センジュ
メンタルの回復は思ったより早かった。
というより、そもそもの話、俺は好きでこういう生き方をしているのだ。結果だって受け入れている。他人にゴチャゴチャ言われる筋合いは、ハナからない。
もちろん俺だけじゃない。
誰だって同じだ。
好きに生きたらいい。
極論すれば、もし警察に勝てるなら、法律を守る必要さえない。望むと望まざるとに関わらず、事実はそうなっている。
だが俺の希望はシンプルだ。
気を抜いてダラダラ生きたい。
それだけ。
トラブルは少なければ少ないほどいい。
そしてもしトラブルを持ち込むヤツがいれば、可能な範囲で対処する。ムリそうなら逃げる。ほかにしようがない。
*
ところが俺よりも、妖精たちが気にしてしまっていた。
帰路、タイガーリリーは歩きながら仲間たちに相談した様子らしく、みんななんとも言えない表情になっていた。
アパートに戻ると、さながら「英雄を囲む会」かのようになった。
神妙な顔で立ち上がったエーデルワイスが、こう演説を始めた。
「そうね。分かった。私たちの手で英雄を男にしましょう。交代でヤるわよ。最初は私。その次も私。で、何回か私が続いてから、飽きたころに別の子がヤることを許可するわ」
なにが「分かった」だ。
マッポーちゃんもうなずいている。
「もちろんマッポーちゃんも交尾できるマポね?」
「ダメに決まってるでしょ。見た目が幼すぎるわ」
「ふざけんなマポ。てめぇらよりだいぶ長生きしてるマポ」
「何年生きててもダメなものはダメよ。神や法律が許しても、私が許さないわ」
「うるせぇマポ! 交尾させろマポ!」
「待って、暴力はやめて」
押し合いになってしまった。
毛玉のときは容赦なく蹴っていたエーデルワイスも、人間形態になったマッポーちゃんには手を出せないようだ。
椿がじっとこちらを見つめてきた。
「お兄さまが望むのでしたら、椿はいつでも……」
露骨に同情するような表情。
正直、誰でもいい。
ヤれるならヤりたい。
だが問題は、酒が入ると俺のナニは機能しなくなるということだ。そしていま缶ビールを飲んでいる。
三大欲求のうち、睡眠への欲求がもっとも勝利している。
俺は溜め息をついた。
「いや、いい。みんな落ち着いてくれ。これは俺自身で解決すべき問題だ」
「それより助けてよ!」
エーデルワイスはマッポーちゃんに押し倒されて、馬乗りにされていた。
クソ弱すぎる。
「マッポーちゃんも落ち着いてくれ」
「落ち着くマポ」
だがエーデルワイスの上からどくつもりはないようだ。
「俺はべつに、女とヤるとかヤらないとか、そういうので自分の価値を証明するつもりはない。他人と比べたくもない。頭のよしあしとか、運動神経のよしあしとか、収入がどうだとか……。まあ正直、完全に気にしないのは難しいけど。別にいいだろ。誰だって完璧じゃない。そのときどきで、選びうる最善の選択をして生きてる。ミスもある。欠点もある。ヘコむところまで含めてワンセットだ。完璧なのは神だけで結構。自分が神じゃないことを嘆いたところで……どうなるかは見てきたはずだよな? みんなの善意はありがたく受け取るけど、さっきも言った通り、これは俺自身の問題だ。俺に対処させてくれ」
世界のすべてを手に入れない限り、この問題から逃れることはできない。
学のあるヤツは、そうでないヤツを見くだす。力のあるヤツは、そうでないヤツを見くだす。金のあるヤツは、そうでないヤツを見くだす。
だがそういう連中は、自分より上のヤツがいる場合、学も力も金もチラつかせない。負けることが分かっているからだ。勝てるときだけマウントをとる。
ターゲットにするのは、自分より弱そうなヤツが相手のときだけ。
もう勝手にやってろとしか言えない。
俺はビールを飲み干し、缶を握りつぶした。
「今日は帰るよ。次回はAC班だ。詳細はあとで連絡する」
怒っていないと言えばウソになる。
俺には学も力も金もない。女性経験も豊富とは言いがたい。ハッキリ言ってなにもない。なさすぎる。指摘されるのはつらい。
だが、ここで怒りを優先させればペースを乱される。
敗北の可能性が高まる。
敵との戦いが終わるまでは、見ないフリをしたっていい。自分の問題と向き合うのは、余裕ができてからだ。
*
自宅待機のまま三日が経過した。
仕事は進んでいない。
たぶんこれこそがもっとも進めるべきことなのに。
AC班で外に出た。
俺、エーデルワイス、マッポーちゃん、椿、グロリオサ。
春の陽気は続いている。
しかし今日は、少しだけ湿度があるような。遠からず梅雨になるだろう。
「グロリオサ、そういえば君の能力についてだけど……」
「はい」
話しかけると、柔和な笑みで応じてくれる。
ふわふわした栗色の髪。パステルカラーのセーターと長いスカート。あまり露出のない、おとなしめの服装。
雰囲気だけで癒される。
これからする話で、きっとすべてを台無しにしてしまうと思うが。
「例の作戦、実行できそうか?」
「はい、大丈夫ですよ」
笑顔のままだが、少し表情を曇らせてしまった。
「じつは、君が式典でどんな行動をとってたかを聞いた。人を傷つけるのは好きじゃないとか……」
「はい。そうです。でも、必要であればやります」
「頼んだ。切り札になるかもしれない」
するとエーデルワイスが不審そうな表情で近づいてきた。
「なに? 秘密の話?」
「作戦の話だ」
「私には教えてくれないの?」
「そのときになったら分かる」
「えーっ。ズルい。ね、グロリオサ、こっそり教えてよ」
エーデルワイスは、グロリオサの腕にしがみついてぐいぐい押し込んだ。
グロリオサも困り果てた表情だ。
「ごめんなさい。私からは言えないわ」
「ふーん」
簡単にすねてしまった。
本当に子供みたいだ。
*
その後、少年を見つけることはできなかった。
精霊に尋ねても分からず。目撃情報を当たってもすでにおらず。
さすがにどこかへ移動してしまったのだろう。
コンビニに寄ってからアパートへ戻った。
「ただいま」
「どうだった?」
「ハズレ」
出迎えたタイガーリリーに、エーデルワイスは力なく応じた。
俺が腰をおろして缶ビールを取り出すと、瓶から直接ウイスキーをやっていたパキラが、半笑いで目を細めた。
「そんな薄い酒で酔えるの?」
「泥酔したいわけじゃないからな」
そこそこでいいのだ。何事も。
まあそれはそれとして。
酒を飲むとナニが機能しなくなるだけでなく、仕事にも手がつかなくなる。けっこう溜まってるってのに。
仕事をしなかった釈明をするよりも、仕事をするほうが負担は軽い。これは当然の道理なのだが。なぜか手につかなかった。
タイガーリリーが正面に腰をおろした。
「英雄、少しいい?」
「いくらでも」
まだ十五時だが、予定はなにもなかった。
しいて言えば、メシを食ってシャワーを浴びて寝るだけ。
「私の所属してるチームが、ここのみんなに協力を要請してるんだ」
「所属?」
「コードネームはセンジュ。正式名称は聞かないでね。私も知らないから」
「警察だろ?」
偽造じゃない手帳を寄こしてきたんだ。それくらい分かる。
タイガーリリーは苦い笑み。
「じつは違うんだ」
「違う?」
「警察とは別系統の組織で……。あまりいい顔はされてない」
「俺イヤだぜ、警察とモメるの」
「まあそう言わず」
警察に限らず、異なる管轄のものが同じ現場に入ると、だいたい衝突が起きる。
なぜなら権限が分散されるからだ。あるチームだけなら自由にやれていたのに、別のチームが入ると、そちらに一部権限が移譲される。なのに成果だけはいつも通り求められる。
きっと警察は「センジュ」に対していい印象を抱いてはいないだろう。
警察手帳の件だって怪しいものだ。センジュは警察でもないのに手帳を持ち歩いている。ムリを言って作らせたに違いない。
俺は遠慮なく溜め息をついた。
「手を組んだ場合のメリットとデメリットを教えて欲しい」
「先にデメリットから伝えておくよ。手を組んだ場合、東京駅で太陽の一族と戦うことになる」
「おいおい」
「メリットは、服役中のロベリアとライラックが仮釈放される」
俺は口に含んだビールを噴きそうになった。
ロベリアはいい。薬事法違反でパクられていたのは知っている。
だがライラックは?
タイガーリリーもあきれた様子だ。
「ああ、ライラックについて説明してなかったね」
「ぜひ説明してくれ」
「地下アイドルをやめたあと、別の芸能事務所に移ったんだ。けどそこが極めて悪質でね。ライラックを騙していろいろさせてた。で、怒ったライラックが、得意の罠で事務所の幹部連中を……まあ痛めつけてしまって……」
言いづらそうにしているところを見ると、かなり手ひどく反撃したようだ。正当防衛のラインを超えたのだろう。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない。だから懲役刑になったんだ。けど、みんなが協力してくれれば、仮釈放という扱いになる」
「仮釈放?」
「正式な釈放とは違って、監視もつくし、問題を起こしたら通常より刑が重くなるね」
救いはないのか。
だが俺は、もっと大事な点を問わねばならなかった。
「しかし仮釈放となると、今度は法務省の管轄かな? モメたりしないのか?」
「もちろんいい顔はしてない」
「つまりセンジュとやらは、警察庁と法務省に同時に圧力をかけたってことになる。そんなことして、タダで済むとは思えないが」
「大丈夫だよ。ほかの省庁もみんないい顔してないから」
「そこは『大丈夫じゃない』と表現すべきところだな」
国の機能の大半を敵に回すとは。
いったいどれだけ強気なのやら。
いや、それでも、求められているからこそ存在し続けているのだ。極めて特別な組織なのだろう。
タイガーリリーはニッと笑みを浮かべた。
「今回投入されるのは私と英雄だけ。残りのメンバーはまだ動かなくていい。民間のドローンに撮影されるおそれがあるからね」
「俺が行く必要はあるのか? 優秀なのは俺じゃなくてシルバー・スピッターだぜ?」
「求められてるのは知識だよ。君は血の魔物と戦ってきた。その経験が重要なんだ」
「そうかよ。まあいい。やるよ。ロベリアとライラックも放ってはおけないしな」
手を貸せば「副業」とみなされる可能性があるから、ヘタするといまの職場をやめる必要がある。だが辞表を書くのは慣れたものだ。心の準備はできている。
タイガーリリーは満足そうにうなずいた。
「よかった。もし太陽の一族が片付いたら、センジュも不浄の子の捜索に注力できる。君の目的とも一致するよ」
「で? 俺は公務員になれるのかな? それとも準公務員?」
「いいや」
違う?
なら詳細を説明すべきだろう。
なぜ言わない?
「じゃあどんな扱いなんだ?」
「民間人のままだね。もし死亡した場合、勝手に現場に入り込んだ迷惑な人として処理される」
「ネットで叩かれそうだな……」
「言っておくけど、お金も出ないよ。報酬はあくまで妖精たちの仮釈放だから」
「だろうと思った。いいよ。給与外労働には慣れてる」
某演歌師も「金だ金金、この世は金だ」と歌っていたのに。
いや大丈夫。著作権は切れているから、もし歌っても問題ない。
問題なのは、どいつもこいつも金払いが悪いってことだ。日本は金のある国じゃなかったのかよ。現場に支払いもしないで、いったいどこで回してるんだ。
(続く)




