Next Door
わめき散らすライラック。
抑えつけるパキラ。
俺はその光景を、わけも分からずただ眺めていた。
いったいなにが起きた?
ヴァニラが「ふふん」と鼻を鳴らした。
「こんな見え見えの罠、かかるわけありませんわね」
待て待て。
がっつり食べてただろ?
いや、違うのか?
あれは幻覚だった……とか?
ヴァニラはライラックを見下ろすように立った。
「無知というのは罪ですわね。わたくしたちが、ここの果実のせいでどれだけ不快な思いをしたかも知らず、こんな陳腐な罠を仕掛けるなんて」
「た、食べたのは自業自得でしょ?」
「そう。自業自得ですの。それだけに、怒りのやり場もなかった。おかげで、わたくしたちは思い知らされたのですわ。ここの果実には決して手を出すべきでない、ということを」
いったいなにが起きたのか、ヴァニラは教えてくれた。
バーから出た瞬間、これが罠であると確信したらしい。だから歩きながら、幻覚を使い、会話することなく仲間たち一人一人に警告を発したのだ。果実を口にしてはならない、と。
そして、俺にだけフェイク映像を見せた。
敵をだますにはまず味方から。
とはいえ、俺にフェイク映像を見せても、少年をだますことはできない。
もちろんそれでいい。
式典の最中に、少年が直接乗り込んでくることはないからだ。介入するにしても、怪物を放り込むくらいのことしかできない。
大事なのは、先で待ち構えている敵をだますことだけ。
「ライラック、わたくしたちに敗北宣言なさい。そして仲間になるか、それとも死ぬか、どちらかをお選びなさい。ま、英雄の気分次第では、どちらを選んでも死ぬ可能性がありますが」
「ひぃっ」
怯えている。
いや、怖いのはこっちも一緒だ。
このヴァニラという妖精、戦闘力がない代わりに、その他の能力が突出している。
パキラはニヤリと残忍な笑みを浮かべた。
「ひとまず腕折っとくか?」
「待って待って待って! なるなる! 仲間になるから! お願いだから命だけは助けて! 生まれたばかりで死にたくないの!」
可哀相にライラックは足をバタバタさせていた。
ロベリアもにんまりと微笑している。
「えー、もう降参? 遅効性の神経毒もあるのに……」
「お願いだからぁ……」
一人を説得するにしては、戦闘力が高すぎる。
俺はほっと息を吐いた。
「ライラック、安心してくれ。君はいまから俺たちの仲間だ」
「うん! 仲間!」
「よし。じゃあここからは隠し事はナシだ。教えてくれ。もし俺たちを倒したら、このあとどうなる予定だったんだ? あの少年はなんと言っていた?」
パキラが手を離すと、ライラックは安堵した様子で立ち上がった。
「あーもー。ホント、サイアク。あいつ? 終わったら店に帰ってきていいって。そんだけ。ホントだよ? ウソなんてついてないから!」
「信じるよ。けど、そうか。なら式典はこれで終わりってことになるな」
しかしタイガーリリーは首をかしげていた。
「ラッパが鳴らない」
「ラッパ?」
「葬送の合図だよ。通常なら、英雄はここで最後のヒロインを選択するんだ。それでも選びきれない場合、葬送のラッパが鳴り響く」
「それはいつごろ?」
「英雄に迷いがなければ、すぐにでも。けど、おかしいな……」
「俺が原因か? いや、そんなはずは……。もう答えは出てる。誰も選ばない」
ウソじゃない。
全員で葬送に挑むということは、とっくに決心している。
となると、俺以外の要因で式典が止まっていることになるが……。
上からなにか降ってきた。
そいつはドーンと周囲の土砂を巻き上げて、大地に突き刺さった。
いきなりもいきなりだ。
俺たちは唖然としたまま、そいつを見つめた。
木製のドアだ……。
そこから先へ進めということか?
*
ドアの向こう側には、別の領域が広がっていた。
満月の海岸。
砂浜には、栗色の繭が蠢動していた。今度こそグロリオサだろう。血の魔物はいない。戦闘などどうでもいいから、とにかくヒロインに会えということか。
いや、もしくは葬送のために温存しているのかもしれない。
俺は歩きながら発砲した。
繭から水が漏れ出す。
たぶん妖精には当たってない。
波がゆっくりと寄せては返す。
青黒い海面に乳白色の満月が反射して、一筋の光の道のように見えた。
いい景色だ。
波の音も優しい。
俺は海に縁がない。特にあこがれもない。だが、なぜか目を離せなかった。ただ同じことの繰り返しで、なにか面白いことが起きているわけでもないのに。スケールが大きい。自分の生きている星そのものを眺めているような……。
「服、もうないよ」
エーデルワイスの言葉に、タイガーリリーは肩をすくめた。
「探せばどこかにあるはずだよ」
「あの箱?」
「あらら」
さも漂流物かのように、砂浜に宝箱が埋まっていた。服を手に入れるには、まず砂を掘らなくてはならない。
するとパキラが、どこからともなく巨大な銃砲を出現させ、肩に担いだ。まるで電柱だ。
「こいつでぶっ飛ばそうか?」
「待って! 中身も壊れちゃう!」
エーデルワイスが慌てるのも当然だ。
どこからどう見ても穏やかじゃない。一人だけとんでもない火力を有しているものだ。彼女が葬送で生き延びるのも道理だろう。というか、ほかの子が不憫に思えるレベルだ。
俺は歩を進め、宝箱に近づいた。
「俺がやるよ」
砂を掘るくらいなら任せて欲しい。
*
誰の趣味だか分からないが、中身は貝殻水着だった。
栗色の髪のグロリオサも、これには苦い笑みだ。
「はしたない格好でごめんなさいね。グロリオサと申します。まさかライラックまで一緒なんて」
なにがとは言わないが、デカい。
包容力のありそうなお姉さんタイプ。
風の使い手。頑張れば稲妻も操れるという。
「あんたで最後だ。よろしく頼む」
「はい」
彼女はなにかをキョロキョロ探しているようだった。
椿のことでも探しているのか?
残念だが、彼女はもういないのだ……。
ラッパが鳴り響いた。
自己紹介が終ってすぐに開催とは。
俺が誰も選ぶ気がないのは、少年も理解しているようだな。
また、ドーンとドアが降ってきた。
どうでもいいが、勢いよく砂が飛び散ってきて、みんな砂まみれだ。
「クソ、ドアくらいもっと丁寧に置けないのかよ」
するとライラックが白い目で見てきた。
「繭を撃つような人に言われたくないと思うけどね」
「どうやって開けるのが正解なんだ?」
「えー、それ聞く? えっち!」
「……」
いや、どうやって開けるべきなんだよ。
ホントに。
誰か正解を教えてくれ。
俺はひとつ呼吸をし、みんなに向き直った。
「たぶん次で最後になると思うから、作戦を伝えておくよ。ま、ここで喋るとあの少年にも知られるから、あまり気乗りはしないが……」
*
ドアの向こう側に出ると、景色が一変した。
煌々たる満月に照らされたアリーナだ。
サッカー場ほどのスペースがあり、周囲が客席で囲まれている。
客――。血の魔物だ。それも満員。
場所は、まっ黒な空間に浮いた巨大な直方体の上……。これが「箱」なのだろう。
「ようこそ、葬送の舞台へ。まさか人数を増やしてここに来るとは思わなかったよ」
少年は無防備にも俺たちの前へ来た。
いや、こいつはあくまで全体の一部だ。殺したところでなにも解決しない。
「あんたの策ってのもたいしたことはなかったな」
「焦ってたように見えたけど?」
「そうかな? だがチームワークで勝利した。次もきっとそうなる」
「楽しみだね」
余裕の態度だ。
まだなにか策があるのか。
少年は呼吸をし、空を見上げた。
満月はある。
だが星はない。
「ルールは分かってるよね? ヒロインが最後の一人になるまで戦ってもらう。英雄が死んでも終わらないよ。葬送が始まると、周囲には火が放たれて、行動できるエリアが徐々に狭くなる。でも安心して。いつもみたいに、ゆっくり炙ってあげるから。急がせたりしないよ」
心理的な圧迫はありそうだが、時間的な猶予は意外とありそうだ。
フィールドの中央には、象徴的な記号が描かれていた。一族の残留思念の覆面にも描かれていた太陽の紋章。
いかにも意味ありげだが……。もし意味がなかった場合、俺は他に狙うべきターゲットを探さなくてはならない。
エーデルワイスがしゃがみ込み、マッポーちゃんにおんぶ紐をつけ始めた。それを俺に背負わせてくれるのかと思いきや、彼女は自分で背負い始めた。
「あ、おい……」
「私が運ぶ。英雄は戦わなきゃでしょ?」
「ああ……」
それは助かるが……。
だがもしエーデルワイスが力尽きれば、マッポーちゃんも一緒に行動不能となる。俺もその近くから移動できなくなる。
諸刃の剣だ。
少年はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「じゃ、僕は客席で観戦させてもらうよ。ラッパが鳴ったら始めてね」
「ああ。ぜひともご照覧あれ」
この世界の滅ぶサマをな。
「マッポーちゃん、頼む」
「おげぇっ」
胃液まみれのブツがフィールドに転がった。
布に包まれた、名も知れぬ不浄な短剣。まあそれはいいのだが、禍々しさとは別に、普通に汚い。不満を述べている場合じゃないのは分かるが……。
マッポーちゃんは憤慨した。
「ちょっと衆生! 汚物みたいな扱いするなマポ! マッポーちゃんの愛の液体だと思えマポ!」
「わ、分かってる」
愛の液体とは……。
俺は意を決して布をよけ、中の短剣をつかんだ。
持った瞬間、ビリビリと悪意が伝わってきた。これはキツい。手が持つのを拒絶している。
「大丈夫マポ。衆生の人間性はマッポーちゃんが確保してるマポ。遠慮なく短剣を振り回すマポ」
「ああ、信頼してるぜ」
よし、もう準備は整った。
一秒でも早く始めてくれ。
あまり長くこいつを持っていたくない。
(続く)




