面子
不浄の子による報復はない。
そう確信していた俺は、まっすぐアパートへ戻った。
「ただいま」
「……」
みんな不審そうにこちらを見た。
まあそうだろう。
「血が出てるマポ……」
マッポーちゃんが心配そうに駆け寄ってきた。
少年を撃ったとき、ズボンに少し返り血を浴びたらしい。
「ああ、大丈夫だ。俺の血じゃない」
「えっ?」
いちおうタイガーリリーには銃の使用を報告しておいた。
現場に爆ぜた少年の死体があることも。
殺す必要はなかった。
あの場を会話で穏便に済ませることもできただろう。
だが、俺はそうしなかった。
これは宣戦布告だ。
交渉はすでに終わった。
太陽の一族は気に食わない。だがあの子供は、もっと気に食わない。絶対に手を組むことはない。使われるのもまっぴらだ。
たとえ俺がこの世界の支配者になれたとしても、上司があのガキなんじゃ、ちっともいい話とは言えない。
俺は飲みかけのコーラを口にした。
ぬるい。
だが悪くはない。
緊張して口が渇いていた。
「この先どうするか、決めてくれたかな?」
俺がそう尋ねると、みんなはなぜか怒られた子供みたいにしゅんとしてしまった。
責めているつもりはないのだが。
するとグロリオサが、なんとも言えない表情でこちらに向き直った。
「私たち妖精は、その日その日を楽しく生きてきました。あまり未来について考えることをしません。いえ、考えるのが苦手なのです。ですからこの先どうするかは、英雄の判断にゆだねたいと思います。それではダメでしょうか?」
彼女に言われると、なんでも首を縦に振ってしまいそうになる。
俺はコーラを一口やり、缶をテーブルに置いた。
「けど、たとえばタイガーリリーなんかは、わりと考えるほうじゃないか?」
「あの子は少し……特別です。狼の力のせいで怖がられて、ずっと群れから離れて生きてましたから」
さらっと個人の闇を暴露するんじゃない。
どうも雰囲気が独特だとは思ったが。
「いや、でも希望くらいあるだろう。故郷に帰りたいとか、その前に誰かをぶっ飛ばしたいとか……」
これに答えたのはエーデルワイスだ。
「ぶっ飛ばしたいとは思うよ? けど、それはこないだ英雄にダメって言われたし」
「ダメっていうか、ちゃんと作戦を立てないと危ないからさ。故郷に帰りたいとは思わないのか?」
「それは思わない」
そういや彼女はそうだった。
他の妖精も同じなのだろうか?
みんなうなずいているところを見ると、どうやら異議ナシといった様子だ。
本当になにもないんだな。
俺は思わず溜め息をついた。
「分かった。なら俺のやりたいようにやらせてもらう。といっても、選択肢は四つしかない。一、少年と手を組む。二、太陽の一族と手を組む。三、日本政府と手を組む。四、特になにもせず成り行きに任せる。だが、さっき少年を一体始末したから、もう手を組むことはできない。だから選択肢は残り三つだな」
「どうするの?」
エーデルワイスは無邪気な顔でこちらを見つめてくる。
「もし日本政府と手を組んだ場合、勝利しても問題は解決しない。国内は平和になるが、世界がその後どうなるかは分からない。もしこの世界を滅ぼしたくないなら、少年か太陽の一族、どちらか一方を勝たせる必要がある」
「なら太陽の一族と手を組むの?」
エーデルワイスは露骨にイヤそうな顔をしている。
まあ同感だ。
俺もあいつらは好きじゃない。
「必要ならな」
「全員ぶっ飛ばしちゃえば?」
「もし俺がタフガイならそうしたかったところだが、残念ながら俺はタフガイじゃないんだ。もっと現実的な策を考えよう」
正直、話がデカくなり過ぎた。
なにせ警察とカルトが銃撃戦を始めてしまったのだ。そこに民間人の俺が参加したら、よくて刑務所、悪けりゃ棺桶にぶち込まれることになる。自分さえ救えない男が、世界を救おうだなんて、あまりにバカげている。
「現実的な策って?」
エーデルワイスはもはや自分で考えるのを放棄し、こちらにアイデアを催促してくる。
蛇口から水が出るみたいに、アイデアが出てくるわけもないのに。
「浄化カルトの対応は、日本政府に任せよう。その間、俺たちは少年の駆除を続ける。もし全部片付いたら、自動的に太陽の一族が勝者となる。そしたらあいつらも故郷に帰るだろう」
不浄の子のコピーがいったいどれだけいるかは不明だが……。地道に続けていればいずれ終わるだろう。もし世界が滅ぶなら、そのときはそのときだ。
外でバイクの音がした。
誰か来たようだ。
*
「おや、私の部屋に、お客さんがたくさん……」
ヘルメットを抱えて入ってきたライダースーツの女は、タイガーリリーだった。
後ろにはパキラもいる。
「早く入りなよ。後ろ、つかえてるんだから」
「ごめんごめん」
あまり大きなアパートではないから、みんなで集まるとさすがに狭くなる。
座布団の数も足りていない。
「なにしに来たの?」
エーデルワイスがむくれた表情で尋ねると、タイガーリリーもすっと目を細めた。
「ここ、私の部屋なんだけど?」
「知ってる」
「まだ怒ってるの?」
「別に。怒ってるのはそっちでしょ?」
「まったく……」
タイガーリリーは反論さえせず、そっぽを向いてしまった。
「コーラもらうよ」
空気も読まず、パキラが俺の缶コーラを飲み始めた。
「う、なにこれぬるいんだけど」
こいつらは会議を妨害しに来たのか?
「少年の件で来たのかな?」
俺がそう尋ねると、タイガーリリーは肩をすくめた。
「じつはその前から向かってたんだ。そろそろみんなで集まるべきだと思ってね。集める手間が省けたよ」
ということは、重要な情報を持ってきたということだ。
たぶん。
グロリオサが表情を曇らせた。
「みんなって? ほかの子たちは……?」
「ああ、大丈夫。所在は分かってるよ。ただ、すぐには集まれそうにないから、ひとまずこのメンバーで話そう」
ヴァニラはアメリカで歌手をしているし、ロベリアは刑務所、ライラックは地下アイドルをしていたんだったか。
タイガーリリーはこちらを見た。
「まず、英雄。不浄の子を撃ったのは少し意外だったな。君なら会話でなんとかすると思ってた」
「そこまでの人間性は備わってなかったみたいだ」
「けど、タイミングは悪くなかった。日本政府も、不浄の子を処分する方向で動くみたい」
「えっ? いやいや、待ってくれ。なら、日本政府と太陽の一族は、同じ目的ってことになるよな? なんで撃ち合ってるんだ?」
俺の問いに、彼女は苦い笑みを浮かべた。
「面子の問題……かな?」
「面子?」
「だって子供を処分するんだよ? 政府には建前が必要だったんだ。なのに太陽の一族は、そんなのお構いなしに来るから……」
とても文明人同士のコミュニケーションとは思えない。
政府の言い分も分からなくはないが、グズグズしてたら世界が滅ぶかもしれないってのに。
いや、意外とみんなも、世界なんて滅んだっていいと思ってたりして。
ともあれ、日本政府、太陽の一族、そして俺たち、みんなが不浄の子を狙うことになった。期せずして目的が一致してしまったというわけだ。
だが、いまの話を聞く限り、協力関係は望めそうにない。
いや、協力できないだけならまだマシだろう。いったん仲がこじれてしまうと、互いに妨害を始める可能性さえある。
ルール重視で融通のきかない政府、プライドが高く人間を下に見ている太陽の一族。両者が仲直りできるとは到底思えない。
ふと、タイガーリリーが手を伸ばし、膨らませているエーデルワイスの頬をつついた。
「まだ怒ってるの?」
「つつかないで」
「つめたいね。せっかくのかわいい顔が台無しだよ?」
「……」
エーデルワイスは無言のまま頬を染めた。
まあそうだろう。
誰もが理解した。
落ちた、と。
エーデルワイスは急にわたわたし始めた。
「は? はぁ? かわいいのは当然でしょ? なに? ほかに言うことないの?」
「もっとかわいい顔がみたいな」
「ふーん……」
そもそもの対立の原因からしてクソくだらなかったのだ。
仲直りのきっかけもこんなものだろう。
それより本題を進めて欲しい。
こっちは、いつどこで銃をぶっ放すべきなのか、それが知りたいのだから。
茶をすすっていた椿が、小さく息を吐いた。
「では、かの少年を始末すれば万事解決なのですね? でしたら戦いの得意なメンバーで対応に当たりましょう。私、英雄、タイガーリリー、パキラの四名。残りの方々はお留守番ということで」
戦力外通告されたのは、エーデルワイス、マッポーちゃん、グロリオサの三名。
だがグロリオサは……おそらく強い。風を操れるという。頑張れば稲妻も。弱いわけがない。なぜ過小評価されているのか分からない。実際に能力を見たわけではないから、あくまで予想に過ぎないが。
すると案の定、エーデルワイスが反論してきた。
「私も行く」
「いったいなにができるというのです?」
「盾くらいにはなれるわ」
「へえ」
かつて椿は、命がけで俺の盾になってくれた。そんな彼女からすれば、エーデルワイスの言葉は空疎に聞こえたかもしれない。
俺はしかしあえて口を挟んだ。
「いや、一緒に行こう。たしかエーデルワイスは、精霊と会話できるんだったな? その能力は、少年の足取りを追うのに使えるかもしれない」
「さっすが英雄! 私のことよく分かってるわね!」
盾にするつもりはない。
あんな哀しい思いをするのはもうごめんだ。俺も死なないし、誰も死なせない。
「グロリオサも来てくれ。例の作戦が必要になるかもしれない」
「はい……」
葬送で使おうとして、結局使わなかった作戦が、ひとつある。
あくまで最終手段だが。
出番がないとは言い切れない。
(続く)




