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オゾン、焦熱、愚行、葬送  作者: 不覚たん
英雄編

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洋館 二

「ずぞぞぞぞぞーっ」


 この洋館も、かすかにオゾン臭がする。

 長いこと誰も足を踏み入れていなかったのだろう。


「じゅるるるるーっ」


 まあ、それはいい。

 それはいいのだが、先ほどからずっと不快な音が響いている。


「ずべべべべべーっ」


 できたばかりの新鮮な血だまりを、毛玉がすすっているのだ。

 地べたに這いつくばり、すさまじい吸引力だ。いや、立派なのは音だけで、ほとんど吸い込めていない。ほぼ空気しか吸っていない。

 もしかするとこのクリーチャーは、あまり賢くないのかもしれない。


 エーデルワイスはなぜか得意顔でこちらを見た。

「どう?」

「どう、とは?」

「これが私のプランよ。あまりの凄さにおそれおののいたかしら?」

「ある意味、な」

 まともな見識を持ち合わせていない、という意味ではおそれおののいている。

 子飼いのクリーチャーに血をすすらせてなにが目的なのだ。


 俺は周囲を見回し、それからやむをえず尋ねた。

「で、こいつのこの醜態が、今後の戦いにどう影響するんだ?」

「ヒロインを仲間にできるのは、ギリギリ六人まででしょ? だからこいつをパワーアップさせて戦いに参加させるの」

「こいつを……?」

 このサッカーボールを?


「けぷぅ」

 血をすすり終えた毛玉は、ごろりと仰向けになった。

 パンパンに丸くなっている。

 もう動けそうにない。


 だがエーデルワイスは、その腹をブーツで踏みつけた。

「なに寝てるの? あなたの役目はまだ終わりじゃない」

「マポぉっ! お腹はダメマポ! 出ちゃうマポ!」

「まだひとつしか吸い込めてないじゃない。ほかにもいっぱい血の魔物がいるのよ? 簡単にあきらめないで」

「簡単って……そっちこそ簡単に言うなマポ! 魔族虐待マポ! 閻魔大王に訴えるマポ!」

「好きなだけ訴えなさいよ! 死んだあとでね!」

「あぁーっ! グリグリしちゃダメマポ!」

 このクリーチャーがクソなのは間違いないが、さすがに気の毒だ。


 俺は見ていられなくなり、つい彼女を制した。

「やめるんだ。苦しんでるだろう」

「けどこいつが……」

「彼はできる限りのことをしてる。あまり責めるな」

「彼? 彼女でしょ? こいつメスよ」

 メス?

 まあ性別は分からないが。


 マッポーちゃんは口から少し血を吐いていた。自分の血ではなかろう。腹を押されて逆流したのだ。

「人間! ド底辺衆生のクセに偉いマポ! もっとマッポーちゃんをかばうマポ!」

 踏みたくなるような発言は控えていただきたい。

 俺は遠慮なく溜め息をつき、気分をリフレッシュさせた。

「ともかく、仲間同士で争うのはナシだ。いまは協力すべきだろう」


 だが、これに機嫌を損ねたのはエーデルワイスだった。

「仲間? よく言うわね。今日ここに来たってことは、あなた、二人目のヒロインに会いに来たのよね? つまり私か彼女、どちらかを殺すつもりで来たということよ」

「それは誤解だ」

「じゃあなに? どうするつもりだったの? 先送り? でも私が先送りを提案したとき、あなた驚いてたわよね? どちらか殺すつもりだったんでしょ?」

 俺は答えに窮した。

 殺すつもりはなかった。

 だが、軽い気持ちで来たのは間違いない。つまりほぼノープランだった。責められても仕方がない。


「話し合いでなんとかなると思ったんだ」

「愚かね。減点よ」

「でも先送りと同じことだろ? さっき驚いたのは、それが可能だという確信がなかったからだ」

「お気楽でいいわよね、人間は。もしそのアテが外れても、私かその子のどちらかを殺せばいいだけだもの」

「その指摘は事実だ。悪かった。謝る。あんたの言う通り、考えがアマかった」

 すると彼女はズカズカ近づいてきて、俺の目の前に立った。目の前というか、それほど背は高くないから胸元くらいしかないが。

「キスしなさい。私のブーツにね!」

 膝まであるブルーのロングブーツだ。ピカピカに磨き上げられている。


「君もヒロインなら、ヒロインらしく振舞ったらどうだ?」

「あなたが英雄らしく振舞ったらね」

「俺は英雄じゃない。ただ日頃のウサを晴らすべく『非日常』に『ありえない期待』をしてるだけの凡人だ」

 俺はおそらく彼女が反論できないであろう事実を述べた。

 おかげでなぜかダメージを受けた気がするが……。いや、あくまで気がするだけだ。


 さすがのエーデルワイスもきょとんとした。

「そ、そうよ。そうでしょ? だけどその……私はそこまで言ってないから……」

「同情されるほうがつらい」

「でもいいじゃない! 高貴なる妖精である私の命を自由にできるんだから! こんなこと、普通はないことよ!」

「……」

 溜め息しか出なかった。

 命を自由に、か。

 そんなことで喜べるのは、モラルの欠如したクソ野郎か、サディストだけだ。いや、どちらも同じだったか。


 もちろん俺にも人並の征服欲はある。

 相手の弱みを握ってどうこうできたら、さぞかし楽だろう。

 だがそんなことで他人を支配して、虚しくならないのか?

 それがイヤだから、あえて退屈な日常を選択しているというのに。

 力があるから使うのは動物。力があっても使わずコントロールするのが人間だ。



 俺は毛玉に目を向けた。

「マッポーちゃん、動けるか?」

「これが動けるように見えるマポ? ここはマッポーちゃんに任せて先に行くマポ。けぷぷ」

 口の減らないクリーチャーだ。

 置き去りにしていいならそうさせてもらおう。


 次に俺は、エーデルワイスに尋ねた。

「あんたはどうする? ここでペットの看病をするか?」

「一緒に行く。置いてかないで」

「こいつは気にならないのか?」

「いちおう魔族だし、簡単には死なないわ。それより、あなたがヒロイン二号に落とされるのを阻止しないといけないから」

 確かに、それは彼女にとっては死活問題だ。


「分かった。じゃあ行こう。マッポーちゃん、ここの警備は任せたぞ」

「苦しうないマポ」

 苦しんでるようにしか見えないが。


 *


 洋館に照明はなかったが、外からの月明りでじゅうぶん見通せた。

 ホラーという感じでもない。

 いや、たぶん一人だったら恐怖を感じたかもしれないが、玄関ホールでクソみたいな茶番を見せられたせいで、完全に気が抜けていた。

 おかげでリラックスできたとも言えるが。


 呆然と立っているだけの血の魔物。

 そいつを銃で木っ端微塵にする。

 慣れてしまえば単純な作業だ。


「ねえ、英雄さん。なんだか緊迫感が足りなくないかしら?」

「そうか? これくらいのほうが楽でいいだろう。俺はなにをするにもガチ勢じゃなくてエンジョイ勢でやってきたからな」

「ならエンジョイできてるの?」

「いや、まあ、それは……」

 ただの作業だ。エンジョイはできていない。


 つまりはこういうことだろう。

 日常生活でムキになれない人間は、非日常であってもこの程度の体験しかできない。


 *


 作業を繰り返しながら三階へ到達。

 ひときわ豪勢な木製のドアに行き当たった。

 ここがゴールだろう。


 俺がドアノブに手をかけようとすると、エーデルワイスが横からつかんできた。

「待って」

「なんだ?」

 いちおう魔物の出現に備えて発砲の準備をしていたから、少しイラッとしてしまった。

 しかし彼女の表情もまた真剣だった。

「聞いて。さっき私、ほかのヒロインも仲間にするって言ったけど……。その子が話に乗ってこない可能性もある」

「確かに」

「そのときは、私をヒロインに選んで。お願いだから」

「俺にメリットはあるのか?」

「なんでもするから。もう死ぬのはイヤなの」

 気の毒な話だ。

 俺みたいな凡人にお願いしなければ、命を奪われてしまう境遇だ。死んでも生まれ変わるからいいだろう、などと言うべきではない。体験したことはないが、死は苦しいはずだ。いやそれ以上のこともあるのかもしれない。


 俺はしばらく沈黙し、言葉を探した。

「君の意見は最大限尊重したい。だが、何事にも予想外のことはある。そのときは覚悟してくれ」

「待ってよ。いろいろひどいこと言ったのは謝るから。だから私を選んで」

「いや、謝らないでくれ。万人が最善を尽くしても、失敗の可能性はゼロにはならないものだ」

 誰も悪くないのに、望まぬ結果を招くことはある。


 すると彼女は、またぐっと顔を近づけてきた。

「なんなの? 高貴な妖精であるこの私がこれだけお願いしてるのに、私を選ばないって言うの?」

「落ち着いてくれ。そうは言ってないだろ」

「言ってるわ! もう私の体好きにしていいから、とにかく私を選びなさいよ! 人間はそういうので満足する動物でしょ!?」

「人間をバカにするな!」

 まあ確かに満足するはずだ。

 しかしそれは、彼女のプランが成功するかどうかとは別問題だ。


 エーデルワイスがしゅんとしてしまったので、俺も我に返った。

「大きな声を出して悪かった。冷静に話し合おう」

「私、冷静だった……」

 堂々とウソをつくな。

 いや、こんなことに反論していてはらちがあかない。

「君のプランは尊重する。意見も尊重する。それでも不可能なことはあるから、簡単に約束はできないってだけだ。最大限の努力はする」

「信じていいの?」

「いや、なにも信じるなと言っているんだ」

「なにそれ……」

 急に駄々こね少女みたいになった。

 不遇な状況に追い込まれていたせいで、情緒が不安定なのかもしれない。


 ドアが開いた。

 いきなりだ。


「ねえ、中で話したら?」

 健康的な褐色肌の、黒髪の女。

 第二のヒロイン。

 キリッとした眉の、凛々しい顔立ち。


 彼女はこちらを見ると、涼しげな笑顔を見せてくれた。

「あなたが私の英雄? ふーん。カッコいいね。ほら、入って」

「ありがとう……」

 お世辞でも嬉しい。

 なにせエーデルワイスからは苦情しか聞かされていなかったからな。


 いや、だが……妙だな。

 繭がない。

 服も着ている。

 ヒロインじゃないのか?


(続く)

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