Gott ist tot
数日後、また少年が見つかったという連絡が来た。
場所は東京駅。
そこに警官の姿はなかった。
太陽の一族もいない。
ただ赤レンガの駅舎の前に、少年がぽつんと立ち尽くしているのみ。
もう初夏といっていい陽気だ。
俺も妖精たちも半袖で現場に立っていた。
招集がかかったのは、俺たち妖精チームと、狙撃チームのみ。狙撃チームはいまどこかのビルに身をひそめている。
たった一人の少年を処理するのに、ずいぶん大掛かりだ。
というか警察と太陽の一族はどこへ行ったのやら。
「少し暑いな」
俺は尻ポケットから拳銃を取り出しつつ、そう話しかけた。
少年は苦しそうに呼吸をしている。
普通じゃない。
返事もない。
「どうした? 話す気分じゃないか? まあ、どうせ結末は決まってるしな」
「決まってる? 誰がそう決めたの?」
不快そうに、彼はようやく返事をしてくれた。
「別に誰も決めちゃいない。なにか秘策でもあるのか?」
「あるよ。あるから僕はこうして君の前に立ったんだ」
「素直で結構だ」
だが秘策とは?
周囲に血の魔物でもひそませているのだろうか?
そんな気配はないが……。
彼は青空を見上げた。
「僕はね……もうあとがないんだ。だからこれで最後にしようと思う」
「そう言うなよ。まだあちこちに分身が隠れてんだろ?」
「それをやめたんだ。いまの僕は、すべての身体を集めてひとつになった。それだけじゃない。ここらに転がっていた死体も、血も、すべて吸収した」
やけに片付いていると思ったら、そういうことか。
少年は何度も唾を飲み込みながら、苦しげに言葉を絞り出した。
「戦う前に、ひとつ教えて欲しい。なぜ君は、僕をここまで追い込むことができたんだ? 力もない、心も弱い、ただのザコ人間なのに……」
おやおや。
死ぬ前に知りたいことが、そんなこととは。
俺は肩をすくめた。
「簡単な話だろ。あんたがそのザコ人間より弱かったせいだ」
「君は人をイラつかせる才能だけは突出しているな」
「お互いさまだ。俺だって、表に出してないだけで、ちゃんとイラついてる」
「……」
少年は歯ぎしりしてしまった。
イラつかせているつもりはないのに、勝手にイラついてしまう。だからこれは、俺の才能というよりも、彼の冷静さの問題なのだろう。
彼は鼻にしわを刻み、こう続けた。
「君のことは嫌いだよ」
「そんなこと言うなよ。どこかで和解できたかもしれないのに」
「うるさい! 誰がお前なんかと……」
前回、バーでお菓子を分け合ったのを思い出す。
俺たちは敵同士だったが、互いに最低限の敬意を払っていた。
いまとは違う。
俺は盛大な溜め息をついた。
「会ったばかりのころは、お互い楽しかったよな」
「は?」
「あんたは人間を翻弄して楽しんでたし、こっちもまんまと式典に乗せられて楽しんでた。ライバルみたいな関係だった」
「人間ごときがライバルだと……?」
「けど、いまは失望してる。あんた、ちっとも神の器じゃなかった。クソみたいな発想で、クソみたいな言動を繰り返しているだけ」
「黙れよ……」
「ご立派なのは理想だけで、そのための手段はクソそのものだった。自分が成功できるなら、他人がどうなろうが知ったこっちゃない。そんな考えのヤツが、神になれると本気で思ってたのか?」
「やめろ! もう言うな!」
少年の肩口が膨張し、肉体が衣服を突き破った。
かと思うと片足がゾウのように肥大した。
少年はなんとか立っているが、いびつに傾げてしまっている。
「ここの汚れた死体を取り込み過ぎた。僕はもう……そろそろ理性を失う……」
「なぜそんなことをした?」
「もうこれしかなかったんだ! お前を殺すためだ! お前を! お前だけは! 僕がこの手で殺すんだ!」
感情を表に出すたびに、身体が膨れ上がっていった。
こんな怪物になってまで、俺を殺したかったのか……。
欠点をネチネチ攻撃されるより、人から嫌悪感を表明されるほうがシンプルにつらい気がする。
「僕は本当にお前が嫌いだ。お前以外の人間は、みんな無邪気に英雄を演じてくれたんだ。銃を撃って、魔物を倒して、ヒロインを手に入れて……。最後は怪物になって死んでいった。けどお前は! なぜ! そうならなかった!」
「さあな。ザコ人間だからかな?」
「みんなと違う自分に酔ってるだけのヤツが!」
「おかげで死なずに済んだ」
「ああーっ! イライラする! イライラするんだよ! なんで僕が死んで、お前が生き残るんだ! おかしいだろ、こんなの!」
「まだ結果は分からないぞ」
いや、本当は分かっている。
俺たちは勝ち、こいつは死ぬ。
しかも俺は自分の実力ではなく、こいつが用意した銃で勝つ。
皮肉な話だ。
俺はハンドシグナルで仲間たちに散開を指示した。
まもなく少年は制御不能になる。
戦闘が始まる。
少年の身体は限界を超えて膨張し、芋虫のようになった。もはや直立さえかなわず、床を這うことしかできない肉塊。
かつて見た魔物。
肥大した自我――。
俺は発砲し、少年の頭部に一発ぶち込んだ。
が、彼は痛がりもせず、哀しそうな目でこちらを見たまま、ゆっくりと手を伸ばしてきた。赤ん坊のようなまるまるとした手だ。
俺は全力で駆けて距離をとった。
前回は、こいつを攻撃するたび人間性が剥離した。
だが今回は、そんなこともなさそうだ。
椿が氷柱を叩き込み、パキラが銃砲を叩き込んだ。ビルからも掩護射撃が来る。
少年はそれでも必死に、俺だけを追って這いずってくる。
なにがなんでも俺を殺したいらしい。
「あーっ! なにが英雄だっ! 死ねっ! 死ねーっ!」
あまり機敏に行動できない自分にイラついているのか、少年は握った拳で地面を叩いた。石畳が割れて粉々になる。それをつかんで、こちらへ投げてきた。不器用な投げ方。しかし凄まじいエネルギーだ。
ふっ飛んできた複数の石片が、街灯の柱をひしゃげさせ、花壇をメチャクチャに破壊した。
当たったら死ぬ。
だがヤツの狙いは俺だ。
俺が回避に専念すれば、みんなは一方的に攻撃できる。
憎しみは人から思考力を奪う。
少年は、みずからの憎悪に殺されるのだ。
いや、そんな悠長なことを言っている間に、俺が殺される可能性もあるのだが。
俺はハンドシグナルで、さらに散開を促した。
仲間たちには、とにかく俺から離れて欲しかった。
少年は悔しそうに叫んだ。
「あーっ! あーっ! なんでっ! なんでだよーっ! なんで僕だけこんな不幸な目に遭うんだよーっ!」
俺は駅舎の中に駆け込み、そこから発砲した。
少年は構わず突っ込んでくる。
しかし巨大な体がつっかえて、奥まで入り込めない。代わりに手だけを伸ばしてつかもうとしてくる。
むりに力を込めるせいで、入口のところがギシギシ音を立てている。
俺はその手に射撃を繰り返した。
もはや痛みも感じないのだろうか。
必死で掻き出そうとしてくる。
俺はヘッドセットの無線に告げた。
「分かってると思うが、こいつは死んだあと爆発する。各自、適切な距離をとってくれ。並の爆発じゃない」
絶対に仲間は死なせない。
死ぬのは敵だけでいい。
ふと、手の動きが止まった。
かと思うと、少年は巨大な眼球でこちらを覗き込んできた。
「みんなが僕を攻撃してるよ……。英雄……僕は……僕は君に触れることさえできないまま……みじめに死ぬんだね……」
「そうだ」
純粋無垢な、穢れのない目をしている。
声も落ち着いている。
銀の弾丸を撃ち込まれすぎて、もうすぐ力尽きるところなんだろう。
彼はひとつ呼吸をし、こう続けた。
「僕、どこで間違えたと思う?」
「……」
「いいよ。言ってよ。僕はもう、死ぬんだ」
「……」
他者の人間性を奪ってまで神になろうとした子供。
人間を見下していて、傲慢で、クソムカつく野郎だった。
だが、彼は、そうでもしなければ取り返せないような空白を抱えていた。
空白――。あるいは虚無。闇。
もとの社会で価値を否定されて、マイナスの感情を植え付けられた。人間界に召喚されて、一からやり直そうと考えた。そして澁澤氏の優しさのせいで……いや、甘さのせいで、少年は大き過ぎる夢を見てしまった。
人間界の神になれると思ってしまった。
過去のマイナスを払拭するような、一発逆転の大成功。
いつしか夢は呪いとなり、強迫観念となり、彼を狂わせた。
神になれるならなにを犠牲にしてもいいと考えた。
俺はひとつ呼吸をし、こう告げた。
「もうなにも考えるな」
「は?」
「答えは出せない。この数秒であんたを救えるくらいなら、とっくにやってる。けど、できないからこうなった」
「君は……君はそんな言葉しか言えないのか……」
「残念だが、そうだ。すべてを呪いながら死んでくれ」
「ひどい……。ひどいよ……。僕は……僕は光にあこがれただけなのに……。それが罪なの……?」
尋ねるな。
自分で答えを出せもしないのに、神になろうとするな。
俺はトリガーを引いて弾を撃ち尽くし、彼に背を向けた。
誰も彼を救えなかったのだ。
俺だけじゃない。世界も、神も、誰も彼を救えなかった。
むしろそれらすべては、彼を追い込んだ存在だ。最後まで敵として振る舞う以外、もはや道はない。
*
東京駅は倒壊した。
焼けた肉があたりに散乱した。
焦熱の魔物、絶命――。
ひとつの戦いが終わった。
だがまだすべての終わりではない。
愚かなヤツは、ほかにもいる。
俺は尻ポケットに銃を突っ込み、ゆっくりと深呼吸した。
死のにおいのするぬるい空気。
不快そのものだ。
思わず舌打ちが出た。
妖精たちもやってきた。
誰も欠けていない。
大勝利と言っていい。
だが、ちっとも気分は晴れなかった。
きっとこの世界は、神は、誰のことも救う気はないのだ。そうでなければ、最初からこんなことには……。
(続く)




