シンデレラ
帰ろうと席を立つと、部屋にボールが投げ込まれた。そいつは壁に激突したかと思うと、はね返って床を転がった。
マッポーちゃんだ。
「痛ぇマポ! もっと丁重に扱えマポ!」
ちゃんと球体になっている。もう治ったらしい。便利な体だ。
ブーツを鳴らしながら、エーデルワイスも入ってきた。
「治療してあげたのに、その口の聞き方はなに? 私がマスターで、あなたは使い魔なのよ? 礼儀を払いなさい」
「なにがマスターマポ! こんなのただの搾取マポ! 閻魔大王に訴えるマポ!」
急ににぎやかになった。
するとエーデルワイスは、容赦なくマッポーちゃんを踏みつけてこちらへ来た。
「え、もう帰るの? お別れのキスは?」
「そんなものはない。品性下劣な人間は嫌いなんじゃなかったのか?」
皮肉を言うと、彼女は斜め下から恨みがましい目で見つめてきた。
「気にしてるの?」
「配慮だよ。君は人間を嫌ってるんだろ? そういう相手に近づくのは、マナーがいいとは言えないからな」
「ちょっと待って。誤解よ。こういう反抗的な感じがウケるって前に誰かが言ってたから……」
なんだと?
ツンデレのつもりか?
だが攻撃はあらぬ方向から来た。
「君のそれは素の性格だろう」
タイガーリリーだ。
ツンデレなどではなく、ただ口が悪いだけらしい。
だがエーデルワイスは無視した。
「ね、私の英雄。泊まってかないの?」
「仕事があるからな。ていうか泊まれるのか、ここ……」
「じゃあ明日も来てよ」
「明日? 満月じゃないだろ」
「私が会いたいの。いいでしょ? ね?」
ぐいぐい来やがる。
神さまが言っていたのは本当なのだろうか?
妖精はもともと、無条件で人間を誘惑するようにできている?
するとタイガーリリーも同調した。
「私も会いたいな。もし来てくれたら、最初の一杯はサービスするよ」
美人二人に囲まれて、タダでウイスキーが飲める。
断る理由がない。
だがこうして誘いに乗っていると、そのうち人間性を失うハメになるだろう。「このくらいなら大丈夫」は、だいたいそのうち大丈夫じゃなくなる。
いや、彼女たちが相手なら、いっそ怪物になってもいいかもしれない。俺がどうにかなったところで、彼女たちは次の英雄に同じことを繰り返すだけだ。俺は使い捨ての駒に過ぎない。
「来れたら来るよ」
俺はカッコつけてそう応じた。
あまりいい印象を与えないセリフなのは分かっているが、いまはそうとしか言いようがなかった。
*
翌日、仕事が終わるとすぐにバーへ来た。
来ないわけがない。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたタイガーリリーはバーテンダーの格好をしていた。パンツスタイルで蝶ネクタイ。長い髪はまとめてポニーテールに。なかなかサマになっている。
一方、エーデルワイスは……セーラー服だった。露骨なコスプレ感がただよっており、どこからどう見ても学生ではない。スカートが短すぎる。
「お帰り! やっぱり私に会いたくなったみたいね」
「ああ、そうだよ」
反論するのも面倒だったので、俺はそう告げてカウンター席についた。
マッポーちゃんはソファでごろごろしている。
だが少年の姿がない。
「神さまは?」
「彼なら満月の日しか来ないわ。好きに楽しみましょ?」
エーデルワイスは隣の席に腰をおろして、ぐっとこちらへ身を寄せてきた。
キャバクラか? いやガールズバーと呼ぶんだったか? そういう店にしか見えない……。
それにしても、近くで見ても美しい顔立ちだ。パチリとした目、ほどよい高さの鼻、みずみずしい唇。それにつやつやでサラサラの絹のような髪。
まさに神の造りたもうた芸術品だ。
「はい、ウイスキー。銘柄は……分からないけど」
タイガーリリーは冗談めかしてグラスを差し出してきた。
「大丈夫だ。俺も分からない。酔えればなんでも同じだよ」
女はこの世のものではないが、酒はそうではない。市販品だ。味はそこそこ。味というかフレーバーというか。いやそれらも最終的にどうでもよくなるのだが。
きっとバーでいろいろ語れたらカッコいいんだろう。だが俺は安酒しか知らない。吐くほどマズくないならそれでいい。
エーデルワイスの前にはカクテルが置かれた。
「これはなんてカクテルなの?」
「シンデレラだよ」
「ありがとう、タイガーリリー。大好き」
シンデレラ、と言えば聞こえはいいが、意味は「灰かぶり」だ。
これが皮肉でないことを願いたい。
ちなみにノンアルコールだ。
今日はタイガーリリーも飲んでいた。俺と同じウイスキー。それもストレートで。強いのかもしれない。
店内に音楽はない。
オゾン臭もない。
ただ酒があり、人がいる。いや人ではなく妖精か。あとネコみたいな魔族もいる。
「私、酔っちゃったみたい」
エーデルワイスが寄りかかってきた。
あまいかおりがする。
「それ、ノンアルコールだぞ」
「ね、介抱してよ?」
「なあ、今回の作戦に勝つつもりはあるのか? 俺は判断を誤りたくない。誰か一人に入れ込めば、バランスが崩れる。そうすると作戦が……」
喋ってる途中で、エーデルワイスはすっと身を引いた。
「はいはい。私なんかに興味はないってことね? セーラー服はウケがいいって話だったのに」
「もっと自分の着たい服を着なよ」
「ふーん。そしたら裸よりえっちになるけど、それでもいいワケ?」
「いや普通の服を……」
なんなのだ?
痴女なのか?
俺だって流れに身を任せてどうこうしたい。
きっとそういう欲があるから、今日だってここへ来たのだろう。
だが、ダメだ。
気を抜けば死ぬ。
一度でも坂を転がり始めれば、それは二度と止められなくなる。
もし神との戦いに勝利し、それでも彼女たちが人間を受け入れる気があるなら……。そのときはこちらも遠慮する必要がなくなる。だが彼女たちは故郷へ帰るはずだ。俺たちが結ばれることはない。
仲良くなるだけ虚しいのだ。
クソ……。
「それより、タイガーリリー。他のヒロインたちについて教えてくれ。戦力になりそうなのか?」
「そういえば説明してなかったね」
彼女はグラスを置いた。
ヒロインは全七名。
正確にはヒロイン「候補」だが。
■エーデルワイス
召喚術師。ただし召喚できる魔物はどれも微妙。
■タイガーリリー
怪物に変身できる。
■椿
冷気を操ることができる。
■パキラ
武装を召喚できる。移動要塞。スナイパー。ただし機動力はない。
■グロリオサ
風を操ることができる。頑張れば稲妻も操れる。
■ヴァニラ
幻覚を扱える。
■ロベリア
毒物を扱える。
誰がどの順番で出てくるかは分からない。
まあそれはいいのだが、サラッと妙な情報が含まれていた気がする……。
俺は少々ためらいつつも、こう尋ねた。
「怪物? 君は怪物になれるのか?」
「そう」
タイガーリリーは平然としている。
いや、平然と振る舞っているのは、あまり触れて欲しくないからか。流して欲しいのだろう。
だが、ここで気を遣っていては、あとで問題になるかもしれない。
「それは英雄がなる怪物と同種のもの?」
「そうだよ。けど私は自我を失ったりしない。完全にコントロールできる」
「分かった。教えてくれてありがとう」
「もう一杯飲む?」
「頼むよ」
きっと話題を変えたかったのだろう。彼女は作業に入ってしまった。
エーデルワイスはひややかな目で見ていた。
「あきれるわね。センチメンタルなの? 凶悪な獣の姿を見せたら英雄に嫌われちゃう、みたいな? 実用的なんだからいいじゃない。いちばん可哀相なのは私よ。召喚術って言ったって、マッポーちゃんみたいなのしか呼び出せないし。やっぱり私、美貌と頭脳しか取り柄がないんだわ」
美貌はともかくとして、頭脳は過大評価だ。いますぐ認識をあらためて欲しい。
タイガーリリーは反論しなかった。
反論すればするだけ、この話を掘り下げることになると思ったのだろう。
だが、エーデルワイスは止まらなかった。
「考えても見てよ。葬送が始まると、妖精たちは逃げ場のないアリーナに集められて戦わされるの。周囲には火が放たれて、時間とともに居場所がなくなっていく。そんなときに私は地面に這いつくばって魔法陣を描いて、なんの役にも立たない魔物を召喚するの。こんなの、悲劇のヒロインだわ」
まあ確かに、ヨーイドンで殺し合いが始まったとき、まっさきにすることがソレなのは気の毒かもしれない。しかも魔法陣が完成したところで、登場するのはクソザコクリーチャーだけ。
悲劇という意見には賛同していい。
タイガーリリーは肩をすくめた。
「けど、まっさきに狙われるほうの身にもなって欲しいな。君がお絵かきに集中できるのは、私がみんなを引き付けてるからだよ」
「そうね、ありがとう。あなたが凶悪な見た目で助かってるわ」
「傷つくなぁ……」
さすがに言い過ぎだと俺も思う。
だからというわけではないが、俺は話題を変えた。
「勝率は? だいたい誰が生き残るんだ?」
エーデルワイスは無言でタイガーリリーを指さした。
が、そのタイガーリリーは釈然としない様子だ。
「私かパキラ、それかロベリアだね。けどそれは、葬送が起きた場合の話。英雄がヒロインを一人に絞った場合、ヴァニラ、椿、グロリオサあたりが生き残るかな」
「なるほど」
俺は返事をしつつも、疑問に思った。
葬送において勝率が高いのは三名。英雄に選ばれる率が高いのも三名。それぞれ重複ナシ。なのに一名だけ、名前のあがらなかった妖精がいる。
その妖精は、俺の隣でカウンターに突っ伏していた。
「なんで私は生き残れないのよ……」
桁外れの美貌を持ちながら、似合わないセーラー服を着て、やさぐれている。
さすがに気の毒だな。
「まあそう落ち込むなよ。君だって全敗ってワケじゃないんだろ? そのときは別の誰かが命を落としてるんだ。お互い様だよ」
「……全敗なのよ」
「えっ?」
いま、なんて?
全敗?
エーデルワイスはがばと顔をあげた。
「全敗なのよ! 私だけ! 一回も生き延びたことがないの! なんでなの? 高嶺の花なの? 高貴すぎるの? それとも英雄の頭がおかしいの? きっとそうよ! 英雄がおかしいの! なにが英雄よ、品性下劣な人間の分際で! ヤるだけヤってポイなんだから! ぶっ殺したいわ!」
怒りでぷるぷる震えている。
まあ、怒りたくなる気持ちも分からなくはない。
「一回もないのか?」
「言わせないで! 一回もないのよ! もうこんな世界大嫌いよ!」
またカウンターに突っ伏してしまった。
一回もない。
つまり、過去に例がないということだ。
そこに勝利のヒントが……。いや、どうだろうな。関係ない気もする。だが神がマッポーちゃんを狙ったことを考えると、あながち見当違いでもなさそうか……。
(続く)




