都市伝説 一
バーを出た俺は、エーデルワイスの自宅に向かった。
土曜日ということもあり、制服で歩いている学生たちの姿も見えた。
ほかにも、老人、母親とその子供、ペットの散歩をする人。いろいろな人たちがいた。
もし世界が滅べば、この人たちも消滅することになる。
*
「ひどいわね、英雄。ヒロインの私を置き去りにして、朝帰りだなんて」
出迎えたエーデルワイスはそんなことを言った。今日もジャージ姿だ。ずっと着替えていないのかもしれない。
「昨日、写真送っただろ? 例のバーに行ってたんだよ」
「だから、なんで私を誘わなかったの?」
「時間も時間だったしな」
「ふーん」
テーブル上の紙コップには、俺の買ってきたお茶が注いである。客が茶を持ち込むのも妙な話だが。
なにせこの部屋には冷蔵庫さえない。飲食できるものはなにひとつない。
マッポーちゃんには缶詰を与えたが、即座に食い終えて、いまは仰向けにひっくり返っている。
エーデルワイスは目を細めた。
「で、誰かいたワケ?」
「パキラとタイガーリリーに会った。二人とも元気そうだったよ」
「ふーん」
気にしていないふうを装ってはいるが、彼女はどこからどう見てもなにか言いたげだ。
「あの子たちと、なにかあったのか?」
「べつに」
「ならいいが。魔法陣については、なにか分かったか?」
するとエーデルワイスはふてくされた顔で、肩をすくめた。
「まだよ。さっきまで寝てたの。分かるでしょ?」
「悪かったよ。まあケーキでも食ってくれ」
「ふん。甘いもので釣るつもり? まあ食べるけど」
するとそのとき、玄関のカギがガチャリと音を立て、ドアが開いた。
「失礼します」
椿だ。
今日もきちんと着付けた和装。身だしなみも整っている。きっと普段から規則正しく生活しているのだろう。
エーデルワイスは息を吐きながら壁にもたれかかった。
「勝手に入らないで」
「ここは椿のおうちです。苦情があるのなら、お家賃を払ってから言ってください。あと電気代と、水道代と、スマホの料金と……」
「あーもー、分かったから」
完全に養われている。
俺は席をすすめた。
「椿のぶんもあるよ。食べなよ」
「はい。椿は、お優しいお兄さまが大好きです……」
つぶらな瞳でこちらを見つめてくる。
頭をなでくり回したくなるようなかわいさだ。まあ実際の妹はこんなにかわいくないと思うが。
しかし不思議だ。
妖精とは本来、奔放な存在のはず。
もはや英雄でもない俺に、なぜこんなになついてくるのだろう?
前回の記憶が影響しているのか?
かく言う俺も、記憶の影響を否定できない。まるで呪いのように、記憶に突き動かされている。
しばらくケーキを食べた。
コンビニで買ったチープなケーキだが、彼女たちは喜んで食べてくれる。幸福を絵に描いたような、穏やかな食事風景だ。見ていてほほえましい。
まあ食事が終わった途端、争いが始まるわけだが……。
「あら、口元にクリームがついてしまったわ。どこかの英雄がなんとかしてくれないかしら?」
エーデルワイスがいきなり仕掛けてきた。
顔をこちらに近づけて、とってくれと言わんばかりに突き出してくる。
サラサラの髪、長いまつげ、美しい横顔……。これで中身がまともなら、間違いなくトップのヒロインなのだが。
すると椿が、寝転がっていた毛玉をわしづかみにし、エーデルワイスの顔面に容赦なく押しつけた。
「ならこれで顔を拭いてあげますね」
「やめてよ!」
エーデルワイスが払いのけると、マッポーちゃんは「マポ!」と奇声を発しながら壁や床をバウンドし、玄関まで転がっていった。
もはや生命として扱われていない……。
「顔が毛だらけになるでしょ!」
「あなたにはお似合いでは?」
「どういう意味よ? ん? いいわ、なら勝負しましょう。オモテ出なさいよ。決着つけてやるから。能力はナシで、相撲で勝負よ」
相撲とか言いつつ、なぜかシャドーボクシングのマネをする。まあ「相手を撲る」と書いて相撲ではあるが……。
すると椿は、幼い顔立ちに似合わぬ凶悪な笑みを見せた。
「椿は構いませんが……。ではその前に、いままでツケにしておいたお家賃を払っていただけますか? 対等な勝負にするために」
「も、申し訳ありませんでしたっ!」
土下座――。
あまりにも速い。
エーデルワイスは情けなくケツを突き出し、畳に頭をこすりつけていた。
「ふふ。分かればいいのです。さ、顔をあげてください。いまは互いに争うべきときではありませんから。これからも仲良くしましょうね、エーデルワイス」
「ふぁい……」
最初から勝負は見えていたはずだが。
なぜ戦おうとしたのだエーデルワイスは。
のそのそ戻ってきたマッポーちゃんが溜め息をついた。
「まったく、毎日が地獄マポ。衆生、マッポーちゃんを飼って欲しいマポ。もうこんな生活まっぴらごめんマポ」
「悪いな。うち、ペット禁止なんだ」
「マポ……」
禁止とはいえ、ルール無用でペットを飼っている住人もいるし、別に誰にも怒られないとは思うが。
正直、マッポーちゃんを飼える自信がなかった。
もし人間状態でうろうろされたら、誘拐犯だと思われかねない。一緒に住んでいる親にも怪しまれる。
*
特に収穫もないまま帰宅した。
どこかへ出かけているらしく、両親の姿はない。
俺は自室でパソコンだ。
あるニュースに目がとまった。
住居侵入の罪で、男が逮捕されたとのこと。国籍不明。身元不明。顔写真まで出ていた。彫の深い顔立ち。額には、太陽を模したタトゥー。
まさか、太陽の一族だろうか?
住人には危害を加えておらず、金品も盗んでいないらしい。そんな軽犯罪で顔写真が公表されたということは、警察にもなんらかの意図があるのだろう。
現場は北千住。
俺たちに血の魔物をけしかけたヤツだろうか?
もしそうなら、逮捕されたのは一安心だが……。
逮捕された以上、男の素性はいずれ知られることになる。
異世界の存在も知られてしまう。
これは他人事ではない。
もし警察が本気で捜査を始めれば、俺たちも逮捕される可能性があるのだ。
まずは不法侵入。オーナーの許可なく勝手にバーを占拠した。
酒も飲んだ。無銭飲食。
そして銃。銃刀法違反。
どこからどう見ても合法じゃない。
前回は、異世界で魔物に銃をぶっ放していたからファンタジーで済んだ。しかし国内で同じことをすれば、日本の法律に触れる。
まあそれはそれとして……。
国は本当に、異世界の存在を把握していないのだろうか?
素養さえあれば、ただの魔法陣で簡単に世界を行き来できてしまう。
ならば、異世界から人が来るのも今回が初めてとは思えない。
国はとっくにこれらの状況を把握しており、秘密裏に特別な扱いをしているということは、じゅうぶん考えられる。
特に太陽の一族は、外見だけなら人間と同じ。少し偽装すれば社会にも溶け込める。すでに何名かが潜伏していてもおかしくはない。
だからこそ警察も、メッセージを込めて顔写真を公表したのだろう。日本にいる太陽の一族に対し、これ以上問題を起こすなとの警告を込めて。
「ふーむ」
俺は天井を見上げた。
もしこの説が正しければ、新たな問題が浮上する。
太陽の一族は、すでに国内に潜んでいる。ならば、男がひとり逮捕されたところで、俺たちの安全は確保されていないということだ。
彼らにとって、ここは穢れた世界。
なるべくなら訪れたくない場所のはず。
その危険をおかしてまで乗り込んでくるということは、よほどの覚悟があると考えられる。
あの老人は、うまいこと神器を正常化できたろうか?
もし失敗なんてことになれば……。
いや、世界が崩壊しようが、それが一瞬で済むならなんでも構わない。というか、俺にはどうしようもないことなのだし、悩むだけ時間のムダだ。
しかしこの件で必死になった太陽の一族が、こちらに憎悪を向けてくるような事態だけは避けたい。
俺たちは、なにか大袈裟なことをしようとしているわけじゃない。妖精たちの身に起きたことを調べているだけだ。なぜ彼女たちが、人間界に召喚されたのかを。
戦いなど望んでいないのだ。
いまはあの老人がうまくやってくれるよう、願うしかない。
*
日曜日になった。
天気はよくもなく、悪くもない。
特にすることもなかった俺は、またエーデルワイスの家を訪れた。正確には、呼び出されたのだが……。
待っていたのは一匹と三名。
いつもの面々に加え、栗色の髪の女性が混ざっていた。穏やかな雰囲気ではあるが、春らしい薄ピンクのセーターを豊かな胸部でいじめている……。グロリオサだ。
「行方不明だったはずじゃ……」
俺がそう言いかけると、彼女はきょとんとしていた。
「いえ、ずっとこの近くで暮らしてましたけど……?」
「えっ?」
「じつは私、保育士やってるんです。すぐそこの保育園で働いてるんですよ」
行方不明じゃなかったのか。
まあ確かに、タイガーリリーとパキラが把握していないというだけの話であって、他の妖精も同じとは限らないのだが。
椿が「どうぞ」と座布団をすすめてきたので、俺は遠慮なく腰をおろした。
「ええと、これ……買ってきたからみんなで食べて。それより用ってのは?」
するとグロリオサが、少し困ったような表情でこう応じた。
「じつは不穏な情報を聞いたんです」
「不穏?」
また太陽の一族か?
それとも新たな問題?
「保育園の子供たちが、妙な噂話をしてるので、お知らせしようと思って」
「噂話?」
「この辺りで、同じ顔をした子供が何人も目撃されてるんです。小学生くらいだと思うんですが。ホントにあちこちにいるみたいで。たくさん」
「同じ顔? 双子とかではなく?」
「私も最初はそう思ったんですが、どうも違うみたいなんです。なにか悪いことをしているわけではないようなんですが……。少し気になったもので」
子供、か。
もちろん「不浄の子」がまっさきに思い浮かんだ。しかしそいつの精神が入った人形は、きのう神器に引き渡したばかりだ。適切に処理されるだろう。
俺は差し出された茶をすすり、こう尋ねた。
「ちなみに、いつ頃の話なんだ?」
「私が園に来てから、ずーっとですね。だから、おととしからいままで……」
そんなに前から?
ニュースでは、それらしき情報を見かけたことはない。
きっとまだ子供たちの噂レベルで留まっているのだろう。いわば都市伝説か。子供はあちこち遊び回るから、現地調査をするにはうってつけだ。問題は、情報を拾い上げる大人がまだいないということ。
これをどう受け止めるべきか。
不浄の子とやらは、人形に閉じこもっていたはず。普通に考えれば、グロリオサが言っていた子供は、不浄の子とは別の存在ということになる。
だが、もし不浄の子が、事前に何体にも分離していたとすれば?
老人が人形を処分しても、神器は完全には回復しないことになる。理屈はよく分からないが、神器がそう主張していたのだからそうなのだろう。
すると太陽の一族は、そいつを消すためにまた人間界で問題を起こすだろう。
街で血の魔物を使えば、被害だって拡大する。
警察に通報すべきか?
それともネットで注意喚起するか?
いや、どちらもバカにされて終わりだろう。いまは手を打てない。
しばらく静観するしかない。
もし手伝えそうなことがあれば、また誰か接触してくるはずだ。
(続く)




