職業選択の自由 二
アパートに行くたびコンビニで全員分のケーキを買っていたら、薄給の俺は生きていけない。だから今日は、いくつかの袋菓子と、あとは自分用の缶ビールだけ買った。
室内はいつも以上にカオスだった。
言い合い、奪い合い、引っ張り合い、散乱する謎の薬品、宙を舞うマッポーちゃん。このボロアパートの壁に穴があいていないのが不思議なくらいだ。彼女たちは、意外と力を加減しながら暴れているのかもしれない。
「みんなに相談がある」
「え、ついに私と結婚する気に!?」
エーデルワイスがいきなり妄想を炸裂させた。
だが無視だ。無視。
「センジュと話してきた。太陽の一族は、どうやらこの国を消し去るつもりらしい」
「え、なくなるの?」
「ここままならな。センジュはそれを阻止するため、俺たちに依頼を出してきた。向こうへ行って、神器を乗っ取って欲しいそうだ。まあバカげたプランだな。どう考えても無謀すぎる。だから、引き受けるかどうかはまだ決めてない。みんなはどうしたい? なにか意見があれば聞かせてくれ」
「……」
急に黙り込んでしまった。
この子たちは、未来のことを考えるのが苦手だったな。
それでもなにか、感想らしきものは欲しいのだが。
椿がすっと近づいてきた。
「お兄さまは、どうしたいのです?」
「俺? どうだろうな。成功したら十億くれるって言われて、そのときはやろうかとも思ったけど。俺は、何度も言ってるけど、別に世界がどうなろうと構わないんだ」
「それは……」
彼女はあきらかに異論があるようだったが、それを引っ込めてしまった。
意見があるならぜひ表明して欲しいのに。
俺は床に腰を落ち着け、缶ビールをあけた。
「思ったことは全部言って欲しい。これが最後になるかもしれないからな。なにかを強制されるのはごめんだが、そうでなけりゃなにを言おうが自由だ」
するとエーデルワイスがやってきて、仁王立ちで俺を見つめてきた。
「本気なの?」
「なにが?」
「この世界がどうなってもいいって」
責めるような表情だ。
怒っているのだろうか?
「まあ、半分くらいはな」
「なんでそう思うの? 自分が生まれた土地でしょ?」
「それも半分だな。俺はよそから引っ越してきたんだ。とはいえ、そこも国内だから、このままいけば故郷も消えるけど」
ビールを一口やった。
やはり苦いだけ。
アルコールが混じってなければ、こんなものは飲まないだろう。
エーデルワイスは睨むというよりは、哀しそうな目になっていた。
「なんでそんなふうに思うの?」
「俺もたぶん、あの少年と同じなんだ。土地なんか愛しちゃいない。ただそこで生まれたってだけの話だ。けどそうだろ。たしかに居心地はいい。けど、誰も彼も、過去の人間の遺したものを使うだけ使って、それを保全するための行動なんてしちゃいない。文字通り乗っかってるだけだ」
「私も乗っかってるだけだけど……」
「いいんだよ。俺だって同じだ。愛とか言わなければな。一方的に使い尽くすだけみたいな生き方しといて、その土地を愛してるだなんて口が裂けても言えないよ。まあ言いたいヤツは言えばいいけど……。こんなのを愛だと言えるのは、DV野郎だけだろ。俺は言いたくないね」
郷土愛ほど鬱陶しいものはない。
ケンカのネタにする以外、なにか用途があるのか?
若いヤツは地元より都会を選ぶし、戻ってくるのも挫折したときだけ。自分にとって都合のいい使い方しかしない。いや、それ自体は悪くない。愛などと言い出さなければ。
するとエーデルワイスは、いきなりつかみかかってきた。
「そんなこと言うと、嫌いになるよ!」
「な……なんだよ急に。ビールがこぼれるだろ」
彼女にとって、ここは故郷じゃない。ただ強制的に飛ばされただけの見知らぬ土地だ。ムキになる理由がない。
「私、この世界のこといっぱい調べた。いっぱいだよ! もちろんムカつくこともいっぱいあったよ? でも、いいところもいっぱいだよ! もし世界が平和になったら、あなたといろんなとこ行きたいと思ってたの! 壊されたくない!」
「そ……」
なんだ?
なぜ俺は黙る?
なぜ反論しない?
いろんなところへ、一緒に……。
不本意なことに、この一瞬で、頭の中に明るいイメージが広がった。春なら桜のきれいな歩道がある。そこらにショッピングモールもある。バーもある。いろいろ遊べるところはある。
そうなのか?
本当にそうなのか?
俺は……。
大切な人がいなかったから、土地に興味を持てなかっただけなのか?
俺にとって、どんな場所も、ただ生きていくための場所でしかなかった。電気と水道さえ来ていればいい。生活さえできれば……。
誰かと一緒にどこかへ行きたいとか、そういうことを……長いこと、まったく考えていなかった。頭の片隅にもなかった。
それでいいと思っていた。
楽しくなくたって、俺は別にいいのだと。
なにも気にしない。なにも見ない。楽しくない代わりに、傷つきもしない。
エーデルワイスはぽろぽろと涙を流していた。
「もしあなたが行かなくても、私は行くから! そして全部解決したら、私、別の男の人見つけて、その人とデートするから! それでもいいの!?」
「……」
そんなの個人の自由だ。
数秒前の俺なら、うっかりそう口走っていたかもしれない。
だがここまで言われて、ただうなずいていることはできない。
「待て。誰が行かないと言ったんだ」
「言ったよ!」
「この世界に興味が持てないと言っただけだ」
「同じことじゃない!」
「いや、違うな。この世界のことは、確かにどうでもいい。だが、みんなのことまでどうでもいいわけじゃない。絶対に見捨てないと決めている。エーデルワイスだけ行かせたりしない。俺も行く」
「は? なら結婚してよ! いますぐ!」
なぜそうなる。
俺は肩をポンポンと叩いて落ち着かせた。
「それは帰ってきたら話し合おう」
「絶対よ!」
「ああ」
この子の感情の流れはどうなってるんだろうな。
まあしかし、理屈ではなく、感情で参加する流れになってしまった。
俺らしくもない。
とはいえまだ最終決定ではない。
みんなの意見も聞かないと。
投げ飛ばされたマッポーちゃんが、のそのそ戻ってきた。
「やれやれ。マスターが行くなら、使い魔のマッポーちゃんも行くしかねぇマポ。こっちには選択肢なんてねぇからつれぇマポ」
そのまま俺の膝に乗ってきた。
もちろん大事な仲間だ。
死なせたりしない。
グロリオサも意を決した表情でこちらを見た。
「私も同行します。大切な役目がありますから」
「頼む」
そうだ。
彼女だけは置いていけない。
神器をこじ開けるなら、絶対に必要になる。
お次はライラックだ。
「えー、ちょっと待って。この感じだと、どうせみんな行く流れっしょ? あーしだけ行かないって言ったら裏切り者みたいじゃん! 一緒に行くから! 置いてかないでよね!」
彼女は果実を口にしなかったから、呪縛を受けていない。俺のことも英雄だなんて思っていないはず。
なのに同調圧力に負けて参加とは。
壁に寄りかかっていたタイガーリリーが、ふっと笑った。
「素直じゃないんだから」
「は?」
「大丈夫。君も仲間だよ。そうじゃなかったら、仮釈放なんてさせないよ」
「な、なによ……。ちょっと優しくされたからって、好きになんてならないから」
「私は好きだけどね、ライラックのこと」
「えっ? ふーん。そうなの? ふーん……」
急に落とすな。
エーデルワイスが頬をふくらませたが、見なかったことにしよう。
問題は泥酔して寝ているパキラだが……。
たぶん来るだろう。
まあムリに起こすのもかわいそうだから、起きてから説明するとしよう。酒を飲んで寝るのは最高だ。
俺はつい笑ってしまった。
「ハッキリ言って心強いよ。負ける気がしない。思えば、俺たちはけっこう危ない橋を渡ってきたよな。もっと早い段階で死んでてもおかしくなかった。だけど生き延びて、いまここにいる。たぶん次もそうなるだろう。全員で行って、全員で帰ってこよう」
ビールをぐっと飲み干した。
前祝いだ。
景気よくやろう。
*
参加を表明すると、芝氏は喜んでくれた。
備品も人数分用意してくれたし、現地の状況も詳細に教えてくれた。
今回の件に関して言えば、太陽の一族は一枚岩ではないようだった。
一族に従わぬ日本を消去すべしという過激派と、神器を争いに使うなという穏健派が、それぞれ論陣を張っているらしい。
さすがは自称「輝かしき太陽の一族」だ。全員が野蛮人というわけでもないらしい。
というわけで、俺たちは芝氏をともなって例のバーに来た。
みんな支給された黒のコンバットスーツを着用しているから、なんらかの特殊部隊みたいだ。いや、「みたい」ではなく、実際に特殊部隊なのだ。なにせこの九人で日本を救うことになっている。責任重大だ。
「エーデルワイスさん、魔法陣を扱える人材はあなたしかいません。どうかよろしくお願いします」
芝氏は深々と頭をさげた。
あまり下手に出ると、調子に乗らせるだけだが。
エーデルワイスは満面の笑みだ。
「任せて頂戴。メインヒロインのエーデルワイスが、人間たちの世界を救ってみせるわ」
こっちはフカしすぎだ。
パキラはぽりぽりと頭を掻いている。
「で、なんなの? なにしに行くの?」
まさか、誰もなにも説明してないのか。
というかパキラ自身も、内容を知らないままついてきたのか。
タイガーリリーが肩をすくめた。
「神器を乗っ取るんだよ」
「えっ? このメンバーで?」
「そう」
「それ本気で言ってる? イカレてんね……」
当然そうなるよな。
正しい感想だ。
だが、帰る気配はない。
俺は芝氏に向き直った。
「ではそろそろ出発します。ですが、あのぅ、こんなときになんですが、報酬の話、忘れられてませんよね?」
俺はボランティアに命をかけるほど崇高な人間じゃない。
芝氏もうなずいている。
「ええ。ご心配なく。すでに振り込んでありますから」
「ありがとうございます」
気前がいい。
残業代を出さないくせに、いつまでも拘束したがるどこかの企業とは大違いだ。
もっとも、その企業にはすでに辞表を提出してある。いまは派遣会社を通じて、芝氏のところへ出向している格好だ。給料はほぼ最低賃金だが、なにかするたび謎の手当てがつくことになっている。
金だ金金。
そんなフレーズが頭の中で踊る。
十億あれば、毎日ケーキを食って暮らせる。ビールもだ。じつにやる気が出る。ようやくこの世界を愛せそうだ。
あとは、この十億が、死亡手当にならないよう努力するだけだ。
(続く)




