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オゾン、焦熱、愚行、葬送  作者: 不覚たん
回帰編

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33/54

侵入者 一

 もう終電もなかったので、俺はバーで夜を過ごすことにした。

 一階のソファはパキラが占拠していたから、俺は二階の寝室を使った。大きな部屋に、七つのベッドが並んでいる。壁際にソファがあったので、俺はそこへ身を横たえた。


 窓からは夜が見える。

 丸い月が浮いている。


 今日はいろんなことがあった。

 喋るネコに会って、それから妖精たちと出会った。

 夢だと思っていたものが、過去の記憶だと分かった。

 記憶を頼りにバーを見つけた。


 だが、それだけだ。

 それ以上のことは、なにも分かっていない。


 *


 いつの間にか夢を見ていた。

 誰かと話していた。

 銃を受け取り、俺は意気揚々と店を飛び出し……。そして月夜の世界で、繭に出会った。


「英雄、起きてくれ。なんか変だ」

「えっ?」


 パキラに身をゆすられ、目を覚ました。

 まだ朝じゃない。

 少しうとうとしたタイミングで急に起こされた。


「なんだ? どうした?」

「裏口のドアから、なんか入り込んできた」

「なんかって?」

「知らない。赤いドロドロのやつ」

「カギならちゃんと閉めたぞ?」

「隙間から入ってきたの。そいつが急に立ち上がって……。瓶でぶん殴ったのに、ちっとも死ぬななかった」

 赤いドロドロ――。

 血の魔物か?


 ええと。

 記憶によれば、俺はそいつを簡単に倒していた気がするのだが……。

 しかし銃がない。


 パキラは困ったように首をぽりぽりかいた。

「能力、使っていいかな?」

「能力って?」

「武装だよ。狙撃できる。ただ威力がありすぎるから……ここでぶっ放すと、たぶん店ごと壊れる。かといって外でやると、もっと厄介なことになるし」

 徐々に思い出してきた。

 記憶の中の彼女は、電柱のような銃砲を担いでいた。そんなものを使ったら、ホントに店ごと壊れるだろう。近所の人が通報して、警察がやってくる。魔物に殺されるよりはマシだが……。


「そいつはいまどこにいるんだ?」

「カウンターの中に入っていった。腹でも減ってたのかな?」

 カウンター?

 そこには食料がある。消費期限は切れていると思うが。

 あとは酒。

 そして地下貯蔵庫。


 ギシギシと、階段をあがってくる音がした。

 マズい。

 逃げ場がない。


 俺はソファから飛び起きて、空っぽの花瓶をつかんだ。それくらいしか武器になりそうなものがなかった。

 パキラは素手のまま。

 店を壊す覚悟で応戦するか、窓から逃げるか、そのどちらかしか選択肢はないかもしれない……。


「ああ、待って。私だよ。タイガーリリー」

 スラリとした褐色肌の女が、ホールドアップしながら入ってきた。

 長い黒髪をポニーテールにまとめている。

 彼女のことは特に記憶している。当時いろいろ世話になった。


 パキラは顔をしかめた。

「は? なんであんたが?」

「子飼いの情報屋から連絡が来たんだ」

「誰?」

「あとで説明する。それより、地下の様子を見に行ったほうがいいんじゃないかな?」

 事情を知ってるような口ぶりだ。


 パキラが反論する前に、俺はこう応じた。

「会えてよかったよ、タイガーリリー」

「私もだよ、英雄」

「けど、下のヤツはどうやって倒すんだ?」

「これを使って」

 彼女は尻ポケットから拳銃を抜き、グリップをこちらへ向けて差し出した。


「え、銃? どこでこんなものを?」

「カウンターにしまってあったよ」

「そんなところに? けど、撃ったら住民に通報されるんじゃ……」

「撃つのは地下だし、音は漏れないと思うよ。それに夜中だし、みんな寝てるんじゃない?」

 一理ある、か。


 パキラは舌打ちしたものの、特になにも言わなかった。


 *


 地下貯蔵庫におり、電気をつけた。


 そいつはなにかを探しているのか、一人できょろきょろしていた。

 ドロドロの血がそのまま固まったような魔物。

 見れば見るほどグロテスクだ。

 仲間がいなかったら、絶対に逃げていただろう。


 俺が銃を構えると、後ろからタイガーリリーが近づいてきた。

「跳弾すると危ないから、なるべく下に向けて撃って。奥の人形にも当てないように」

「人形? なにかあるのか?」

「あとで説明する」

 いまこの場で説明してくれても構わないのだが。

 いや、いい。

 敵に集中せねば。


 両手で銃を構え、やや下方向へ照準をつけた。

 血の魔物は、俺たちを無視してずっとなにかを探している。


 トリガーを引くと、閃光とともに手首へガツンと反動が来た。パァンとけたたましい発砲音。血の魔物は割れた水風船のように飛散して、そのまま血だまりになった。


 手が震えた。

 よく考えたら、実際に銃を撃つのは初めてだった。

 人の形をしたものを殺すのも。


「終わった……のか……?」

「たぶんね」

 タイガーリリーは、すると血だまりを気にせず、奥へ奥へと進んでいった。

 目的は人形か?


「みんなも来て」

 彼女はいったいどういうつもりなのだろうか?

 血を浴びた人形を抱え、俺たちを手招きしている。ちょっとしたホラーだ。


 パキラが歩を進めたので、俺もやむをえずあとに続いた。

「その人形がなにか?」

「誰かの精神が封印されてる」

「誰か?」

 いや精神って?

 肉体を捨てて、この顔さえないマネキンに入り込んだ物好きがいるのか?

 しつこい借金取りにでも追われていたのだろうか?


 タイガーリリーは肩をすくめた。

「そう、誰か。けど、それが誰かは分からない」

「ここのオーナーとか?」

「たぶん違うね。もっと言えば人間じゃない。妖精でもない」

 ならお手上げだ。

 俺の知り合いは、人間か妖精しかいない。あとは神器の中の人くらいか。


 パキラがぐっと顔を突っ込んできた。

「で、あんたはなんでこのタイミングでここに来たわけ? 教えてくれるんでしょ?」

「もちろん。私、この近くに住んでるの。この店の場所も、パキラが来るずっと前に特定してた。外に酔っ払いがいたでしょ? 彼に頼んで、監視してもらってたの。なにか異変があったら連絡してって」

 異変?

 パキラは眉をひそめた。

「で、血の魔物が現れたから駆けつけたってわけ?」

「違う。英雄らしき人物が現れたっていうから来たの。そしたら赤いのが地下に入っていくのが見えたから、手を貸そうと思って」

 あの酔っ払いが協力者だったのか。


 俺は溜め息をついた。

「助かったよ。パキラより先に来たってことは、ここもとっくに調査済みってことかな?」

「そう。去年の冬にね。言っておくけど、上の魔法陣を消したのは私じゃないよ。以前からあの状態だった。で、地下貯蔵庫を調べたとき、この人形の存在に気付いたんだ」


 顔のない血まみれの球体関節人形。

 子供サイズ。

 服は着ていない。

 見るからに呪われていそうだ。

 オーナーの澁澤氏がどこかで購入した呪物としか思えない。


 俺はいちどあたりを見回してから、こう尋ねた。

「血の魔物は、なんの目的でここに?」

「詳しくは分からないけど、人形を狙ってたんだと思う。この店には、ほかにこれといったものもないし」

 まあ地下に来たということは、そういうことなんだろう。


 だが、記憶と現状が違いすぎる。

 以前は、こんなものはなかったはず。


 *


 いったんバーに戻り、それぞれ腰をおろした。


「ひとつ確認なんだけど、みんな、過去の……というか未来の記憶は持ってるんだよな?」

 俺がそう尋ねると、パキラもタイガーリリーも肯定してくれた。

 ここは想定通り。

 だが、それでも納得いかない点があった。

「けどその人形、俺の記憶にないんだ。もし忘れてたとしても、実物を見たらたいてい思い出せるはずなのにさ。二人は、その人形のことおぼえてるのか?」

「いや、私は記憶にないね」

 タイガーリリーがそう応じると、パキラも肩をすくめて同調した。


 誰の記憶にもない人形――。

 どう解釈すればいいのだろう。


 過去を振り返ってみる。

 前回の俺たちは、いったいどんなことをしたのだろうか。


 きっかけはおぼえていないが、それはたしか「式典」という行為だった。

 拠点はこのバー。

 裏口のドアから別世界へ行けた。

 どこもオゾン臭がした。

 血の魔物を撃ちながら進むと、最後は繭に遭遇した。

 繭からは妖精が出てきた。

 俺は妖精たちを解放するため、戦いを続けた。

 やがて「神器」と遭遇した。世界を改変する巨大な計算機だ。穢されていたせいで、動作不良を起こしているらしかった。

 神器を割ると、中から人が現れた。

 そいつは言った。時を巻き戻し、穢れの原因を消去し、すべてをやり直す、と。

 時が巻き戻った。


 以上だ。

 なにか致命的な欠落がある気もするが……。


「えーと、俺たちがやってた『式典』についてだけど……。そもそも妖精たちは、なんで式典にとらわれてたんだっけ?」

 俺の問いに、タイガーリリーは小首をかしげた。

「なにか禁忌をおかしたような……」

 するとパキラがウイスキーの瓶をくわえたまま、なにか言った。

 聞き取れない。

 彼女は口の中のものを飲み込んでから、こう続けた。

「果実だよ、果実。それをパイにして食ったんだ。誰かが育ててたやつ」

「ああ、そうだったね。私が調理したんだ」

「そう、あんたのせいだ。責任とれよな」

「食べたのは君の判断だろ」


 いや、問題はそこじゃない。

 果実を育てていたのは誰だ?

 俺たちの記憶からは、そいつに関する情報がスッポリ抜け落ちている。


 例の神器は言っていた。

 原因を消去する、と。

 だからなにかが歴史から消え去った。

 俺たちの記憶からも。


 神器は、計算の整合がどうだとか言っていた。

 第一目的は原因の消去。

 俺たちの記憶は、あくまでそこに矛盾しない範囲でしか残されていないのだろう。


 ここまで徹底的に消去されているなら、俺たちが自力で真実に到達することは不可能に近い。

 なぜなら、どこを探しても、そいつに関する情報は存在していないのだから。


 ふと、店のドアが開き、何者かがよろよろと入り込んできた。

「子供……」

 法衣を身にまとい、布で顔を覆った人物。

 神器――。


 パキラが跳ねるように立ち上がった。

「また来たの? 警察に行けって言わなかったっけ? ここ、警察じゃないの。分かる?」

「子供……」

 裾から覗く手足は、痩せ細って骨と皮だけ。

 記憶によれば、そいつはもっと若々しくて、態度も堂々としていたはずだが……。


 俺もスツールからおりた。

「待ってくれ、パキラ。少し話がしたい」

「は?」

「その人が神器だよ。神器の中にいた人物」

「神器? この爺さんが? いや婆さんかな?」

 そういえば、面識があるのは俺だけだったな。


「神器、ご用はなんだ?」

「隠すな……子供だ……渡せ……」

「子供だけじゃ分からない。特徴を言ってくれ」

「不浄の子……」

 ダメだ。

 まったく分からない。

 聞いたこともないフレーズだ。いったい誰のことを言っているのかも分からない。そもそも、なぜこんなに弱っているのかも不明だし。なにもかもが理解不能だ。

「さっき裏口から血の魔物をけしかけたのもあんたか?」

「世界が……崩壊する……」

 世界が?

 どうなるって?

 その前に、俺の脳細胞が死滅しそうだ。


 いい加減寝ようと思ってたのに、厄介ごとを持ち込みやがって。

 だがこいつはキーパーソンだ。話を聞く価値はある。

 たぶん。

 まともに会話が成立するのなら。


(続く)

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