Tipping Point
時間だけが過ぎた。
朝早く起きて、満員電車に詰め込まれて出社。薄明るいオフィスにつくと、それからずっとパソコンの操作。日が暮れてからようやく帰宅。
この繰り返し。
その間、妖精たちとの雑談くらいはあったものの、新情報はなかった。
同じ顔をした子供――。
いるはずなのに、見つからない。
あれから神器の老人も現れていない。
太陽の一族も没交渉。
ニュースを見ても、人間が人間に迷惑をかけている内容ばかり。
まるで世界の危機も、その兆候も、どこにも存在していないかのような――。
ループする日常。
進展のない生活。
停滞する社会。
誰かの話によれば、二十世紀の人間は、二十一世紀が輝かしい未来になると想像していたらしい。
だが実際の二十一世紀は……。老人ばかりだ。誰もが疲れ切っている。あるいは反動で過剰にはしゃぎ出す。互いが互いを警戒し、関わり合いを持たないようにしている。
テクノロジーが発達し、人々はコミュニティに頼らず生きられるようになった。古い因習は消滅した。人々は縛られなくなった。自由を得た。だがその自由は、なぜか人々に不安を与え始めた。
現代人は、宇宙空間を漂う岩石のようだ。
誰もが自由を得た代わりに、なにをすべきか分からなくなった。どこへでも行けるはずなのに、絶えず「大きななにか」に寄り添うようになった。自由の暴走を恐れ、他者を拘束したがるようになった。すべては整然と管理されるべきだと言い出した。ついには自縄自縛になった。
だから「自由」とは、我々には扱えない怪物かもしれないと、その誰かは言った。
*
異変は突然起きた。
その日、俺はいつものようにオフィスで仕事をしていた。仕事というか、ネットというか……。どうせ夜まで帰れないのだからと、溜まった仕事を後回しにしてダラダラ過ごしていた。
サイレンが鳴り響いた。
どこかで火災でも起きたらしい。
すると別室でミーティングをしていたらしい上司が、弱った表情で部屋に入ってきた。
「なあ、ニュース見たか? 凄いことになってるぞ」
「えっ?」
職場にテレビはないから、ネットで見るしかない。
俺は普段からよくネットを使う。だが基本的には調べものばかりで、ニュース専門のサイトは見ないようにしていた。この国ではまともにニュースが機能していないように思えたからだ。
もちろん絶対に見ないわけじゃない。ただ、きちんと背景を知っていないと、ただ興奮し、踊らされることになる。浮足立ったところで一気に扇動される。そんなシーンを幾度も見てきた。
俺は渋々ネットを検索した。
該当記事はすぐに見つかった。各所で爆発騒ぎが起きているらしい。テロでも起きたのだろうか。
コメント欄には、あいつのせいだ、いやあいつのせいだと、さっそく根拠不明な憶測やら願望やらが書き込まれていた。まだ「爆発があった」としか情報が出ていないのに。
人々は、何度も政治的デマに騙されてきたのに、反省もなくまた同じことを繰り返そうとしている。
いや、いい。人は誰しも自分の直感を信じて疑わないし、その直感を否定する相手を即座にバカだと決めつけるし、気に食わないヤツには死んで欲しいと思っているものだ。ごくありふれた光景。こんなことで怒っていたら心が壊れる。
注目すべきは爆発のほうだ。
政治がらみのテロという可能性も否定できない。
だがあくまで「可能性」の話であり、そう断定すべき情報が存在するわけでもない。
住宅街、商店街、バス停、路地裏……。発生場所を見る限り、政治的に重要な拠点が狙われたとは考えにくい。狙われたのはむしろ市民の生活圏。もちろんそういったテロもあるが……。
上司は大儀そうに言った。
「今日はもう帰っていいぞ」
特に珍しいことではない。
ここは優良企業とは言えないが、それだけに、期日までに仕事をしていれば特になにも言われない。なんならこれは、仕事の続きは家でやれという意味でさえある。
*
時刻は十四時半。
外はまだ明るい。
こんな時間に外の空気を吸えるとは、思ってもみなかった。
電車は大幅に遅延しているようだったので、タクシーをつかまえた。
気軽にタクシーを乗り回せるほどリッチではないが、今日ばかりはやむをえない。ほかに移動手段もないのだ。
「北千住までお願いします」
*
現地に到着してみると、シャッター通りには非常線が張られていた。
まさか、バーも狙われたのか?
野次馬の姿はない。
しかし警官が二名立っているから、侵入するのは不可能。
どうすべきか思案していると、後ろから声をかけられた。
「おや、もう到着とはね」
振り向くと、バーテンダーの格好をしたタイガーリリーが、なんとも言えない笑みで立っていた。
「無事だったのか」
「なんとかね。家に案内するよ。そこで話そう」
*
連れてこられたのは立派なマンションだった。
メインストリートから外れてはいるが、駅からそう遠くもなく、オートロックまで完備されている。
いいところに住んでいるものだ。
部屋にはパキラもいた。
「あ、英雄だ。てかお酒は? なんで買ってこないの?」
人の家のソファで横になって、だいぶくつろいでいる。というか服さえ脱ぎ散らかしていて、ほぼ下着姿だ。
「お酒なら冷蔵庫にあったでしょ?」
「あんな薄いの飲んだ気しないよ」
「まったく……」
爆発騒ぎから数時間でこのありさまだ。
タイガーリリーも大変だろう。
俺は座布団に腰をおろした。
「なにがあったんだ?」
「爆発だよ。急に。ドカンって」
「バーが狙われたのか?」
「そうだよ。気味の悪いガキが入ってきて、なんか急にポエムを読み上げてさ。なんだっけな……。まあいきなり爆発したわけ」
「自爆したのか?」
「そう」
自爆テロだと……。
パキラはソファからぐっと身を乗り出してきた。
「見てよ、これ! 前髪! ちょっと焦げちゃった。タイガーリリー、あとで揃えてくれない?」
言われてみれば、ほんの少しチリチリになっている気がする。
だが身体へのダメージはなさそうだ。
「怪我はしなかったのか?」
「しなかったけど、肉片が飛んできてさ。服がダメになっちゃった。サイアクだよ」
前髪を少し焦がす程度の被害、か。
するとタイガーリリーがコップに麦茶をいれて出してくれた。
「けどもう少し距離が近かったら危なかったよ。店のお酒もほとんど割れちゃったし」
「ま、あたしを殺したければ、もっと本気で来てくんないとね。あんな子供じゃ相手にならないよ」
「それはいいけど、シャワーは浴びたの?」
「まだ」
「早くして」
せっつかれたパキラは、渋々といった様子で立ち上がった。
タイガーリリーも床の衣類を回収し、別室へ。
子供、か……。
きっと俺たちが探していた「不浄の子」だろう。
見つからないと思ったら、いきなり現れて自爆とは。迷惑にもほどがある。
タイガーリリーが戻ってきて、近くの座布団に腰を落ち着けた。
「なにか推理してたんでしょ? 聞かせて?」
「サッパリだよ。まあ少なくとも、政治がらみのテロじゃなさそうだけど」
「子供が爆発したんだから、人間の仕業じゃないよね」
「やっぱり不浄の子かな」
「椿から聞いたよ。ずっと探してたんだって? 言ってくれれば手伝ったのに」
そういえばこちらには相談していなかった。
しかし意外だな。
椿がタイガーリリーと連絡を取り合っていたとは。
俺は麦茶を飲み干し、こう尋ねた。
「そういえば、エーデルワイスとはなにかあったのか?」
「べつに」
「これから状況はハードになるかもしれないんだ。できれば一致団結して対応したいんだが」
そう説得すると、彼女はかすかに溜め息をつき、困ったような表情を見せた。
「たいしたことじゃないよ。ちょっとケンカしただけ」
「ケンカって?」
「あの子、周りが見えてないから。注意したんだ。そしたらもう顔も見たくないって……。だから別行動してるの。それだけ」
「ああ、まあ……それは彼女が悪いな」
エーデルワイスは本当に周りが見えていない。なにかというと自分の要求を優先してしまう。だいたいはかわいいワガママだが、それも積み重なってくると面倒なときがある。
タイガーリリーは寂しげに笑うだけで、それきり黙ってしまった。
おそらく自分にも非があると思っているのだろう。
俺はつい笑ってしまった。
「けど、君も大変だな。せっかく面倒なエーデルワイスと離れたのに、パキラの世話をするハメになって」
「ま、あの子はあの子でかわいいところもあるけどね」
パキラは一方的にライバル視しているようだが、タイガーリリーからすれば妹のようなものなのかもしれない。
「そういえば、グロリオサに会ったよ」
「それも椿から聞いた。保育園で働いてるんだって? きっと天職だろうね。あの子、誰かの世話するの好きだから」
「消息不明なのはロベリアだけか」
「ええと……」
タイガーリリーは、急に気まずそうな顔になった。
なにかあったのだろうか?
「もしかして、見つかったのか?」
「うん」
「場所は?」
「それが……刑務所の中。薬事法違反で……」
「……」
まさか毒物を?
殺人や傷害でないところを見ると、誰かに販売していたと考えるのが妥当だろう。妖精もここでは生活費を稼がねばならないのだ。とはいえ、ほかにも手はあったはずだが……。
ふと、テーブルにゴトリと拳銃が置かれた。
「そうそう。これ。バーから持ってきたんだ。使って」
「えっ?」
シルバー・スピッターだ。
いや、使ってもなにも……。こんなのを持ち歩いたら、銃刀法違反で俺まで刑務所行きだ。
タイガーリリーはしかし平然としていた。
「あとこれ。警察手帳。職質されたらこれで切り抜けて」
「いやいやいや……。えっ? 作ったの?」
「やだな、正式に発行されたものだよ」
「正式……」
そんなわけないだろう。
偽造品ならともかく、正式なものを持っているほうが怖いのだが。
彼女はフッと笑った。
「そんな顔しないで。政府とは話がついてるから」
「……」
前に職業を言わなかったのは、そういう事情か……。
彼女は最悪の事態を見越して、しかるべき相手に相談していたのだ。つまり政府とつながっている。
「政府もね、異世界の存在については、以前から把握してたみたい。情報を欲しがってた」
「以前から?」
「たびたび迷い込んでくるらしいよ。ほとんどは無害だし、そんなに数も多くないから、だいたいは保護して終わりみたいだけど」
「なるほど。やけに話がスムーズだと思った」
「ま、担当者が出てくるまでは、私もかなり冷たくあしらわれたけどね」
事情を知らない公務員なら、そうなるだろう。
俺だって当事者だから確証をもてるが、もしそうでなければ精神科への通院をオススメしているところだ。
「話はどこまで通ってるんだ?」
「私たちが妖精ってことと、太陽の一族が介入してきてるってことだけ」
「それだけで銃の許可を?」
「ホントは私の監督下でしか許可されないけど……。悠長なこと言ってられる状況でもないしね。政府も、今回はお行儀よくやるつもりはないみたい。太陽の一族は、以前から大きなトラブルを起こしてたらしくて。呼べば専用の部隊を送ってくれるってさ」
「そいつはよっぽどだな……」
きっと表に出ていない被害が山ほどあるのだろう。不法侵入で顔写真をさらされたのも納得だ。
(続く)




