰っていいわ。閉店よ」
「……」
本当に?
本当の本当の本当に?
妖精だけで、そのようなことを?
二人はライバルじゃなかったのか?
クソ、妖精め……。
やはり人間とは違う生き物だ。
彼女たちの倫理観に合わせていたら、人間性など秒で吹き飛んでしまう。
ここにいる人間は自分だけ。
信じられるのも自分だけ。
判断を誤れば敗北する。
(続く)




