職業選択の自由 一
日常が再開した。
満員電車に揺られて出社。
朝から晩までパソコンの前に座り、作業をしたりネットをしたり。
太陽の一族はすっかり姿を消してしまった。
センジュはなにも言ってこない。
妖精たちはわいわいと騒がしく暮らしている。
もしかすると、すべての問題は解決したのかもしれない。少なくとも、大半の人間にとっての問題は。
いつまでもくすぶっているのは俺だけだ。
もちろんニュースにはなった。
巨人が現れて東京駅を破壊したのだ。戦っていた俺たちも映っていた。しかし俺個人はたぶん特定されていない。現場を盗撮していた民間のドローンは、わりと離れた位置にいたらしい。
突如現れた巨人についても、かなり騒ぎになった。
ネット上では、人体実験だとか、宇宙人だとか、古代生物だとか、突然変異だとか、いろいろな憶測が流れた。浄化カルトの仕業ではないかとも。
政府は「事実関係を確認中」としか公表していない。
*
コンビニでビールを買い、公園へ立ち寄った。
遠くでイヌが吠えている。
世界は崩壊していない。
あるいは、もうすでに神器が再計算かなにかしていて、世界が書き換わった可能性さえある。その場合でも、司祭はいちいち俺に知らせたりしないだろう。
缶を開けてビールを飲む。
苦い。
分かり切っていたことなのに、ひときわ不快な味に感じた。たぶんビールを飲む気分じゃなかったのだ。なのに、ほかに気を紛らわす方法が思いつかなくて、惰性でビールに頼った。
世界全体がぬるい空気に包まれている。
俺もジャケットは着ていない。
月が丸い。
「なにが英雄だよ……」
つぶやいた言葉は、闇に飲まれて消えた。
*
某日。
千住の雑居ビル。
俺は一人でセンジュに呼び出されていた。
事務所側も、いつもの事務員がいるほかは、芝氏だけだ。
俺たちはテーブルを挟み、ソファに腰をおろした。
「収集させていただいたデータですがね、恥ずかしながら、さっぱりなにも分かりませんでした」
大きなサングラスの芝氏は、そう言って渋い笑みを浮かべた。
エアコンが弱いせいで蒸し暑い。
「残念ですね。けどもう計測する機会はないかもしれません」
「まあ、不浄の子がいませんからね」
「ご用というのは?」
呼び出された理由が伏せられたままだ。
タイガーリリーさえいない。
なんだか不安な気持ちになる。
芝氏は「それなんですがね」と座り直した。
「うちに来ませんか?」
「センジュさんに?」
「人材派遣会社からの出向というカタチになりますし、肩書も民間人のままですが。給料は悪くないと思いますよ」
「俺だけですか? 妖精たちも?」
「もちろん皆さんで」
もしそうなら、エーデルワイスもやっとニートを卒業できる。
本人は望まないと思うが。
だが、戦いは終わったのだ。
なぜ俺を雇う?
芝氏はニヤリと笑った。
「そうそう。そうです。少年の件が片付いたのに、なぜ雇う気になったのか疑問に思ってらっしゃる?」
「はい」
「じつは太陽の一族から脅迫じみた要求が届いてましてね」
「えっ?」
いや、驚くようなことじゃない。
あれだけバチバチにやり合ったのだ。
なんの遺恨も残さないはずがない。
芝氏も肩をすくめた。
「オーダーは、日本という国を、太陽の一族に隷属させること」
「はい?」
「一族の指導者を受け入れて、神器とかいうのを崇めよと言ってますね。そうすれば心を入れ替えたと認めて、許してくださるんだそうです。まったく、ありがたい話ですよ」
カルトは所詮カルトだな。
あんなのが人間より高位の存在だとは。
「もし断ったら?」
「日本を丸ごと消去するそうです」
「えぇっ? じゃあ、どうするおつもりで?」
つい間抜けな質問をしてしまった。
だがそう聞くよりほかない。
芝氏は静かに首を振った。
「どうしようもありませんね。こんな無茶な要求、のめるわけありません。そこで、我々の出番というわけです」
なにが「我々の出番」だ。
銃を撃つ以外に活躍しているところを見たことがない。
つまり、力で解決するつもりだ。
俺が返事をせずにいると、彼はこう言葉を続けた。
「タイガーリリーの話によれば、神器というものを使用すれば、あらゆる世界を掌握できるのだとか」
「おそらく事実です」
「そこで、我々が神器を掌握します。例の少年が一人でこなせたのですから、我々にも不可能ということはないでしょう」
「いや……正気とは……」
あまり賢い選択とは言えないのでは?
とはいえ、日本の未来がかかっている。これは生存をかけた争いだ。敵の急所を狙うのは当然の道理かもしれない。
「たしかに正気とは言えません。バカげていると思います。しかし自衛隊を動かすことはできない」
「法の問題ですか?」
「いえ、いざとなれば災害派遣の名目で動かすことはできます。しかしアレを動かしてしまえば、全面戦争になってしまう。だから公的な力を動員することはできない。そこで民間の力です。民間人が勝手にやったことであれば、全面戦争は回避できます。成功したら御の字ですし、失敗しても知らぬ存ぜぬで切り捨てられますからね」
その「切り捨てられる」のは、おそらく俺ということになるのだが……。
いや、ウソで騙されるよりはいい。
だがあまりにもあんまりだ。
「その作戦に参加せよと?」
「誤解しないでください。『切り捨てる』というのは、あくまで失敗した場合の話です。要は、成功させればいいのです」
「そんな簡単に……」
「前回、あなたは神器をこじ開けることに成功したそうですね? そのノウハウを活かして、この世界を救っていただきたいのです」
真顔でジョークを言われた気分だ。
「もし……もしですが、世界を救うことに興味がないと言ったら?」
俺がそう告げると、彼はややぎょっとした表情を見せた。
「それは……ご冗談を?」
「いえ、わりと本気です」
「この国がなくなるのですよ?」
「残念ながら興味が……。それに、俺にもできたんだから、もっと優秀な人間にやらせたほうが成功率もあがると思いますよ。たとえば狙撃チームの人たちとか」
彼らはバキバキに身体を鍛え上げていた。
俺にできたことを、できないはずがない。
すると芝氏は「ふーむ」と考え込むように天井を見た。
「じつはもう彼らを送り込んで、失敗しているのです」
「えっ?」
「みんな死にましたよ」
「……」
死んだ?
あんなに自信に満ちていて、経験豊富に見えたメンバーが……。
「行けると思ったんですがね。ああ、知っての通り、うちは人材不足ですから。もう換えの人材はいません。だから新たに人を入れないといけないんです」
「ツテはないんですか?」
「あるんです。死んだメンバーも、そのツテで入れました。とても優秀でしたが……。しかしそういう常識の通じる相手じゃありませんでしたね」
彼らにムリなら、俺にもムリだろう。
芝氏は胸ポケットからタバコを取り出そうとして、思いとどまった。
「死因が気になりませんか?」
「えっ? いえ、まあ……」
人の死因を探る趣味はないが、もし自分がやるなら知っておく必要がある。
「東京駅で、巨大化した少年と戦ったでしょう? あれと同じのが出たんです」
「えぇっ……」
「もちろん善戦しました。けどね、人間性を剥離させられて、途中で怪物にさせられましてね。これじゃあ、どんなに優秀な戦士を送り込んでもムリだ」
そういうことだ。
俺たち以外に、対処できる人間はいない。
「けど……いろいろ疑問が。どうやって彼らの世界に行ったんです? それに、全滅したのに、どうやってその情報を……?」
俺がそう尋ねると、彼は力なく笑みを浮かべた。
「異世界から何者かが迷い込んでくるといった事案は、数年に一件のペースでありましてね。我々はそういった人物を保護しているんです。その中に、魔法陣を操れる召喚術師もいまして。彼女の協力で現地に飛びました。残念ながら、彼女も亡くなりましたけど」
「ええと、現地の情報はどうやって?」
「この目で見てきました。私も同行しましたから。そうそう。あなたの考案したリストバンド、面白いくらい効果的でしたよ。つかみかかってきた血の魔物は、勝手に死んでいきました」
リストバンドが機能したのはよかった。
だが、そのほかはよくない。
芝氏は、目の前で部下を殺されたのだ。
俺はつい溜め息をもらした。
「あの……ご事情はよく分かりました。ただ、少し考える時間が……」
「ええ。結構ですよ。さすがに強制はできませんから。いいお返事を期待しています」
「はい……」
こんな作戦、参加する義理はない。
だが芝氏は、自分勝手な都合で俺を使おうとしているのではない。この国を救おうとし、少なくともいちど自分でチャレンジした。それでどうにもならなくなって、こちらに話を持ち掛けてきたのだ。
なんとかしてやりたい気持ちはある。
彼は恐縮そうにこちらを見てきた。
「ああ、今回は無報酬じゃありませんよ? 成功したあかつきには、十億ほど進呈させていただきます。日本円でね。これでも安いくらいですが」
「……」
金でつってきたか。
うん。
十億か。
それなら引き受けてもいい、かな。
(続く)




