侵入者 二
「ま、座ってくれ。水でも飲むか?」
俺はソファに神器を座らせた。
よぼよぼの老人。
人の話を聞いているのかも怪しい。
「子供だ……」
「そいつになんの用がある?」
「神器を……回復させる……」
きっと地下の人形のことを言っているのだろう。
時空を超えてこんなのに追い回されるのだとしたら、マネキンの中に逃げ込みたくなる気持ちも分からなくはない。
いや待て。
いま、かなり重大な発言があったのでは?
「神器を回復させる? てことは、また故障したのか?」
「やつはみずからの存在をふたつに分けていた……。気づけなかった……。すべてを滅ぼさぬ限り、神器は浄化されぬ……」
「やつってのは?」
「不浄の子……」
またそいつか。
ならその不浄の子とやらが、記憶から失われた情報なのだろう。
神器は興奮しているのか、体を小刻みに震えさせた。
かと思うと、急にこちらを見た。
「お前のせいだ……!」
「はい?」
「やつは……お前との戦いに勝利するため……人間性を切り離し……いずこかへ保管した……。私は一方を消去した……。だが私が世界の再計算を始めると……もう一方が現れ……計算に介入したのだ……」
なら俺のせいじゃない。
こいつの確認ミスだ。
自分の仕事のミスを、俺に押し付けないで欲しい。
「俺はそいつと敵対してたのか?」
「そうだ……。やつは神になるため……人間性を集めていた……。人間を誘い込み……搾取を続けた……。お前はその犠牲者だ……」
にわかには信じがたいが、しかし妙にしっくり来た。
俺はそいつと戦っていた気がする。直接的な殺し合いではない。なにかを競い合っていた。
「記憶を直してくれたら手っ取り早いんだが」
「そのための神器は……制御のきかぬ状態にある……。子供を渡せ……。消去するのだ……。このままでは……すべてが崩壊する……」
もう二度とここに来ないと誓えるのなら、こいつにマネキンを譲渡してもいい。
だが前回はこいつの言う通りにして、うまくいかなかった。
次も失敗しないという保証があるだろうか?
「協力したい気持ちはあるが……。もっと情報が欲しいな」
「なにが分からぬ……!?」
「そもそも、その不浄の子ってのは、なぜ神になろうとしたんだ?」
「お前は知らなくていい……」
「ほーん……」
俺はグラスの水をすすった。
こんな態度じゃ、ちっとも協力したくならないな。
神器はまた震えだした。
「お前の世界も……滅ぶのだぞ……?」
「そうかい。ならもう安月給で働く必要もなくなるな」
「……」
あきらかにイライラしている。
だが勘違いして欲しくない。こいつは夜中にいきなり押しかけて、一方的な要求を押し付けている。それにしては優しく応対しているほうだ。
老人は深く呼吸をし、冷静さを取り戻した。
「さきほど、血の魔物の話をしたな……?」
「あんたがやったんだろ?」
「違う……。おそらくは……人間界に入り込んだ太陽の一族……。力ずくで子供を回収せんとしている……。いずれさらなる暴挙に出るだろう……」
「えっ?」
太陽の一族は、すでに滅んだはずでは?
いや、違う。
不浄の子とやらを消去したから、滅ばずに存在し続けているのだ。
見た目は人間と同じだから、どこかですれ違っても分からないだろう。
「けど、彼らは人間界に来たら穢れるのでは? あんたは平気そうだけど」
「私には加護がある……。だが民にはない……。ゆえに全員は来ぬ……。だが世界の崩壊と引き換えなら……命がけで来るぞ……。子供を渡せ……」
世界の崩壊――。
俺にとってはどうでもいい問題だが、俺以外の全人類はノーと言うかもしれない。
なりふり構わず襲ってくるかもしれない。
正直、そんなに危ないなら渋るだけ損だろう。
意固地になって殺されるのは本望ではない。
「分かったよ。協力する。ただし、それがあんたの探してる子供かどうかは分からないぜ?」
「渡せ……」
「はいはい」
ホントに要求しかしてこないなこいつ。
*
タイガーリリーが地下から人形を持ってきてくれた。
本当に渡すべきか自信はないが。
「ほら、こいつだ」
「不浄の子……」
「これで世界が救えるのかな? この多大なる貢献に対して、感謝状のひとつでも欲しいところだな。ついでに金一封も」
「こちらで処分する……」
「帰るのか? タクシーでも呼ぼうか?」
老人が立ち上がりかけたので、俺は手を貸してやった。
体重が軽い。
老人はつぶやいた。
「魔法陣を描く……どこかひらけた場所は……」
「あるぜ」
*
召喚用の部屋に案内すると、老人はじっと地面を見つめたまま動かなくなった。
「これは……」
「魔法陣を描くための部屋だ。好きに使ってくれ。ただし壊さないように」
「ここに……ここに描かれていた魔法陣は……なんだ……?」
「えっ? ああ、それ? 誰かが消しちまったから、もとがなんだったのかは分からないよ」
「……」
老人は俺に人形を押し付けて、地べたに顔を近づけた。
そんなに凝視しても読めないものは読めないと思うが。
「まさか……まさか……」
「なにか?」
かなり乱暴に消されているのだが、神器には読み取れるのだろうか?
澁澤氏は「アナザー・ワールドへの入口」などと主張していたっけ。
どこか危ない場所にでもつながっているとか?
「いや……そんなはずはあるまい……」
「説明してもらっても?」
「ふん、時間のムダだ……」
老人はチョークで魔法陣を描き始めた。
もう少し配慮というものがあってもいいと思うのだが。
「人間よ、警告だ……。私がこの魔法陣を使用し終えたら……すぐに消せ……。さもなくば……よからぬことが起こる……」
「はいよ」
よからぬことはごめんだ。
すぐに消す。
写真くらいは撮らせてもらうが。
「いいな……? 必ずだ……」
「はいはい。ちゃんとやるよ。ほら、人形」
「……」
神器は顔を布で覆ってはいるが、じつに不安そうにこちらを見てくる。
いまいち俺を信用されていないようだ。
人形を素直に差し出してやったというのに。
魔法陣の中央は、人が立てるよう大きめの空白になっていた。
老人はそのスペースに立ち、呪文の詠唱もなく、ただ手を組み、じっと動かなくなった。
やがて、ふっとエネルギーの波が伝播した。
老人の姿は消えた。
俺はポケットから取り出したスマホで、魔法陣を撮影した。念のため二枚。いや三枚撮っておくか。
「この魔法陣ってなんなんだ?」
そう尋ねると、後ろにいたタイガーリリーは首をかしげた。
「さあね。エーデルワイスなら分かるかもしれないけど……」
「彼女にはもう会った。あとで聞いてみるよ」
「そう……」
タイガーリリーはすっと視線を移動させた。
俺もそちらを見たが、あるのは部屋の壁だけ。
エーデルワイスに対して、なにか思うところでもあるのだろうか?
*
バーに戻ると、パキラがソファで寝ていた。酒瓶を小脇に抱え、大股をひらき、じつにだらしない寝相だ。
タイガーリリーもこれには溜め息だ。
「パキラはホントに……」
「俺もそろそろ寝るよ。ああ、でも安心してくれ。ベッドは使わない」
上にもソファはある。
すると彼女はフッと笑った。
「使ってもいいんじゃない? それとも、なにか遠慮してるのかな?」
「べつに……」
「私は気にしないけどね。ま、行こうか。一緒の部屋で寝るのは、少しドキドキするね」
「……」
男の扱いなど手慣れたものだろうに。
妖精でもこの程度でドキドキするのだろうか? それとも俺のレベルに合わせてくれているのか? 余計なお世話だな。
*
もちろん何事もなく夜が明けた。
というより、起きたときにはすでにタイガーリリーの姿はなかった。
俺は身を起こし、窓から差し込んでくる朝日に目を細めた。
春の日差しはやわらかい。
その気になれば、ずっと眠っていられる。
一階へおりると、誰かがシャワーを使っている音が聞こえた。
俺は構わずバーへ。
ソファでは、朝からパキラが飲んでいた。
「やあ、英雄。このあたしを差し置いてタイガーリリーと寝るなんて、なかなかやるね」
「なにもしてない」
「どうだか。あーでも、もしヤッてたら、情けないイヌの遠吠えが聞こえてるはずだから、ホントになにもなかったんだろうね」
この女、ゲスすぎる……。
俺はアルコールを入れる気になれず、水だけ飲んだ。
カウンター席に腰をおろし、テレビをつける。
ニュース番組だ。どこかで見たことのある美女が、アメリカの式典で歌を歌っていた。アメージング・グレイス。いい歌声だ。名前はヴァニラとある……。
間違いない。
記憶にある妖精だ。
アメリカで歌手をやっているとは。
パキラもいきなり立ち上がった。
「あーっ! バニラのやつ、なんかすごいことになってるじゃん。なにやってんだよ。人間界になじみすぎでしょ……」
するとタイガーリリーが、艶のある黒髪をまとめ、バスタオル一枚で戻ってきた。
ハリのある健康的な褐色肌を、雫がすべり落ちてゆく。
「見てよ、タイガーリリー。ヴァニラのやつ、歌手になってる」
「知ってるよ」
「は? 知ってる? なんで言わないの……」
「きっと興味ないと思って」
「……」
反論しないところを見ると、たぶんパキラもいまのいままで興味がなかったのだろう。
タイガーリリーはバスタオルのままカウンター席についた。
「せっかくだし、みんながどこでどうしてるのか、私が把握してる範囲で教えておくよ。互いに協力できるかどうかは分からないけどね」
気になる物言いだ。
かくして俺たちは、互いの情報を突き合わせた。
総合するとこんな感じだ。
■タイガーリリー
住居はバー付近。職業は秘密。
■パキラ
住居はバー。無職。
■椿
不動産経営。
■エーデルワイス
椿に養われている。無職。
■ヴァニラ
アメリカで歌手。
■ライラック
一度だけバーに顔を出したが、その後は不明。
■ロベリア
不明。
■グロリオサ
不明。
こうしてみると、不明のメンバーがどこでどうしているのかが気になる。
ま、考えたところで分かるはずもないのだが。
タイガーリリーはこう補足してくれた。
「ライラックは、一時期、地下アイドルをやってたけど……。まだ続けてるかどうか分からないね」
パキラがウイスキーを吹きそうになった。
「アイドル? あの子が? 歌なんて歌えるの?」
「ノーコメントだよ」
「素直に罠師でもやってりゃいいのに」
だが罠を扱う仕事はそう多くない。都市部に住んでいるならなおさらだ。
ともあれ、強制的に人間界に呼ばれたわりには、みんなそれぞれ生活しているようだ。
なにか理由があったはずなのだが。
もう世界崩壊の危機も去ってしまったし、このまま妖精界に戻れないのなら、人間界に定住してもらうしかないかもしれない。本人たちもずいぶん馴染んでいるようだし。
(続く)




