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オゾン、焦熱、愚行、葬送  作者: 不覚たん
回帰編

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例外処理

 妖精たちを連れ帰ると、アパートは混沌に包まれた。

 出会い頭の口論、誰がどこに座るかのポジション争い、ジュースとお菓子の奪い合い、ボールのように投げ飛ばされるマッポーちゃん。この妖精たちを狭い部屋に押し込むのはあきらかに限界がある。

 幸い、椿のアパートは妖精のために用意されたもので、他の住人はいなかった。いたら騒音でトラブルになっていたことだろう。


 だが、急にしんと静かになった。

 ヴァニラが能力を使ったのだ。

「まるで動物園ですわね。さ、わたくしの英雄。なにかスピーチがあるのではなくて?」

 幻覚で人を惑わす危険な能力。

 いまは彼女の好意によって善用されているものの、今後もそうであるかは分からない。


「スピーチなんてないけど、業務連絡だけしておこうかな。今後、俺はセンジュの依頼で動くことになると思う。その代わり、向こうが少年を見つけたら、その処理を俺に任せてくれるらしい。全部片付いたら、いまやってる争いはひとまず終わる。たぶん。その後のことは、そのときになってから話し合おう」

 少年が消えれば、世界の崩壊は回避できる。

 ただし人間と、太陽の一族との遺恨は残ったままだ。それがどうなるかは誰にも分からない。


 だがパキラは泥酔して大の字で寝ていたし、エーデルワイスはケーキを食うのに夢中でまるで聞いていなかった。ライラックに至ってはスマホを眺めている。

 俺の演説などそんなものだ。


 まあいい。

 本来、これくらい気楽に暮らしているのが正常なのだ。

 妖精だって、世界がどうなろうと知ったこっちゃないのだろう。彼女たちの大半は、その日その日を楽しく生きられればいいのだ。

 死んでも生き返るし、とんでもなく長生きだから、人間と同じようには悩まない。

 タイガーリリーだけが例外なのだ。


 などとしんみりしていると、ふと、ロベリアがテーブルに小瓶を置いた。

 謎の白い液体で満たされている。


 誰も感想を述べなかった。

 どうせロクでもないものに違いないからだ。


 ロベリアは気にしたふうもなくつぶやいた。

「見て。私が調合した薬」

 言われなくても分かる。


 エーデルワイスが、フォークをくわえたまま眉をひそめた。

「ケーキ食べてるときにそんなの出さないで」

 これにロベリアはニヤリと凶悪な笑み。

「そんなこと言っていいの?」

「なによ?」

「私がいない間、みんなは英雄と一緒にいたんでしょ? でも見たところ、誰も物理的に交わってないようね。能力の高まりを感じないもの」

 精神攻撃はやめていただきたい。

 まあ事実なので仕方がないが。

 他の妖精たちも、まったく反論できないようだった。


 ロベリアは興奮して立ち上がった。

「そこでこの薬の出番よ! 名付けてチャクラ開発シロップ! これを飲めば、男と物理的に交わることなく能力を高められるの! だからみんな、私の英雄と交わる必要はないわ! 彼のことは私に任せて? ね? ね?」

 煩悩を隠そうともしない。


 エーデルワイスは溜め息だ。

「しまいなさいよ、そんな危なそうな薬。どうせまた飲んだら死ぬヤツでしょ?」

「死なないわ」

「もちろんあなたは死なないでしょうね。特異体質なんだもの」

「ほかの妖精で試した」

「誰?」

「それは言えない。本人の名誉にかかわるから。ね、ライラック?」

 すると顔を紅潮させたライラックが「死ねよ」とつっこみを入れた。口の軽い友人とは秘密を共有すべきではない。


 ライラックはキョロキョロと目を泳がせた。

「違うの。逮捕される前にたまたま会って……。いいのがあるっていうから」

「そう。いいものよ」

 ロベリアは胸を張った。

 ボサボサ髪の子供がふんぞり返っているようにしか見えない。


 壁に寄りかかっていたタイガーリリーが、やれやれと溜め息をついた。

「そしてパワーアップしたライラックは、つい罠の力加減を誤ってしまったと……」

「しょうがないじゃない! あんな威力が出る予定じゃなかったんだから! あーしはなんも悪くない!」

 まあ悪いことは悪いと思うが、たしかに運も悪かったのだろう。

 芸能事務所がまともだったら罠の出番はなかった。ロベリアに会わなければ威力の調整もミスらなかった。この二点は同情してもいい。


「あーっ!」

「えっ?」

 ロベリアの絶叫に、エーデルワイスのマヌケな声が続いた。

 何事かと視線を向けると、エーデルワイスが小瓶の薬を飲み終えたところだった。それも一滴残らず。


「の、飲んだ……」

「ええ、飲んだわ。だって強くなりたいもの」

「水で薄めて飲むやつなのに……」

「は?」

 希釈すべき薬を、原液のまますべて飲んだことになる。

 用法容量を守る気はないのか。


 エーデルワイスは立ち上がり、ふっと余裕の笑みを浮かべて見せた。

「なによ、その深刻そうな顔。ぜんぜん平気よ。ちっともなんともないわ」

「……」

「なんともないけど、ちょっとお花を摘んでくるわね」

「……」

「おっ? あ、いえ、なんでも……ないわ……。おおっ?」

 内股になり、下腹部をおさえ、何度も転びそうになりながら、玄関脇のトイレへ向かった。


 狭くて壁の薄いアパートだから、トイレはさほど防音ではない。

 エーデルワイスの独り言が聞こえてくる。

「あ、やっばぁ……やばいってコレ……」

 こちらとしてはなんとも言えず、ただ成り行きを見守るしかない。


 ライラックがふんと鼻で笑った。

「あいつバカなの? あーしの話聞いてなかったの?」

 残念ながらそうだ。

 バカだし、人の話も聞かない。


 ロベリアも静かに首を振った。

「実験に犠牲はつきものよ。でも安心して? 死ぬことはないわ。ただちょっといろんなところがガバガバになるだけ」

 おいおい。

 話によれば、エーデルワイスはとっくにガバガバなのだ。

 これ以上ガバガバにしないで欲しい。


 すると廊下から、エーデルワイスが顔だけ見せた。涙目になっている。

「ちょっとタイガーリリー! 手伝って!」

「て、手伝う? なにを……?」

「いいから! 頭が変になる前に! 早く!」

「……」

 もう変になっていると思うが。

 タイガーリリーは露骨に戸惑っていたが、他の誰かに任せることはできないと判断したのか、渋々といった様子で従った。


 悪いが、うまく対処して欲しい。


 *


 その後、エーデルワイスの黒歴史を音声で聞き届けた俺たちは、いわく言いがたい雰囲気のまま解散した。

 まあ解散といっても、アパートから出るのは俺だけなのだが。


 もちろん俺は、自宅に戻っても仕事など手につかなかった。

 まったく集中できない。

 どこから引っ張ってきたのかよく分からないデータをもとに、資料を作らねばならないのに。

 表計算ソフトでマクロを組み、平均値、中央値、合計値などを出し、それらしいグラフに仕立て上げる。統計の基礎も知らず、各データにどんな意味があるのかさえ分からないまま。

 俺は、上司の要望を、パソコン用に翻訳するだけの機械だ。独創性など微塵も期待されていない。


 もし世界が落ち着いたら、俺はまたそれを繰り返すだけの毎日に逆戻りする。

 しかも俺は、そのために戦っている。


 *


 後日。

 都内某所。


 センジュから少年の所在が通知された。

 廃業したホテルに潜伏しているというのだ。

 俺たちはAB班で現場へ向かった。


 強い日差しに照らされた屋上。

 東京の街並みがよく見える。

 いや、街並みとはいうのは正しくないか。結局は、少し高い位置から周囲のビルを眺める行為でしかない。


 少年は切羽詰まった顔でフェンスを背にしていた。

「く、来るなッ!」

「そうピリピリするなよ。少し話をしようぜ」

 とはいえ、こちらはシルバー・スピッターを構えている。

 よほどおかしな方向に発砲しない限り、一撃で少年の命を奪える。


 彼は獣のように呼吸していた。

 「死」以外の選択肢がない。

 だから彼に用意された選択肢は、屋上から飛び降りるか、俺に撃たれるか。そのどちらかしかない。


「あんたを追ってた人間が、怪物にされたという話を聞いた。いったいどんな理屈なんだ?」

「僕は神だ。神に逆らう人間は、その人間性を失うことになる」

「だが俺はそうなっていない。なぜだ? シルバー・スピッターのおかげか?」

「……」

 すると少年は、狂犬のように顔をしかめてしまった。

 言いたくない、というわけか。


 俺は銃口を下方へ向け、トリガーを引いた。

 パァンと炸裂音。

 弾丸は少年の足を貫き、後ろの室外機に当たってコンクリートの床に転がった。


「あがッ! がッ! 痛いッ!」

 何度か前かがみになり、そのまま崩れ落ちてしまった。

 だが会話はできる。


「質問に答えられるかな?」

「勘違いするな! お前が強いんじゃない! 全部その銃のおかげだ!」

「分かってるよ」

「その銃がなかったら、お前なんて無価値だ!」

 命乞いをしないところを見ると、説得はムリだと判断しているらしい。

 俺はつい肩をすくめた。

「まあ、そうかな。けどそれは正確じゃない。価値の評価軸は、かなり多様なんだ。一概にどうこう言えるものじゃない」

「は?」

「太陽の一族は、あんたを無価値と評価した。けどあんたは、自分が神になるべき存在だと評価したんだよな?」

「あいつらは間違ってる! 僕が正しいんだ!」

「まあそうだな。誰しも、自分が思いたいように思うしかない」

「分かったような口を……」

 そうだ。

 分かったような口を叩いている。


 だが本当に、価値は、人によるとしか言えない。

 誰かにとって無価値でも、別の誰かにとっては宝物かもしれない。大勢が言っていることが正しいわけではない。その場合、ただ「大勢が言っている」だけだ。正しさとは関係がない。


「怪物に変わる人間と、そうでない人間の違いはなんだ?」

「うるさいうるさいうるさい! 神器の大部分は司祭が掌握してるんだぞ! 僕に分かるわけないだろ!」

「なら、あんたと会話するだけムダってことか?」

 すると彼は、怯えた目でこちらを見てきた。

「待って! 殺さないで! もうギリギリなんだ! これ以上減らされたら、僕にはあとがなくなっちゃう!」

「そして俺たちは、まさにそれを望んでる」

「時間が巻き戻ったとき、君たちだけ記憶を残しただろう!? だからきっと、そのせいでなんらかの例外処理が発生したんだ! これ以上は分からない! ね? ちゃんと喋ったんだから殺さないで!」

「悪いな」

 俺はトリガーを引き、今度こそ急所を撃ち抜いた。

 すると少年は内部から炸裂し、肉片を周囲に飛び散らせた。いわく言いがたいイヤなにおいだ。数秒前まで人の姿をしていたのに、いまはその面影もなくなってしまった。


 計器を手にしたタイガーリリーが近づいてきた。

「お疲れさま」

「なにか分かったかな?」

「どうだろう。きっとまだ人間の科学力では計測できない事象なんだと思う」

「それは残念だな」


 とはいえ、少年の発言が答えなのだろう。

 神器が時間を操作したとき、すべての存在が旧来の状態に戻された。一方、俺や妖精だけは、記憶を保有したまま巻き戻された。その影響で例外的な存在になった可能性はある。

 そもそも、一部だけ改変して時を巻き戻すという行為自体がムチャだったのだ。どんなバグを引き起こしても不思議ではない。少年というマルウェアが介在した状態ではなおのことだ。


(続く)

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